good fortune






「おはようー、あきのー」
「おはよう、実香子」
 ほんの少しひんやりとした朝の空気の中、あきのと実香子は校門近くで挨拶をかわしあった。
 修学旅行の振り替えで月曜日が休みになったため、今日は火曜日。週の始まりが火曜日から、というのはやや妙ではあるが、これから2年生は受験に向けてのムードが高まってくる時期でもあるので、旅行前までのような のんびりした雰囲気は一掃されることだろう。
 しかし、実香子にはそんなことは全く関係がなさそうで、朝から元気いっぱい、全開である。
「ねえねえあきの、日曜日と昨日はどうしてたの? 私さ、昨日はあきのに電話したんだけど、話中で繋がらなくて、そのままにしちゃったんだよねー」
「あ・・・うん、ごめんね。昨日は、倫子さんとだいたい家にいたんだけど・・・ちょっと、ね」
 あきのは苦笑した。
 日曜日は智史と会った。昨日は、義母の倫子が家にいたので、一緒に買い物に行ったり、本を読んだりして過ごしたのだが、夜はやはり智史と電話で話をしてしまい、それが結構長くなってしまったので、実香子からの電話を知りつつも、かけ直すことが出来なくなってしまったのだ。
「あ、珍しい。倫子さん、家にいたの?」
「うん。土曜日まで結構詰めて仕事して たからって、編集長にお休みもらったんだって。それでね、久しぶりに2人で買い物行ったりした」
「そっか。倫子さんはいー人だもんね」
 あきのの義母に、実香子は何度か会って話をしている。気さくな感じで、あきの自身も無理をしてつき合っているという様子はなく、母娘、というには少し違う感じではあるが、仲はいいということをちゃんと知っていた。
 あきのも、それには素直 に応じる。
「うん。倫子さんとは上手くいってるもの。親子というよりは、友達みたいな感じだけどね」
「・・・そう言えばさ、あきの、大麻とは?」
 さらっと本題を突いてきた実香子のニカッとした笑いに、あきのは苦笑するしかない。
「えっ、と・・・どう、答えたらいいのかな・・・」
「・・・昨日はともかく、日曜日は? 会ったりしたの?」
「あ・・・うん。一応、ね」
「一応っ て・・・何よ、それ。大麻とじゃ、デートにならないってこと?」
「そういう意味じゃないんだけど・・・」
 日曜日の午後のひと時はデート、というほどの内容ではなかった気がして、あきのは実香子の問いにどう答えていいのか戸惑ったのだ。
 何より、あきのにとっては土曜日の出来事の方が余程大事で、さりとて、正直に実香子に打ち明けてしまうのもなんとなく躊躇われた。
「会うに は会ったんでしょ? 大麻と何処行って、何話したの? あきの」
「・・・海辺の公園に行って、出会った、というか、初めて喋った日のこと、話したり、してたけど・・・」
 実香子の勢いに押されて、あきのはどうにかそれだけを答える。
「公園でただ、話をしてただけ?」
「うん。だって・・・ほら、旅行終わってすぐだったし」
「うーん、まあ・・・あきの、調子もあまり良くなかったか ら、仕方ないのか・・・」
 ようやく、実香子はあきのの体調が優れなかったことを思い出してくれたようで、あきのはホッとした。これで、そう根掘り葉掘りは聞かれないで済むだろう。
 実香子に悪気がないのは解ってはいるのだが、あきの自身、まだ智史とのことに慣れないでいるのが本当のところだ。
「朝からつるんでんな、実香子と椋平さん」
 元気な声が聞こえてきて、あきの たちは振り返る。
 ニコニコした笑顔の伸治と、穏やかな笑顔の俊也、そしていつも通りのむすっとした表情の智史が歩いて近づいてきていた。
「おはよ、山根。清水くんと大麻も」
「おはよう」
 実香子とあきのが挨拶をすると、伸治は実香子の隣に並び、俊也と智史も足を少しだけ速めてあきのたちの傍に立った。
「紺谷さんと椋平さんは相変わらず仲がいいね」
 俊也はそ う言うと、すぐさま歩き出す。
「あ、あれ? 清水くん?」
 あきのが軽く目を瞠ると、俊也はふふっと笑った。
「僕はお邪魔虫のようだから先に行くよ、椋平さん。後でね」
 あからさまにそう言われ、あきのは目元をほんのりと赤くした。
 確かに、あきのと智史、実香子と伸治はつき合っている者同士だから、俊也はあぶれる形になってしまうのだが、そこはクラスメートなの だし、気にしてもらうようなことではないのに。
「俊也の奴、気配りというか、ヘンな遠慮しなくていいのにな・・・なあ、智史」
 伸治の言葉に、智史は溜息をつく。
「・・・何でもいいから、歩くぞ。遅刻なんかしたらシャレになんねーだろ」
 素っ気ない風を装い、智史はスタスタと歩き始める。
 けれど、一瞬ではあるが、あきのにやさしい瞳で頷いてみせた。
 あきのも、そ れに笑顔だけで応えて、実香子と伸治を促す。
「そう、遅刻はよくないわよ、実香子も山根くんも。とにかく、行きましょ。話は教室ですればいいんだから」
「あきの・・・まだ時間は全然大丈夫でしょ?」
「実香子、そうでもないよ? 私、今日はかなり遅い時間だなって思って出てきたもの」
「え〜、そうー?」
「まあまあ・・・いいじゃん、実香子。椋平さんと智史に置いてかれるよ り、一緒に行った方がいいと思うぞ」
 伸治に促されて、実香子もようやく止めていた足を動かし始めた。
 あきのはそれを微笑んで見つめ、少し歩調を速めて智史に追いつき、並んで歩く。
「あの、智史・・・ごめんね、昨日は」
 長電話につき合わせてしまったことを、あきのは少し気にしていた。智史がどちらかというと電話などで話をするのは好きではないらしい、というのが昨日、 話していて解ったからだ。
「何が」
 智史はあきのをちらりと見やる。
「つい・・・話し込んじゃったりして。ごめんなさい、本当に」
 申し訳なさそうに言うあきのに、智史は軽い溜息をつく。
「・・・確かに、俺は電話で長話したりすんのは好きじゃねえけど、気にすんな。電話してこいって言ったのは俺の方だしな。それより、電話代使わせちまって悪かったな」
「あ、ううん・・・ そっちは平気。・・・ありがとう、智史」
「・・・お前だからな」
 あきのにだけ向けられるやさしい瞳で、智史は応える。
 それは明らかに『特別』だと物語っている言葉と表情で。側で見ている伸治と実香子は、一見普段通りに見える智史とあきのが、実は熱々の雰囲気を作り出していることをひしひしと感じさせられていた。
「智史の奴・・・マジ変わったよなー」
「うん・・・もう、あきの が可愛くって仕方がないって感じ?」
「椋平さんの方もなぁ・・・智史にゾッコンって奴だよな」
「うん・・・朝から熱いよね、あの2人」
 ごく自然な感じで並んで歩く智史とあきのを、伸治と実香子は微笑んで見守るように後ろに続く。
 彼らが校門をくぐり、教室に入ってまもなくで予鈴が鳴って、一日が始まろうとしていた。




