1日目
フェントからシミラウンヒュッテ
( Vent to Similaunhutte)

コース;
 コース;Vent -(1h40min)Schaferhutte・一軒家 -(1h)Martin Busch Hutte -(1h50min)Belm Bild/Fundstelle Oetzi分岐 -(50min)Similaunhutte
[合計時間;5h20min  標高差;1124m  最高標高;3017m]



アイスマンが発見された場所へ行くには、先ずイタリアの国境線上にある峠・シミラウンヒュッテ(Similaunhutte 3017m)へ行かなければならない。

セルデン(Soelden)からバスで約35分、フェント(Vent)の終点で下りる。バスを下りたら真っ直ぐ進まずに、バスが来た車道を少し戻ると標識が立っていて、左のトラック道に入る。進んでいくと正面にリフトがあり、その下をトレイルがついている。遠回りだがゆるい登りのトラック道をそのまま歩いても良い。途中振り返ると、左手に高い山が見える。オーストリアで2番目に高い山・ヴィルトシュピッツェ(Wildspitze 3774m)だが、ここから見る山の姿は平凡で、そんな高い山には見えない。

フェントからマルチン・ブッシュ・ヒュッテへの道


まもなく2つの道は合流し、ニーデルタール谷(Niedertal)に沿った広い一本道を進む。直ぐに白い氷河の山・シミラウン(Similaun 3599m)が正面に見えるようになり、左に谷川を覗きながらの長いダラダラの登り道が続く。途中左に炭焼き小屋のような小さな屋根が道路脇に見えるが、小さな礼拝堂で昔の遺跡らしい(日本ならさしずめお不動さんと言ったところ)。




歩いて来たニーデルタールの谷
トレイルは左側に見える

次の日に、マルツェルカム取り付きから見た写真)


羊が遠くにいて鳴き声が聞こえる。けっこう急な斜面にいる。イタリアから峠を越えて来た羊だろうか。
暫くして一軒家の前を通る。地図でSchaferhutteと書いてあるポイントがこれだと思う。


マルチン・ブッシュ・ヒュッテ、 登ってきた方向を見る


やがて谷は2つに別れ、道が右の谷に方向を変えると、マルチン・ブッシュ・ヒュッテ(Martin Busch Hutte)が正面に見える。明日の晩はこのヒュッテに泊まるが今日は素通り。小屋を過ぎ少し登った所で、休憩し、簡単な昼食をとる。

小屋の西側は2日後に登るクロイツシュピッツェ(Kreuzspitze 3457m)の山腹がせまっていて、稜線に米粒のような人影が動くのが見える。


マルチン・ブッシュ・ヒュッテから
シミラウンヒュッテへの登り
拡大→


マルチン・ブッシュ・ヒュッテからは道は細くなるが綺麗なトレイルが続く。谷川が浅くなって広々とした谷になる。一度見えなくなったシミラウンの氷河が左手に見え出したあたりから、道は急な登りになる。振り返ると、マルチン・ブッシュ・ヒュッテから登ってきたU字谷が綺麗に見える。

途中標識があり、右手にアイスマン記念碑(Fundstelle Oetzi)に直接行くトレイルが分かれているが、このトレイルは一般道ではないはずだ。真っ直ぐ進むと峠の右に小さくシミラウンヒュッテが見えだした。小屋の前にニーデルヨッホ氷河(Niederjochferner)が横たわり右端の氷河の上を歩いている人が小さく見えた。「あれはトレイルではないだろう、羊が通る峠だし、ちゃんとしたトレイルがあるはずだ」と気軽考えて進む。どんどん登って、次に下りに入り、大きな石と岩が重なりだした。

シミラウンヒュッテ手前のニーデルヨッホ氷河 トレイル部分の拡大写真、 右端から氷河の上を歩く


氷河の右端の上を歩く


岩石の間の不鮮明なマークを捜しながら進むと、次第に氷河の右端に下りていく。氷河の上に踏み跡が見える。やはり氷河の上がトレイルになっていた。氷河の端が融けているので、どこから踏み跡に乗るのか良く分からず、うろうろして岩場を回りこんでやっと乗った。


「羊は多分こんな所は通らないだろう、氷河の上を真っ直ぐに行くのかなー」などと考えながら、氷河の下側を見ると、氷河の真ん中を走るようにして下りている数人のパーティーが見えた。意外と安全な氷河なのかもしれない。

