コラム
社員の化学日記 −第8話 「今年はどんな年?」−
新年明けましておめでとうございます。 日本漢字検定協会は昨年末に発表した「今年の漢字」は「変」であった。まさに2008年は「変化」の年。
三津和化学がある道修町1丁目界隈も昨年は大きく変化した。 高層ビルが次々と完成し,今年3月には最寄り駅である地下鉄北浜駅に直結して54階建て,地上209mの高さ(2008年8月の時点で日本一の高さ) の商業施設複合型ビルも完成する。 道修町は谷崎潤一郎の「春琴抄」(道修町の薬種卸商の娘である盲目の春琴と彼女に献身的に仕える奉公人佐助との物語)の舞台となったこと でも知られており,旧小西儀助商店(現コニシ株式会社さんの旧社屋で,国の重要文化財に指定されている)など時代を感じさせる貴重な建築物も 残っている。まさに,古き良き時代と超近代的な高層建築物が共存する町となりつつある。
新しいものが次々とできあがる一方で,消えていったものもあった。
![]() |
そのうちの一つが「八百定」という大衆食堂。いわゆる一膳めし屋で,うどん一杯が250円,定食が650円という安さであった。夏にはうなぎ,秋には 松茸が入った丼やうどんを格安で食べることができ,その季節になるとお昼時にはそれを目当てにしたビジネスマンで大繁盛していた。経営者の 老夫婦のご兄弟が三津和化学の創業期の社員のうちの一人ということもあり,三津和化学の社員はもちろん常連で,若い社員に対しては注文時に何も言わ なくても定食のご飯は大盛りをサービスしてくれていた。もともと船場で店を開き,100年続いていたらしいが,経営者の体力的衰えを理由に昨年7月に その歴史に幕を閉じた。
ここの常連であった方が食堂に贈った詩がある。非常に郷愁の想いにあふれた詩であるので,その一部をここでご紹介したい。この詩を作られた方 には了解を得ていないが,一部だけにするので何卒お許しをいただきたい。
- 船場で 百年続いた
- 大衆食堂 八百定 店終い
- きつねうどんは ここの名物 あくまでも大衆価格
- 近くの人たちの 財布に合わせる
- (途中略)
- 道修町の 薬問屋の親父も 薬品会社の社長も
- きつねうどんと 味付けごはんが好き
- 番頭も 手代も ここで食べるのは 特別な日
- みんながほっとする味
- (途中略)
- 船場の 灯が 又ひとつ 消える
- 誰にも知られずに
この詩は同食堂の写真と一緒にパソコンできれいに印刷されており,同じく常連であった三津和化学のベテラン社員Mさんがいただいて きたものである。
実は,そのMさんも昨年12月20日をもって三津和化学を退職された。60歳で定年退職となった以後も嘱託社員として継続勤務され,昨年までで 勤務年数はほぼ50年。我々若手社員(40過ぎの自分も含めるのはちょっと図々しいが,勤務年数から「若手」に入れさせてもらう)にとっては ”親父さん”的存在であり,まさに”生きた教科書”であった。
私のような化学畑出身者に対しては「自分には化学の知識はないから・・・」と一歩引かれていたが,それでも50年間現場で覚えた知識と経験は, 大学で数年間化学をかじっただけの自分とは比べものにならなかった。大学院を出た自分の知識でも所詮机上の空論でしかなかなく,実戦で鍛え あげた経験は重みが違った。数kgの薬品が入った袋からスコップなどを使わずに直接一定量ずつの薬品を秤で正確に測りとる方法,カゴやケース などを使わずに複数の薬品入りビンを運ぶ方法など経験からしか学べないことをMさんからたくさん教えていただいた。
今年も高層ビルなどの近代的な建物が次々とできあがって道修町界隈も変化していくであろうが,将来に伝えるべき価値や歴史のあるものはそのまま 残してほしい。そして自分も近い(?)将来,”生きた教科書”といわれる存在に変わりたいものである。
【道修町博士(ペンネーム)】