*月刊朝鮮5月号 ぺ・ヨンジュン氏独占インタビュー(パート2)

『冬のソナタ』再放送に2万通以上のリクエスト

ぺ・ヨンジュン氏の来日をきっかけに、チャン・ドンゴン氏、ウォンビン氏、ソル・ギョング氏の来日に合わせて日本のメディアは“韓国の四天王が来る”という見出しで大々的に取り扱った。
ユン・ソクホ監督の『冬のソナタ』に主演したぺ・ヨンジュン氏とチェ・ジウ嬢は、日本でものすごい人気である。NHK衛星第二放送は2003年の4月と12月の2回にわたり『冬のソナタ』を放送し、関連特別番組を4回放送した。2万通以上のリクエストに応えて4月3日から毎週土曜日23時より地上波で放送している。
NHKハイビジョン課の代表プロデューサー、オガワジュンコさんに『冬のソナタ』を放映するに至った経緯を聞いた。
“ワールドカップサッカーがきっかけでたくさんの視聴者の方から韓国の映画やドラマを放送して欲しいというリクエストメールが届きました。それまでは主に米国や英国のドラマを放送していましたが、このようにたくさんのリクエストを頂いて、西洋ドラマではなくアジアのドラマを放送してみようという方向になったのです。中国、台湾、香港からいろいろなドラマを取り寄せました。そんな時に韓国の『冬のソナタ』の評判を聞き、取り寄せて見た結果これで行こうということになったのです。こんなにも大反響になるとは誰も予想しませんでした。”
NHKは以前に1話完結の韓国ドラマは放送したことがあるが、シリーズは『冬のソナタ』が初めてである。それまでの海外ドラマシリーズで最も人気があったのは米国の医療ドラマ『ER』であったが、『冬のソナタ』はそれを乗り越えた。
オガワ代表プロデューサーはさらにこう加えた。“冬のソナタの視聴者からいただくお便りはERの10倍です。ER視聴者からのお便りは短いものですが、冬のソナタ視聴者からのお便りはご自身の思い出やドラマに対する思い入れなどを書き綴ってある長文で、10ページというのも珍しくないです。『冬のソナタ』が単なる恋愛ドラマでなく友達、恋人、家族も含めた印象深いドラマだと言ってくださいます。特に心に残ったセリフを書いて下さる方が多いです。”
日本の1930年代や40年代のドラマと似ているが、決定的な違いは各場面に込められた心に響くセリフである。ドラマは不自然とも言える度重なる偶然の繰り返しで展開するが、心を打つ数々のセリフを聞いているとそれも気にならない。音楽もまた魅力的である。日本のよくある音だけの音楽でなく、歌詞が心を惹きつけるのである。

ぺ・ヨンジュンの優しさが日本女性を感動させる

主婦達の間で盛り上がっていた『冬のソナタ』のことを聞きつけた日本人記者は、彼自身も知りたくて“冬のソナタ現象”という特集を組み、どうしてこんなにも日本女性を魅了させるのか分析した。

“冬のソナタは30代から50代の主婦の方に絶大な人気がある。『うちの夫はぺ・ヨンジュンのように優しく話さない』『あんなに素敵な言葉をかけられたことがない』『このようなドラマを見れるのを長い間待っていた』と彼女達は言う。セックスシーンもないし、家族みんなで見られる。このドラマを見た80代の女性は彼女の初恋を書き綴ってNHKに送ったんですよ。”
最初は日本語で、次に韓国語で、そして3回目は部屋を暗くして一人で泣きながら見る。このドラマがきっかけで韓国語の勉強を始めた人が多い。いずれもぺ・ヨンジュンが話しているのを直接理解したいからだ。
4月3日に放送された地上波第一話の視聴率は9.2%を記録し、NHKの海外ドラマでトップである。この分野では4%が高視聴率と考えられている。NHK広報のトクナ チョースケ氏は第一回目の視聴率が他のドラマの約2倍ということに大変満足していると話した。
“ぺ・ヨンジュンは日本女性が好む長身で美しく優雅な男性です。それが冬のソナタの人気のひとつでもあるのです。”とオガワ代表プロデューサーは言う。

NHK出版発行の『冬のソナタ』の小説本は86万部、そして『冬のソナタ』ガイドブックは26万部売り上げた。1万本売れれば大ヒットと言われているDVDは15万本売り上げた。
携帯の着メロ、楽譜、ポラリスネックレスや旅行のガイドブックといった冬のソナタ関連商品は爆発的に売れ、『冬のソナタ』というひとつのドラマが生み出す経済効果は150億ウオンである。

