美母戦隊ミンキーママ
その2『ミンキーママ、デビュー!』 byひゅうが霄


 それはそれとして。
「なんであんた、あたしにくっついて来んのよ!」
 白仙人東流斎(とうりゅうさい)――又の名を単に『じじぃ』――、体長10pをさらにノミサイズに縮めて人の髪の毛の中に棲息中。
「そりゃ、だって、パープルはちと怖ろしいし、ピンクんとこはあのちみこい女の子にいじり倒されそうじゃろ。たまには良いが、毎日ではな。おまえさんとこしか残っとらんじゃないか」
 だから色で呼ぶなよ、色で。
「何、心配せんでもあの2人は逃げやせん。さっき渡した念珠でしっかりわしに結びついておる」
 別に逃げるとか引っ越すとか心配してるわけちゃう、っちゅーの。そりゃ、もし2人に夜逃げでもされて1人でこいつの相手をする羽目になったらと思うとぞっとするけど。
 夕飯の用意をするあたしの左手には、じじぃに渡されたブラックオニキスの念珠が巻きついている。淳子にはアメジスト、芳美ちゃんにはローズクォーツ。何でもこの念珠が『ミンキーママ』の証、所用でじじぃが仙界に戻っている時でもあたし達を守り、変身する力を与えてくれるらしい。
「大体、数珠っていうのがねぇ。普通さ、もうちょっと可愛いアイテムじゃない? 魔法の鏡だとかステッキだとか。そもそも普通魔法モノって、お使いに出てくるのは猫とかぬいぐるみとか、愛らしい妖精でしょうが。なんでじじぃなのよっ」
「じじぃで悪かったな。わしとてざっと3千年前には男前のハンサムボーイだったんじゃ。現実は何事もテレビのようにはいかんわい。おまえさん達だって“魔法少女”じゃなかろうが」
 うっ。
 あたしだってざっと25年前にはそれなりに可愛い少女だったわよ。
「ほれ、焦げとるぞ」
「あーもう、うるさいっ」
 ぺしっ、ぺしっ、ぺしっ。
 人の髪の毛の中をあっちこっちと逃げ回るじじぃを追いかけて自分の頭をぺしぺし叩いていると。
「あら、玲子さん、何やってるの? 新手のマッサージ?」
 お義母さん、登場。
 うち、2世帯同居なのだ。と言っても暁(あきら)が生まれる時に家を建て替えて、1階が親世帯、2階が子世帯という一応の分離生活になっている。座敷がある分親世帯の方がスペースが広いんだけど、あたし達の方にもキッチンやお風呂があって、かなり恵まれた生活を送らせてもらっている。
「ひじき炊いたんだけど、お弁当のおかずにどうかと思って」
 平日はそれぞれ別に食事の用意をするのだけど、けっこうしばしばこうやっておかずの交換をする。特にダーリンのお弁当に何を入れるかは毎日悩みの種なので、お総菜上手のお義母さんにはとっても助けられてるのだ。暁もあたしが用事をしてる時は下(1階のことね)で遊んでもらってるし。
 暁にとってはおばあちゃんになるわけだけど、おばあちゃんと言ってもまだ56歳。見た目も若い。ほんの数年前までばりばり働いていたので頭も若い。ちょうどこの家が建って間もなく、暁にはひいばあちゃんに当たるダーリンの祖母が亡くなった。もう家事を担う、ということはしていなかったけど、それでも自分と夫(あたしにとっては義祖父、暁にとってはひいじいちゃん)の身の回りの始末や、家庭菜園の世話なんかは元気にやっていたばあちゃんが急な心臓発作で亡くなり、それまで矍鑠としていたひいじいちゃんが一気に老けた。自分も体をこわして入院してしまい、その世話のためにお義母さん、思い切って仕事を辞めたのだ。嫁に来てまだ日の浅い、おまけに暁はまだ赤ちゃん、のあたしには到底じいちゃんの面倒は見られなかったから。
 ま、今はもうすっかり元気なんだけどね、じいちゃん。だいぶ言ってることが怪しくなってきて、暁とダーリンの区別がかなりごちゃごちゃになってきてるけど、とりあえず体は元気。
 ダーリン、暁、お義母さんにお義父さん。そしてひいじいちゃん。これからこの5人を欺いてかなきゃならないわけだよ。隠し通さなきゃならないんだ、このノミ仙人の存在を。
「あれっ、ママ、それどーしたの?」
 夕飯を食べながら、暁がめざとく念珠に気づいた。
「これ? あ、これね、これその、翔太くんのお母さんがくれたの。これからPTAで仲良くしなきゃいけないし、お近づきの印にって。夢月(ゆづき)ちゃんのお母さんと3人お揃いなのよ。色違いで」
