Phantom of Diva

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チャプター09 裏表

- 裏表 -


──ここ数日、どうも頭が痛む…風邪でもひいたか…。

三条木屋町から奥まった通りに入った高級アジアンダイニング“マンダリン”

亜熱帯植物らしき花たちが店内の至る箇所で彩りを添え、宗教的な彫り物や、アラベスク模様を描いたタペストリが異国情緒を漂わせている。店内突き当たりのテーブル席で新聞を片手に肘をつき、こめかみに右手を副えて瞳を閉じている京極の姿が見えた。

──京…何してるのかしら。

「お待たせ。」
芯のある声を聴いて瞼を開ける。軽快なピンヒールの足音と共に、視界に入ってきたのは声の主のものと思われる生の美脚。

「真希…忙しい中、すまないな。例の件、どうだった?」
「ええ、少し手間取ったけど、なんとか見付けたわ。」

俺の前に現れたのは──香港の高級クラブにいそうな、黒のミニ丈のチャイナドレスに漆黒の毛皮のコートを肩に掛けた──大阪府警 捜査一課の警部補、鴉 真希だった。
真希は持っていた煙草を灰皿に押し付けると、背後に立っていた給仕係にコートを渡して席についた。


昨日俺と嵐の前に現れた──3年前に死んだはずの女“響子”に似た──女と、その響子本人との関連性を知る為、この鴉真希に3年前の東山での事件を調べさせていた。
ちなみに真希も俺と関係を持っている女の一人だが、こいつが一応、正式な俺の彼女ということになっている。そういう括りに縛られるのは全く以て不愉快だ が、刑事というステータスを活かした、素人にはマネできないリアルな情報力は何にも換え難い。俺がスマートに任務をこなす上で、情報屋としての真希の存在 は今や必要不可欠だった。


「……ょう…
……京、どうしたの?」

「え…あ、ああ、すまない。少し考え事をしていた……それにしても、今日はまた…何と言うか、えらくチャイニーズだな。爆竹を使った祭でもあったのか、その格好…。」
「あら…祭でもなければ、こういう格好をしちゃダメなのかしら?」
「いや…そういう訳ではないが…ま、まぁいい。」
「相変わらず優しいわね。」
皮肉を含んだ微笑みを俺に向ける。高飛車なのか、生まれ持ってのオーラのせいなのかは判らないが、どうも真希は扱いづらい。女性の扱いにおいてはプロフェッショナルだと自負するこの俺が言うのだから、一般の人間にしてみれば、もはや関わりたくないレベルだと思われる。

「さっそくだが、例の件、教えてくれないか。」
──そういえば、あの女、もしくは響子…の姿形が俺にも見覚えがあるという点…気にはなるが、今はそのことに関しては置いておくか。

「フフフ、セッカチなところも相変わらずね。」
真希の唇の端が意地悪そうに上がる。
「ちょ、ちょっと待て!お前が言うとどうにも変な意味に聞こえて仕方ない…。」
「もちろん、そういう意味で言ったのよ?」
今のは聞かなかったことにしよう。やはりこの女は一筋縄ではいかないようだ…とりあえず話を逸らしておくか。
「それにしても、こうやって会うのは久しぶりだよな。」
「そうね…でも、京が私をほったらかしにして他の女と会ってるのだから、それは仕方ないわね。」
……うぐっ。さすが現職の刑事…このままではやられる。何がだよ?!……ボケてる場合じゃねぇな。とにかく会話の主導権を取り戻さねば。
「京、大丈夫?焦りの色が顔に滲み出てるわよ?」
鴉はさきほどと変わらず不敵な笑みを浮かべている。
「フッ…真希、それは彫像ばりに美しいお前というファムファタールが俺の目の前にいるからだろ。」
「……はい、これよ。」
なるほど、完全無視か…って、なんだこの蝶は。ケース…か?

