Little Eden


「だったら……箱庭を作りたい」明日香はそう言って、気丈にも僕に微笑みかけた。

 わずか十一歳の愛娘が、妻・那美を奪った死の病に魅入られている。遺伝性疾患です、という医師の言葉が、とても遠かった。
 見る限り、あと数ヶ月と宣告されるほど深刻な病状だとは信じ難い。しかし、入院ではなく自宅療養を勧められたことが、どんな検査結果よりも雄弁に彼女の今を物語っている。

 娘に言われるがまま、模型店やホームセンターで様々なものを仕入れた。明日香は林檎をひとかけら齧りながら、頑丈な五十センチ四方の箱に、手際よく敷き詰めたガーデニング用の土と人工芝生で一面の草原を作り上げた。適度な大きさのブロックに切り分けた発泡スチロールを、カッターで大まかに成形し、やすりをかけて立体的なスペードのマークを作る。凹凸の表面が深い緑に色づけられることで、その姿は立派な大樹に変わった。
 翌日、幹の部分を塗装し乾かしている間に、小さな紙粘土の玉を幾つも作り、短く切った針金で二箇所に小さな窪みをつけた。粘土玉が固まらないうちにその一方に針金を突き刺す。箱に敷かれた草原の端を少し削り、内壁に向かってなだらかな斜面を作った。小さな丘の一部のようだ。そこを掠めるように細い溝を掘り、縦に半分に切ったビニールパイプを置いた。青く染めた樹脂を流し込み、川を作るつもりらしい。
 さらに翌日、枝振り美しいあの大樹を、丘と対称の端に配置する。地面を少し掘って慎重に位置を決め、上から再び土をかぶせると、細かに作られた根がところどころその一部を覗かせる。そこへ、深紅に染められたあの紙粘土玉を、全体のバランスを取りながら慎重に、突き出した針金と接着剤で固定した。それが済むと、今度は紙粘土で小さな部品を幾つも作り始めた。後で組み合わせて成形するのだろう、様々な動物の体の一部らしかった。

 ある朝、起きてくる気配のない明日香を心配して、彼女の部屋を訪れた。最悪の状況を予想しなかったわけではないが、ドアの前に立った時、中に「誰か」がいる気配を確かに感じたので、さして焦るでもなく扉を開いた。
 厚手のカーテンが引かれたままの室内。わずかに漏れ入る陽光と廊下からの明かりだけでも、明日香の姿がどこにもないことが見て取れた。ベッドは、昨夜最後に見た状態から皺一つ変わっていない。様々なものが散乱する床を爪先立ちで横切って、僕はカーテンを一気に開けた。まばゆい光が部屋を満たす。
 机の上に、あの箱庭がぽつんと佇んでいた。
 立派な林檎の樹に、幾つも実がなっている。どこまでも青い草原で、丘の裾野や川べりで、かわいい兎や鹿や鳥たちが仲良く戯れていた。吹くはずのない風の薫りまで感じる。
 そして、その中央。
 弾けるような笑顔で野原を駆ける少女と、優しい微笑でそれを見守る一人の女性。

 ――願いは、かなったんだね。
 エデンの園を模した、箱の中の小さな楽園に、小さな小さな明日香と那美がいた。

 ――君が心から望み、憧れて、せっかく得ることのできた永遠の命だから、
 込み上げるものが頬を伝い、幸せ溢れる世界にあたたかい雨を降らす。

 ――大好きなんだろうけど、その林檎、食べちゃ駄目だよ。
 涙が樹脂の川面を滑り、せせらぎとなる。

 ――僕はまだそこには行けないから、ママと……幸せに。
 差し込む陽光を煌めきに変えて、楽園を照らした。


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