 我ながらなかなかいい説明。
「ふうん。じゃ、ぼくも今度翔太くんになんかあげよっと。ね、何がいいと思う?」
 結局暁は折り紙でクワガタムシを折って翔太くんと夢月ちゃんにプレゼントした。自分のも作った。ゴムを付けて腕に巻き、「クワガタレッド、クワガタブルー、クワガタピンク! 3人揃ってクワガタレンジャー!!」 ……親はミンキーママで子はクワガタレンジャーか。ああ、平和だ……。
 実際それからの数週間は平和に過ぎた。入園式では矢沢の旦那さん、矢沢伸明氏が支社長らしい落ち着きと威厳でもって祝辞を述べてくれた。矢沢の夫だけあってちょっとばかしネクタイの色が派手で、チックでべったり横分けにした髪が古めかしかったけど、たぶんそれなりに年も行ってるんだろう。別に普通のおじさんだった。
 子どもが年中と年長で離れているせいもあって、矢沢理恵子本人と顔を合わすことは少なかった。送り当番の時も相変わらず「あんた一体どこ行くの?」って格好をしてたから、こっちから矢沢はすぐわかるんだけど、向こうは別にあたし達にそれほど興味は持っていないようで、会釈だけしてさっさと通り過ぎてくれていた。入園1週間後ぐらいにあった、PTAの部長会議にも、矢沢、上の子が熱出したとかでドタキャンだったし。またあたし達に全部押しつけるための仮病じゃないの、なんて思ったけど、まぁあたし達としても彼女がいない方が気分的に楽だったりはするのよね。
 クワガタレンジャーの3人はめでたく同じクラスになって、心配していた暁の幼稚園生活もまずは順調な滑り出し。うん、なんちゅーか、一人っ子で、大人5人に囲まれて育ったせいか暁、妙に大人びたとこがあって、むしろ子どもが苦手っていう感じだったんだよね。公園行ってもぶらんこや滑り台より、隣の老人会のゲートボールの方に興味を示すタイプだし。またうっかり「ゲートボール」なんて言葉を出すとひいじいちゃんが「教えたろ」って言い出してホントにやらせちゃったりするから……。なんでか一緒になって『趣味の園芸』とか見てるしなぁ。4歳児にして既に枯淡の境地ってか? 幼稚園では浮きまくるんじゃないかと心配してたんだ。
 先に翔太くんと友だちになれてたのが大きかったと思う。淳子の躾が行き届いてるせいか、翔太くん、活発だけどやんちゃ過ぎないし、2年生のお姉ちゃん、美晴ちゃんもしっかりしててうまく遊んでくれる。こればっかりはホント、PTAに当たったのも無駄じゃなかったなぁって思う。
 思うけどしかし。
「おじいちゃーん、ご飯ーっ」
 我が家ではひいじいちゃんのことを『おじいちゃん』、暁にとって本当におじいちゃんに当たるお義父さんのことを『こういっちゃん(本名・孝一)』、その流れでお義母さんのことを『ふみちゃん(本名・芙美子)』と呼んでいる。61歳の『こういっちゃん』は去年一旦定年になった後、嘱託でまた同じ職場に働きに行っているので、暁のお弁当持ちが始まってしまうと、お昼はあたし、ふみちゃん、おじいちゃん、の3人になる。なんか寂しいねぇと言いながら迎えた暁抜きの2日目の昼食。
 あたしは縁側におじいちゃんを呼びに行った。リビングにいない時は大抵そこで盆栽をいじるか、うとうと居眠りをしてるから。
 その日はどっちでもなかった。
 カツン、という小気味のいい音に続いて。
「ああっ、そう来るかぁ」
 というおじいちゃんの声。さらに続いて、「ひょっひょっひょっ」という聞き覚えのあるいやな笑い声が――。
「ちょっとあんた、何やってんのよぉっ!!!」
 縁側では、なんでかおじいちゃんと東流斎が対局中だった。
「何って、見てわからんか。碁じゃ」
 積み上げた座布団の上にちょこんと座ったじじぃがしゃらっと答えた。はしっと、その体ごとひっつかんだあたし。
「んなこと訊いてんじゃないわよっ。なんでそんな白昼堂々人前に姿さらしてんの、あんたはっ」
「いや、玲子さん、この方あんたのお知り合いかね。なかなかの腕前じゃぞ。しかしわしもまだまだ――これでどうじゃ」
 カツーン。石を打つ、実に心地いい響き。って、おじーちゃん、相手が身長10pでも何とも思わんのか!?