『冬のソナタ』の人気は台湾、香港、シンガポールでの彼への熱烈な歓待ぶりでもよくわかる。シンガポールでのファンミーティングでは11カ国からのファンが集まり、香港でのファンミーティングでは本土中国からもファンが駆けつけた。
―東南アジア4カ国では前例のない歓迎を受け、日本では大勢のファンや取材陣に囲まれたことをどう思いますか?
“アジアがひとつになれたらいいと思います。我々はアメリカやヨーロッパとは違う感性を持っていますが、それでも今まで彼らがやってきたことに共感して楽しんできました。日本でもそうだったと思います。『冬のソナタ』にたくさんのアジア人が共鳴してくれたということは、我々が似通った感性を持っているということです。それはアジアがひとつになれるということに繋がります。韓国のディレクターやプロデューサーはアジアはひとつということをしっかり自覚していると思います。”

僕、ちゃんとできましたよね!

―もしアジアが一体になったらハリウッドに対抗できると思いますか?
“アジアが一体になって映画を作ったら恐れるものはないでしょう”

―アジアから映画出演の依頼があったらどうしますか?
“まずその国の文化や言葉を理解しないといけないと思います。それが今の私の課題でもあるのですが、その時のために一生懸命努力します。”

―今回の来日のことは国内のほとんどの有力紙で大々的に取り上げられました。映画界の急激な発展と共に芸能人の地位が高まり有名人に対する見方も変わってきました。今まで以上に責任の重大さを感じますか?
“今回の来日で外交責務をちゃんと果たせましたよね(笑)責務がまた増えたようなので、きちんと義務を果たせるように努力するのみです。習わなくてはいけないことがたくさんありますし、準備も必要です。私の意志とは関係なく自分の体はもう自分だけのものでないと感じます。”

―日本からドラマの出演依頼があったら受けますか?
“依頼があったら光栄に思いますし、日本の文化や言葉を勉強しなければいけません。自分がきちんと日本という国や人々を理解してこそファンの人たちともちゃんと向き合えるのですから”

日本語を勉強中というぺ・ヨンジュン氏は簡単なあいさつだけでなく、日本映画や監督達に対する自分の意見も日本語で語った。
1994年のデビュー以来、彼が出演したのは短編も含めた10本のドラマと1本の映画である。彼は作品と作品の間が長いことで有名だ。同期のトップスター達と比べて出演本数は極端に少ない。作品選びに慎重でじっくり時間をかけるため彼が選んだそのほとんどのドラマはいつも議論をかもし出す。
1997年
KBSテレビの『初恋』の視聴率65.8%は未だに破られていない。1999年MBCテレビで放映された『愛の群像』は韓国で初めてマニアグループを発足させたドラマであり、ファン達はいまだに主役であるジェホの命日に集う。2002年KBSテレビの『冬のソナタ』はアジアに旋風を起こし初主演映画の『スキャンダル』は350万人を動員した。

ドラマや映画のためにしっかりと準備をすることで有名な俳優である

―英語とピアノのレベルが相当高いとの評判ですが?
“ただの噂ですよ(笑)”
昨年行われたコーヒーのコマーシャル撮影現場でぺ・ヨンジュン氏はCMBGMとして使われた『As I close my eyes と『Love affair』のテーマ曲をピアノで演奏した。
―ピアノはどれくらい弾けるのですか?
“きちんと習っているわけではありません。映画『Immoral Beloved』に出てきたゲイリー・オールドマンが弾いた『月光』がとても素敵だったのでそれを少し弾きました。『Love Affair』でアネット・ベニングがハミングしていた曲も素敵だったので楽譜を入手し弾きました。”
『月光』を弾けるのなら相当なレベルだと思うのだが、彼は否定した。

彼はあらゆる分野の本や新刊雑誌を読む。今でもコンビニエンスストアで月刊朝鮮を買いますよと言った。スポーツジムでゆっくり読むそうだ。
―このインタビューに来る前に周りの人たちにスターの何が知りたいか聞いたところ、休みの時は何をしているか?でした。
“全部お話しなくちゃいけませんか?ん〜、朝起きて新聞を読みながら朝ごはんを食べて、それからジムに行きます。一日2時間半くらいエキササイズをしてその後ランチですね。その他は読書、映画鑑賞、インターネットを少しやってピアノを弾くといったかんじです。”

―映画館にはよく行きますか?
“ほとんどDVDです。外をぶらつくのはあまり好きじゃないです。”
ぺ・ヨンジュン氏は一人で家で過ごすかマネジャー達のように気のおけない人たちと過ごす。
映画俳優アン・ソンギが発足させた “シングルバングル(ハッピースマイル)”という芸能人ゴルフクラブに所属し度々プレーする。チーフマネジャーのヤン氏が“ぺ・ヨンジュンは何事も全力でやる人間です。ゴルフもしかりで、最近始めたばかりなのに平均スコアは80です”と教えてくれた。

