五番領天満宮の由来は定かではありませんが昭和2年(1927年)に高島郡教育委員会より出された高島郡誌には、次のように記述されています。 「天満宮 村社。 安曇村大字五番領に鎮座す。 同大字の氏神なり。 祭神菅原道真。 勧請年代不詳。 応安2年(1368年)佐々木氏の麾下山崎兵庫守この地を領有し、城郭を築きて以来、領内鎮護の神として尊崇し、神田を寄附したり。 元亀年間(1570〜1573)山崎佐馬助、織田氏の為に亡ぼされ、社領も掠奪せらる。 現今の社殿は天正年間(1573〜1592)里人の再建に係る。」 山崎氏は、現在の天満宮、信廣寺とその南側に「五番領城」を築いていた(現在もその土塁の一部が残存します)のですが、織田信長からの攻撃を受け、農民となり、以降、地域の庄屋となります。 また、「有満礼(うまれ)石の伝説」によれば、ある大雨の年に、村はずれの小川の大石に菅原道真公の木造が流れつき、村人がこれに、「麦の強飯(こわめし)」をお供えして祀ったという話です。織田信長の焼き討ち後も、村人の手で社殿が再建されたということです。 「有満礼石」は、今も本殿南側に安置してあります。 現在、例大祭は古例に基づき6月5日(神像が流れついた日とも、信長後の社殿建設の日ともいわれます)で、巫女さんによる湯立てと舞が奉納されます。(この湯を飲むと健康と長寿のご利益があるとされています) その他、正月の「どんど焼き」、2月の祈年祭(春祭り)、11月の新嘗祭(秋祭り)の他、9月には放生会奉納相撲も行われています。 また、天満宮は日常的に子供たちの遊び場でもあり、集団登校の集合場所や夏のラジオ体操会場、区の夏祭りの会場でもあり、その他、年に一度の奉納相撲等を通じて、子供の頃から地域住民に親しまれてきた場所なのです。 |