はなが、我が家の家族になった時の話をします。
平成9年1月のある夜、不燃ゴミを庭の物置に移動させる為に勝手口から
外へ出た私の前を何かが横切りました。
我が家の周りは自然がいっぱいで、野生のイタチが庭で遊んでいる事がある程なので
さほど気にする訳でもなくゴミを物置へおいて戻りました。
それが、はなとの出逢いだったのです。
翌朝、何気なくキッチン横の窓を開け庭に目をやると、軒下に茶色くてガリガリにやせ細った
わんこが一匹申し訳なさそうな顔をしてうずくまっていました。
私は動物が大好きだし、追い払う気など全然ありませんでした。
ただ・・・飼ってあげる気も全然無かったのです。
その頃の私は長男・長女ともにまだ幼くて育児に手一杯・・・愛猫のピアもいるし
カメさんもいるし・・・と言う状態でした。
でも、茶色のわんこはその日から2ヶ月余りもの間、我が家の軒下に居続けたのです。
食べ物も一切貰えない我が家の軒下で・・・
子供達を連れてお散歩へ行くと、わんこはいつも隣の家の道の前まで着いてきて
その場所で私達の姿が角を曲がり見えなくなるまで見送っていました。
お散歩から帰って来て角を曲がりわんこが居ないと「わんちゃんいないねぇ」
と決まって長男が言いました。「きっとお家がみつかったんだよ」
そう言いながら「何処かへ行ってくれていたらいいのになぁ」といつも心の中で
思う私でした。けれど、期待は大きく裏切られわんこは弾ける様な勢いで
我が家の玄関側から飛び出して来て、又隣の家の前の道までお出迎えに来る・・・
その繰り返しでした。右へ曲がっても左へ曲がっても、いつもいつも隣の家の前まで
着いて来て、それ以上は一歩も動かないわんこ・・・
まるで自分の世界はここまで・・・と決めている様でした。
子供達は動物が大好きですし、庭先に住み着いたわんこの事をいつも気にして
いました。けれど飼うつもりがないのに餌をやる行為は無責任だと思い
「何もあげないでねっ。知らん顔しておくのよ」
と長男に言い聞かせていました。
庭のお砂場で子供達が遊ぶ時、三輪車で遊ぶ時。いつもわんこは同じ場所で
同じ体勢で子供達の遊ぶ姿を見ていました。
わんこがうちへ来て1ヶ月が経った頃、近所のおばさんが私に言ったのです。
「その犬、公園に捨てられていた犬よねぇ」と。何でも、歩いて30分程かかる場所で
公園を開発中だったのですが、そこに数匹の犬が段ボール箱に入れられて捨てられて
いるとの事でした。「みんな同じ首輪しているから・・・」と・・・
そうです、わんこは我が家へ来た時に首輪をしていたのです。
雪が舞う夜や雨が降る夜には、わんこの事が気になりました。
「濡れない様に場所移動してるかなぁ」なんて心配になり、そ〜っと覗いて見ると
相変わらず同じ場所でずぶ濡れになりながら、身体をまるめて小さく小さく、
まるで自分はここにはいませんよ・・・と言っている様なわんこの姿がありました。
2ヶ月近くが経ち、私や長男の中でわんこがいるのが当たり前になりました。
わんこを家族にしようと思った私の意見に大反対のパパが居ました。
「パパが飼ったら駄目だって。保健所に連れて行くって」と長男に言うと
「保健所に行くとお家できる?」と聞いてきました。
まっすぐな目を見ていると嘘はつけないな・・・と思いました。
「保健所は、お家のない子達が行くところで飼ってくれる人が見つからなかったら
殺されるんよ」と言うとキラキラの目からポロポロと涙が溢れました。
あの頃の私が居る・・・幼い頃、捨て犬や捨て猫を見つけては連れて帰り
両親を困らせた私。必ずすぐに保健所に連れて行かれた子達。悲痛な叫び・・・
幼いながらも私は「もしかして、連れて帰らなければ誰かほかの人が飼って
くれたかもしれない。野犬になって生きていれたかもしれない」
「もう二度と拾わない」と決心した私・・・
もう同じ思いは二度と味わいたくはない、そう思いわんこを強引に
家族に迎え入れる事にしました。パパとは大喧嘩になりましたが・・・
2章へ・・・
雨水だけで2ヶ月・・・1章