ぺ・ヨンジュン氏は次の作品までだいたい1〜2年の期間をおく。映画『スキャンダル』を選んだのも80以上のシナリオを慎重に検討した結果である。
―浮き沈みの激しい芸能界で、そのように長いインターバルをもつことに抵抗はないですか?
“ありません。何もしないでボーと過ごしたことはないですから。撮影がない時でもいろいろなことを勉強して一日中忙しいです。大学にも通っていました。人間誰しもいつ死ぬかわからないので毎日が大事です。今、この瞬間を一生懸命に生きたいのです。”
“今日は熱もあって体調がよくないのですが、今こうやって自分が思っていること、感じていることをお話するのが大切なことなのです。この瞬間、限られた短い時ですがそれがとても大切です。以前に一番うれしかったことと辛かった/悲しかったことは?と聞かれたことがあります。今日という日を精一杯生きて有意義な一日にできたらそれで私は幸せです。でも、一日何もせず無意味に過ごしたらそれは悲しいことです。夕方になると一日を振り返ります。一日の自分を思うその時間が私のエネルギーの大事な源になっているのです。”

彼は理路整然としっかりと話す
急がば回れ

ぺ・ヨンジュン氏のデビュー作『愛の挨拶』の監督は、『冬のソナタ』の監督でもあるユン・ソクホ氏である。初ドラマで視聴者を惹き付け、その翌年放送された空前のヒット作KBSテレビの『若者の日なた』で一気に注目を浴びてその年の最優秀男優賞に輝いた。
―ヨンジュン氏の記事を探していてデビュー後すぐにトップスターになったと気づきました。そしてメディアへの露出があるなしにかかわらず常にトップスターの地位を守ってきました。早くからスターになって“人気が落ちたらどうしよう”と心配したことはありますか?
“ありません。自分がトップスターだと思ったこともありません。有名になりたいと思っていたらもっとたくさんの作品に出演してたでしょう。あれこれやって格闘していたと思いますよ。”

『警察特攻隊』撮影中に急に降板…..と言いかけた私を、彼の広告のキャッチコピー『急がば回れ』を実践するぺ・ヨンジュン氏が遮った。とても彼らしかった。
 “そうではないです。偏見や大げさな記事を書かれました。私が『警察特攻隊』を降りたのは約束がきちんと守られなかったからです。確かにそのことも報道されましたが、誤った報道もされました。”
―当時の記事によると、プロモーション用のスチール写真撮影後に降板するということはもう採用されないとか『警察特攻隊』の急な降板によって俳優生命を絶たれたぺ・ヨンジュンというのがありました。
“もし私が契約をしていたら、降板ということはなかったでしょうね。(もし私が違反していたなら)法に訴えるという手段もあったでしょうが、そいうこともありませんでした。ということは報道は事実無根だということです。”

―この後、俳優としての活動を止め2年間大学の映像科で勉強していたと聞きます。芸能界でブラウン管から遠のくということは忘れられてしまうということに繋がりますが、あなたの場合は逆に今の地位を築き上げました。何か秘訣でも?
“そういう質問はしないで下さい(笑)。こう言えばああ書かれるし、ああ言えばこう書かれる。だから何も言わないのが一番いいのです。”

ぺ・ヨンジュン氏は公式のファンクラブを持たないし、インタビューもあまり受けない。テレビのエンターティメント番組やトーク番組にも出演しない。私の知り合いのリポーターや記者たちがそのことに不満を言っているのに対して“すべての要望に応える義務はありません”と答える。
“だからこそ私のマネジャー達が状況を見極めるのです。かつてはファンの人たちともミーティングをしたことがなかったのです。カメラやインタビューを避けていた時期もありました。”
“いつ頃かははっきりわかりませんが、カメラの前に立つ自分が変わったと思います。たぶん『ホテリアー』や『冬のソナタ』を撮っている頃だと思います。映画『スキャンダル』を撮影中は今までと違う自分を見せて『へぇ、ぺ・ヨンジュンもこんな役ができるんだ』とみなさんを驚かせたかったです。自分の姿勢が変わったということもあるでしょうが、でも出来たのです。私は何でも器用にこなせる人間ではありません。人前で話すことも苦手ですが、やらなければいけない時は自分の意志でやります。”

ぺ・ヨンジュン氏はこう言った。“映画であれドラマであれ早く次の作品にとりかかりたくて、うずうずしています。”そして “ファンの皆さんの惜しみない愛に応えるにはなるべく早く次の作品でみなさんにお会いすることです”と微笑みながら加えた。                                                                                                               
                                                                
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