*月刊朝鮮5月号 ぺ・ヨンジュン氏独占インタビュー(パート1
インタビュー:イ・クンミ(フリーランサー)

“韓国人記者の方とインタビューできて、とてもうれしいです。”

月5日午後

東京・ニューオータニホテルにて映画俳優ぺ・ヨンジュン氏と会った時、彼は私の手をしっかり握って握手し、こう言った。韓国人記者の方とインタビューできて、とてもうれしいです

その日一日、延々と続いた30分刻みのものすごい数のインタビュー。それもすべて通訳を介してのインタビューである。その最後に母国の記者による通訳無しのインタビューに彼はよほどうれしかったのだろう。
ぺ・ヨンジュン氏に対する日本メディアの取材量は膨大だった。私はその取材風景をぺ・ヨンジュン氏のマネージメントチームの協力を得て見ることができた。質問は冬のソナタに関するものばかりで、そのほとんどは同じような内容であった。それにもかかわらず、ひとつひとつの質問に丁寧に微笑みながら答えているヨンジュン氏を見て、人気を保つというのは並大抵のことじゃないなと実感した。

ぺ・ヨンジュン氏の宿泊しているロイヤルスイートのある14階には日本人記者たちの長蛇の行列があった。韓国人俳優を取材するために並んでいる日本人記者達を見て、同じ韓国人としてとても誇らしく思った。
今回の来日を企画したIMXは1泊1千3百万ウオンするロイヤルスイートを提供した。IMXはホテリアーと冬のソナタのネット配信の著作権を持っている。
ぺ・ヨンジュン氏の来日は彼の初映画出演作“スキャンダル”のプロモーションのためである。1ヶ月間に渡るアジアツアーの最後の訪問国である日本に着いたその4月3日は“冬のソナタ”NHK地上波放送開始日
なのである。
彼が訪問した台湾・シンガポール・香港ではいずれも大勢のファン達に囲まれ、そして日本では羽田国際空港が一時的に麻痺をするという事態になった。サンケイ新聞によると7000人が空港に集まったそうだ。今回のぺ・ヨンジュン氏来日に同行したSBSテレビ“真夜中のTVエンターテイメント”のプロデューサーであるキム・ヒョンジョ氏は、
羽田空港で限られた敷地内ゆえ2列に整然と並んでいるファンの人たちを見て、その行儀よさにとても驚いた。

シンドロームかパニックか

このぺ・ヨンジュン旋風に日本のメディアは“韓流”を使わず“シンドローム”や“パニック”という表現を使った。日本のファンたちはぺ・ヨンジュン氏のことを“ヨン様”と呼ぶ。ヨンはヨンジュンのヨン、そして様は皇族などに対して尊敬をこめた最高の呼称である。
ぺ・ヨンジュン氏に対する日本のメディアの関心はとても高く、国営のNHKがニュースで彼の到着時の模様を放送したほか、有力各紙は一面のトップで扱った。
4月4日、渋谷公会堂にてファンミーティングが行われ、その後行われた取材にはテレビ局をはじめ新聞、雑誌等あらゆる関係から700人もの記者たちが集まった。

私がニューオータニホテルでぺ・ヨンジュン氏と会った時は、彼は相当に疲れていた。チーフマネジャーのヤン・クォンワン氏は“ぺ・ヨンジュンは疲れ切っています。スケジュールにないインタビューを間に挟んだりして本人も相当な心労です。あなたとのインタビューが終わったら点滴を打つことになりそうです。そういう事情ですのでインタビューはなるべく短くお願いします。”と言った。

ぺ・ヨンジュン氏は、時々咳払いをして声を調整していた。今日の彼は白いレースのついたシャツにうすいインディアンピンクのジャケット、白いズボンと靴それに紫がかったサングラスといういでたちである。やさしく美しい顔立ちにたくましい体という現代女性が理想とする男性像にぴったりである。

月刊朝鮮発行の25人の司祭の説法が載っている“愛はあなたを自由にする”という本を彼に贈呈した。ぺ・ヨンジュン氏は“ああ、これはクワン・サンヒ司祭の説法が載ってる本ですね!彼の説法はとても正統です。ソマン教会に度々行きよく彼の説法のテープを聞きます。”と。
―オフィシャルページのあなたのプロフィールを見ると宗教はカトリックになっていますね。

宗教に関してはこだわりは持っていません。仏教寺院やカトリック教会や長老教会にも時々行きます。私の両親はカトリックですし、妹はクリスチャンで叔父は神父です。私はどちらかと言うと(宗教的には)幅広い見解を持っています。

―我々韓国人の日本に対する感情というものはいまだにいいものではありません。そんななかで日本人の人々からこのような歓待を受けるのはどうですか?
過去に起きた出来事を無視することはできませんが、重要なのは今であり将来であると思いませんか?“冬のソナタ”を日本の人たちが見て感動してくださり、それによって2国間がお互いを理解しようと思えるようになれたらとてもうれしいです。我々は日本に対するよくない感情を持っていますがそれでも私達が何をすべきなのか、そこから何ができるのかを考える時なのです。と言いながらこんなエピソードを教えてくれた。
“日本からたくさんのファンの方が百想(ぺクサン)芸術大賞の式に来てくれましたが、警備はそういう人たちに対して怒鳴り散らしていました。韓国の有名なスターが一堂に会する栄えある式典でそのような無作法を見た私は自分の目を疑いとても悲しかったです。これに反して私が羽田空港に到着した時日本の警官、警備の人たちは車の中の私の写真を撮ろうとしているファンの人たちのためにみな腰をかがめていました。写真の邪魔にならないよう一生懸命でした。こういう気遣い、心使いが大事なのです。”

筑紫哲也の「ニュース23」のインタビューのなかでもこうあった

“過去に起きたことを忘れることは難しいことですが、大事なのは今であり、未来です。過去について何を解決すべきかを解決するということは2国間が未来について話し合うということなのです。”とぺ・ヨンジュン氏は答えている。聞き手である筑紫氏は過去にもトム・クルーズや元米大統領のビル・クリントンといった世界の著名人をインタビューした有名なレポーターである。
私のインタビューに同行したチェ・ヨンス嬢は在日韓国人である。日本人と結婚し、11年東京に住んでいるが、彼女がぺ・ヨンジュン氏のことを知ったのはこの時が初めてであった。私のインタビュー中も彼女はあまり興味がなさそうだったが、筑紫氏が彼とインタビューを始めると“わあ、日本でとても有名な筑紫氏がインタビューをするなんてぺ・ヨンジュン氏という人はものすごい人なのね”と。

ぺ・ヨンジュン氏とのインタビューが終わった筑紫氏は“多くの知り合いからあなたのサインをもらってくれと頼まれましたが、ひとつだけにしておきます。ここにサインしてくれますか?”とぺ・ヨンジュン氏表紙の雑誌を差し出した。ヨンジュン氏がサインをしている間、チェ嬢は筑紫氏に近づきサインをもらっていた。
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