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大阪府議会議員 松室 猛

衆議院の解散は総理の専権事項であるが、森総理は衆議院の解散の日時
については一切表明していないと言いながらも6月13日公示、25日
投票、と新聞をはじめ政府の関係者は明言している。これも不思議な話
であるが、多分この線で総選挙が施行されることだろう。
学生時代から政治の世界を志し、時が至れば国政選挙に打って出たいと
の思いを持ちつつ今日まで府議会議員として政治活動に専念してきたが
総選挙を目前に控えて改めて所信の一端を披瀝したい。
政治の世界に限らず、最近の世の中は何が起きるか判らない混迷と激動
続きであるが、今春早々に予期せぬ知事選挙があり、年末からの候補者
選考に始まり選挙戦への突入と、短期決戦のために文字通り昼夜を分か
たぬ対応を迫られ、てんてこ舞いの忙しさで時を過ごした。
知事候補の選考過程において、在阪の一部の国会議員は承知していたよ
うだが、私ども府議会議員は何も知らされないうちに、自自公という中
央の論理で選んだ候補者を、大阪に押しつける形で新聞発表したのはご
承知の通りである。
中央における自自公の連立についても、数々の不満はあるが、参議院対
策として数の論理で仕方がないとしても、地方自治体の首長を決めるの
に、何故、大阪の我々の頭越しに、大阪にゆかりのない、宮僚の天下り
候補をあれ程強引に押しつけるのか、筋が通らないのは勿論のこと我慢
がならない思いがした。
学生時代から政治の道を志し、原田憲代議士の亡きあと、自民党の許し
が得られるならば公認候捕として衆議院選挙に臨みたいと、支部の議を
経て文書で公式に府連に申請していた私としては、党本部の意向に真っ
向から異を唱えることは、近き将来の自分にとってどんな影響があるか
は充分承知をしていた。それだけに悶々たる思いが胸のなかを去来した
が、熟慮の結果、保身のために算盤勘定で動くことの多い政治家の中で
、毅然たる態度で筋を通し、信念を貫くことこそが政治家を自認する私
の採るべき道であるとの結論に至り、府連独自の候補を擁立したのであ
った。
自民党所属の府議会議員の多くの仲間は挙って共感してくれたし、過去
の自民党の選挙を知る人には「驚き」と写った程の選挙体制が出来上が
り、懸命の戦いを挑んだ。安易な相乗りや、戦わない政党など何の魅力
もないことを政治に関心を寄せていただく府民の方々にはご理解いただ
けるものと信じて戦いに挑んだのであった。
しかし、一方ではその時点で私の永年の夢が、夢に終わったことも覚悟
せざるを得なかった。
さらに加えて、私事ながら、その忙しさの最中の一月十三日に、私の最
も身近な直ぐ上の兄貴が病に倒れ急遽入院する事態があった。常日頃が
元気であっただけに、医師から完治する事のない病名を告げられたとき
は大きなショックであった。これほど医学が進んでいる時代に何故、早
期発見が出来なかったのか悔やまれてならなかった。
兄貴は私を府議会に送り出すために自らの池田市議会議員の議席をなげ
打ってひたすら裏方に徹して私を支えてくれていただけに、その思いは
雑複で、回りの人々に自分の動転ぶりを悟られぬようにするのが精一杯
であった。
その兄貴が医師の宣告どおり世を去ったが、兄貴は実業の世界で頑張り
業界の方々や地元の皆さんに可愛がっていただいた。改めて生前中のご
厚誼に心から感謝を申し上げたい。
政治の分野では自由党が分裂をし自自公が自公保になった。何でもあり
の政局だが、小沢チルドレンと言われた政治家が、媒酌人の小沢氏をも
見限り保守党に移籍するなどは保身以外の何物でもないと思わずにおれ
ない。こんなのが国会議員であることに我慢がならない思いであり、絶
好のチャンス到来であるが、知事選挙での政治対応と、兄貴との別れを
通じて、自分の夢に無理やりに整理をつけることにした。
その結果とは言えないが、第9選挙区では自民党の公認候補は出さずに
保守党候補を推薦するとのことだが、こんなことが罷り通る政治の世界
に、憤懣やる方ない思いである。
最近、人間には「運」と「天命」があるような思いがしてならない。
「脚下照顧」という言葉を若い時に使ったことがあるが、ここしばらく
は府議会議員としての職務に邁進することで、ご支援いただいた多くの
方々のご恩に報じたいと考えている。

〔平成12年5月〕

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