鴉がテーブルに置いて差し出したものは、金属製で蝶が象ってあり、その複雑な形の表面は歪んだ店内が写り込むほどに光り輝いている。
蓋を開けると、エンゲージリングのようにSDカードがささっていた。
「あ、ああ、サンキュー。SDカード一つに、すごいオプションだな。」
スマートフォンサイズのモバイル端末をジャケットの胸ポケットから取り出し、受け取ったSDカードを差し込んだ。読み込みを終えたモバイル端末の画面に表示されたPDFデータを開く。

──これは。
そういうことか…これを見たら、アイツはどんな反応をするだろうな。ともかく、善は急げだ…嵐に連絡しとくか。

「京の予想通り、3年前に起きた東山の事件に関しては、朱雀響子のことが完全に隠蔽されていたわ。JACKALの暗殺者が外国人テロリスト、ペドロ・ジェイナムの暗殺に成功したと、簡略的な記述で記載されているだけだった。」
「やはりな。JACKAL本部にあったデータベースでも同じような内容しかなかった。ここまでの情報を見つけてくるとは、さすがだな。」
「簡単なことよ。朱雀響子に関する情報を徹底的に洗い出しただけだもの。」
真希はそう言って取り出した煙草に火を点ける。
「真希、悪い…すぐに連絡してやりたいヤツがいる。少しだけ席を外させてくれ。」
「フフフ、例の手の焼けるボウヤね…構わないわ。待ってる間、京の分の料理も注文しておいてあげる。」
「ああ、頼む。」
「別の女に掛けたら、撃ち殺すわよ。」
俺は引き攣った苦笑いを浮かべながらSDカードを抜き、モバイル端末を通話可能な状態にした後、一旦店を出た。

──まったく、本妻気取りの女はこれだから面倒なんだよ。

“お掛けになった電話は現在、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため繋がりません”

──アイツ、何してるんだ。



「付き合っ…てた…そんな……」

今日のこの2〜3時間で私は、町柳…ううん、ジョーカーが持ってきた情報がガセであることを心のどこかで願っていたのかもしれない。嵐が私の探していた男 だとはどうしても思えなかったから…ただ、そんなことよりも今の嵐の言葉で私は、しばらくの間、息をすることを忘れていた。自分でも解らない感情が込み上 げてくる…悲しみ?嫉妬?怒り?何に分類される感情なんだろう。
嵐の虚ろげな瞳がこちらを見つめている。あまりに長い時間、見つめ合っていた。
声を振り絞って口を開こうとしたその時──

「……俺も聞きたいことがある。昨日どうして、あの場所にいたんだ?」

──本当は響子のことを聞きたかった…綾乃が響子なのかどうか。ただ、時間はまだある…こないだのように“響子”というNGワードに触れる前に、まずは別の疑問を解消しておきたかった。
JACKAL本部には強固なセキュリティーシステムがあるから、部外者は何人足りとも入れない。そこをくぐり抜けた綾乃の謎…。
俺は大きく息を吐いて、綾乃が唇を開くのを待った。

「私も……組織の人間だから。」
そんなバカな。綾乃がJACKALの人間って…いつからだよ。たしかに組織の人間は基本的に関わり合いを持つことはできないし、守秘義務があるから、どんな人間が所属しているかもわからない。とはいえ、もし綾乃が響子だったら…俺の知らない響子が存在してたのか…。
きっと、さきほどの綾乃に負けず劣らず、俺もかなり動揺しているに違いない。
そんな俺の表情に気付いていないのか、綾乃は徐々に落ち着きを取り戻し、続きの言葉をゆっくりとつぶやいた。
「でもね、本当は違うの…私、麻薬捜査官なんだ。JACKALには潜入捜査で所属しているだけ。ただ、捜査とは別件で、私はアンタを探してた。あの日はアンタが来るのを待ってた…そして……」
心変わりしたのか、綾乃は途中で言葉を切った。
──俺を殺すため…か…。
「麻薬捜査官…か。あともう一つ聞きた……」
俺を殺そうとする理由──それを知りたかった。
いつの間にか綾乃の姿が大きな闇にのまれていることに、もう少し早く気付いていれば、質問の順序を変えていたかもしれない。しかし、時すでに遅く…真実を求めて動く俺の唇に水滴が掠めるのを感じた。
天を仰ぐと、大きな月は完全に姿を消し、分厚くドス黒い雲に覆われていた。唇を掠めた一滴は間もなく、幾千の雨粒となり全身を穿つように激しく降り始めた。

