イーグルス”フェアウェル・ツアー”観戦記

先日、長い間夢にまで見たイーグルス、そのライヴ”フェアウェル・ツアー”を観に行った。
小学生の4年生の時、家に転がっていたフォークギターを手にして以来、音楽はその頃の
生活の一部となった。学校から帰ったらまずギターを手にして練習。そんな毎日を過ごした。

田島中学校の卒業式、その一ヶ月ほど前ににサッカー部の悪友が「おぃ、卒業式ライブやるどー! バンド組むどー!」と叫び、そのバンドにギタリストとして引きずり込まれ、練習を重ねて校長先生の許可を得て、卒業ライブを失敗しながらも演奏した思い出。高校、大学でもちょっとしたホールを合同で借りて行ったライブ、そのライブでの曲目にもイーグルスの曲が必ずと言っていいほど入っていた。

若い頃、何回か海外のバンドを見に行ったことはあるがイーグルスの公演を観に行ったことは無かっただけに、今回の”フェアウェル・ツアー”は絶対に見逃すことが出来ないイベントだった。特に今回の来日が最後になるかも知れないと噂されていたのだから、尚更だ。


大阪ツアーの会場は”大阪ドーム”。そう、ちょうど去年の今頃、生野連盟主催で行った
フットサル大会「ファミリー・フットサルフェスタ」の会場となった、あの大阪ドームだ。


内野の壁、青くて白文字の大きな看板。フットサル大会と時、あの壁に何人ものこども達が
ボールをぶつけ、グラウンド係に「壁にボールをぶつけないように注意して下さい!」叱られた
ことや、8時過ぎ、やっと大会が終了して帰ろうと思ったら当初の契約にはなかった「掃除して帰って下さい!」と言う言葉に「まぁ、当たり前やし、しょうがないなぁ...」と素直に従ったが、壁にボールをぶつけたこども達が多く、そのことがよっぽど頭に来ていたのか、グラウンド係のリーダーは生野連盟のコーチやSSの中学生など、100人近くを横一列に並ばせて、広いドームの中を何往復も何往復もさせ、挙げ句に観客席の土まで掃除させられ、ようやく解放されたのが夜の10時前だった事も思い出した。

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40分ほど早めにドームについてグラウンドに入った。外野も内野もずらっとイスが並べてある。
壮大な眺めだ。時間が少し早かったのでまだ空席が目立つ。
チケットの席番号を探したら、お世辞にも”前の方”とは言えない場所だった。
まぁ、殆ど直接は見えない距離だが幸いステージの上とヨコに大きなスクリーンがあり、そこに
イーグルスのメンバー達が映し出されるようだったので一安心した。


期待が大きく膨らむ中、約15分遅れで始まったライブは開演直後から大盛り上がり。
「Take it easy」や「いつわりの瞳」「いい出せなくて」「呪われた夜」.... 数十年間聞きなれた名曲の数々がオン・パレード!!
涙が出そうになったり、立ち上がっていっしょに歌ったり手拍子したり、本当に感動の連続だった。
いつの間にかこの広いドームを満席にしていた観客の平均年齢はやはり、35〜45歳くらいだろうか。
その”昔のギター・キッズ”達が歳を取ったのと同じ数だけイーグルスのメンバー達も歳を重ねて来たこともあり、2回の休憩を挟んで約3時間、懐かしい、そして素晴しい曲の数々を聞かせ続けてくれた。

公演もそろそろ終盤になり、3回目のアンコールの後流れ出したイントロ....
あの名曲中の名曲「Hotel California」、そのメロディだった。
それまでとは打って変わり、体が硬直して動かない。口ずさむことも、手拍子をすることも出来なくなってしまっている自分がいた。 「ただの1音さえも聞き逃すまい、見逃すまい」と、目と耳が目の前の演奏に完璧なまでに集中していたのだろう。
最後のツイン・ギターのパートと共にその”名曲”が終わり、拍手喝采、割れんばかりの歓声の中、続いてこれまた名曲中の名曲「Desperade」をDon Henlyが、そのしわがれた声で観客を静まりかえらせて、今回の”フェアウェル・ツアー大阪公演”は幕を閉じた。ただ、唯一オリジナル・メンバーのギタリストDon Felderが脱退していた事だけが残念ではあったが、それでもその事を差し引いてみても余りある程、魅力あるステージだった。

数万人の観客達が流れ出すようにグラウンド席から帰り始めると、その流れの中に
身を任せながら、なにか数十年間も胸の奥に詰まっていたモノがスーっと取れていくかの
様なそんな不思議な、そして言いようのないすがすがしい感触を覚えながら大阪ドームを後にした。

 


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