みーばい亭の
ヤドカリ話
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35.知らぬ仏のヒメアカイソガニ


ほの暗い穴の底でライトの光に浮かび上がったヒメアカイソガニ
半年以上誰の目にも触れることなくひっそりと生きていた




粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の洗い髪・・とくれば、ご存知、玄冶店(げんやだな)のお富さん。
木更津辺りを仕切る親分の妾だったお富さんは、江戸の商家の若旦那与五郎と恋仲になるのだが、しょせん道ならぬ道。
恋の結末はお約束。
若旦那は子分たちにズタボロにされた挙句、スマキにされて海に放りこまれ、お富さんもあとを追って身を投げる。

そして数年後。

九死に一生を得た若旦那だが、今じゃ向う疵の与三郎と二つ名を持つ強請(ゆす)りたかりの
破落戸(ごろつき)稼業。
ある日、目を付けた瀟洒な黒塀に押し込んでみると、そこに居たのは木更津の海に身を投げたはずのお富さん。
そこで「死んだはずだよ、お富さん」と、なるわけだ。
まあ、芝居の話だから、戯作者が知恵を絞ってせいぜいドラマチックな筋立てを捻り出したのだろうが、事実は小説より奇なり、磯水槽は芝居よりも奇想天外。
我が家の水槽の中で、江戸の庶民も唸らせる感動のドラマが密かに幕を開けていたとは、お釈迦様でも気がつかなかったろうなァ。

2008年6月5日、ブログに掲載した画像
新ためて見直すと抜け殻のようにも思える


積雪の残る敦賀半島で冷たい波に濡れながら、ヒメアカイソガニを採集したのが去年の3月。
シャイで臆病であまり表に出てこない性質だったが、時折見せる長閑な風情が荒くれ揃いの磯水槽に一服の癒しをもたらしてくれたものだ。
ところが三ヶ月ほどが過ぎた6月の初め、水槽をのぞくとケブカヒメに喰われている変わり果てた姿が・・・。
左が当時ブログに載せた画像である。
記事には、
死因は定かではないが、おそらく充分に餌を摂れなかったことによる衰弱死ではないかと思う。
動きが遅くて餌をとるのが下手なので、わざわざピンセットで近くに餌を置くなど気にかけていたのだが、結果的にスピードとパワーに勝るヒライソガニとの生存競争に敗れたのだろう。

と、書いている。
我ながら見事な追悼文である(笑)
騙されたことに気付くのは、それから七カ月が過ぎ、年も明けた睦月半ば、霜寒の夜だった。

きっかけはソラスズメダイの脇腹のキズ。
越前海岸に死滅回遊魚として流れ着いた幼魚を連れ帰ったのが2005年の夏。
今では堂々たる主として磯水槽に君臨している。
スズメダイの習性で岩の下などに巣穴を掘りたがるのだが、子供の頃ならともかく、今や8㎝を超える巨体だ。
貝殻マンションなど尻尾の一撃でバラバラに崩されてしまう。
それで、水槽の中央にレンガを組んで巣穴を作ってやっているのだが、先日悪童ヒライソガニがフジツボ殻を押して巣穴の入り口を半分ほど塞いでしまった
その時に狭い隙間を無理やり通ろうとして脇腹を擦ったらしい。
誰かさんと同じで、自分の横幅がわかっていないようだ(笑)
で、水槽に手を突っ込んで元通りフジツボをずらし、尖った一片が入り口に向かないように少し角度を変えてやった。
その後、巻き上げたゴミが沈むのを待ち、レイアウトの確認がてら何気なく水槽を眺めていると、フジツボの穴の中に何かの気配がする。
今まで横向きで見えなかった穴だ。
ホンヤドカリでも潜り込んでいるのかと、懐中電灯を持ち出して中を照らしてみると、なんとそこに居たのは去年の6月に死んだはずのヒメアカイソガニ。
天地驚愕! 吃驚仰天!
生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん・・である。

どうやら死骸だと思い込んでいたのは脱皮殻だったようだ。
そう思って画像を見直すと、やっぱりそんな気がする(^^;
脱皮殻を身代りにして、アカイソガニがフクロムシと共に凄絶に生きヤマトホンヤドカリが威風堂々闊歩した磯水槽で、飼い主や他の住人たちの目を欺き続けていたということか。
ブログに掲載した追悼文に、
自然の磯でなら、シャイでおとなしい連中もそれなりに居場所を得ることができるのだろうが、磯における生物の多様性を受け入れるには、水槽はあまりにも狭いということか・・・。
とも書いたが、このヒメアカの生存はまさに磯の多様性を象徴しているように思える。
ヒメアカイソガ二は、本来石の下や岩の隙間奥深くにじっと潜んでいて、天敵の魚たちが寝静まる深夜、こっそりと餌を拾って歩く・・そんな暮らしをしているのだろう。
それが強くもなく素早くもない小さなカニが荒磯で生き残る唯一の
(すべ)なのかもしれない。
そんなヒメアカが水槽の中に自らの居場所を見つけて生きていてくれたとは、採集派アクアリスト冥利に尽きるというものだ。
残念ながら翌朝には姿が見えなくなったが、いつの日かきっとまた元気な姿で会えることを信じている。


