美母戦隊ミンキーママ
その3『ゴミ置き場は魔の匂い!?』 byひゅうが霄


 あたし達が見事ヒロインデビューを果たした恐怖の役員会の後、世の中はゴールデンウィークに突入した。うちのダーリンの職場は「暦通り」でちっとも10連休なんかにならなかったし、そもそも幼稚園が「暦通り」だから、関空がごった返そうとディズニーランドが満員御礼になろうと、わが家には全然関係がなかった。
 大体人混み、嫌いだし。
 ゴールデンウィークなんてどこ行っても混んでるし、旅行費用だってぼったくりになってるもんね。
 ま、そうは言っても野球を見に行ったりとか、それなりにイベントはあったんだけど。
 ゴールデンウィークの間、じじぃはずっと仙界へ帰っていた。10連休でこそないものの、やっぱりみんな(暁にダーリンにこういっちゃん)が家にいる時間がいつもの比ではないので、見つからないように身を隠していたのだ。あたしだって遊びに行くのにいちいちついて来られたくないし。何かあれば念珠を通してコンタクトができるらしかったけど、ありがたいことに何も起こらなかった。
 おじいちゃんが突然、「今日は東流斎さんの姿が見えんな」などと言い出す意外には。
 ホントにあれは心臓に悪い。みんなで食事をしている最中におじいちゃん、「玲子さん、今日はあの人はどうしたんじゃ。一緒に食べんのか」とか言い出すんだもん。「あの人」止まりの時はまだいいけど、たまにしっかり名前を出してくれることがあって、もうごまかすのが大変。ダーリンやこういっちゃんはそんなに真剣におじいちゃんの話を聞いてないからいいようなものの、暁がこだわるこだわる。
「トーリューサイって誰っ! そんな人おらへんやろ!」
「なんや、暁、知らんのか。毎日一緒にご飯食べてるやないか」
「食べてへん!」
「おじいちゃんと囲碁もしてるんやで。なかなかおもろい人でな」
「そんな人おらへん!」
 これが10分ぐらい延々と続くんだよなぁ。おじいちゃん、時々家の外の木とかガラスに映った自分の顔とかをよその人だと思い込んでしゃべりかけてることがあるもんだから、4歳児の暁でさえ「誰もいーひんで」って説得するようになってて……。まぁしょーがないというか、そーゆー幻視の前歴があるからこそ助かってるとも言えるんだけど、暁がしつこく食い下がるとそれだけおじいちゃんもよけいにしゃべるわけで。
「しかし珍しいな、ちゃんと名前があるなんて」
「ほんまほんま。どーゆー意味やろ、トーリューサイて」
 こういっちゃんとダーリンにまで興味を持たれる羽目になっちゃうのよねぇ。そんなこと気にせんでええって。あんな名前、たいした意味なんかないんやから、絶対。
 GWが明けてじじぃが戻ってくるとおじいちゃん、待ってましたとばかりじじぃに愚痴りまくり。
「一体どこへ行ってたんや。あんたがおらんと何や張り合いがのうて。食事しててもな、東流斎さんはどこへ行かはったんや、呼んどいで、って言うのに誰も聞いてくれへん。ひ孫はわしのことすっかり呆けてると思うてるし、ほんまに悔しいて悔しいて。な、頼むで。あんたからみんなにようよう説明してやってや」
 だからええ、っちゅうのに。
 木戸家の男連中にじじぃの存在がバレる日も近い。
 連休明けには参観日とセットになったPTA総会もあって、ちょっとばかしドキドキしたけど、今度は黒仙人の邪魔は入らず、特に紛糾することもなかった。もちろん矢沢は相変わらず隙あらば発表会をゴージャスにしようと狙っていて、それに賛同している役員もいたわけだけど、総会なんてみんな「早く終わんないかな〜」としか思ってないからね。
 でもわかんないと言えばわかんない。一体黒仙人の狙いは何だったんだろう? 役員会だけ引っかき回して総会に出てこないってのはあんまり中途半端じゃないだろうか。あかね幼稚園が私立のお受験校みたいになったら奴らにどんなメリットがあるのか、そもそもそこのところが全くわかんないし。
「悪い夢よ。そうに決まってる」
 淳子が言った。
 ここは芳美ちゃんのマンション。あたし達はすっかり仲良しこよしになって、PTAがなくても何かと言うと集まってだべるようになっていた。
「でもちょっとつまんないよね。もうミンキーママに変身できないとしたら」
 え。
 変身したいの、芳美ちゃん。
「だってあんなことないよ、あんなフリフリミニスカ、普段着られないもん」
 いや、まぁ、そりゃそうだけど。
 ああ、じじぃを置いてきて良かった。こんな意見を聞いたら張り切っちゃうじゃないか。
「淳ちゃんも玲ちゃんもすっごくかっこよかったじゃん。一回きりなんてもったいないよ、写真も撮ってないのに」
 撮ってどーする。
 だってさ〜、となおも熱弁をふるおうとする芳美ちゃんを、ガガガーっという音が制した。ゴミ清掃車だ。
「あ、ここ木曜ゴミの日?」
「うん、燃えないゴミ」
 たたたっとベランダに出ていく詩月ちゃんを追っかけて、芳美ちゃん。子どもってゴミの車好きなんだよなぁ。シャベルカーとかクレーン車とか、とにかく「はたらく車」系が大好きで、清掃車にも敏感に反応するんだ。男の子だけかと思ってたけど、女の子でもそうなんだ。
 と。
 ボンっ!!
