コラム

日本の四季を化学する−第9回 豆まきの化学−

早いもので今年ももうすぐ2ヶ月が経とうとしています。今回のコラムは2月の行事「節分」についてです。

1)節分の起源

本来,節分は季節の変わり目である立春,立夏,立秋,立冬の前日を指しますが,年4回ある節分のうち現在では立春前日の2月3日だけが行事として残っています。節分は平安時代の宮中の儀式「追儺(ついな)」が始まりであるといわれています。「追儺」の儀式はもともと寺社において邪気(鬼)や疫病を祓う儀式として中国から伝わったもので,日本では奈良時代以前に疫病の流行に対して行われたのがはじめだそうです。平安時代になると宮中の行事として行われるようになり,次第に庶民の間でも行われるようになりました。

「追儺」の儀式は,大晦日の夜に黄金の四つ目の面をつけた方相氏(ほうそうし)が手に持った矛を地面に打ち鳴らしながら宮中を巡り,それに桃の杖と葦の矢を持った官人たちがつづき,桃の杖を打ち鳴らして「鬼やらい,鬼やらい」と声をあげながら鬼を追い払います。この儀式は中世に入るとやがて廃れていき,同じ年越しの意味をもつ節分の行事として各地に伝えられていきました。

2)吸血鬼にはニンニク,鬼にはイワシ?

節分といえば,今ではめっきりそんな家はなくなりましたが,夜に玄関先にヒイラギ(柊:モクセイ科の小高木)の枝にイワシの頭を刺したものを飾る風景がよく見られました。

イワシは鯖などの青味の魚と同様に腐敗しやすく(「鰯」と書くのは陸に揚げるとすぐに弱ってしまうから「弱し」が転じて「いわし」となり,「鰯」いう字になったという説があるくらいです。),食べ方も刺身でナマで食べるよりは煮炊きしたり,干物(しらす干など)にしたり,生食の場合でもオイル漬けにしたりする場合が非常に多い魚です。したがって,腐敗が進むとアンモニアなどの種々の臭気物質が発生し,鬼がこれを嫌がるらしいのです。また,柊の葉にはギザギザがあり,夜に家の中の様子を覗きに来た鬼の目を突くためとされています。

さらに,ヒイラギの生木を火の中にくべるとパチパチと音を立ててはじけながら燃えます。これは葉や小枝の細胞組織の中の空気や水分などが熱によって膨張した結果,厚い表皮組織が破裂するのが原因で,竹や栗,豆類などにも見られる現象です。中国では正月や結婚式などのお祝い事の時にはよく爆竹を鳴らすそうですが,これは音によって邪気払い,魔よけをしているのだそうです。つまり,中国の儀式を源流とする節分でも,ヒイラギのような破裂音がでるものを魔よけとして家の入り口に飾り付けたとも考えられます。節分に豆を撒くのも,「鬼は外」「福は内」と声をあげたりするのも音によって邪気を祓うと考えられていたのでしょう。

3)鬼の正体は害虫?−農耕民族の儀式

さきほどイワシの頭を玄関先に飾っておく理由を臭気による邪気払いと説明いたしましたが,これは農耕民族特有の風習といえるかもしれません。たとえば築何百年という日本建築では長年の間,囲炉裏から出る煙で柱などが燻されて何ともいえぬ色や風合いを出し,同時にこれらは防腐作用も果たしていました。また農薬がなかった昔は,折角収穫した収穫物に害虫がわいたりするのを防ぐために煙で燻したり,臭気を用いていたようですが,駆除効果はあまり期待できず,むしろ呪術的な要素が多分にあったのかもしれません。

煙で鬼をいぶりだすという儀式は福岡県の太宰府天満宮で正月七日に行われる「鬼すべ」という行事に残っており,日本の節分行事は中国を源流とする音による邪気払いである「追儺」の儀式と,日本の伝統的な農耕儀式が合流して成立したといえます。

4)豆まき

これまでは節分の源流を中心に話を進めてきましたが,話を少し変えて豆の話に移りましょう。先ほども述べましたが,最近は住宅事情や行事の簡略化などから玄関先にイワシの頭とヒイラギを飾る家は都心近郊では全くといっていいほどなくなってしまい,”節分=豆まき”という風習だけが学校などでも教えられているようです。

節分の豆まきは「鬼は外」「福は内」の声をあげながら豆を撒くことによってその音で邪気を祓い,撒いた豆を年の数だけもしくは年の数に1つ足した数だけ食べことによってその1年間の健康を祈願したわけです。また豆を炒ってそのこげ具合から畑作物の収穫の豊凶を占ったというのも季節の節目に行う農耕儀式の一つでした。

これは蛇足ですが,節分にその年の恵方(歳神のいる縁起のいい方向)を向いて,太巻き寿司を無言のまま丸かぶりするんだそうですが,巻き寿司は「福を巻き込む」,丸かぶりは包丁を入れないことから「縁を切らない」に通じるということです。この起源は愛知とも大阪ともいわれているようですが,広まったのは1977年に大阪海苔問屋協同組合が大阪の道頓堀で節分のイベントとして行ったのがきっかけで,昔からある風習というわけではなく,バレンタインのチョコレートと同じように現代になってから新しく加わっていったものです。

