過去からの唄〈Page.2〉




 二人がベッドに沈んで2時間ほど経った後、激しい咳がアリオスを眠りの世界から呼び起こした。
「大丈夫か?」
 心配げな声でアリオスが問うと、
「ああ、大丈夫だ。起こして悪かったな」
 擦れた声でオスカーが言葉を返した。
 しかし、返事とは裏腹にオスカーの咳は激しくなるばかりだ。
 アリオスは急いで立ち上がり、エアコンの温度を低めに調節した。そしてコップに水を汲み、サイドテーブルへと置いてやる。
 さっき体温計を借りにフロントへと行った時、同時に加湿器も頼んだのだが、あいにく全て貸し出し中だった。
 しかたなく部屋へと戻ってきたが、こうなることは予想が付いたのだから、あの時点で街へ出て買いに行くべきだったとアリオスは後悔した。あの時間なら、まだいくつか店は開いていたはずだ。
 時計は深夜1時を指している。
 刻々と進む秒針を眺めながら、一か八か街へ出て開いている店を探そうかと思案していると、オスカーがふいに言葉を発した。
「行かなくていいぞ。室温さえ上げなければこれで十分だ」
 そう言って、オスカーはブランケットに潜るようなしぐさを見せた。
 悪寒はまだ続いているらしい。
 時々、肩が小さく震えているのがよく分かる。
 アリオスは右手でクシャクシャと髪を掻き回して小さなため息をついた。
 そして意を決したように自分のベッドからブランケットを引き剥がすと、オスカーの身体に掛けられているブランケットへと重ね、自分の身もその中へと潜り込ませた。

「おい!」
 突然のアリオスの行動にオスカーは当然の如く驚いた。
 いくら大きめのベッドとはいえシングルベッドだ。190センチ近くもある大男が二人で寝るには狭過ぎる。
 第一、熱に冒された頭では、このアリオスの奇怪とも言える行動の真意がすぐには分かりかねた。
「なんでお前がこっちに来るんだ?」
 しかしアリオスはオスカーの問い掛けに答えようとせず、腕を伸ばしオスカーの身体を自分の方へと引き寄せた。
「ッ!?」
 図らずもベッドの中で男に抱きしめられるような格好になったオスカーは、戸惑いながら様子を窺うように間近に迫ったアリオスの顔を覗き見た。
 長い前髪の奥にある碧玉の瞳は思いのほか真剣で、がっちりとフォールドされた腕から逃れることをオスカーに躊躇させる。それに今の自分の体力では、アリオスとの力勝負に勝てる自信も皆無だった。
 オスカーが無駄な抵抗を早々に諦めて全身の力を抜こうとした時、
「しばらくはこのままで我慢しろ。熱が上がりきったら氷嚢を貰ってきてやる」
 アリオスの声が耳元で響いた。
 その言葉でようやくオスカーは、アリオスが何の意図を持ってこんなことをしたのかを正確に理解した。
 どうやら苦しんでいる自分のために、こんな奇怪な行動に走ったらしい。
 咽のためにもこれ以上部屋を乾燥させることは出来ない。だとすれば室温を下げるしかないのだが、そうすると今度は悪寒の方が問題になってくる。
 悪寒を抑えるべきか、乾燥を抑えるべきか。
 この相反する二つの問題をいっぺんに解決するために考え出した、アリオスの苦肉の策だったのだ。
 らしいと言えばらしいのだが、どうしてこの男はいつも理由を説明もせずにいきなり行動へと移すのだろうか、とオスカーは思った。
 いつだってそうだった。常に前衛で一緒に戦っているというのに作戦会議には滅多に参加しようとせず、戦闘時には自分の好き勝手に動き回る。
 しかしその動きがオスカーや他の者たちの邪魔になったことなどないばかりか、むしろ助けられてさえいた。
「こいつとは戦いやすい」
 そう思ったことは一度や二度ではない。
(……だから、なのだろうか?)
 オスカーは目を閉じて小さく息を吐いた。
(だから二人の間には会話がなかったのだろうか。会話などなくとも互いの動きが手に取るように分かるから……?)
 いいや、違う。
 己の中に浮かんだおめでたい考えを、オスカーは即座に否定した。話す必要もないほど心を許せる相手なら、こんな警戒心をいつまでも抱いているはずはない。
 何かがおかしかった。
 戦闘時に感じる安心感と今日のような優しい表情。それを真っ向から否定するような憎しみにも似たドス黒い殺気。この男から感じる咬み合わない真逆の性質は、オスカーをますます混乱に陥れた。
 まるで二つの異なった人格がアリオスの中に存在しているかのようだった。

 また警告が発せられる。こいつは――危険――なのだと。


「どうした? 眠れないのか?」
 いつまで経っても身体から力を抜こうとしないオスカーを心配して、アリオスが声を掛けた。
 その声がまるで合図のように、オスカーは全身の力を一気に抜き去り、その身をアリオスの腕へと委ねた。
 こんな状態で、それもこんな状況で、いくら悩んだところで正確な答えなど出せはしない。むしろこのまま素直に流れに任せたほうが、この正体不明の銀髪の男の本性を垣間見ることが出来るかもしれなかった。
 そしてなによりも体力を回復させることこそが、最も優先されるべきことがらだった。
「いや、寝る」
 オスカーが咳を含んだ声で答えると、
「そうか」
 アリオスは納得したように頷き、オスカーの背中をゆっくりと擦り始めた。
 その温かな手の感触にオスカーは甘い眩暈を覚える。

 そして、甦る一つの光景――
  

 寝ている部屋に運ばれたスープとロウソクが7本立った小さなケーキ。
 ハッピーバースデーの曲に乗せられて、思いっきり吹き消したロウソクの煙に咽せた夜。
 咳き込むオスカーの背中を母が優しく擦ってくれた。


《想い出》はいつも悲しいくらいに美しい。
 鮮やかに甦ったあの日の情景も、窓の外にはたくさんの雪が降り積もっていた。
 二度と戻らない日々。
 二度と会えぬ家族。
 二度と……思い出すことのない遠い記憶。

 アリオスの優しい腕のぬくもりがオスカーを夢の世界へと誘っていく。
 宇宙の危機も、謎の侵略者も、女王陛下や聖地のことでさえ、オスカーの頭からは消え去っていた。今夜だけは幸福なあの日に包まれていたかった。

 意識が落ちる。
 ――その瞬間、


 オスカーの耳にははっきりと、両親が唄ってくれた『ハッピーバースデー』の声が聞こえた気がした。



 End.