みーばい亭の
ヤドカリ話
バックナンバー   HOME

43.メイ



遺影
2012年春、最後の脱皮潜りに入る直前


ビギンの「オモトタケオ」シリーズに「くにぶん木の花」という唄が収録されている。
白い花が咲き、やがて青い実が実る季節の移ろいを、情感たっぷりに唄いあげた、なかなか味わい深いバラードで、私も泡盛でほろ酔い機嫌の夜など、時折下手な三線を爪弾きながら口ずさんだりしている。
ちなみに「くにぶん」とは「九年母」、沖縄に自生する柑橘類シークヮーサーのこと。
我が家にも、ずいぶん前に実生の苗を植えつけたシークヮーサーの木があるのだが、寒さのせいか無農薬に拘っているせいか、病気になったりカイガラムシに集られたりして、残念ながら未だに実はおろか花もつかない。
それでも5月の風の中、今年も健気に新芽を吹きはじめた。
そんな新緑をぼんやりと眺めていると、1匹のナキオカヤドカリと交わした9年前の約束を思い出す。

2004年
植え付けたばかりのシークヮーサー

2001年6月、沖縄から7匹の仲間と共に、小さなナキオカヤドカリが送られてきた。
前甲長約3㎜、おそらく前年の夏の上陸個体。5匹セットの死着保証分、平たく言えばおまけである。
メイ(五月)と名付けられたおまけ君、小さいながらも元気いっぱいで、自分の何倍もある同居ヤドに喧嘩をふっかけたり、大きなサザエ殻を必死で転がしたりと、「いつか見ていろ!大きくなるんだ」オーラがむんむん出ていて、飼い主を大いに楽しませてくれたものだった。

その頃の画像がこちら。
着ている貝殻は先住のムラサキオカヤドカリ、トラのお下がり。


その後、短いスパンで脱皮を繰り返し、わずか3年後の2004年には早くも前甲長15mmに達し、堂々たるサザエ組に成長。
そして、その年の夏、飼育下で繁殖行動は見られないという、それまでの定説を覆して、同居のメス個体を懐妊させるという快挙を成し遂げた。
その後、ナキオカヤドカリ槽のゴッドファーザー「暴君メイ」としての活躍は、拙サイトやブログの読者諸氏ならよくご存知のことと思う。
現在、その子供たちは、愛好家の皆さんに引き取られて日本各地で飼育されているし、孫世代も我が家で元気に育っている。

しかし、当の暴君メイ。
脱皮潜りに入った2012年の6月から音沙汰がなく、もうじき一年が過ぎようとしている・・・。





2001年12月
やってきて半年。
先住のムラサキオカヤドカリ トラと寄り添ってお昼寝中。
この頃は、チビ同士仲睦ましくて、微笑ましく眺めていたのだが・・・。
この5年後、脱皮中のトラを襲って宿貝を奪うことになる。



2002年春
水浴び中の一コマ。
サザエ殻が同期のムラサキオカヤドカリ ゴリ。
白い貝殻が先住のトラ。
この頃は、ストレスコートを添加した水で定期的に水浴びさせる・・という現在では噴飯物の飼育方法が推奨されていた。
時代は変わったけど、愛好家たちが10余年の経験に基づいて確立してきた、「業者の都合」の絡まない「正しい」飼育方法が、未だ一般のオカヤド飼いに浸透していないのがもどかしい。
冬に死んでしまったから、春にまた買いました・・・などと、悪びれもせず書いている記事などを目にすると、なんともいえない脱力感にさいなまれる。




2004年初夏
僅か3年で前甲長15㎜に達して、サザエ殻を着用。
そのまま勢いに乗って同居のメス個体を押し倒す。
当時、オカヤドカリは飼育下では繫殖行動を起こさないというのが、定説だったから、この交接~産卵~抱卵行動には、現在では考えられないほどのインパクトがあった。
ただし、孵化個体を成体まで育て上げることに成功したのは、4年後の2008年。

この年、トミーがオカヤドカリ虐待セット「ハーミーズクラブ」発売



2005年冬
前年の夏、みーばい亭は現在の一戸建てに引っ越した。
新居で最初の冬を迎えた、トラ、ゴリ、メイのトリオ。
大きくなったとはいえ、オカヤド槽では、まだナンバー3。
それでも立派なものだが(笑)



2005年夏
大御所ゴリとの2ショット。
ここまで来ると、並んでもまったく遜色がない。
この年、2匹のメスに延べ4回産卵させるという絶倫ぶりを発揮。




こちらも2005年夏頃の画像
今から思えば、この夏が気力、体力とも充実した絶頂期だったのかもしれない。
若々しくもふてぶてしい面構えは、往年の日活アクションのヒーローを彷彿させる。

前年のハーミーズクラブに端を発したオカヤド騒動がピークに。
ネット上では愛好家、業者、その取り巻き、無責任なギャラリーなどが入り乱れて、嫌がらせや誹謗中傷合戦を繰り広げる陰湿で殺伐とした空気が蔓延した。




2011年夏
7年間弛むことなく子作りに励んできた暴君も、寄る年波には勝てず、少々衰えを感じさせるようになってきた。
この年、繫殖はなかったが、久しぶりのセミに貪りつくなど、まだまだ健在ぶりをアピール。



生後1年の子供との2ショット。
2001年にやってきたとき、ちょうどこの仔ヤドカリほどの大きさだった。
暴君の異名を取った生涯だったが、晩年はこんな穏やかな表情を見せることが多かった。





2004年の5月、ビールを飲みながら、植えつけたばかりのシークヮーサーに実がなったら、泡盛に搾りいれて一緒に飲もうと約束した。

あーまんの話 乾杯


メイとの約束は果たせなかったが、いつの日か庭のシークワサーが実ることがあれば、彼の子孫(くわんまが)たちと、「くにぶん木の花」を聴きながら、泡盛を酌み交わしたい。

そんな日の来ることを願いつつ・・・。


さよなら、メイ


2013年5月
約束のくにぶん木



2013.5.12

前ヘ 次へ