ぷち はっぴい







 秋もだんだん深まりつつある10月28日。
 この日はあきのの誕生日だ。
「あきのー、おめでとー」
 今日も朝から元気な実香子があきのに声をかけてくる。
 あきのは足を止めて、ゆっくりと振り返った。
「実香子、おはよう。ありがとう」
「ふふ、おはよー。今日から17歳だねー、あきのも」
 7月生まれの実香子は既に17歳になっていた。いつものようにニコニコした屈託のない実香子の笑顔は、あきのの心にも 温かさをもたらしてくれる。
「うん。・・・でも、あんまり変わらないような気もするのよね」
「もう、何言ってんの! こ・と・しは! 大麻がいるでしょー?」
 実香子の愉しげな笑いに、あきのはぽっと頬を染めた。
「あ、でも・・・私、智史には言ってない、んだけど」
「はあ!? あきの? ちょっとそれ・・・マジ?」
 実香子は信じられない、というように目を瞠る。
「う、うん・・・そういうの、わざわざ言うなんて、なんか、こう・・・」
 まる でプレゼントを要求するような気がして、あきのは言い出せなかったのだ。勿論、誕生日を祝って欲しいという気もするのだが、智史にへんな気遣いはさせたくない。
「あきの〜? それってさぁ、まあ、確かにプレゼントよこせって言ってるような部分もあるかもだけどー、でも、やっぱり彼氏に祝ってもらいたいでしょ?」
 小さな溜息をつきながら言う実香子に、あきのは苦笑した。
「まあ、そういう気持ちもあるけど・・・でも、とりあえず、いいの。誕生日だか らって特別なことはなくても、智史がいてくれるだけで嬉しいし」
「あきのってば・・・」
 実香子は半ば呆れたように再びの息をつき、微笑んだ。
「まあ、あきのらしいと言えばらしいよね。・・・はい、私からのプレゼント」
 実香子は鞄から紙袋を取り出してあきのに差し出した。
「あ・・・ありがとう、実香子」
「ふふ、どういたしまして。後でゆっくり開けてみて」
「うん」
 実香子からのプレゼントを自分の鞄に片付けて、あきのは学校に向か って実香子と共に歩いていった。