この氷河は上に続いていて左を見上げると、シミラウン峰を覆いかぶさるような大きな氷の壁が見えた。



ニーデルヨッホ氷河の下部を見る 
(左に2日後に登るクロイツシュピッツェの頂上が見える)
ニーデルヨッホ氷河の上部を見る ニーデルヨッホ氷河のハンギング部分


最後の登りを終えて、シミラウンヒュッテに着いた。

シミラウンヒュッテから少し登った所からイタリア側を見る


ヒュッテの南側(登ってきた反対側)はイタリアで、急に落ち込んでいる。下にダム湖・ベルナート・スタウゼー(Vernagt-Stausee)と民家と車道が見える。すごく近くに見える。ヴェルナート(Vernagt)という村があるそうだ。そこからヒュッテまでの登りが3〜4時間。イタリア側のトレイルはジグザグの急な登りになっているようだが、雪や氷河は見えない。子供がヒュッテの周りで遊んでいたので何処から来たのかなーと思っていたら、まもなく親とイタリア側に下りていった。トレイルはしっかりしているようだ。

それにしても、羊が越える峠というので、もっと穏やかな峠を想像していたが、オーストリア側もイタリア側もけっこう厳しい。羊といえば、ニュージーランドなどののどかな景色を思い浮かべるが、認識を変えなければならないようだ。



シミラウンヒュッテ

シミラウンヒュッテはインターネットの案内で、ベッド(Bed)1人が18ユーロ(約2700円)、ドーミトリー(Dormitory)が1人15ユーロ(約2300円)と書いてあり、料金に大差が無かったので、ベッドの方を予約しておいた。行ってみとイタリア側を向いた個室で、電灯も点くツインの部屋だった。朝・夕の2食付きで部屋代込みの料金が1人36ユーロ(約5500円)。夕食はスープ、スパゲティ、サラダ、デザートとなかなかのもの。しかも地図が印刷されたペーパナフキンが用意されていて、にくい演出。朝食はビッフェスタイルで、シリアルとパン(白と茶色)にチーズとハムとソーセージ、それにコーヒーか紅茶でけっこう美味しかった。

チェックインすると名前の入った小さなカードをくれてた。夕・朝食を食べる時やビールやワインの飲み物を注文すると、そのカードに書き込みが入り、翌朝一括して精算するシステムで、他のヒュッテにはないスマートな方法だった。

ヒュッテに着いたのは午後3時前だったので宿泊客は少なかったが、夕方が近づいてくるとどんどん増えて、夕食時は食堂が満席になっていた。次の朝早く、トイレに行くのに部屋の外に出たら、通路の床の上で4〜5人が寝ていた。満室だったらしい。シーズン中は絶対に予約は欠かせないヒュッテのようです。

イタリア側に荷物搬送用のリフトがあり、食料やヒュッテの備品の荷揚げをしていた。お客の旅行用のバックも山積みにして上げていたので、イタリア側からは荷物を小屋に送ってもらって気軽に登って来られるようです。

インターネット情報;
    ・Similaun Hutte(英)


<追記、余談  2007. 3. 07
 ドイツ人夫妻がアイスマンを発見(発見時は遭難者と考えられていた)し、シミラウンヒュッテに伝えて直ぐ、現場に確認に行きその旨をオーストリアとイタリアの警察に通報したのは、当時小屋にいたシミラウンヒュッテの経営者の息子マルクス・ピルパマー(Markus Pirpamer)でした。
このことを知ったのは、オーストリアから帰って暫くした後、「5000年前の男(コンラッド・シュピンドラー著、文芸春秋)」の本を読んでからでした。もしやと思いシミラウンヒュッテを予約したときのe-mailを見ると、返信者はマルクス・ピルパマーその人からでした。今はシミラウンヒュッテの経営者になっています。
ヒュッテに行く前にこのことを知っていれば、メールで一言何か書けたし、会えば何か聞けたのに、と残念です。
「5000年前の男」の本に当時の若いマルクス・ピルパマーの写真が載っていて、Mieがこの写真を見るなり、「この人、イタリア側から荷揚げをする荷物用リフトの荷下ろし場にいた人に間違いない」、と断言して言います。私の記憶は曖昧ですが、女房の眼力が確かであれば、彼の姿だけは見てきたことになります。

今後シミラウンヒュッテを訪れる方は、アイスマン発見当時の話を彼から直接聞くチャンスがあるかもしれませんので、彼の名前を頭に入れておいて下さい。

シミラウンヒュッテの外観
(泊まった部屋は3階)
部屋はツインだった↑
地図が印刷されたペーパーナフキン→



アイスマン発見記念碑へ進む→