 派手な爆発音が響いた。きゃあ、という芳美ちゃんの悲鳴。
「何? どしたの?」
 慌ててベランダに出てみると、清掃車から煙が出ていた。ゴミが散乱する中におじさんが一人倒れている。運転席から飛び出してくるもう一人のおじさん。いや、お兄さんかな。
「スプレー缶? 最近多いって、こないだチラシ入ってたやん」
 様子を見た淳子がさっと踵を返し、外へ飛び出していく。
 おじさんのケガは、たいしたことなかった。飛び散った破片であちこち切ってはいたけど、深いものはなく、爆発の衝撃で倒れ込んだだけだった。あたし達と同じように飛び出してきた別の住人が消化器で煙をあげるゴミ清掃車の火を消した。パトカーが来て、一応消防車も来て、あっという間にそこは「事件現場」。
 次の日、スーパーの特売広告に混じって、早速清掃局からの広報が挟み込まれていた。
 昨日の事故のごくごく簡単な報告と、スプレー缶を捨てる時の注意。丸ゴシックででかでかと、「捨てる際は完全にガスを抜いてください!」と書かれてあった。
 そういえば一時期スプレー缶に穴を開けるかどうかで揉めてたよな〜。清掃局としては穴を開けてガスを完全に抜いてもらった方が安全なんだろうけど、その穴を開ける時にケガをする人がいたり、最悪爆発させちゃったりする人がいて、「穴を開けてください」とは言えなくなったって。
 単に面倒という理由で、あたしは穴を開けずに捨ててる。もちろん音がしなくなるまでガスは出してるつもりだけど。
 でもそのチラシが入った金曜日、また別の地区で爆発があった。今度のは、残っていたガスの量が半端じゃなかったのか、ただのヘアスプレー缶じゃなかったのか、かなり派手な爆発が起こり、可哀想にゴミのおじさん、重傷を負ってしまったらしかった。
「匂うな」
 夕方のニュース、まだ生々しく色々なものが散乱している現場の映像を見ながら、耳元でじじぃが呟いた。
「何? ママ、なんか言うた?」
 隣で夕飯を食べている暁が敏感に反応する。
「へ? ううん、なんも言うてへんで」
 ったく、暁がいる時に口きくなよっ。
「しかし匂うぞ」
 今度はじじぃ、耳の中まで入ってきて囁く。
 あう〜、くすぐったい、っちゅうねん。
 たまらずあたしはトイレに駆け込んだ。もう、食事中にトイレなんて行儀悪いやん、子どもの前で。
 でも遠慮なくじじぃを詰問できる個室って、トイレしかないのよね。
「何なん、一体? 何が匂うんよ」
「あの事件じゃ。相次ぐゴミの爆発よ。どうもくさい。黒仙人の匂いがぷんぷんする」
「はぁ?」
「いくら何でも多すぎると思わんか? 今月だけでもう5件、先月は8件。その前の半年は1件もなかったというのに。そんなに急にゆかり野市民のモラルが低下するもんかね」
「そりゃまぁ確かにどうしたんやろ、とは思うけど、でも4月から引っ越してきた人とか、やっぱり年度初めだし……。大体何が面白くてそんなちまちました爆発を仕掛けるわけ? 黒仙人さんは」
 先月から10件以上と言ったって、ほとんどは怪我人も出ない、ちょっと爆ぜただけ、って程度のものだ。まさか黒仙人は、「パンっ!」と言った瞬間に驚くおじさんの顔を見て喜んでるわけじゃないでしょ?
