平成14年9月9日 戻る
長野県知事選挙が示唆するものは?
大阪府議会議員 松室 猛


炎天下の戦いを繰り広げた長野県の知事選挙は9月1日に投票が行われた。選挙結果は戦前の予想を上回り、田中康夫氏の圧勝に終わった。
選挙の結果は何を物語り、どう理解すべきか、数々の示唆を残している。

選挙結果は下記のとおりである。
        田中康夫氏    822、897
        長谷川敬子氏   406、559
        市川 周氏      24、261
        中川暢三氏     15、255
        三上誠三氏      9、061
        福井富男氏      2、058

田中康夫知事が議会から不信任を受けて失職の道を選んだ異例の知事選であったが、投票率は前回の選挙の投票率69・57%を上回る73・78%であった。出直し選挙だけに関心が高かったのだろうが、単独選挙としては異例の高投票率であった。
ここで、不信任と選挙の関係を見てみると、首長が不信任を受けた場合に取れる対応には3通りある。
知事が辞任すること、議会を解散すること、辞任も解散もせず10日間経過すれば知事は失職することの3通りの選択肢があるが、田中知事は失職の道を選んだ。
辞任と失職の違いは、辞任して再出馬した場合は当選しても任期は前任者の残存任期となるが、失職した後再出馬して当選すれば任期は4年間となるのである。
田中知事が失職を選んだのは任期との関係を考慮したものであった。
異例ずくめの長野県知事選挙であったが、今回の選挙結果はいろいろなことを示唆している

長野県知事選挙の特異さの検証

知事があらゆる面で不適格だと議会が判断した場合、地方自治法178条の規定により議員の3分の2以上の出席のもとに4分の3以上の賛成があれば不信任し知事を罷免できることになっている。
この規定を受けて平成14年7月5日に長野県議会は定数60名のうち49名の出席のもとに賛成44名で知事不信案が可決されたのである。これが出直し選挙の出発点であった。

まず、特筆すべきことは不信任をした議会側が知事候補を擁立しなかったことである。正確には出来なかったというべきであろう。このような手続きを経て不信任案を可決したのなら、議会側が推す知事候補者を擁立すべきであるが、それができなかったことは不信任そのものを訳のわからぬものにしてしまったといえるのではないか。

もうひとつの理解しがたい点は、 議会の解散をしなかった知事に対して長野県議会がとるべき道は議会の自主解散であるはずだが、それをしなかった点である。
敢えてその要件を記すが、議会の自主解散は昭和40年に制定された「議会の解散に関する特例法」のなかで、新たに地方公共団体の住民の意思をきく方途を講じるため地方自治法の特例を定めており、4分の3の出席と5分の4の同意を前提として定めている。その要件は不信任決議よりも厳しいが、現にこの法律により昭和40年6月に東京都議会が解散をし、翌年12月には茨城県議会が解散している。いずれも不祥事による出直し選挙であるが、長野の場合は政策的な問題と知事の政治手法に拒否反応をしたのだから、新しい知事候補の擁立は不可欠であるが、それが出来ない場合であっても議会は解散をし知事と同じく県民に信を問うべきであったはずだ。ところが知事候補を擁立できなかったのみならず、迷走に次ぐ迷走を重ねた結果8月21日になって、はじめて佐々木氏の支援を決定した対応は何を意味するのだろうか。
聞くところによれば候補者が無党派を表明していたので議会関係者が表面に出ることは控えていたとのことだが、これでは選挙を通じて不信任決議の意味するところを県民にアピールできないし、候補者が脱ダムを言っていたこともあるのだろうが、われわれにはその真意が伝わってこなかったし理解できなかった。

もうひとつの特質は、選挙には6名の候補者が出馬したが、いずれもが無党派で政党の支持、推薦を受けなかったことである。政党の関与がなかったことは、長野県に限らず全国に蔓延しつつある傾向である。
平成14年9月8日に大阪の四条畷市と交野市で市長選挙が施行されたが、多党化の傾向の中で政党の関わりは皆無であった。
このことは政党が民意を収斂しきれていない証であり、政策を訴え選挙民の選択を仰ぐシステムや政党の存在理由が地方政界においては選挙民に認知されていないことを示しており、政党人はこのことを厳粛に受け止め、今後の政党活動を再構築すべきであろう。
地方行政を仕切る自治体運営に政党政派の論理はさほど意味を持たないと主張してきたが、それでも選挙にまったく関与できない政党なんて意味があるだろうか。

