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ギイィィィ──
五重塔――通称“八坂の塔”
重い扉を開くと、その先はほぼ不可視の暗闇が広がっていた。かろうじて天井付近に外のランプ灯の明かりが射し込んでいるぐらいだ。天井といっても、吹き抜けになっているため、距離にすれば100m以上もある。地上までその明かりは届いていなかった。唯一の光は開いたままの扉から入り込む灯りだったが、扉から1mほどまでしか届いていない。
2、3歩踏み出せば、そこからはほぼ闇だった。
Bang!!
足元あたりに銃弾を弾いた火花が散る。
「隠れてないで出てこいよ。」
祗園の姿は全く見えない。
「私、右肩ケガしてるんだもん。ちょっとくらいハンデくれたっていいじゃない。」
視界がこうも悪いと、いつ被弾するか分からない。とりあえず壁面に張り付いて、次、発砲があった方向を撃つしかないか。
ギシ…ギシ……
だいぶ老朽化している為か、まるで鶯張りの床のように歩く度に音がする。祗園の足音はない…上の階にいるのか?
とにかく、これじゃ撃って下さいって言ってるようなものだ。早く壁面まで移動せねば。
Bang!!Bang!!Bang!!
オイオイ…数撃ちゃ当たるってか?
しかし、どうやら祗園の方も見えてはいないらしい。見事なまでに弾道がズレている。
このままじゃお互いラチがあかないな…。
俺は静かにあるものを取り出して、そっと地面を滑らせた。
こんな初歩的で、しかも運任せなトラップに引っかかるかどうかは微妙だか、イチかバチかやってみるしかない…。
「ねぇ、嵐クン。ホントに私と組むのダメ?雇い主の首取ったら報酬7:3で山分けしてあげてもいーよ?」
7:3かよ…誰がそんなリスキーな話に乗るんだよ。営業下手か…そんなこと言って、寝首を刈って全額持ち逃げするんだろ…この女のこれまでの言動ならやりかねない。
迂闊に声を出しても居場所が悟られるだけ…とりあえずシカトだ。
「商談決裂かぁ…じゃあ、そろそろ本気で殺すから。思い残すことがないよーに。」
ほぉ…今までのはウォーミングアップだったって訳か。言ってくれんじゃん…泣いても許してやらねーからな。
すると突如、広間の中央に光が浮かび上がる…しかも、その光は微妙に横へと移動している。
祗園はすかさずその光に向けて数発を見舞ってきた。
──セオリー通りの反応、ありがとさん。
Bang!!
「っ!?」
「悪いな。俺もまだ死ねないんでな。でも、まさかアンタみたいな腕の立ちそうな暗殺者がこんな初歩的なトラップに引っかかるとはね。」
「……ふ、ふふ…まさか。わざと…に決まってる…でしょ。」
ここ最近、頻繁に送りつけてこられる迷惑メールに頭を悩ませていた。その頻度といったら、20〜30分に1回の割合だ。しかも、夜中でもお構い無しだからタチが悪い。
そんな仕事熱心な迷惑メール業者も時には役に立つものだ。
まぁ、迷惑メールが入ってくるかは…イチかバチかの賭けだったが、それを狙って俺は広間の中央に携帯を滑らせたのだ。
「俺は暗殺者だけど、女を仕留める趣味はない。どこにヒットしたかわかんねーけど、死にはしねぇだろ。大勢の人達の命を奪った報いだ…後は自分で何とかするんだな。じゃあな。」
俺は光が差し込む扉の方へと駆け出し、塔を後にした。
「……自分で何とか…ね…でも……当たった場所が……右胸なん…だ…けど……」
Trurururu....
──出ねぇな。お取り込み中か…?
美波の件は京極に任せてある…今からじゃ東京に行くにも車しか交通手段がない。
認めたくはないが、京極に任せておけば美波の方は大丈夫だろう。響子と綾乃のこともある…明朝の便で行くとしよう。
──はぁ、疲れた。帰ってビールでも飲むか。
Boooooom Boooooom
──ん?京極?折電なんて京極にしては珍しいな。
「はい、こちら嵐。」
“京極だ。今、京都に着いた。嵐…お前、今どこにいるんだ?”