「何も爆発そのものが狙いとは限らんさ。ゴミ出しというのは生活に密着した行為じゃからな。ともかく気をつけた方がよかろう」
 って、一体何にどう気をつけろと言うんだ。さっぱりわからん。
 が。
 確かに“ゴミ出し”というのは市民生活の重要なファクターではあったらしい。
 今度は風呂に入ってる時だった。もちろんあたしは暁と一緒に入っている。ダーリンは今日はまだ残業中だ。一足先に浴室を出た暁と入れ違いに、ノミじじぃがぴょんと飛び込んできた。
「げっ!」
 何やってんのよ、このエロじじぃ!と叫ぶのを何とか思いとどまり、あたしは口をぱくぱくさせながら東流斎を睨んだ。いくら枯れすすきなじーさんだからってレディの入浴中に入ってくるとは何事じゃっ。
「アホ、誰がおまえさんの裸見たさに入ってくるか。事件じゃ、ピンクが呼んどる!」
「はぁ?」
 こんな時間に芳美ちゃんが呼んでるって? そんなこと言われても行けるわけないでしょーが。
「だったらあんた行って見てきてよ」
「友だち甲斐のない奴じゃな」
 だからしょーがない、っつってるやん。幼児の母親に夜の外出を求める方が無理なの。どうやって暁を言いくるめるのよ。添い寝なしじゃ絶対に寝ない子なのに。
 パジャマに着替えてふと見ると、オニキスの念珠がぼうと光を発していた。ゆっくりと点滅している。ああ、これが“呼んでる”ってことなのか。許せ、芳美ちゃん。今はとにかく王子様を寝かしつけなきゃならんのだ。
 またこれが寝ないんだよなぁ。あたしが化粧水を塗ったり髪を乾かしたりしてる間、暁は絵本を読んでるんだけど。
「んじゃ寝よか〜」
 と言っても、
「えー、もうちょっとぉ」
 と言って一向に本を閉じない。下手すると次の本に手を伸ばす。おいおい、いくら子どもの読書が推奨されてるからって、それで睡眠不足になっちゃ世話ないだろうが。
 ようやく王子様が寝ついた頃には、当然女王様ことわたくしめもお休みあそばされちゃってるわけで。
 寝るな、って方が無理っしょ〜。お風呂上がりのぽかぽかした体で布団に入っちゃってんですから。ただ、さすがに9時に寝ると12時までに1回は目が覚めるのよね。ダーリンが帰ってきた物音とか、単に尿意とか。
 時計を見ると11時を回っていた。
 愛しの旦那様は一人さびしく夕飯を平らげて入浴中だった。寝ぼけまなこでふらふらトイレに向かうあたしを出迎えたのはもちろんじじぃ。
「まったく、仲間が危機に陥っとるというのによくぐーすかぴーと寝てられるな」
「あんたを信用してるんじゃないの。いやしくもお偉い仙人様が助けに向かってくださったんだもの。もう大安心よ」
「口の減らん奴じゃな」
「で? 一体何があったの?」
 じじぃ曰く。
 今夜、芳美ちゃんのマンションでは住民の集まりがあったのだった。議題はゴミ出しのことだったらしい。集まり自体は半年に1回行われる定期的なもので、まぁ顔合わせ程度の会合のはずだったのが、なんせ昨日の今日。自然と話題は昨日の爆発のことになり、そうなると当然爆発したスプレー缶はどこの家が出したものなのか、って方向に話が流れ……。
 紛糾してしまった。
 まぁねぇ。そりゃみんな、うちじゃないって言うよなぁ。
 ゴミ袋には記名することになってるけど、爆発で吹っ飛んでるだろうし、大体ゴミの車に入れられた時点でぐちゃぐちゃっと混ぜられて破られてるはずだもんな。
 そんなのしょうがないし、「これからはお互い気をつけましょう」でいいやん。
 ところがそうはいかなくて、「夜の間にゴミを出してる人がいる」とか、「そもそもゴミの日じゃないのに出してる人がいる」「ゴミ置き場の掃除をさぼってる人がいる」などなど、みんなここぞとばかりに不満を漏らしてどんどん険悪な雰囲気になっていってしまったそうだ。
「わしが行った時には殴り合いが始まっとった」
「えーっ、冗談でしょ」
「冗談なものか。だからこそピンクとて思わず助けを呼んでしまったんじゃ」