 修学旅行の雰囲気が一掃されたのはあ くまでも授業中に限られていて。
 さすがに旅行明け初日の今日は、休み時間になるとあちこちで旅行の話が囁かれている。
 そんな中、やはり3日目の、あきのが倒れた日のことも少なからず囁かれていて。しかも今朝、智史とあきのが並んで登校してきたことにより、更に噂は様々な憶測をもって語られることになっていた。
 あきのと仲がいい実香子や理恵は勿論蚊帳の外。男子の方も、 俊也や伸治のところには智史たちの噂は聞こえてこなかった。
 しかし。
 それでも、クラスの雰囲気が一種異様なのは感じで判る。
 智史は無視を決め込んでいたが、あきのは少し、気になった。それは実香子や理恵も同様で。
 昼休み、3人でかたまってお弁当を食べながら、あきのはついつい、溜息をついてしまっていた。
「・・・あきの、大丈夫?」
「あ、うん・・・ごめんね、 理恵、心配かけて」
「いや、私はいいんだけど。それにしても、みんなよっぽど暇なんだね。そんなに、あきのと大麻の間に何かがあったことにしたいのかな」
「理ー恵、そんなの決まってんじゃん。そうでなかったら噂したりしないよ、みんな。あきのの気持ちも知らずにさぁ、勝手なんだから!」
 実香子は怒っておかずのミートボールを箸で突き刺した。
 理恵には、京都駅で集合 時間に遅れた本当の理由を話してある。だから、それによって、あきのが寝不足になってしまったこと、その事情を知っているからこそ、智史が付き添いをしてくれたのだということも、理恵と実香子はきちんと把握してくれていた。
 真相を知っているから、あきのと智史の間にやましいものなどないことも判っている。
 けれど、真相を知らない大多数のクラスメートにすれば、やはりあの事態 は面白おかしく語れるネタでしかないのだろう。
 そして、あからさまにあきのに問いかけてこないのは、智史の脅しが効いているから、ということなのだろうと実香子と理恵は思う。
「・・・まあ、実際、あきのたちにはやましいところはないんだし、大麻の言う通り堂々としてたらいーんじゃない? ねえ、理恵」
「・・・それしかないね、きっと。あまり気持ちのいいものではないと思うけど、 やっぱりさ、無視しとくのが一番いいだろうから」
「うん・・・ありがとう、実香子、理恵」
 あきのは親友2人の励ましに笑みで応えた。

 
  
 



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