5)豆の力(ここからはやや化学的なお話)

イソフラボンの構造式 イソフラボン

豆まきに使われている大豆は昔から「畑の肉」といわれるほど蛋白質や脂肪、鉄分、カルシウムなどミネラルなどの栄養価が非常に高く,最近では大豆イソフラボンが骨粗鬆症、更年期障害等の改善に効果があるとして健康食品として売り出されているぐらいです。(でも,大豆イソフラボンは女性ホルモンと同じ働きをする可能性があるため,過剰な摂取は疑問視する声もあるようです。放送打ち切られたお騒がせの情報番組みたいですが・・・)

一般にマメ科の植物は生命力旺盛なものが多く,ゲンゲ(「レンゲ」ともいいます),カンゾウ(甘草),カリンや日立製作所のテレビCMでもおなじみの”この木,何の木”の「モンキーポッド」(学名はサマネア・サマン,枝豆のような実がなるそうです。)もマメ科の植物です。これらは貧弱な土地でも育つものが多く,昔は水田のあぜ道に水田に引いた用水路の底泥を肥料代わりにして枝豆が植えられている風景もみられました。またゲンゲは稲刈り前の水を抜いた水田に種がまかれて翌春に花をさかせ,農薬や化学肥料が当たり前に使われ始める前の昭和40年代頃までは,「ゲンゲ畑」とその上空に飛ぶひばりの鳴き声が春の田園風景でした。このゲンゲ畑は田植えまでの間の飾りでもなんでもなく,緑肥(りょくひ=草肥:くさごえ)といわれるもので,田植えの前にゲンゲをそのまま鋤きこんで肥料としました。では,なぜマメ科植物にはこのように生命力を持ったものが多いのでしょうか?

マメ科植物の根粒菌の共生 マメ科植物と根粒菌の共生関係

大豆,ゲンゲなどのマメ科の植物の根には根粒菌という細菌が寄生し,根粒という瘤を作ります。瘤の中身は根粒菌が住みついていて,空気中(土の中にもわずかですが空気はあります)の窒素からアンモニアを作り出します。根粒菌はこのアンモニアを宿主であるマメ科植物に提供する見返りとして根粒という”すみか”と宿主が光合成によって生産したデンプンなどの栄養分を受け取っています。通常の植物は自分の根をつかって直接土壌から水とアンモニアなどの窒素化合物を吸収し,蛋白質などの有機物を合成していますが,根粒菌に空気中の窒素をアンモニアに換えてもらうことができれば,やせた土地でも簡単に栄養分を得ることができます。その結果合成された蛋白質などを私たち人間がいただいているわけで,大豆が「畑の肉」といわれるほど栄養豊富なのはこのためかもしれません。また土壌中の窒素が過多になることによってその土地への他の植物の侵入が困難となる場合もあり,これによって宿主は容易に群落を形成することができます。すなわち休耕田のゲンゲ畑は雑草防止策の役目も果たしていました。

6)窒素の化学(ここからはさらに化学の歴史のお話)

窒素は大気中に最も大量に含まれる気体で、大気中の濃度は、地上でおよそ78%が窒素です。窒素化合物は生命活動を維持するためにも非常に重要な化合物ですが,産業的にも非常に重要です。/p>

硝酸カリウム(硝石:硝酸カリウムを主成分とする天然産出硝酸塩)は,13世紀ごろから鉄砲用の黒色火薬の成分として重要な戦略物資の一つでした。当時,硝石はスペインの南アンダルシア地方の乾燥地帯で産出されましたが,後に有機物の腐敗によって製造できることが発見され,動植物の死骸を腐敗させて造られていました。19世紀になるとチリなど南アメリカ諸国で硝酸ナトリウム鉱床が発見され(硝酸ナトリウムの別名「チリ硝石」はこれに由来する),硝酸ナトリウムの製造原料としてヨーロッパ諸国へと輸出されていきました。

しかし,1913年にドイツで空気中の窒素からアンモニアを合成する手段(ハーバー・ボッシュ法)が発見されました。ドイツの主食であるパンの原料となる小麦を栽培するには窒素分の十分な供給が不可欠ですが,当時のドイツは未発達のやせた土地が多かったために小麦の栽培は困難で、穀物への窒素供給は硝石などの海外産窒素肥料の輸入によるか、小麦の代替品としてライ麦(やせた土地に強い)やジャガイモなどに頼らざるを得なかったそうです。しかし,ハーバー・ボッシュ法によって空気中の窒素からアンモニアを合成できるようになったため,アンモニアは水と反応させれば硝酸にすることもでき,化学肥料や各種化学製品の原料とすることが可能になりました。

また戦略物資としてみた場合,ドイツはこの発明により空気と水という無尽蔵の資源から硝酸カリウムを製造し,第一次世界大戦で使用した火薬原料の窒素化合物の全てを国内調達することができたのでした。

※参考文献

1)「日本の「行事」と「食」のしきたり 」新谷尚紀著,青春出版社(2004).

2)「植物と行事―その由来を推理する」湯浅浩史著,朝日新聞社(1993).

3)「化学物質は警告する―「悪魔の水」から環境ホルモンまで」常石敬一著,洋泉社(2000).

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