こんな傾向を生んだ原因は紛れもなく政党側にある。

3割自治などといった陳腐な表現を引用するまでもないが、財政的に国があらゆる面で地方をコントロールする仕組みの中で、公共事業優先の施策を円滑に進めるために中央との直結をうたった首長選挙の体制づくりがかつては主流をなしていた。従来の長野県などはその典型的な例であった。
このような、共産党を除く総与党体制の構築に腐心していた時代はつい最近まで続いたが、この選挙の組み立て方が選挙民の選択肢を奪い、また一方では誰が首長になっても大した独自性など出せはしないといったシステムからくるあきらめを選挙民は理屈としてではなく肌で感じ取っているのである。こんな選挙の実態が地方選挙における政党離れを加速させる結果となったのである。
多党化傾向が強まる中で、単一政党だけでは選挙戦を戦い抜けないことが政党間の連合を強いているのであるが、選挙協力と称して、かなり政策の異なる政党が連合することの是非が改めて問われただした結果、すべての候補者が政党と無縁の状態で選挙をする傾向が顕著となってきたのではないだろうか。

この傾向を加速させたもうひとつの原因に衆議院選挙における選挙協力がある。小選挙区比例代表併立制が施行されて以来大阪では選挙区に候補者を立てない代わりに比例区には他党から支援をしてもらうバーター方式〔この逆の場合もある〕が多用されているが、こんな便法をとり続ける限り政党の自主性や独自性など薄れいくばかりであり、ひいては政党の存在に大きな影響を与えることになるだろう。
自民党の政策に共感し自民党員になっている者に対し、この選挙区は公明党に投票しろということの妥当性は永田町の論理としては理解できても貴重な選挙権の行使の段階で大変な戸惑いを感じさせるのは至極当然で、党員意識を決定的に削ぐ結果を招いているのである。
政党と選挙とのかかわりはそんな便法的なものではなく、選挙後の政策協定は国政の円滑な進捗の観点から是認できても、また数の論理からして政治的選択といえるだろうが選挙協力などの便法は「何でもあり」の論理そのものであり、政党そのものの存在を自ら放棄するものであるといわねばならない。
もし仮にその選挙区で独自の候補者を擁立できない場合は天下の公党といえども自主投票すべきであり、候補者の中から「選択として誰を選ぶのか」を決めるのが選挙であるはずだ。

自らも政党に所属し地方組織の執行部にかかわりを持つ者として、この問題を真摯に受け止め、いかにして選挙民はもとより候補者にも信頼される政党に脱皮すべきかを問い続けねばならないと考えている。
一方では地方行財政システムを根本的に組替える作業をしない政党など存在理由がないことを一連の選挙から学ぶ必要性を感じている。新しい行財政システムの構築に真剣に取り組む政治家がいかに少ないことか、そのために解党的出直しをする必要を実感している政治家が何故少ないのだろうか。
わが党の政治家も例外ではないが時代認識のあいまいさには驚くばかりである。

長野県知事選挙の結果は不信任を突きつけた県議会の対応を県民は承認しなかったことになるが、然らば県議会議員の意思とは何なのか、民意を代表するはずの議員の選択は何だったのか、どう理解すればよいのかまったく理解に苦しむ選挙結果であるといわねばなるまい。

