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はじめに
 大阪府の橋下知事が、議会対策として政治団体を結成し知事与党を拡大する動きが具体化してきた。
 わが国の地方自治制度は、二元代表性(首長制)を採用しており、国会における一元代表制(議院内閣制)とは明確に異なるシステムを採用している。従って地方自治体の議会では最大会派から執行権者を選出するのではなく、一般選挙で首長を選出することから、基本的に「与党」「野党」の存在はありえない。但し、選挙時における推薦・公認などにより、首長の就任以前から支持を明確にしているケースもあり、その意味では与党・野党などに類似したケースが見られる場合もある。
 このような自治体のシステムの中で知事が与党の強力化を求め政治団体を立ち上げることに関してその是非を考えてみるとともに政党人として如何に対処すべきかを考えてみたい。

橋下知事の選挙の分析と行政手法
 2008年1月27日執行の大阪府知事選挙での有権者総数・他のデータは下記の通りである。

有権者総数 6,994,848人
投票者総数 3,423,751人
投票率  48,95%
橋下氏の得票率 53、53%
全有権者に対する得票率 26,20%

 この選挙は50%に満たない投票率ではあるが、真冬の単独選挙としてはかなり良い方と評価される選挙であった。
 初当選を果たした橋下知事は、早速行財政改革に取り組み従来とは違う手法で大胆な改革に着手し注目を浴びた。彼の手法は、従来のような行政経験のある知事とは違い、府の職員をフル動員してすべての部局に削減のメスを入れ、削減に異を唱える者もいたが、最終的には自分の責任で決定する方法で多くの府民の共感を得るものであった。人件費の削減に関しては、ある意味では画期的とさえ思える大胆さを発揮した。彼の知事としての出足は極めて評価の高いものであった。
 就任以来1年余が経過したが、彼の支持率は依然として高く、そのことを背景にかなり大胆で強引な手法をあらゆる面で感じさせるようになってきた。

橋下知事の支持率の高さと府議会との関係
 この辺りまでは大変評価が高かった知事であったが、突然大阪府庁の移転を話題とした頃から府議会と軋轢を生じるようになった。
 彼は府の庁舎が一等地に存在しなければならない必然性はないとし、大阪市の三セクが建設し破綻している湾岸部のWTCのビルを府が買い取りそこに府庁を移転させようとするものであった。府庁の移転によって現庁舎の耐震性の問題を克服するとともに湾岸部の再開発をし大阪を経済的に活性化させようとしたのである。
 ところが、余りにもその提案が唐突であったことや、府議会と十分な話し合いをしなかったにも拘らずマスコミをフルに利用して、府庁舎の移転は府民のコンセンサスであるとまで言い切り、強引に議会外での言論戦を多用した。そのために、却って府議会の反発を増幅させ、可決に必要な3分の2の賛成どころか過半数にも満たない状態で完全に否決されたのであった。その趣旨に妥当性があったとしても手続きの瑕疵は歴然であった。

 その後、大阪府下で2番目の政令指定市になった堺市の市長選挙で、彼は府の職員を擁立し現職市長との対決選挙を支援した。戦前の予想を覆し新人を当選させるために大いに貢献したのである。彼の人気の高さに起因すると思われる勝利であった。
 堺市長選挙での彼の強引とも感じられた支援ぶりは現職府会議員にかなりの影響を与えたようで、彼に逆らえば選挙で仕返しを受けるかもしれないなどの憶測を生むに至ったようである。

 前述のWTCへの移転問題に関する府議会の対応にも首を傾げたくなるような事態が相次いだ。採決をめぐる自民党府議団の分裂騒ぎもその一例であるが、傍目八目的な発言ながら、これなどは議員団執行部の運営ミスにその大半の原因があると思われてならない。すなわち議員団内部における意思疎通はもとより、執行部内部の意思疎通にも問題があったのことが分裂の原因であった。
 その結果、自民党議員団は分裂し新しく「維新の会」と称する会派が誕生した。この会派は明確に橋下知事の支援を打ち出し、知事も率直に喜んでいるようである。
考えてみれば橋下知事は自民党府連の推薦候補であったのだから、いまさら知事支援の会派というのもおかしなものである。しかし、ここでも問題があった。会派を割って新会派を結成した議員の政党所属に関して不問であったことである。