 そんなゴミの出し方ぐらいで殴り合いって……。
「それ、黒仙人と何か関係あったの?」
「わからぬ。気配はせなんだが、逃げた後だったのかもしれん。一旦火が点いてしまえば、あとは人間の方で勝手に燃えてくれるからな」
 じじぃはとっさに術をかけて、殴り合っていた二人の戦意を喪失させたらしい。それで芳美ちゃんや他の何人かが一生懸命とりなして、どうにか『これからはお互い気をつけましょう』まで持っていったのだとか。
「もう嫌〜(*_*)!!!!!」
 ケータイに、芳美ちゃんからのメールが入っていた。
「今日ダーリンが出張だったから夢月と詩月と二人とも連れて出てたのぉ。すぐ終わると思ってたのにぃ。詩月は泣くし、夢月だって怯えちゃって寝るどころじゃないよ〜、もう(T_T) 今『トトロ』見せてなだめてるの。信じられない! あのスプレー缶出した奴、ホント超迷惑!!! 淳ちゃん玲ちゃん、月に代わってお仕置きしてやって〜〜〜〜〜」
 って、あたしらセーラームーンじゃないんだけど。
 でも確かに災難だよなぁ。しばらくは住民同士ぎくしゃくしちゃうだろうし。特にゴミの日。もし黒仙人が一枚噛んでるとしたら、見事にマンションの平和を乱すことに成功してる。
 そしてそれは何も、芳美ちゃんのマンションに限らなかった。
 仙人の助けを呼ぶべくもない他の自治会では、おもいっきり喧嘩沙汰になってはいたのだ。
 そう、ゴミ収集のおっちゃんが重傷を負ってしまった金曜日の現場の住民。あそこでも緊急に話し合いがもたれ、その席でやっぱり手を出してしまった人がいたらしい。メディアに載るほどの事件ではなかったけど、話はすぐに伝わってきた。
 そして何となく、ゆかり野市の朝はピリピリしたものになってしまった。  だって、いつもどこかしらの地区は“ゴミの日”なわけで、みんな妙に人の出したゴミが気になっちゃったりはして。なんとなく、私も幼稚園のそばのゴミ収集所とか、必要以上に目についちゃうし。うん、今までは目に映ってても見てないというか、脳味噌まで届いてない感じだったのに、「あ、あの袋破れてる」とか、変によく見えちゃうんだ。
 そしてそういう気分は、「ちょっと目立ちたい」とか、「なんかむしゃくしゃする」といった人たちの心を大いに刺激してしまうらしい。1週間と経たないうちに、3回もゴミ置き場から火が出た。“燃えないゴミ”の日でもないのに。
 恐らくは、放火。またそれが、「本当はゴミの日じゃないのに出されたゴミが燃える」という、いかにも住民同士を揉めさせようという意図が見え見えの事件。ちゃんとゴミの日の朝にゴミを出してれば、火なんか点けられることはなかったのよ! ……ま、ね。火を点けたい奴は何もないとこにだって点けるんだろうけどね。
「このまま手をこまねいて見ておるつもりか?」
 淳子の家でいつものようにお茶を飲みながらだべっていると、じじぃがわめいた。
「そんなこと言われたって。ねぇ?」
「うん」
 こないだみたく目の前に敵が現れれば戦いようもあるけど、黒仙人が絡んでいるかどうかすらわからないのに。
「しょうがないでしょう、あたし達に市内全部のゴミ置き場を見張れとでも言うの?」
 淳子が言う。
「それが正義のヒロインの言うことか? なさけない。何のために力を授けたと思っとるんじゃ。自分の住む街も守れんとは」
 って、そっちが勝手にあたしらを巻き込んだだけやん。それもただ、PTA役員だった、ってだけの理由で。
「あのね、偉い偉い仙人様。そもそも悪い黒仙人をやっつけるのはあなた様のお役目でしょう? もし黒仙人が陰で糸を引いてるっていうんならあんたこそもっと働かなきゃいけないんじゃないの。もしそれで純粋に住民が――人間が悪いってんなら、放火犯を捕まえるのは警察の仕事だし」
 あたしの言葉に、じじぃは即座に反論した。
「黒仙人の気配はある! まったく無関係ではない! じゃが……」