粋な黒塀・・とはいかないが、フジツボ門扉の巣穴前でポーズをとるソラスズメダイのスーちゃん。
初代のソラスズメが居なくなった後、2代目としてやってきたのが2005年の夏だから、もう3年半の付き合いになる。
採集した当初は2㎝に足りない幼魚で、メダカの餌しか食べられなかったのが、今や8㎝を超え大粒のザリ餌も一呑みの大食漢(笑)
宝石のようだったコバルトブルーの体色はすっかり色あせてしまったが、興奮すると体の周りに浮かび上がるブルーの斑点が往時を偲ばせる。
右の画像は越前海岸の磯に群れる朋輩たち。
彼らも無数の先達同様、冬の訪れとともに日本海の荒波に呑み込まれていったのだろう。
水槽で飼われることが幸せだとは思わないが、無効分散個体として短い生を終えた仲間たちの分まで、腹いっぱい食って長生きしてほしい。


日本海の磯に群れるソラスズメダイの群れ
撮影地 越前海岸水深8m 2008年10月



「♪春もはようから川辺のあしーに・・」、といえば、「あわて床屋」。
北原白秋&山田耕作コンビの手になる邦楽の至宝。
日本人なら老若男女を問わずに誰もが口ずさめるお馴染みの一曲だろう。
もちろん私自身も天童と呼ばれた幼少の頃より耳に馴染んだ唱なのだが、海のない滋賀県で育った子供にとってその歌詞は違和感だらけで情景がどうしても頭に浮かんでこない。
まず琵琶湖のほとりには葦原があるにはあるがカニはいない。
我々にとってカニとは山の生き物、谷川の石の下にいるサワガニ以外の何物でもないのだ。
しかもサワガニは泡を吹かない。
いや、林や田んぼで見かける成体は陸上生活が主となるから、呼吸用の蓄水が古くなって泡を吹くことがあるのかもしれないが、普通「カニ獲り行こけぇ」と出かけるのは川であり、水中にいるサワガニはもちろん泡など吹く必要がない。
川辺の葦でシャボンを溶かす?なんやそらである。
自慢ではないがサワガニ以外のカニを初めて見たのは、小学校も高学年になってから。
町内会の行事で津の御殿場海岸へ潮干狩りに出かけた時にマメコブシガニに出会ったのが最初。
恥ずかしながらカニが泡を吹くのを実際に見たのは高校生になってからのことだ。
友人たちとナンパ目的で福井県の小浜まで海水浴に出かけた時に、田んぼ脇の水路でアカテガニ(ベンケイガニかも)を捕まえて遊んだのが初体験だった(笑)
そんなわけで頻繁に海に通うようになった今でも、カニにはちょっとした思い入れがあるし、泡を吹いているカニを見ようものなら無条件に感動してしまう。
ま、当のカニさんは苦しんでるんだろうけど・・(^^;
それにしてもこのヒライソ、なんでそんなところで泡吹いているのかな?



「ヤドカリ話やのに最近出番が少ないんとちゃう?」と、ヤドさん達から訴えがあったので(ウソ)、クロシマホンヤドカリの画像を一枚。
昨年の夏に越前海岸で採集した個体だが、脱落していった同期のヤマトやケブカヒメを尻目にしぶとく生き残っている。
体つきは荒獅子ホンヤドカリに、縞模様は猛虎ユビナガホンヤドカリに良く似ているが、性格は彼らほど凶暴ではなくて、どちらかといえばおっとりした草食系。
潮干帯上部に生息しているホンヤドやユビナガは、うっかりしていると引き潮に取り残されて干からびてしまうし、最強の天敵である恐竜族の末裔にして大空の覇者「鳥」の脅威にさらされている。
そんなタフでなければ生きていけない厳しい環境があの貪欲で荒々しい性格を育んだのだろう。
一方、クロシマホンヤドカリやケアシホンヤドカリは、やや深めの潮干帯下部から潮下帯上部に暮らすヤドカリ。
干潮でも滅多に水面に出ることないので、軟らかく栄養豊富な緑藻類が生い茂り、天敵となる大型の魚もいない穏やかな環境だ。
言ってみれば、「磯の山の手」高級住宅地である。
そう考えるとクロシマやケアシのおっとりした性格にも得心がいく。
水槽では騒々しいホンヤドやユビナガの陰でひっそり暮らしているイメージを受けるが、実はセレブな勝ち組なのだ。
2009.1.31


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