 東流斎、またしてもあたしの考えを読んで。
「人は見かけじゃあない」
 そーゆー問題じゃねぇだろがっ。
 握りつぶそうとしたあたしの掌からするりと抜け出し、じじぃは碁盤の上に飛び降りた。
「碁や将棋はボケ防止にもってこいじゃ。打ち方も知らん奴はすっこんどれ」
 いくらおじいちゃんが半分ボケてるって言ってもさ、まずいだろ、やっぱ。こんなとこふみちゃんに見られたら。
「何騒いでるの、玲子さん」
 ほらーっ、来ちゃったじゃなーい。
「あら」
 とととととっと碁盤に近寄ったふみちゃん、しゃがみ込んでまじまじと東流斎の姿を眺め。
「あらあらまぁまぁ、どうなさったんですか。悪い魔女にでも小さくされましたの?」
 ふみちゃーん。
「いやいや、わしは仙人でしてな。自らの意志でこのサイズになっとるのですわい。あまりでかい老人というのは可愛げがありませんのでな」
「まぁ、仙人様。まぁまぁまぁまぁ、おじいちゃんの相手をしてくれてらっしゃるんですか。それはどうもお世話様です」
「いや、世話というほどのことは」
 って、なんでそうフツーに会話するかな、あんた達は。
「ほれ、あんたの番ですぞ。早ぅ打ちなされ。それとも投了ですかな」
「とんでもない。まぁそう急かしなさんな」
 おじいちゃんが東流斎の怪しさをまったく気にしないのはともかくとしても。
「じゃ、まぁ一服しましょうよ。お昼ですから。仙人さん、一緒にお食事なさいます?」
 ふみちゃん、肝っ玉座りすぎ!
 なわけで、その日から東流斎の奴はほぼ毎日一緒に昼食の席に着くことになった。お弁当がなくて暁が家にいる水曜と、ダーリンやこういっちゃんもいる土日を除いて。
 しかし仙人って霞食ってんじゃないのかよ。いっちょまえに卵焼きだの漬け物だの食うなよ。
「いいの、ふみちゃん。あんなけったいな奴、家に居座らしといて」
 と、あたしが訊くと。
「いいのいいの。おかげでおじいちゃんが退屈せずにすむじゃない。おじいちゃんったらデイサービスにも行きたがらないし、呆ける一方でしょ。年寄りは年寄りに相手させるに限るわよ」
 いや、ま、それはそうというか、でもあれはただの年寄りじゃないというか――。いや、別にね、ふみちゃんが気にしないんなら、いいんだよ。東流斎がおじいちゃんにくっついててくれれば、あたしとしても大助かりなわけだし。
 うん、うまくすればこのまんまミンキーママだの黒仙人だの、わけのわかんない話はおしまいになってくれるかもしれない。最初っからこいつ、おじいちゃんと碁を打つために人間界に来たのかもしれないじゃない。それをああだこうだつまんない屁理屈をこねて、あたしら3人、からかわれただけじゃないの?
 が。
 そうは問屋がおろし大根。
 あたしの甘い夢と希望は見事に打ち砕かれた。4月の下旬、ゴールデンウィークを目前に控えた第2回PTA役員会議。会長矢沢の長ったらしい挨拶が終わり、司会としてあたし、副会長木戸がしゃべり始めた瞬間。
「えーっ、お手許の資料をご覧下さい」
 と言って自分の資料を見て、あたしは我が目を疑った。そこに書かれていたのは、思いもかけない『今日の予定』だった。
 矢沢を除く執行部3人と川端先生とで考えた今日の会議の予定。資料の半分はあたしがパソコンで打った。コピーしてホッチキスで止めたのもやっぱり矢沢を除くあたし達3人。去年やおととしの活動を参考に作った1年間の行事予定、予算、PTA会則。広報部、事業部、環境部それぞれの部長さんが提出してくれた部単位の活動目標。1学期最大のPTA行事、「夕涼み会」についての検討事項。
 まず最初に会則の確認をして、それから去年の決算報告をする。ここまでは、あたしが作った資料の通り。でも、3番目になぜか、『発表会のパワーアップについて』なんて項目が。しかもその後、5番目に『夕涼み会の廃止とそれに代わる行事の検討』って、ちょっと何? どうなってんの?