 その時、テレビがピコンピコンと鳴った。ニュース速報の音だ。
 テロップが、ゴミ放火犯の逮捕を告げた。曰く、犯人は28歳の無職青年。
「ほらぁ。白仙人様がひと息ついてる間におまわりさんがちゃんと捕まえてくれたわよ。なんだかんだ言って日本の警察ってまだまだ優秀よねぇ」
「ほんとほんと」
 ほどなく番組と番組の間の短いニュースの時間になり、あたしたちはもう少しだけ詳しく犯人のことを知った。逮捕されたのはあたしたちの住む地区とは少し離れた、隣の学区の住人。3件の内の1件、犯行現場であるゴミ置場のすぐ近くに住んでいて、捜査員の聞き込みに対して自分がやったと認めたらしい。ただし他の2件については容疑を否認。
 その時あたしたちは、ゆかり野市という地味な地区で起こった地味な事件が、わざわざニュース速報として流れるという不自然さにまるで気づかずにいた。
「『ルールを守らない連中を懲らしめてやりたかった』だと。火を点ける方がよほどルールを守っとらんじゃないか。大体28にもなって働いてもおらんとは、まったく今の若いもんは何考えとるんじゃ」
 夕方のニュースを見て、おじいちゃんが言った。
「働かないんじゃなくて働けないのよ。企業の方が雇わないんだもの」
「なんだ、芙美子さん、あんた放火犯の味方をするのかね」
「そういうわけじゃありませんけど、おじいちゃんの言い方がね」
「言い方ってなんだ。ふん、どうせこいつが全部やったに決まっとる。むしゃくしゃしたとかなんとか、自分の人生がうまく行かんことを世の中のせいにしとるんじゃ」
 あたしとふみちゃん、思わず顔を見合わせてはぁ〜。確かにそういう部分がないとは思わないけど、言い方がねぇ。それだけ偉そうに言ってて、いざ鼻をかもうとするとすぐ横にあるティッシュが見つからなくて大騒ぎしたりするんだから。どうしてこんなとこに置いてあるんだ、とか言って。ご自分も人のせいにしてるんじゃありませんの、自身のボケボケを。
 まぁおじいちゃんのことはともかく。
 問題はもう一人の年寄り、東流斎。おまわりさんに事件を解決されてしまったことがよほど悔しかったと見えて、「まだまだ安心できんわい!」と夜になるとゴミ置き場の巡回に。ま〜ったく年寄りってのは頑固なんだから。
 ま、こっちはうるさいじじぃがいなくてせいせいするけどね〜。あ〜極楽極楽。いいよいいよ、もう一生戻ってこなくて。
 その夜も、じじぃは留守だった。珍しくダーリンが早く帰宅して暁をお風呂に入れてくれたので、あたしは一人でゆったりお湯につかり、溜まっていたドラマのビデオを見たりして自分だけの時間を満喫していた。いい加減寝ようと思って居間の照明を消そうとした時、あたしは何かを感じた。
 何、と説明するのは難しい。ただ、「あれ?」という感覚だった。「あれ?ガスの元栓締めたっけ?」みたいな。何かが気になって、あたしの手は窓を開けていた。
 居間の窓からは、隣のアパートが見える。路地を挟んですぐ、アパートの駐車場。そしてその隅には、大きな鳥かごのようなゴミ置き場がある。
 人影が見えた。ゴミの袋らしき物を持っているのがわかる。明日はゴミの日だ。うちももう袋の口を締めて、朝一番に持って行けるよう玄関に置いてある。ゴミ置き場の扉を開けるきぃという音がかすかに聞こえた。ゴミを置いた人影はさっさと戻っていく。
 夜のうちにゴミを出す人なんていっぱいいる。ちゃんと囲いがしてあるんだし、前の日の夜ならさして問題があるとは思えない。ただそれを許せばずるずると、「何日も前から出す」人が出てきてしまうかもしれないってだけだ。
 結局モラルの問題かぁ……。
 ぼんやりと、あたしは窓の外を見続けていた。
 と。
 ぽつんと明るい点が視界の隅に映った。点はすぐににじんで、そこだけ闇をちぎり取ったような赤い裂け目になった。
「え?」
 火だ。ゴミから火が出てるんだ!