 教室に入ると、あきのは理恵からもプレゼントをもらった。綾や沙季からもお祝いの言葉とちょっとしたプレゼントをもらい、微笑んでお礼を言った。
 そんな風に誕生日を祝ってくれる友人がいることが嬉しい。あきのはうきうきした気持ちで、昼休みを迎えた。
「・・・あきの、ちょっといいか」
 実香子と理恵と一緒にお弁当を広げていたあきのは、それを殆ど食べ終えた頃に智史に声をかけられた。
「あ、うん。どうかした?」
「・・・ちょっと、廊下まで出てくれ」
 智史は実香子と理恵には聞かれたくない何かを言うつもりらしい。
 あきのは席を立って智史と共に廊下に出た。
「どうしたの? 智史」
「・・・確か、今日は矢野さんが休みだったよな」
 智史が切り出したので、あきのは頷いた。
 あきのの家には週に3回、家政婦の矢野さんが掃除と炊事をしに来てくれている。そして、今日は彼女が来てくれる日ではなかった。
「よく覚え てくれてるね、智史」
「ああ、まあ・・・それでだ、母さんが週末だし、お前がよかったら食事に来ないかってな」
「おば様が? 本当に、いい、の?」
 智史の母・知香は実母のやさしさを思い出させる。修学旅行から帰った日に初めて会ってから、あきのはまた会ってみたいと思っていた。
「悪い訳ねーよ。悪かったら母さんも言わねえし。お袋さんたちがちゃんと帰って来られんなら、無理には・・・」
「あ、ううん。・・・父はいつものことだし、倫子さんは今 日は締め切り前だから遅くなるって言ってたし。だから、今夜は1人の筈、だったの。だから、嬉しい」
 あきのは素直に喜びを言葉にした。倫子はあきのの誕生日が今日だということを覚えていてはくれたが、仕事を優先しない訳にはいかないので、明日にお祝いをしようと言ってくれていた。しかし、父である総一郎はそんなことは口にもしなかった。おそらく、覚えていないのだろう。だから、あきのは今日の誕生日を家で1人で過ごす覚悟をしていた。夕方くらいまで は、智史に一緒にいてもらいたいと思ってもいたが、まさか、こんな申し出を知香からしてもらえるとは思ってもみなかった。
「・・・母さんだけじゃなくて、志穂と香穂の奴もお前に会いたいってうるさくてな・・・また、うるせーと思うけど、適当に相手してやってくれるか」
「勿論。それに、賑やかではあるけど、うるさくはないわよ、香穂ちゃんも志穂ちゃんも」
「そう言ってくれると助かる」
 智史はふっと口元に笑みを刻んだ。
「なら、放課後、一緒に 帰ろう」
「うん。ありがとう、智史」
 話を終えると、智史はあきのより先に教室に戻る。あきのは少し遅れて席に戻った。
「あきの、大麻、何だって?」
 実香子が興味深々といった感じに問いかけてくる。あきのは少しだけはにかんで答えた。
「うん・・・家に、来ないかって、誘ってくれたの」
「え? 家に? それって、あきのの誕生日だって知ってて?」
「あ、ううん・・・そうじゃないと思う。ただ単に、心配してくれてるだけじゃないかな」
 理恵がそっと口を挟んだ。
「あきの、大麻の家になんて、行くの初めてなんでしょ?」
「あ・・・えーと・・・」
 あきのは理恵の質問に即答できず、苦笑いを浮かべる。
「なになに、あきの、大麻の家に行ったことあるの? もう」
「あー・・・うん・・・実は、ある、んだよね・・・」
「ええっ、凄いじゃない! あきのと大麻、つき合いだしてまだ半月も経ってないのに」
 実香子の言う通りだった。
 修学旅行が終わったのは今月の半ば過ぎ。つき合 い始めてまだ僅かに10日近く経つだけだ。
 それなのに、既に彼の自宅に行ったことがある、というのは実香子にとっても理恵にとっても驚きの事実なのだろう。
「いつの間に・・・そりゃあ、あきのも大麻も部活してる訳じゃ・・・あ、まあ、あきのはね、一応美術部だけど」
 実香子が慌てて苦笑するのを、あきのも苦笑して答え返す。
「うん、一応はね。でも、実質もう活動してる訳じゃないし・・・たまに、気が向いた時にしか行かないんだし」
「普段の日に 大麻の家に行って過ごしてるってことなの? あきの」
 理恵に問われて、あきのは少々答えあぐねていた。
 実香子はあきのの家庭の複雑な事情も熟知しているが、理恵にはまだ話していないことが幾つかある。とりあえず、実母が亡くなっていることと、継母である倫子がいること、くらいしか話せていない。
「・・・えっと・・・実は、智史のお家に初めてお邪魔したのは、修学旅行が終わった日、だったの」
 実香子と理恵は一瞬絶句し、あきのの顔をまじまじと 見つめた。
「あの日・・・? でも、あれって、土曜日だったでしょ」
 理恵の疑問は当然だろう。しかし、実香子はだいたいの見当がついた。
「倫子さんたち、不在だったんだ、あの日」
「うん・・・それで、智史、心配してくれて。1人で家に帰ったら、私がご飯すらまともに食べないんじゃないかって。それで、ね」
「そうか・・・あきの、あの前の日、寝不足で倒れたもんね。ご飯も全然食べられてなかったし」
「・・・うん、そうなの。それでね、智史、気 遣ってくれて」
「・・・あきのの親って、そんなに忙しいんだ」
 理恵が目を瞠った。
 あきのは苦笑するしかない。
「うん・・・父も義母も土・日もあまりないような仕事だから。今日も、多分2人とも遅いし。まあ、仕方ないことだし、もう、慣れたわ」
 僅かに視線を下げるあきのに、理恵は返す言葉を失う。
 普段は明るい、しっかり者のあきのだが、今、目の前にいる彼女はどこか儚げで頼りないような雰囲気を纏っている。
「あきの、大丈夫な の?」
 理恵の心配そうな声音に、あきのは諦めにも似た笑みを浮かべた。
「うん。もう、慣れた。まあ、義母は明日にはお祝いしようって言ってくれてるから。今日は、智史に甘えておくわ」
「うん、そうしなよ。大麻にさ、誕生日のこと言ってしっかりお祝いしてもらいなよ、あきの」
 実香子の笑顔に、あきのは頷く。
「・・・うん。そうだね」
 理恵もいつもの笑顔に戻ったあきのの様子に安堵して微笑んだ。







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