県議会の苦悩が判らなくはないのだが・・・

小さな選挙区なら人間関係だけでも選挙の組み立てはできるが、全県1区の選挙をするには名前を浸透させるだけでも大変な作業であることは承知している。したがって 知名度の高い候補者を相手に、広い範囲での選挙に出馬する候補者の選定は難しいことは痛いほどわかるのだが、それでも不信任だけしておいて自分達が推す候補者を出せなかったことは、理由の如何を問わず筋のとおらない対応といわねばならないだろう。
今回の選挙は実質的には田中康夫氏と長谷川敬子氏の対決選挙であったが、なぜか議会筋は当初から長谷川氏の支援体制つくりには消極的であった。その原因について、新聞報道を見る限りでは田中秀征氏の出馬を要請したが断られたり、マスコミ人の出馬の動きなどいろんな動きがあったが、どれもうまくいかず途中から選択として長谷川氏を支援する動きに転じたようであった。詳しくは判らないが、候補者の全員が「脱ダム」を主張していたそうだが、事実だとすれば議会の意思に共感する候補者がいないことになり長谷川氏の擁立をためらったのはこの辺の事情があったのかも知れないが、こうなると議会の議決は何だったのか、ますます訳がわからなくなってくる。
選挙結果は議会側の大半が途中から支援することになった長谷川氏は出遅れが敗因だとする意見もあったが田中氏の半分にも満たない得票数であった。候補者の擁立が難しいのは判らなくはないが、議会の解散の件とあわせ長野県議会の対応は判らないことが多すぎた。

地方自治体選挙に現れる民意の捩れ現象をどう理解すべきか

長野県に限らず地方自治体の選挙制度には今回のようなケースが生じる制度上の問題がある。
もともと、首長は直接選挙で選ばれながら、議会との二重代表制であることも大きな問題点であろう。
また、財政面からは地方交付税制度がある限り、首長といえども限界財政責任制〔京大・吉田和男教授〕でしかなく、財源の多くを国に依存している限り首長、議会ともに権限に大きな制約があり、きわめて中途半端な状態であるといわねばなるまい。
地方自治体の特質を選挙制度から考察してみれば
首 長 ------直接選挙で選ばれ、議案および予算の提案権、議会解散件を持っている。
議会議員 ---直接選挙で選ばれ、議案提案権、調査権、首長に対する不信任、人事案件
         の同意権などを持っている。
この基本的な枠組みから大統領制にたとえられることがあるが、大統領制は議会しか立法機能を待たないので根本的に異なり、議会の信任にもとずく議院内閣制とも異なる独特の制度である。
そこで、地方自治法では首長と議会を対等と位置づけている。
しかし、首長はプレビシット型(Plebiscite)と呼ばれる国民投票的な選挙になりやすく、通常は二者択一型か、カリスマ性や知名度からくる人気投票的になりやすい傾向がある。またプレビシット型なるが故に住民代表でもあり議会や議員を抜きにして直接住民に結びつくことによって二重代表制の一方の議会が軽視される傾向がでやすい。選挙後に辞任をした県民クラブの最長老議員小田切行雄氏(88)は9期目のベテラン議員であるが、今までは地元の陳情を理事者に伝え、それを形にする手法で支持基盤を涵養してきたが、田中知事になってからは地元要望の「子ども未来センター」計画も田中知事に直接寄せられた意見がきっかけで白紙化され、再検討となったことなど、知事と議会の意思が異なり、従来と異なる手法を多用する知事との二重代表制がもたらした問題が顕在化したものであった。このように同じ選挙区内でも往々にして首長と議会議員の支持者の意思が異なることがある。
長野県の今回の場合はその典型的な例であるが、知事は圧倒的に支持され再選されたが、議会は解散していないのでそのままであるから今後の県政運営は抜本的には変わるはずがない。
すでに最大会派の県政会が解散を決め、複数の議員が辞職したそうだが、どちらかが従来とは違う形で歩み寄る可能性があるのかが問題であろう。

田中知事の当選後のマスコミを通じてのコメントを聞いていると、圧勝した自信からか「話し合いをする」とはいっているが傲慢さがぬぐえない感じがしてならない。
象徴的なことは唯一支持を表明した共産党の5人の県議団の代表者が、圧勝することは暴走する危険性があり望ましくないといっていたことが印象的であった。
田中康夫氏はそんな程度のお人柄なのかもしれないが、各級選挙が終わるたびにいろんなことを考えさせられるが、特に今回は地方議会と知事の思いがこれほど捩れた場合はどうするのか、対岸の火事だとのんきなことを言っていられない思いがするのである。
地方自治体の首長と議会の主張が真っ向から対立した場合は、大統領制が議会に対して拒否権を持っているように、何らかの優位性を持たせるべきかもしれないが、長野県を見ている限りこの思いが一向に現実性を帯びたものにならないのも率直な思いである。

   平成14年9月9日                     
                                  大阪府議会議員  松 室    猛
 




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