「京都に着いた?マジかよ。オイオイ、美波の件はどうなったんだよ?見つかったのか?」
“質問に質問で返すんじゃねぇよ…とにかく話は会ってからだ。そっちに向かう…どこだ。”
「今は清水2年坂あたりにいるけど…今から帰るとこだよ。」
“そうか。わかった…お前の家に向かう。”
「はいはい…了解。」
プツッ──
どうして、話の進め方がこうも強引かね…そんなに会話のイニシアチブを取りたいのか?ったく。
とりあえず帰って飲むしかねぇ…やってらんねぇよ。
自宅に着いた俺は冷蔵庫から缶ビールを3本取り出して机に置いた。
ピッ──
久しぶりにテレビ点けたな…にしても、最近の番組は下らないのが多い…ニュースでも見るか。
──ん?
……。
………。
「ブボッ!!……はあっ!?スカイツリー爆破?!」
思わずビールを噴き出して声が出た。
──オイオイ…なんだよ、これ。爆破は未然に防がれましたが…って、まさか……これに京極も絡んでたのか?犯人はどうなったんだ…。
……。
………。
…………。
──犯人は………
ピンポーン
──あーもう!犯人がどういうヤツだったのかだけでも見させてくれよ〜。
ピンポーンピンポーンピンポーン
──う、うぜぇ…京極の野郎……。
オートロックを解錠し、扉を開けた。
ガチャ──
「待たせたな。」
「お、おう…。」
扉を開けて意外だったのが、扉の先には常に自信家な京極の深く沈んだ表情があった。俺は何か悪い知らせがあるのかと一瞬不安になった……が。
「あらしちゃーん!!」
無駄にデカイ京極の背後から、あたかもサプライズを狙ったかのように、美波が飛び出して抱きついてきた。
「み、美波!?ああーよかった…無事だったんだな!ごめんな、守ってやれなくて…。」
「ううん、二人ならきっと助けに来てくれるって信じてたよ。」
「ゴホッゴホッ!」
完全に存在を忘れ去られていた京極がわざとらしく咳払いをする。
たまには、そういう扱いも受けた方がいいんだよ…社会勉強だ、もう少し放っておこう。
「……綾乃ちゃんはまだ…入院してるのか?」
うぐっ…美波を前にして綾乃の話題を振ってくるとは、なんて姑息な手を…。
「あ、ああ…退院はしたんだけどな…あっちはあっちで大変なことになってるよ。」
「……どういうことだ?」
とりあえず、俺は二人を部屋へと招き入れながら話を続けた。
「響子が見つかったんだ…本当に生きてたんだよ。」
「なんだと?!警視庁のあれだけ大規模な捜索でさえ見つけることができなかったというのに、その情報、どこで手に入れたんだよ?」
綾乃と共に先日出くわしたJのこと、タブレットに映る響子の姿のこと、これまでのあらましを俺は全て語った。
ただ、やはり美波にとっては面白くない話だったのだろう…終始、落ち着きがなくソワソワとしていた。
「なるほどな…状況はよく解った。で、明朝の便でネバダ州に飛ぶと…。乗り掛けた船だ…俺も行こう。」
「あ……わ、私も行きたい!」
「悪い、美波。正直、何が待ってるかも分からない状況だし、美波が行くには危険すぎる。日本で待っててくれないか?」
「そんなぁ……私だって乗り掛けた船なのに…。」
「嵐、別にいいじゃないか…美波ちゃんはお前がしっかり守ってやればいいだけのこと。その分、面倒は俺のほうで引き受けてやるよ。」
「……わかったよ。じゃあ、次にスカイツリーの件、聞かせてもらおうか。」
「お前、どうして知ってるんだよ。」
「さっきニュースで見たんだよ。あんな大きなテロ、京極が絡んでない訳がないと思ってな。」
「なるほど…フッ……今日の件はさすがの俺も胆を冷やしたよ…。」
今から遡ること 約11時間前──
“緊急警報発令!緊急警報発令!スカイツリー450m地点付近に爆弾が仕掛けられているとの通報を受けた。爆弾処理班および付近の警官は至急、現場に急行せよ。なお、警官は近隣住民の避難を最優先とする。繰り返す!スカイツリー450m地点付近に……”
PM 3:29
鞍馬の爆破予告時刻まで 残り21分
──かつてない最悪の事態だな…間に合うだろうか。
どれぐらいの規模の爆弾かは解らないが、JACKAL本部を吹き飛ばした時と同じ規模の爆発なら、間違いなく墨田区全域が炎の海と化すだろう。
爆破の衝撃が地上まで一気に駆け抜けることによって、竹割りのような形で鉄柱が中から膨張し 、破裂。燃えて熔けた鉄片は時速200q/hで広域に飛び散る。
想像しただけでも、地獄絵図だ。