「おいおい、マジかよ!とりあえず、移動するぞ!」
慌ててこの場を離れようとした俺を、綾乃はその場で佇んだまま見つめていた。
「私、帰るね。」
雨音に掻き消されそうな弱々しい声で綾乃は答える。
「な、なんでだよ…まだ聞きたいことが…まぁいい。じゃあ、また今日みたいに会おうぜ。」
「……イヤよ。」
悩む時間にしては短すぎる微妙な間をはさみ、今度はハッキリと聞こえる凛とした声で答えた綾乃は、そのまま背を向け去っていった。
──なんなんだよ。ワケわかんねぇヤツだな…。
とりあえず、この場にいても仕方ない…俺も帰ることにした。



「京極!」

結局、嵐の馬鹿には電話が繋がらなかった。雨も降り出してきたので、諦めて真希の待つ店内に戻ろうと一歩踏み出した時に、背後から声を掛けられた。ごく最 近聞いた声だった。振り返ると、予想通りそこには──完璧なまでにスラリとした俺好みのスタイルの──美鈴が真っ赤な傘を差して立っていた。
「み、美鈴…お前、なんで…ここに……?」
──マズイ…今は非常にマズイ。店内に真希、目の前に美鈴…こういうのを“前門の虎、後門の狼”という…違うか。
美鈴は俺に歩み寄り傘に入れてくれた。
「ちゃうね〜ん!23時くらいから京極を見かけるまで、ここらへんでブラブラして、見つけたら驚かしたろー思ててんけど、ブラブラしてたら、たまたま京極が見えてテンション上がってもーてさ、ガマンできずに声掛けてしもたわぁ♪」

俺の焦りを余所に、美鈴は無邪気に笑っている…そんでもって、なかなか酒臭い。ここはどう対処するべきか…とりあえず、もう少し美鈴をこの界隈で待たせておくしか策はないな。
「すまん、美鈴。まだヤボ用が残っててだな…もう暫く、ここらで…いや、なんならもう少し離れた場所でもいい、時間を潰しておいてくれないか。」
俺のバツが悪そうな表情を読み取れていないのか、美鈴はぼーっと微笑を浮かべて俺を見つめている。
「たまたまここで会えたんやし、そんな寂しいこと言わんといてぇ。ウチの用事な、すぐ済むねん…やし、1分だけ時間ちょーだい?」
俺が答えようとするまでもなく、美鈴は間合いを詰めて傘を落とし、俺に抱きついた。
「ちょっと温めてほしかっただけやねん…」
──参ったな。この場を押さえられたら、確実に現行犯でそのまま射殺されてしまう…。
そんな俺の焦りもお構い無しに、雨の中、美鈴は俺の胸に顔を埋めている。

──おやすみ、京極

ふと、何か囁きが聞こえたような気がした。

気が付いた時には、美鈴の感触はなかった。
──これは…。

視界に入るのは美鈴の細くて長い脚のみ。俄かに頬に感じるのは濡れたアスファルトのザラつき。
俺は……自分が地に伏せていることを悟った。

「み、みれ…い……お前…」
「ゴメンな。ウチも暗殺者の仲間入りしてん…短期バイトやけど♪」
──時給いくらだよ…笑えない冗談だ。
美鈴の脚は向きを変え、去っていくのが見える。このまま俺は死ぬのだろうか。左胸は燃えるように熱かったが、雨の影響で体温の低下は著しい…気がする。


──この感覚、前にもどこかで…。


薄れゆく意識の中、俺が最期に聞いたのは、駆け寄ってくるピンヒールの足音だった。


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