知事が政治結社を立ち上げる問題について
 最近になって橋下知事自身が来るべき地方選挙に向けて、知事のシンパを増やすべく新らしい政治団体を結成しようとしている動きが明らかになった。知事も政治家であるから、彼が同志を募り政治団体を結成することに法律上の問題はない。
 二元代表制をとる地方自治体の議会と知事との関係は、執行権者として知事優位の実態は否めないが、議決に関する限りは全く対等の立場であり、さらに議会は執行権者の行政監督権をもつ立場なのである。これらの特性が二元代表制の最大の特徴であり制度の趣旨そのものである。 ところが、知事が議会をコントロールするために、本来は無いはずの与党を強化するための対応をするとなれば、二元代表制の特徴と趣旨が大きく後退する危険性がある。すなわち、二元代表制では首長と議会の緊密化による政策決定の迅速さよりも、ともに有権者の信託を受けた首長と議会が、お互いが民意を代表することによる両者の抑制と均衡、権力の分散に主眼が置かれている制度本来の趣旨を逸脱することになるからである。

民意のねじれを調整するのが地方自治体の政治システムである。
 二元代表制をとる地方自治体において、首長選挙と議員選挙に示される選挙民の民意は常に一定ではない。端的に言えば、首長選挙で示される選挙結果では革新系が選ばれ、議員選挙の結果では保守系が過半数を占めることは頻繁に起こり得るのである。いわゆるクロスボーティングによる「捩じれ現象」が現出するのである。
 このように選挙で示される民意には理解しがたい不確実性がある。率直に言えば民意とはその程度のものであり、選挙で示される意思は思想的かつ知的なものばかりではなく、情緒的かつ感覚的なものを多く包含しているのである。

 西部邁氏は、民意によって選ばれた多数派の政権もフォアビリティ(可謬性、すなわち過ちを犯す可能性)を免れえないと説き、人民の民意に主権を見出すのは民衆政治の堕落にすぎないとまで説いている。
 この言葉を引用するまでもなく、本来政治のあるべき姿は、民意によって導かれるのではなく、政治が民意を主導しなければならない筈だ。
 知事は自分の支持率の高さに慢心し、自分の主張は府民の総意であるとの思い込みがあり、強引に自己主張を繰り返すが、一方で議員が代表する民意が存在することを軽く見ているようだ。このギャップを埋めるための手段として話し合いを重ねるのが二元代表制の本旨である。
 議論によって民意の捩じれがあるとすればそれを克服し平衡感覚を保とうとするのが地方議会の役割であり二元代表制の制度の由来なのである。
 橋下知事は、二元代表制の中にある地方自治体において、自らの政治理念を性急に実現するために議会との議論を充分に前置せず、結論ありきの論法で突き進む傾向があるのは、彼の若さそのものであり自己過信としか言いようがない。その結果WTCへの移転問題では完膚なきまでに府議会から否決されたにも拘らず、それでも尚充分な話し合いもせずに同じ提案を二度にわたり繰り返し、再度否決されたことを彼は反省をするどころか議会の感覚がおかしいと言わんばかりの対応であった。その前段で、彼はもし再否決されれば出直し選挙も辞さないとまでうそぶいていたが、流石にそこまではしなかったものの、この発言は、完全なプレビシット型の政治姿勢であり、議会軽視の最たるものであった。
 これら一連の、幼く、拙い対応の中でも、異様に高い支持率は何によるものだろうか。
 彼の政治手法はポピュリズムというよりも、むしろ府民が知事に対してポピュリズム的な迎合をしている傾向が感じられるのではないか。政策的に彼と志を同じくする議員がいることも事実であるが、その大半は知事に対して迎合しているのも事実である。
 しかし、再度の否決は堪えたらしく、今度は議会対策として議員選挙で知事与党を構築するために自ら政治結社を立ち上げる構想を打ち出しているが、果たしてこの対応が地方自治の本旨に照らして、また大阪府の健全な運営のために良い結果を生むものかどうかを検証する必要がある。
 繰り返し述べるが、二元代表制の趣旨は議会と首長とが絶えず議論を繰り返し、捩じれがあるとしても可能な限り民意を集約することにあるが、知事与党を自らが構築する挙に出れば、嵩じれば議会がイエスマンの集合体となり独裁に近い形となり議会が全く形骸化することになるだろう。この問題は議員の問題ではなく、地方自治制度の根幹にかかわる問題なのである。
 若干趣旨が異なるが、首長が政治結社を立ち上げた忌まわしい例として昭和15年に、近衛文麿総理が立ち上げた大政翼賛会が想起される。国家の非常事態だから政党政派を超越して大同団結しようとした目論見までは良かったが、結果的には軍部の台頭を許し大戦への道を突っ走る契機になったことを歴史からも学ぶべきだろう。
 天皇主権の下で、一国一党の強力な政治体制を目指すという主張は帝国憲法下における天皇親政の国体に反するとの議論もあったが、大政翼賛会は治安警察法上の政党ではなく公事結社であったとは言え、翼賛体制の言葉の持つニュアンスを橋下の政治結社構想から感じる人は少なくない筈だ。

