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年 次 |
年齢 |
事 跡 |
1217年(建保5年) |
1 |
7月16日大和国城下郡屏風里に生まる。父は伴貞行、母は榎氏の女。 |
1232年(貞永元年) |
16 |
母を亡くし、7月に額安寺で出家する。 |
1233年(天福元年) |
17 |
東大寺戒壇院にて受戒する。 |
1239年(延応元年) |
23 |
西大寺にて叡尊に謁し、十重戒を受ける。 |
1240年(仁治元年) |
24 |
額安寺西辺の貧者の集落に文殊像を供養する。西大寺にて、叡尊より通受を授かる。病者を背負い、奈良の市に送り迎えす。 |
1243年(寛元元年) |
27 |
亡母13回忌に病者1000人に施与し、般若寺に文殊像を造る。 |
1244年(寛元2年) |
28 |
叡尊とともに屏風里に赴き、亡母13年の追善を為す。 |
1245年(寛元3年) |
29 |
泉州家原寺にて叡尊より別受戒を受ける。 |
1248年(宝治2年) |
32 |
宋から持ち帰った聖教を迎えるため、九州に赴く。 |
1252年(建長4年) |
36 |
8月、関東に下り、鎌倉に着く。12月、常陸三村寺に入る。 |
1259年(正天元年) |
43 |
前連署北条重時のために鎌倉極楽寺の寺地を相す。 |
1261年(弘長元年) |
45 |
北条重時の葬儀の導師を努める。請われて鎌倉清涼寺釈迦堂で北条時頼の病気平癒を祈願し、験を得て同寺に住す。 |
1262年(弘長2年) |
46 |
三村寺より鎌倉に入り、叡尊の来化を助く。北条業時の請により鎌倉多宝塔に住す。 |
1264年(文永元年) |
48 |
貧者3000人に食を与う。 |
1265年(文永2年) |
49 |
初めて灌頂を受け、阿闇梨となる。 |
1267年(文永4年) |
51 |
8月、極楽寺の開山に迎えられる。9月、下野薬師寺審海を金沢称名寺開山に推す。12月、観修寺阿性上人より灌頂を受く。 |
1268年(文永5年) |
52 |
極楽寺釈迦十大弟子像を造る。 |
1269年(文永6年) |
53 |
般若寺文殊供養の大勧進となる。 |
1274年(文永11年) |
58 |
飢饉により、50日余、大仏谷にて施粥す。 |
1275年(建治元年) |
59 |
摂津多田院別当となる。 |
1281年(弘安4年) |
65 |
叡尊を請じ多田院本堂の供養を行う。 |
1288年(正応元年) |
72 |
西大寺において叡尊に謁し、灌頂を受く。 |
1290年(正応3年) |
74 |
叡尊入滅後の事後の計らいを求められる。 |
1291年(正応4年) |
75 |
極楽寺に戒壇を設け別受を行う。 |
1292年(正応5年) |
76 |
西大寺において叡尊の三回忌を修す。 |
1293年(永仁元年) |
77 |
東大寺大勧進を命ぜられる。 |
1294年(永仁2年) |
78 |
四天王寺別当に補される。 |
1296年(永仁4年) |
80 |
焼亡した般若寺の金堂を復興し、文殊像を安置する。 |
1298年(永仁6年) |
82 |
額安寺御塔の本尊を施入。再び四天王寺別当に補される。鎌倉坂ノ下に馬病屋を設く。 |
1303年(嘉元元年) |
87 |
7月12日、極楽寺において入滅す。 |
1310年(延慶3年) |
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極楽寺僧、澄名が忍性伝「性公大徳譜」を作る。 |
1328年(嘉暦3年) |
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5月29日、後醍醐天皇により忍性菩薩号が下賜される。 |