 あたしが泡を食って口を利けずにいると、まるで待ってましたとばかり川端先生がマイクを取った。
「えっと、今年は色々と去年までとは変更がありますので、私の方から説明させていただきます。まず会則の方からお願いします」
 あたしは淳子の顔を見た。もちろん淳子も困惑している。その淳子の袖口を引っ張って、芳美ちゃんが小声で言った。
「見て、ここ!」
 芳美ちゃんの指した箇所に目をやったあたしと淳子が「はぁっ!?」と驚いた丁度その時、川端先生が流れるような滑らかな口調でその文章を読み上げた。
「PTA会長の子息は、学芸会における劇の主役を演じる権利を優先的に所有するものとする。――あ、この学芸会というのは去年まで発表会と呼んでいた3学期の行事ですけれども、これについてはまた後ほど『発表会のパワーアップについて』というところで説明させていただきます――。第9条、役員の任期。役員は――」
 って、先生。
 先生ってばっ!!!!!
 一体いつの間にこんなこと。いつの間に矢沢、川端先生を丸め込んだの?
「先生だけではないぞ」
 耳元で、突然じじぃがしゃべった。
「よぉく見てみぃ。他の役員たちの顔を」
 へ?
 コの字型に並べられた机。20数人の役員達の前に、あたし達執行部の人間が座っている。長方形の一辺だけが、他の三辺と切り離されて置かれた格好。事務局担当の川端先生だけ芳美ちゃんの隣で、園長先生を含む他の先生5人は窓際の別の列に控えている。
 みんな一様にうつむき加減で、みんな机の上の資料に目を落としていて、そしてみんな――。
 みんな、何も見ていない。
 みんな、虚ろだ! こんな退屈な席で、あくびの一つもしていなければ、隣の人とこそこそ囁き交わしたりさえしていない。隅でブロック遊びをしてる子ども達(役員の子どものうちでも詩月ちゃんのような比較的小さい子達。大きい子はほとんど外で遊んでる)だけが、ちゃんとした生気を持ってて。
「なんか出てるよ。黒い、煙みたいなの」
 淳子が言った。
 目を凝らすと、確かに見えた。虚ろなお母さん達の頭の上に、まるで背後霊のようにゆらめく黒い影が。
「邪気じゃ。みんな操られておるのよ」
 あたしの耳元に隠れていたじじぃがぱっと机の上に飛び降りた。ノミから10p大の姿に戻る。
「正体を現せ、下郎ども!」
 気合いとともにじじぃが杖を振ると、矢沢と川端先生の顔がみるみるどす黒くなった。表情が変わる。顔かたちはそのまま2人のものなのに、明らかに目つきが違う。口が裂けて、牙が覗く。まがまがしいとしか言いようのない、強烈な気。
 げーっ、冗談でしょ。これじゃまるで三流ホラー映画じゃないのよ。怖すぎっ!
「冗談ではないわ、それ、ミンキーママ、変身じゃ!」
 変身って――。
 どうやるの、と考える間もなく、勝手にあたしの口が動いていた。
「ミンキー・ファンキー・スパンキー、ラブ・ライブ・アライブ!」
 なんじゃ、そりゃっ! テキトーやん!!