 ゴミ置き場の横から走り去る人影が見えた。まさか、放火犯!?
 あたしは思わず口走っていた。
「ミンキー・ファンキー・スパンキー、ラブ・ライブ・アライブ!」
 念珠の光に包まれながら、あたしはもう窓から身を躍らせている。ひらりと駐車場に舞い降りた時にはあたしはミンキーブラックだった。
 道路に出る。逃げていく影はまだ、十分に射程距離。
「待ちなさい!」
 あたしはピアスを投げた。魔法の泡立てスティックじゃない、輪っかのついた菜箸をデザインした方だ(……なんとかならんのか、このノリ。ママだからってなんでそう台所にこだわるかな)。銀の矢と化したピアスは夜を裂き、人影の背を貫いた。
 やばっ、殺しちゃダメじゃん。
 と思った瞬間、影はぱぁんと破裂した。しぶきのように残像が飛び散って、そのまま夜の中に溶ける。あたしはすぐに追いついた。万年ビリの木戸玲子とは思えない足の速さだ。黒燕尾に仮面なんていう妙な格好じゃなかったら地区運動会に出るのになぁ。
 そこにあったのは、ピアスだけだった。人の姿はどこにもない。血とか服の切れ端とか、「確かに何かがいた」と思えるようなものは何もなかった。
 どういうこと? 黒仙人だったの?
「火事だぁ!」
 背後の声に我に返ると、火はそれとはっきりわかるほど大きくなり、焦げくさい嫌な匂いが漂い始めていた。
 そうだ、とりあえず火を消さなきゃ。
 駐車場に戻り、ミンキー・ホイップ泡攻撃で消火しようと身構えたあたしの後ろに、飛び出してきた住民たちの足音。
「ちょっとあんた、何してんの!」
「放火犯か!」
 え。
 ええーっ!
「ち、違います。あたしは火を消そうと……」
「じゃ、なんでそんな仮面つけてんの!? どこの誰よっ!」
 うっ。確かに怪しいよな、このカッコ。ミンキーママです、って名乗っていいんだっけ? っていうか、名乗って信じてもらえるんだろうか。
「と、とにかく火を消しましょう。話はそれから」
 言いながら、ミンキー・ホイップ! 夜目にも白い泡泡が炎を包み込んでいく。うーん、この泡って何でできてるんだろ。まるで消火器の泡のように見事に火は収まっちゃったけど……なめても甘くないんだろうなぁ。
 とりあえずほっとしたあたしの背に突き刺さる、住民の冷たい視線。
「何なの、あんた……」
 明らかにゲテモノを見るような目つきで、彼らはあたしを遠巻きにして。
 がーっ、技なんか使ってよけい怪しまれちゃったじゃん。素直にバケツリレーでもすればよかった。『ザンボット3』の神ファミリーの孤独がわかるわ。正義のヒーローって実は日常から拒絶されるものなのよね。
「つ、捕まえろ!」
「誰か、110番!」
 マジですかぁ。
 しょうがない。かくなる上は逃げの一手。あたしはさっと跳躍してゴミ置き場の屋根に飛び上がり、そこからさらにジャンプして自分ちの屋根に飛んだ。
「皆さん、犯人はこいつです!」
 だからあたしじゃないってば!
「俺は悪くねぇよ。夜中にゴミを出す奴が悪いんだよ。ったく、おばはんってのはモラルがねぇんだからな」
 だみ声の反論。
 もちろんあたしじゃない。
 見ると、長身の男に首ねっこをひっつかまれた中肉中背のおじさんがわめいている。
「俺ぁちゃんと見てたんだぜ。ほら、そこの。あんた、さっきゴミ持ってきたよな。そっちのばばぁ、あんたもだ」
 何? これってどういう展開なの? あのおっさんが犯人? じゃああたしが追いかけたのは、あの、一瞬にして雲散霧消しちゃった人影は一体……。
 駐車場は騒然としてきた。いつの間にかうちのおじいちゃんやらダーリンまでも外に出てきている。あ〜あ、どうするよ、もう。
「殴り合いになりますかね」
 突如耳元で囁かれて、あたしは屋根から転がり落ちそうになった。
 いつの間にか、屋根の上にはもう一人別の人間がいた。長身の、すらりとした若い男。さっきあの犯人を捕まえてきた男?