警視庁を出る頃には、真希の迅速な対応が実を結んだのか、すでに緊急警報が警視庁内に響き渡っていた。
──さて、“足”がないな…何で向かうか…ここからだと電車では早くても30分以上かかる…間に合わない。
信号付近の車道に目を配らせる。
──あれだ。
「すまない。緊急事態だ…しばらく借りる。」
「え?オイ!何すんだよ!ちょ…」
信号で停止していた大型二輪のライダーを引きずり下ろし、すかさず跨がって発進した。
たまたま見つけた二輪だったが、運が良かった。スズキのGSX1100S 『KATANA』…スピードは申し分ない。あとはスカイツリーまでの経路だな…携帯で検索してる猶予もない。とにかく浅草方面に向かって行けば、あとは標識や案内板などを辿って行けるだろう…なにしろ時間がない。
問題は着いてからだ…爆弾の処理。
俺たちJACKALは、対テロリストのスペシャリストとして、体術訓練、武装訓練など暗殺者としての育成プログラムの他に、テロ行為の代表的なツール、爆発物の処理も公式プログラムとして学んでいる。
これは爆発による被害防止のため、爆発物処理の知識も必要だという政府の方針の為だ。
……だが、この6年というJACKALの歴史の中で、未だかつて爆弾処理をした暗殺者なんていうのは、聞いたことがない。
要するに、プログラムは受けたものの、現場に対峙した時、何を優先させるかと言えば、テロリストの追跡および始末を優先する訳で、爆発物をコネコネといじり回すなんて、そんな暇もなければ、俺たち暗殺者の性にも合わないのだ。
それが……JACKAL崩壊目前のここに来て、破門された俺が爆弾処理に挑むことになろうとは。
運命とは皮肉なものである…と思わざるを得なかった。
それはさておき、通常20分弱ほどかかる道を違反全開のスピードでなんとか7分にまで短縮して来れたのだが、雷門を越えて一気にペースダウンした。このままで間に合うだろうか……
警官の誘導による墨田区民と浅草寺の観光客を併せた尋常ではない数の避難者で歩道は溢れ、そして車道は大渋滞と、今まで見たことのない人員数の交通課による交通整理。
あたり一帯はまるで大災害時のパニック状態だった。
避難民は車道にまで溢れ出ており、二輪が通行するスペースもないくらいに、道という道が密集していた。
──埒が開かんな…降りて行くべきか。
バイクを乗り捨て、人と人の合間を縫うようにスカイツリーがそびえ立つ方角へと急いだ。
荷物をガッツリと担いで、夜逃げ状態の親子もいれば、お出かけにでも持って出るような軽い荷物だけの若者もいる。ただ、皆に共通して言えるのは、この深刻な事態をハッキリと理解していない…いや、半ば信じきれていない様子なのが目立った。
PM 3:40
爆破予告時刻まで残り10分
スカイツリー1F 商業施設側 ソラマチ前
さすがに爆心地となるかもしれないスカイツリーの麓には、もはや一般人の人気はなく、あたり一帯を厳重に封鎖している警官のみのゴーストタウンと化していた。
この様子だと、まだ機動隊の爆弾処理班も到着していないらしい。
──残り9分。処理班の到着を待つ猶予はない……やはり俺がやるしかないのか…。
覚悟を決め、スカイツリーの入口を通過した。
高速エレベーターで地上450m地点のフロア450『天望回廊』を目指す。
みるみる気圧が下がり、鼓膜を圧迫し始める。
さすがのこの俺も、迫り来るプレッシャーを感じずにはいられなかった。美波ちゃん以外、誰もいない無人のスカイツリーを一人、天に向かって昇っていく…音のない空間にただ響く滑車とワイヤーが軋み合う回転音とモーター音。全身がやがて静電気に包まれていくようなピリピリとした緊張感が支配し始める。
ポーン──
さて、展望デッキに到着したのはいいが、問題は美波ちゃんがどこにいるか…だな。
おそらく一般人が通行できるような場所にはいないだろう。となると、関係者専用の通用口を通ってさらに上の鉄塔にいる可能性が高い…か。
関係者以外、立入禁止の扉を開けて表とは正反対の殺風景な鉄だらけの階段を駆け上がる。
「美波ちゃん!!いるなら返事をしてくれ!!」
返事はなく、俺の声だけがシンプルに響く。
階段を上りきった先に厳重そうなセキュリティでロックされた扉。事は一刻を争う…セキュリティロックに数発を見舞い、強引に扉を蹴破ると、そこは見たこともない空の世界が広がっていた。