 でもそれは呪文だった。腕の念珠がまばゆい光を発し、あたしの体を包み込む。あたしだけじゃない、もちろん淳子も芳美ちゃんも。
 一瞬の後には。
「地域の平和を守るため」
「子どもの未来を紡ぐため」
「愛と美貌で悪を断つ」
「美母戦隊ミンキーママ、ただいま参上!」
 がーっ、誰だ、こんな口上考えたの。なんで勝手に口が動くのよぉ。
 黒燕尾のあたし、ミンキーブラック。紫タキシードの淳子、ミンキーパープル。そしてミンキーピンクはふりふりミニスカ、ラブリーキューティな芳美ちゃん。すっかり変身してしまったあたし達は、なんでか中身まで戦隊ヒロインになっていて。
「ピンク、子ども達を!」
「任せて! ミンキー・ドリーム!」
 口だけじゃない、頭も体も勝手に動く。技なんか知ってるはずもないのに、ピンクの放ったハートのピアスがきらきらと虹色の光で隅の子ども達を包むのを、あたしは当たり前のように目の端に入れている。あれは一種のバリアー。そして子ども達の視界を遮ってくれるんだ。おっかない戦いのシーンが見えないように。
「ミンキー・ホイップ!」
 あたしもまた、銀のピアスを魔法の泡立てスティックに変え、矢沢目がけてピシッと振った。ばばばっと白い泡が飛ぶ。……っておい、もうちょっと格好のいい武器はないのか? いくら“ママ”だからって。
「効くか、そんなもの!」
 矢沢、あたしの放ったホイップ攻撃をあっさりはじき飛ばして。
「ダーク・カッター!」
 ぴしゅぴしゅぴしゅっ。黒い小さなブーメランみたいな、ポケモンに出てくる「葉っぱカッター」の凶悪版みたいのが宙を切る。
 パープル・淳子がさっと動いてあたしの前に扇を広げた。まるで鋼鉄でできてでもいるかのように、その羽根扇はダーク・カッターを蹴散らす。
「ちょっと、なんであんただけそんな見栄えのいい武器持ってんの? あたし泡立て器だよ!」
「そんな細かいこと気にしない。戦闘中でしょ!」
 だからこそ気になるんじゃないかぁ。こんなみっともない武器で闘うなんて、気持ちが萎えるでしょうが。
「内輪もめしてる場合か、ほれ、動き出したぞ」
 じじぃの声を聞くより早く、あたしは振り向く。背後に嫌な気配を感じて。
 立ち上がっていた。背後霊を揺らめかせた役員達が、まるで彼女達自身幽霊のようにふらふらと、操り人形のような奇妙な動きで。
 ぞっとする間もあらばこそ、連中の腕が一斉にひゅっと振り下ろされ、飛んでくる黒い矢!
 とっさにジャンプしてかわす。おおっ、こりゃすごい。信じがたいジャンプ力。そのままくるんと宙返りして、ライダーキック! じゃないか、ミンキーキックだ。見よ、この華麗な足技。伊達にアクション映画は見てないぞ。
「こら、もちっと手加減せんか。こやつらは普通のお母さん達なんじゃぞ。悪霊を抜きゃあいいだけじゃ」
「手加減って、そんなことしてたらこっちが倒されちゃうじゃん」
 じじぃに答えながらもあたし、彼女らの繰り出す黒矢を必死でよけて。ったくぅ、フツーのお母さんがキックくらって平気で起き上がってくるわけないでしょーが。
「だから悪霊を抜くんじゃ、3人力を合わせんかいっ」
 あ、そうか。頭の中に、突然イメージが湧いた。初めて闘うのに、あたし達はちゃんと魔法を知ってるんだ。
「ミンキー・ショックっ!」
 それぞれの左腕をバロムクロスよろしく絡み合わせ、あたし達はオニキス、アメジスト、ローズクォーツ、3つの念珠を触れ合わせた。三色の光が霧のように役員の上に降り注ぐ。バシッと何かが壊れるような音がして、すいと黒い靄が役員の体から抜け出た。靄はきらきらと輝く光のかけらに触れて消えていく。へなへなとくずおれる役員たち。
「おのれっ、小癪な!」
 矢沢の口がかっと大きく開かれた。マンガに出てくる悪魔のようにぬらぬら唾を垂らす牙と、血の色をした舌が見える。
「失せろ、玄刃衛(げんじんえ)! お主の世界ではないっ!」
 気合いとともに、じじぃが杖を投げた。体長10pに見合うだけの小さな杖は怖ろしい勢いで矢沢の口に吸いこまれ、そのままびしゅっと後頭部を突き抜けた。
 って、ええっ、ちょっと、大丈夫なの!?
