◆パペット◆第26回 by日向 霄 page 2/3
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「今のうちです」
顔色一つ変えずに、サラがムトーを促す。
俄かに巻き起こった暴動のおかげで、三人は無事G‐3街区にたどり着いた。ごく普通のアパートの一室が新しい隠れ家だった。
「なんてこった」
荒い息を吐きながら、ムトーはくしゃくしゃと髪をかきむしった。横たわる子どもの姿が目に焼きついて離れない。今頃はもっと多くの死者が出ているはずだ。
「あんたのせいじゃない」
ムトーの心を見透かしたように、ジュリアンが言う。
「悪いのはあいつらだ。あんな場所で発砲すればどういうことになるか、わからない方が馬鹿なんだ」
「わかっていても、彼らは自重しないわ。市民ですら、目的のためなら犠牲にされる。ここの住民達の多くは、市民じゃないのよ」
サラが冷たく言い放つ。ムトーが心を痛めているのを嘲笑うかのように。
サラの言うことは間違ってはいない。だからこそ、住民達は怒ったのだ。諦めていた悔しさが爆発したのだ。ポリスの秩序が保たれている時なら権力に楯突くことはためらわれる。だが公安と政府が決裂し、正当な権力が不在の今、彼らは自分たちも正当であり得るという可能性に気づいた。市民を鼓舞するチェンバレンや秘密結社の地下放送にいくらか気持ちを奮い立たせてもいただろう。そう、もしかすると、ムトーの演説にも。
「いつか暴動は起こるはずだったし、起こさねばならなかった。私達は私達のなすべきことをしただけです」
「君は平気なのか? 目の前で子どもが死んだんだ。大人達が殺し合うのは勝手でも、子どもを巻き添えにするのは――」
気色ばんだムトーに、サラは平然と答える。
「たとえ子どもであろうと、政治に無関係ではあり得ません。私達は最初から子どもを巻き添えにしています。赤ん坊も老人も、敵も味方も、一切の人間の未来を左右しようとしているのですから。あなたはそんな覚悟もなしに行動しているのですか?」
サラの黒い瞳がムトーを射る。ムトーは言葉に詰まった。ぐうの音も出ない。自分はただ世界の真の姿を見たいだけだった。虚偽のベールをはがしたいだけだった。いいように操られるなんてまっぴらだと。
正義を実現しようとか、市民に幸福をもたらそうとか、そんなことも考えていない代わり、市民を――誰かを不幸にするかもしれないと考えたこともなかったのだ。
『あなたらしいわ』
母親の声が聞こえた。
『間違ったことは言わない。でもそれがどんなに私の心を傷つけるか、あなたは少しも考えてくれない。いつもそう。私が悲しもうがどうしようが、あなたにはまるで関係のないことなんだわ』
非難がましい目。サラの顔と母親の顔とがだぶった。
そんなつもりもないのに、傷つけていた。昔から。
「あなたのせいで人が死んだのは、これが初めてではありません」
サラの声がしゃべっていた。
「アン=ワトリーを覚えていますか?」
その瞬間、今度はアンの顔が見えた。短く刈り上げた黒い髪。金縁の細身の眼鏡がより一層理知的に見せる少しつり上がり気味の目。化粧っ気のない、口紅さえ引いていない、それでも艶やかで魅力的な唇。
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