「あ、あの……」
 声が出ない。あたしはうろたえていた。いきなり隣に来られたら誰だってびっくりする。おまけにここは屋根の上だ。変身ヒロインでもなきゃそうそう飛び上がれない場所なのだ。
 でも、あたしを真にうろたえさせたのは、その男の顔だった。
 その男は、とんでもない美形だったのである。
 あたしが好んでマンガに描くような、日本人離れした美青年。
「ほら、犯人そっちのけでケンカになってますよ」
 彼の言う通りだった。ゴミを出したと名指しされたおばさんに対して、他の住人が詰め寄っている。肝心の犯人はケンカをあおりながらうまいこと人の輪から遠ざかっていこうとしていて。
「馬鹿ですね、人間ってやつは」
 口の端をわずかにあげて、美青年は微笑んだ。魔的、というのはこういうものを言うのだろう。その目にじっと見据えられると、身動きが取れなくなる。息さえも詰まった。
 腕の念珠がやけに熱い。背筋に嫌な汗が流れる。
 必死の思いで視線をはずし、あたしは下を見た。何人かが殴り合っている。やめさせようとする人たちが入り乱れて、そして犯人は。
「どうでもいいんですよ、犯人なんて」
 男がふっと手を動かすと、屋根の上にいきなり犯人が出現した。半分酔っぱらっているようなさっきのおっさん。と見る間に、ぱっとその姿は弾けて消えた。
「あ!」
 おんなじだ。あたしが追いかけた奴と。
「東流斎のじいさんによろしく。ミンキーママさん」
 再び男は微笑み、すうっと吸いこまれるように闇に溶けた。バカみたいに呆然と固まったあたしの目には、怖ろしいまでに魅力的な彼の微笑がまだゆらゆらと揺れていて。
 チェシャキャットかよ。
「何を呆(ほう)けておるっ!」
 パコーン! 小気味よい音が、頭の上で炸裂した。
「なっ。何すんのよ、くそじじぃっ!」
 そんなことをするのはもちろんあの耄碌仙人に決まっている。
「誰が耄碌仙人じゃ」
 パコッ、パコッ、パコッ。
 だーっ、もう! 仮にも正義のヒロインを気安くポカポカ叩くんじゃないわよ。
「ヒロインならヒロインらしく事態を収拾せんか! ボケッとしおって」
 言いながら、じじぃは杖をひらめかせた。そして呪文。何語なのかわからない短い言葉が裂帛の気合いとともにじじぃの口から吐き出される。
 下の喧騒がぴたりとやんだ。人々は一瞬静止画になり、そして――。
 その後どんなふうに騒ぎが収まったのか、あたしは見ていなかった。みんなの動きが止まってしーんとしたその時、あたしの耳には王子様の泣き声が聞こえてしまったのだ。
「ママ〜っ、パパ〜っ」
という声が。
「ごめん、あと任せた!」
 あたしは開けっ放しのリビングの窓に飛び込んだ。もちろん“パタポン”と唱えて変身を解くのは忘れない。
 果たして王子様は寝室のドアのところでふぇーんと泣いていた。
「ママ〜っ!」
「はいはい、ごめんごめん。もう大丈夫だよぉ。どした? おしっこ?」
 ぶんぶん、と暁は首を振る。
「誰もい〜ひ〜ん」
 ああ、そうねぇ。パパも外にいたもんねぇ。
 ダメなのだ、うちの王子様は。寝つく時も親と一緒じゃなきゃダメだし、途中で目が覚めて横に誰もいないとふぇーんと泣きが入るのだ。
「何? 玲子さん、大丈夫?」
 階段の下からふみちゃんの声がした。きっとふみちゃんも外が静かになるまで泣き声に気がつかなかったんだろう。気づかれてたらやばいところだ。ダーリンがこういっちゃんと外に出たことは知ってるだろうけど、あたしはどこで何してたの、ってことになっちゃう。「大丈夫ぅ」と答えながらも、暁の頭をなでなで。
「さっ、寝よ。せっかくだからおしっこ行っとく? いい?」
 寝よ寝よ。火事より黒仙人より、何より自分の子どもが一番大事ですものね。おやすみ〜。


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