 大丈夫だった。
 悲鳴を上げたのは矢沢の背後に出現したでかい鬼で、じじぃの杖は矢沢の体を少しも傷つけてはいなかった。
「ふん、うっとうしい白仙人め」
 遠くでくぐもった声が聞こえ、苦しんでいた鬼はふっと一瞬で視界から消えた。気がつくと、川端先生も倒れている。みんな、倒れていた。虹色のバリアに守られた子どもたちが、何も知らず楽しげに遊び続けているのが異様だった。
「何を呆(ほう)けておる。後始末せんか」
 じじぃがまたノミになってあたしの耳元に戻る。
「後始末?」
「このままじゃ役員会が始められんじゃろうが」
 そりゃそうだけど。
「わかった、これでしょ!」
 ピンクが胸元のペンダントを取り、ぴぃと吹いた。くりんと可愛い勾玉のような形をしたペンダントトップがホイッスルになっているのだ。ピンクの吹き鳴らす涼やかな音に合わせて、まるで踊るように散らかっていた机や書類が元に戻っていく。
 うわぁ、これうちの片づけに是非欲しい。
「お次はこれね」
 さっとパープルが羽根扇を広げて煽ぐと、正体を失っていた役員たちがふらふら幽霊のように自分の席に戻った。
 うっそぴょーん。
「ほれ、もういいぞ」
 もういいぞって……ああ、そうか。再びあたしの脳裡に神の啓示が舞い下りた。
「神ではない、仙人じゃ」
 うるさいっての。
 あたしはただ一言、『ぱたぽん』とだけ言った。それが変身を解く呪文。ってそれ、暁が持ってる「幼い子の詩集」のタイトルじゃん。どーゆーつながりよ。
 ともあれあたし達はミンキーママから普通の格好に戻り、席に着いた。子どもたちを守っていたバリアーは解け、そして。
 耳元で東流斎のじじぃがぱんと手を打ったと思ったら。
 矢沢がしゃべっていた。
 会長の挨拶だ。長々と、さっき聞いた開会の挨拶。
 あたしは机の上の資料を見た。会則のところ。会長の子息は発表会の主役ができる、なんていう条項はもう見当たらない。どこをどう見ても、あたし達が作った資料のままだ。
 ふと時計を見ると、会議が始まってからものの5分も経っていなかった。さっき黒仙人たちと闘っていたのはたったの10秒だったとでも言うんだろうか。まさかそんなはずはない。じじぃが時間を戻したのだ。黒仙人の介入がなければ当然そう流れるはずだった時間へ。
「えーっ、お手許の資料をご覧下さい」
 さっきも言ったセリフを、あたしはまた言った。今日の段取りを説明して、まずは会則の確認だ。変なところはどこにもない。あたしが会則を読み上げる間、役員のお母さん達はあくびをかみ殺し、ひそひそと関係のないことを囁き合っている。それでこそ正常というものだ。
 が。
 何かご質問のある方はいらっしゃいますか、と言ったとたん。
 矢沢が「はい」と、手を上げた。「よろしいですか?」と言って口を開いた矢沢が言ったことはもちろん。
 「会長の子息は発表会で主役を張る」という案件。
 おーい、黒仙人は撃退したんじゃないのかぁ。
「しょうがなかろう。彼女自身の意志は仙術では止められん」
 ……何だったのよ、さっきの闘いは。



 あー、疲れた。かえすがえすも疲れた。
 まったくこれじゃあ黒仙人の言いなりになってさっさと矢沢の子どもを発表会の主役に据えた方がよっぽど楽やん!
