みーばい亭の
ヤドカリ話
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4.小さくても強いのだ!
ナキオカヤドカリ無効分散個体


コカブが好きだった。

切れ味鋭い銅のおろし金で丁寧にすりおろしてふんわりと蒸しあげた蕪蒸しは冬の酒席にはなくてはならない一品だし、小鉢に盛られたどぼ漬けも酒の後には嬉しいものだ。
丸ごとポトフやシチューに入れてとろりと煮込んだ小蕪を、スプーンで崩しながらワインを飲るのも悪くない・・

ではなくて・・(長惚御免)

ここで言いたいコカブとは、小さいカブトムシのこと。
ご存知のように、カブトムシには一般的なクロカブ、赤っぽいアカカブ、それに体が小さくて角も短いコカブの3種類がいる。・・・などと書くと「本州に生息するカブトムシ亜科の昆虫はカブトムシとコカブトムシの2種類で・・・」と、図鑑知識を得意げに披露する昆虫博士がしゃしゃり出てきそうだが、幸いそういう無粋なオトモダチは私の身近にはいなかった。
自慢ではないが、私自身コカブトムシなど見た記憶も触った記憶もない。
いや、もしかしたら捕ったことがあるのかもしれないが、図鑑で見る限り角もなくどこか薄汚れた感じのさえない甲虫だから、コフキコガネやドウガネブイブイと同列の「ただのブンブン」としてしか認識していなかったのだろうと思う。
虫捕り少年にとってのコカブとはコカブトムシではなくて、あくまでちっこいカブトムシのことなのだ。

3種類のカブトムシの中で一番人気があったのはアカカブ。
クロカブよりも捕れる数が少ないのでレア物的な価値もあったのだろうが、ワインレッド(実際は赤褐色だが)に光る背中はうっとりするほど綺麗だった。
喧嘩が強いクロカブも堂々とした大型の個体はけっこう自慢の種になったものだ。
それにひきかえコカブはハズレもん扱いである。
確かに見栄えも良くないし、力も弱く角も短いので喧嘩させてもまともに組みあえない。
そんなものを持っていても、自慢どころか嘲笑の対象にしかならなかった。
それにもかかわらず、私はなぜかコカブが好きで良く飼っていた。
今にして思うと、私は子供の頃から大きくて自己主張の強いものが苦手だったようだ。
それは今も変わらず、立派な屋敷の前を通っても「手入れが大変やろな」と思うだけで別に住みたいとは思わないし、大型のセダンやRV車を見ると「運転しにくいやろな」とか「ガソリン代掛かるやろな」とかつい余計な心配をしてしまう。
筋金入りの小人物なのだ。

一説によるとカブトムシは幼虫時代の栄養状態が悪いと小さな成虫、すなわちコカブになるらしいが、コカブは最初からコカブとしての存在意義を持って生まれてきたのだと私は思っている。
オオカブ同士が交尾相手をめぐって争っている隙に、ノーマークのコカブがちゃっかりメスを頂戴してしまうなどという事例も観察されているそうだから、小さくて小回りが効くことがメスや餌の確保に有利に働くのは確かなようだ。
もちろん体が小さければそれだけ少ないエネルギーで活動できるわけだから、環境の変化などで餌が少なくなっても生き残れる確率は高くなる。
白亜紀末の環境変化で恐竜や首長竜などの大型爬虫類が絶滅したにも関わらず、小型のトカゲやカメが現代まで生き残っているのと同じ理屈である。
つまりコカブという矮小個体の存在がカブトムシという種そのものの生命力を強化しているのではないだろうか?
実際カブトムシという昆虫は、大型でそれほど敏捷でもないにも関わらず、不思議なほど人間の身近で繁栄している。
無秩序な人為的移動や養殖個体の放虫によって遺伝子の地域格差は汚染を通り越して均一化されてしまった感はあるし、本来生息していないはずの北海道でも近年発生して果樹園の害虫になっているなど問題も多いのだが、これだけの繁栄を誇る種としての生命力に対しては素直に賞賛を贈りたい。
ホームセンターで売られている規格化された養殖カブトなどにはまったく興味がないが、コカブなら久しぶりに飼ってみたいと思う。

さて、上のわざとらしい構図の画像である(笑)
どちらも2005年生まれのナキオカヤドカリなのだが、ごらんのようにずいぶん大きさが違う。
大きい方が前甲長約8o、小さい方は約3oしかない。
同じケージで飼育し、同じ餌を与え、同じ宿貝を用意してやったのにも関わらず、1年半でこれだけ大きさに差がついてしまったのだ。
オカヤドカリの成長スピードが個体によって違うことは、今までの飼育経験から漠然と感じていたのだが、今回生年のはっきりした仔ヤドカリを複数飼育してみて、これだけ顕著な結果が出たことには正直驚いている。
この前甲長3oしかない個体が、定説どおり2年目の今夏から繁殖活動をはじめるのかどうかは疑問だが、カブトムシ同様、繁殖可能な成体のサイズにばらつきが大きければ、それだけ環境変化や捕食・採集圧に耐えて生き残る「種」としての生命力は強くなる。
同じ環境で育っても大きさが著しく異なるのは、種として生き残るための戦略なのではないだろうか?

かつての虫捕り少年たちは、生き物を探し、追いかけ、捕まえ、触り、死なせることで、無意識に生き物の持つ強さを認め、命に対して畏怖を抱き、そして何よりも生き物を尊敬していた。
オカヤドカリの絶滅を危惧し過剰な不安を煽り立てるような発言を繰り返す愛好家もいるが、オカヤドカリはそんなにヤワな生き物ではないと思う。
特殊な環境に適応しすぎた生物や元々の個体数が限られた生物ならともかく、浜辺の掃除屋などと呼ばれる食性を持ち、年に何度も繁殖活動を繰り返すような生き物がそう簡単に絶滅するとはとても思えない。
もちろん環境破壊によって局所的に絶滅することもあるだろうが、オカヤドカリという種そのものを根絶することはやろうと思ってもそう簡単にできることではないはずだ。

私は元虫捕り少年のひとりとして、オカヤドカリの強さを信じている。
貝のサイズを測るナキオカヤドカリ
新しい宿を探すナキオカヤドカリ
成長の早い個体はそろそろサザエに入るだろう
無効分散組その他の連中
大きさにばらつきがあるがいずれも2005年生まれ
比べやすいようにひっくり返して並べてみた
ごめんよ
                                                                           [2007.1.20]

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