境内案内 表忠碑
 この碑は、特に戦没者の忠魂を讃えたというものでなく、忠誠心、地域住民の郷土愛を訴えられたもので、大正8年(1919)に建てられました。
 秋には表忠碑の前で、三箇牧戦争犠牲者追悼平和祈念式が開催され、団体代表・戦没者遺族会員・一般市民が出席し、ハープ演奏や語りべによる戦中・戦後のお話しもあります。

碑の表には 表 忠 碑 安正書 とあり、
裏面は次のように刻まれています。
是表郷人死干 王事者之忠也古人日非忠
無国緩急之日非有此入其能国乎今也 皇
謨恢廓雍化維煕忠魂疑薄精華自見豈可不
知其所由乎是此碑所以建也帝国軍入会三
箇牧村分会所建非惟表忠己実以励忠後之
継今者莫譲美於前入
大正八年九月
正五位藤沢南岳撰分 男元謹書

碑文は大変難しいのですが、何とか読み下して、次のように解釈出来そうです。
この碑は郷人でお国のために死んだ者の忠誠心を表すものである。古人も言っておられる。即ち、人民に忠誠心が無かったら国は滅びて仕舞うだろう。国の大事に際して忠誠の人が居なかったら、どうして存続することが出来ようかと。今日、国運が隆昌に向かい発展しているのはこれらの人達の忠誠心の凝り固まった精華が自然に現れたものであって、決して理由のないことではない。そのことを言わんがためにこの碑を建てるのである。帝国在郷軍人会三箇牧村分会がこの碑を建てるのは、先輩の忠誠心を顕彰するだけでなく、後の方々にも先輩に負けないようにして貰いたいがためである。
大正八年九月、正五位藤沢南岳がこの碑文を撰び、息子の元が謹書します。

(唐崎の故 和田健氏のお話しより)
  表忠碑除幕式記念

竣工: 大正8年10月23日
設立者:帝国在郷軍人会三箇牧村分会


三箇牧戦争犠牲者追悼平和祈念式(平成26年度で第52回)

先の大戦において、英霊は三島鴨神社で村人たちの旗の波に送られて出征し、当時の三箇牧の男性の約一割に相当する百三十二人の青壮年が戦死する悲しみの中、旧三箇牧自治会主催の合同慰霊祭が開催されてきました。

また 昭和20年7月9日に、P51ムスタングの゙襲撃を受けて、三島鴨神社の拝殿を焼失する痛手を受けました。
戦争によって人的にも、物質的にも大きな犠牲を強いられ、尊いものを失う辛さ、惨めさ、悲しさを味わいました。

戦死者を含む全ての戦争犠牲者への追悼とともに、三箇牧の地からも恒久平和を願い、戦争によって拝殿を焼失した三島鴨神社の表忠碑の前に集い、拝殿復活記念歌碑にも花を添える式典を4年前から三島鴨神社が継承主催しています。
三箇牧戦争犠牲者追悼平和祈念式