 あの後役員会、紛糾したのだ。矢沢の提案に賛成する人が3人もいて、かんかんがくがく、議論が始まってしまった。「毎年いやいやくじで会長を決めるぐらいなら、そういう特典をつけて気持ち良く引き受けてもらってもいいんじゃないか」という意見が出ると、そっちになびく人も現れた。「発表会」を私立の園なみに芸術性の高い(!?)ものにするという話に頷く人も。
 悪霊の落ちたお母さんたちは虚ろでもなんでもなく、十分に活発で「あかね幼稚園を良くしよう」という意志に満ちていた。「発表会」の件は先生の説得でとりあえず今年は見送ることになったものの、保護者にアンケートを実施することを約束させられ、今日のメイン議案であった「夕涼み会」のことでもけっこう色々な意見が出て……。
 帰ってきたらもう5時やん。がーっ、もう、今日レトルトカレーにしちゃおっかなぁ。
「ママーっ、今日ハンバーグやんなぁ。ぼくの大きいの作ってや。こんくらいのやで!」
 くぅ、覚えておったか。そうなのだ、今日はハンバーグのつもりで家を出る前にミンチをもどしておいたのだ。ちくしょー、まさか役員会がこんなに長引くとは思わないじゃないか。
「甘いのぉ。実に甘い」
 しょうがなく玉葱のみじん切りを始めると、耳元でじじぃがほざいた。
「問題が起こるのは初めからわかっておったじゃろうが」
「わかんないわよっ。まさか矢沢以外のお母さんまで悪霊憑きになるなんて思わないし、大体何も憑いてない方がよけいややこしいじゃない」
「それが甘いと言うんじゃ。自分たちの意見ならすんなり受け容れられると思うておったのか? 紛糾してこそ会議の値打ちがあろうというもの。ま、これからはもちっと理論武装して臨むことじゃな」
 たかが幼稚園のPTAでしょっ。国会や株主総会じゃあるまいし、いいじゃないのよ、なぁなぁで。
 と思ったけど口には出さなかった。どうせ言わなくてもじじぃには筒抜けだろう。しばし無言で玉葱を炒め、味噌汁の用意をする。
「ところでさ」
 玉葱に挽肉を混ぜながら、あたしは言った。
「あの、なんてったっけ、黒仙人の名前。ゲンなんとか」
「玄刃衛(げんじんえ)か? あれは仙人ではない。ただの使い魔じゃ」
 え、そうなの?
「恫漣士(とうれんじ)の奴はそうそう姿を現したりはせん。おまえさん達が直に戦うのは常に奴に操られた人間と、そして魔物達じゃろう」
 魔物達って……。
「それ、いっぱいいるの?」
「おう。うじゃうじゃおる。魔界はいつも定員オーバーじゃ」
「それで、あたしらの味方はあんた一人だけなわけ? いないの、こっちにはあーゆー強力な助っ人が」
「おらん。まさか正義の味方が悪霊だの魔物だのを使うわけにはいくまい」
「だから例えば善霊とかっていないの? 霊は霊でもいい方の奴。ほら、例えば『陰陽師』に出てくる式神みたいのとか」
「おらん」
 じじぃ、即答。
 思わずあたしはこねていたミンチを思いきりボールに投げつけた。
「なんでやっ、なんでこっちだけ孤軍奮闘なんっ? 不公平やんかっ!」
 わめきながらビシバシとミンチを叩きつける。ああ、まったく今日のハンバーグは空気が抜けて最高においしいぞ。
「ヒーローは孤独なんじゃ」
 そんな理屈があるかっ。大体あたしらヒーローじゃなくてヒロインでしょうが。ヒロインにはかっこいいヒーローがつきものじゃないのよ。ラ・セーヌの星には黒いチューリップ、セーラームーンにはタキシード仮面、スケバン刑事には麗しの神恭一郎様がいたし、それからえーっと……。とにかく男前が出てこなくちゃヒロインやったってなんもおもろいことないっちゅーの!
「ママ〜、ハンバーグまだぁ? お腹空いたぁ!」
「はいはいはい、今から焼くから」
「あと何分?」
「15分」
「えーっ、待てへ〜ん」
「待てなくても待つの! 生焼けやったらお腹壊すやん。ミンチはヤバイねんで」
 まったく、主婦として毎日やっていくだけでも家事下手のあたしには大変だっていうのに、わけのわかんない悪霊と闘わなきゃなんないなんて。どうせ変身するんなら冷蔵庫の材料でフルコースが作れるスーパー主婦とか、まるでモデルハウスのように家をきれいに片づけていられるカリスマ主婦とかになった方がよっぽどええやん。……って、もうちょっと夢のある変身を思いつかんのか、あんたも。そう、どうせなら本物のタカラジェンヌに変身して羽根しょってあの大階段を降りるとか! ああ、それだったらパートナーがこんなよぼよぼじーさんでも文句言わないのになぁ。
 ぽかっ。
 じじぃが髪の毛の中からあたしの耳元を叩く。
 ふんっ、ほんとのこと言って何が悪い。一緒に生活させられるこっちの身にもなれ。
 あ〜あ。どうなっちゃうんだ? この先。


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