ジオラマよりももっと小さく、大雑把な印象しか与えない地上と、今夜あたり雨を降らしそうな隆々と膨れ上がった雲。
──マズイ…あと5分少々か。
強風に煽られながら簡素な鉄階段を上っていき、ようやく見つけた。
「美波ちゃん!!」
──ダメだ、気を失っている…。
ご丁寧に分かりやすく足元に開いたままのジュラルミンケースが置かれている。
中身は……デジタル時計とダイナマイトのような筒が3本、そして4本のワイヤー。見たところ、かなり旧式の爆弾だ。
──爆弾は本当にこれだけなのか…こんな爆弾じゃ、鉄塔が折れるか折れないかぐらいの破壊力しかないだろ。
しかし、そんな詮索をしている場合ではない。デジタル時計の残り時間はすでに3分に差し掛かっている。破壊力がたいしたことはないといっても、美波ちゃんと俺が確実に命を落とす威力ぐらいはあるだろう。
俺はケースの前に屈み込み、ワイヤーの種類を整理した。ワイヤーは赤、青、黄、緑とあり、3本の筒の端からデジタル時計へと繋がっているだけだ。
そう、爆弾は特殊なものでない限り、解除方法にある一定のセオリーがある。
おそらくこの爆弾は中国などで簡単に入手できるような代物だろう…となれば、コードの切断順序は……
──まずは黄と緑…これは間違いないはずだ。
黄と緑のコードを手にとり、革靴のソールに仕込んでおいたバタフライナイフで慎重に切断する。
──よし、残りは赤と青……映画でもこうやって2本残るんだよな。
赤と青…ここは作り手の気まぐれで起爆スイッチを決定することが多い。昔見た文献では統計的に見ると赤が多いらしいが、果たして……
──残り1分をきった…もう迷っている暇はない…。
コードを1本掴み、空気をひと息、飲み込んだ。
「ここって……」
「ヘヘヘ…知ってるだろぉ?エリア51。」
Jに連れて来られたのは、ネバダ州南部グレーム・レイク空軍基地…通称「エリア51」
未確認飛行物体、および地球外生命体についてよからぬ噂があるところ。
「こんなところに…おね……響子がいるの…?」
「そうそう。ここまで来たんだ…そろそろタネ明かししてやるよぉ。なぁ、ボス?」
「ようこそ。初めまして…だったかな、綾乃君。」
「あ、アンタは……っ!?」
「………って訳だ。まったく…鞍馬の奴、やってくれる。」
「なんだよ、結局、模擬爆弾だったって……。赤を切っても時計が止まらなくて?時間オーバーで紙吹雪が出た?バカじゃねぇの?子供か!」
「……まったくだ。」
──結局、俺達は根暗野郎に踊らされたって訳か。
「にしても、美波、拉致られてから大丈夫だったのか?何もされなかったか?」
「うん…あの後、京都府県に戻って、あの日はそのまま空き物件のような何もない部屋で監禁されたの。翌朝、新幹線で東京に戻って、あの人の部屋で舐めまわすようにずっと見つめられてたりしたけど、一切口も聞かず無視してたら、とうとうあの人が怒り出して、スカイツリーに連れて行かれて……気が付いたら、目の前に京極さんがいたの。」
なんだそれ…アイツ、一体何がしたかったんだ?
わざわざヘリを出動させてまで美波を連れ去り、連れ去ったものの美波に無視されたから、キレてスカイツリーに捨てたって…やってることが大袈裟なだけで、精神年齢は中学生レベルじゃねーか。
──そういえば、鞍馬が現れる前に俺を撃った謎の男…鞍馬とはグルじゃなかったのか。
「そういえば、京極。JACKALが誕生するキッカケになった男って、何か知ってるか?」
「キッカケ…?さあな…そんな話は聞いたことがないが…それがどうかしたのか?」
「いや…まぁいいや。とりあえず…明日も早ぇし、晩酌でもして寝ようぜ。あ、京極は上の部屋のソファーな。」
謎の男について聞こうかと思ったが、遭遇した場所を聞かれると、俺と美波がホテルにいたことまで話さなきゃならない… それは後々、面倒なことになりそうな気がして、俺は話すのを止めた。
明日、響子に会えるのだろうか…。
ようやく過去の呪縛を吹っ切り、綾乃と出逢い、そして美波と……正直なところ、美波とあんなことになったのは、今冷静に考えてみると勢いと雰囲気だけって気がしなくもない。俺はこれから美波とどう向き合って、明日、どんな顔して響子や綾乃に会えばいいのだろう。
響子が生きていたという事実を、心のどこかで信じたくない自分がいた。
そんなことをグルグルと堂々巡りに考えている内に、アルコールの強大な力に打ち負かされて、俺はそのままテーブルの上に頭を委ねて眠りに就いた。