◆パペット◆第23回 by日向 霄 page 3/3
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レマンの心に、ムトーへの怒りはない。なぜならレマンは、それがムトーのせいでないことを知っているからだ。
ムトーは知ってはならないことを知った。あるいは知ろうとした。それは公安の一員としてはふさわしくない振る舞いだったかもしれん。だが一人の人間としてみれば、さして間違ったことでもない。それを悪と断じる者こそが悪なのだ。
ムトーが姿を消す直前、レマンはあの仮説を半ば受け入れてしまった。ジョアン=ガラバーニは架空の存在であるというあの――。
自分と同じく取り調べを受けたマクレガーの豹変、ムトーと親しかったというだけで有無を言わさず殺されてしまったアン=ワトリー。それほどまでにムトーが邪魔なのだ。奴に対する罪状が重ければ重いほど、逆にムトーの仮説は信憑性を増してくる。
もちろんレマンはそんな考えを振り払おうとした。ワトリーの二の舞にはなりたくない。たとえ自分を待っているのがみじめな老後だけであろうと、生きていればなにがしかの楽しみはある。
しかし、再び馬鹿になろうと努力していたレマンの前に、ムトーは帰ってきた。“狼”とともに。
チェンバレンの演説に突如割り込んできた二人の映像。どれだけショックを受けたことか。思わず人目を忘れて『ムトー!』と叫ぶところだった。
わしは確かに喜んでいた。あいつが生きて帰ってきたことを。そして見事“狼”を白日の下にさらしたことを。
レマンは疑わない。ムトーが連れ帰ったのなら、そちらこそが本物だ。なぜそんなことが断言できるのか自分でもわからない。だが公安の発表を鵜呑みにしてはならないことならよく知っている。公安が捕まえたというジュリアン=バレルは本物ではない。あるいは捕まえたという事実すらないのかもしれない。少なくとも、それはムトーの追っていた“狼”ではなかったのだ。
公安は大騒ぎになった。既にマクレガーが二人を捕捉していたことも、その追跡を振り切った上でのあのレイマン広場なのだということも、ほとんどの者が知らなかった。捕まえたはずのテロリストと、公安の面汚しとなった犯罪者。そしてその二人をまるで英雄のように扱うチェンバレン。一般市民以上に驚いたのは我々公安の人間だ。よもや新政府があの二人を切り札にして公安に反旗を翻すとは。
もちろん上層部は政府の動きを把握していただろう。でなければあんなにも速やかに攻撃を始めることなどできはしない。大統領官邸を崩壊させ、ひいては新政府そのものを潰してしまうような決断。あらかじめ作戦は練られていた。むしろその口実を作るためにわざとこれまで手出しをせずに来たのではないか。ムトーが地下で殺されてしまわなかったのも、あるいは公安の差し金だったのか……。
食堂のテレビはのんきに天気予報を流している。ニュースは完全に公安寄りの報道を垂れ流し、外出を制限された市民のために映画や娯楽番組が頻繁に繰り返される。官邸崩壊で何人の者が死んだか。その哀しみはどこへ行ったのか。
ムトーよ。
いかにも閑人らしくゆっくりとパスタをこねくり回しながら、レマンは心の内で呼びかける。
おまえなら覆すことができるか。この欺瞞に満ちた世界を。
そうすれば我々は今よりも幸せになれるのか。なぁ、ムトーよ――。
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