灯火


 ――あの虫はね、子どもの命を奪って光るの。見つけたらすぐに逃げなさい。  小さい頃から、母にそう教えられて育った。
 故郷は今でも鄙びた田舎町で、畦に隠れた小川や、藪に潜む池もそこら中にあった。清流を好むその虫を憎まれ役に仕立て、暗がりで子どもたちが水辺に近付かないようにするための方便だと後に知ったが、当時末っ子で人一倍怖がりの私を怯えさせるには充分すぎた。やんちゃでいたずら盛りの兄たちが、泣いて逃げ回る私を面白がって、虫籠をわざと枕元に置いてからかったりしたことが、私の心に更に根深い恐怖を植えつけることに一役買っていたことは疑いようもない。
 そんなだから、夏の風物詩たるその儚い命を、最新のバイオテクノロジーで強く永らえさせることに成功した業者が登場したことも、そのあまりの生命力の強さが当の業者のみならず一般人での繁殖をも容易にし、当初高値で取引されていたものがあっという間に値崩れを起こし、わずかな財力を築くことなく倒産してしまったことも、つい最近まで知らなかった。

 花火大会が終わった後、彼が「いいところに連れてってあげるから」と深夜のドライブを持ちかけてきた。秘密の場所だというので、助手席に座った私に目隠しをするところあたり、稚気溢れる彼らしくて、少しの不安を抱きつつもおとなしく揺られていた。時折頬にくれるキスが、硬くなりがちな体と心をほぐしてくれる。
 体のがたつきが大きくなり、車体の傾斜を感じるところを見ると、どうやら山道を登っているらしかった。未舗装で道幅もあまりないのか、集中して運転している様子が気配でわかる。
 やがて少し開けたところに出たようで、車は緩やかに停車した。エンジンを切ると、辺りの静寂が身を包む。と、山奥で他に車通りはないはずなのに、彼が突然ハザードを点滅させた。静かな暗闇に、カチッ、カチッという音が耳障りでさえある。
「そろそろいいかな?」そう呟くとハザードを停止させて、彼はようやく目隠しを外してくれた。目が慣れてくる前に連れ出され、引く手に導かれるままに車の前に立った。そこは山道を少し脇に逸れたスペースで、足元の崖の随分向こうに街の灯が煌いている。近くに水の流れる音を聞いた。
 促されて振り返り、暗がりに佇む車を見やる。ヘッドライトの辺りを指差すので、しばらく眺めていた。隣の彼の声が、機嫌よく上ずる。
「このへんにね、増えすぎて捨てられたり逃げたりしたやつが、たくさん住み着いてるんだよ。ハザードをつけると、仲間だと思って寄ってくるんだ」
 やがて、月明かりにかすかに浮かぶ車の影から染み出るように、小さな光が一つ、また一つ。
 ぽつり、ぽつりと浮かぶ淡い光は、やがて幾百の筋となり、ぼぅと私たちを照らした。
 彼はきっと、ロマンティックな演出としてここを選んだのだろう。感嘆の声と歓喜の抱擁を期待もしていたに違いない。けど、恐怖に震え怯えるよりも、なぜそうなったかを説明するよりもずっと早く、私の体が反応していた。少しでも遠ざかるべく、眼前に広がる光の群れから飛び退った。
 足下に口を開けていた、崖下の闇。
 お互いに伸ばした手は、しかし指先さえもかすらない。
 急速に遠ざかる彼の姿。
 天に伸ばした私の手から染み出すように、小さな命の灯火が一つ、また一つ。

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