放置できない政党と団則との関係
 知事が構想する政治結社への参加に関して、現時点では党籍はそのままで良いが、選挙の際にその党の公認を受けることは認めないとの意向を仄聞した。
もしこれが事実であるとすれば、政党として看過することは出来ない。
 百歩譲って、自民党は彼の推薦母体であったのだから彼を支援するとしても、それでも是々非々の対応は必要であり、すべて丸呑みで支援することを意味するものではない。ましてや彼の政治結社に加わった場合、選挙に際して党籍離脱はもとより公認辞退が要件であるとすれば、所属党員が党籍を持ったままで参加することを党として黙っていることはできない。
 このような政治団体に参加する現職議員がいるとすれば当然政党離脱が前提とならざるを得ないだろう。それによって自民党の府議団の勢力が削がれることがあったとしても、移籍することは自民党から離れることを意味するのだから同じである

 現時点で橋下知事に政治結社の設立に関して異議を申し出て、翻意させることは至難の業のようである。また、擦り寄る議員をなじったところで自民党にそれだけの魅力と求心力がないのが現実である。しかし、だからといって党員として筋を通すことを説得できないようでは、座して死を待つに等しく、この問題を放置することは政党として断じて許されないことである。

 自民党大阪府連として、この問題に関する見解と対応を探るために早急に府議団の代表を含めた関係者が協議をする必要があることを提起した。その結果3月27日に関係者による協議が非公式に開催された。
 正式な役員会ではないが、その場で話し合われた意見は下記のような点であった。
 自民党議員団には団則が定めれれており、第4条で、入団に関する規定が設けられている。それによると自民党の公認・推薦等で当選した議員は自民党府議団に入団しなければならないとの明文規定がある。第5条に見られるように党籍を持たない議員であっても、一定の要件を具備した議員を自民党議員団に迎えられるように改正したのであった。
 この改正の時点で従前にあった「入団に関する規約」は廃止することになった。
 今回の議員団の動きに関して団則との関連を検討するに際し、現行団則の入団規定が削除されたと勘違いをして3月23日に文書を発信したが、その後入団規則を精査したところ現行団則は現存しており、以前の「入団規約」は廃止されていることを確認した。
 従って、今回の一連の離団の動きは明確に団則違反であり、そのままにすることは今後の団運営に齟齬をきたすことになるので、明確に団則に従った対応が必要である。

 先日の会合の際に団則について、入団に関する規定はあるが離団に関する規定がないという意見があった。この見解は、法文解釈を正しく理解できない者の見解で、入団しなければならない規定を反故にし離団をすれば団則違反は歴然であり、その時点で何らかの懲罰が課されて然るべきである。しかし、将来有意な若手議員が多いことから彼等の将来のことを考慮し緩やかな処遇をすべきであるという意見が大勢であった。
 自民党らしい、尤もな理由でありこの点は配慮すべきであるとしても、それでも次の2点については明確にすべきであると主張しておいた。
 まず1点目は、参議院議員選挙について自民党公認候補を支援すること。
  2点目は、議会内役選に関して自民党府議団の決定に従うこと。
以上の2点に関し確約を取ること。この2点に関し双方が合意することを条件として党籍に関しては不問とする。

 但し、橋下新党と目される仮称「維新の会」が前述のごとく次期選挙に関して党の公認を認めないとことが明確になった時点では党紀委員会の議を経て除名の措置をとらざるを得ず、場合によってはその選挙区に党の公認候補を擁立することを辞さないとの意見があった。

 果たしてこの有志の話し合いにおける結論を議員団執行部が明確に執行するか否かであるが、このままでは議員や一般党員はもとより、マスコミからも軽んじられることになるだろう。
 これからも5名程度の移籍者が出るのではないかと予測されるが、議員団の纏まりに関して危機的な状態に直面している今こそ、躊躇わずに筋を通した対応をしなければ、益々求心力をなくし壊滅的な状態になることは避けられないだろう。

 明確な政治信条のもとに一致団結した党として、また議員団として結束を固めるためにも早急に対応すべきことを改めて提案する次第である。

平成22年3月30日

自民党大阪府連相談役  松 室  猛


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