邪王復活 1

 

 人々が寝静まった沈黙の世界・・・

 どこからともなく現れた真っ黒な雲が空を覆いつくした途端、天を二つに裂くかのような稲妻が走った。

 そして、大地を震わせる轟音が白い閃光に続いて轟いた。

 間髪を入れずにバケツをひっくり返したような豪雨が地上に降り注いだ。

 その叩きつけるような雨の音をさらに上回る稲妻の音に目を覚ました幾人かの人たちは、何故か窓を開けるのをためらった。

 強い雨が降っているからというのが理由ではなかった。

 ただ、外を見てはいけない。

 目を閉じて、じっと時の過ぎるのを待たなければならない。

 そんな予感を彼等は感じて、どうしても窓に手をかけることができなかったのだ。

 だが、その夜、たまたま外に出ていた一人の男がいた。

 彼は、突然振りだした豪雨に視界を塞がれ方向を見失い途方にくれていた。

 男はつい3日前にこの村に来た旅行者だった。

 ようやくの思いでたどり着いた神社の木の下に男は飛び込む。

 つい先ほどまで綺麗な星が瞬いていたのが嘘のような雷雨に男は困り果て溜息をついた。

 できるだけ濡れないようにとジャケットの内側に入れていたカメラをそっと手に取って確かめる。

 卒論のために貯金をはたいて買った大事なカメラだ。

 壊れでもしたら目もあてられない。

 勿論、防水機能があり雨に濡れたくらいで壊れるような代物ではないが、やはり彼にとっては貴重品なので気になる。

 葉を一杯に茂らせた大木が雨の勢いを弱めてはくれるものの、全く濡れないですむというわけにはいかない。

 下着まで濡れた現状では少々濡れたって気にすることはないのだが、早く屋根のある所へ入りたかった。

「えーと・・この神社は民宿のどっち側にあったかなあ?」

 男がそう呟きながらぐるっとまわりを見た時、またも白い閃光が走った。

 ひゃっ!と男は首をすくめる。

 女は音に怯えるが、本当に怖いのは光だ。

「危ねえ・・・この木に落ちたりしないだろうな・・・」

 男は心配げに木を見上げると、一向に止む気配をみせない雨をにらんだ。

 落ちないという保証はない。

 雷は高い木に落ちやすいし、しかもこの神社は高台にある。

 危険といえば危険だった。

 やっぱ走ろう、と男が木の下から出ようとしたその時、信じられないものが目に入った。

「なっ・・なんだ、あれは!」

 ある筈のないものを見た男は驚きに目を瞠った。

 幻覚か?

 目をこする。

 しかし、激しく降り続ける雨の中に浮かび上がったそれは、全く消えずにそこにあった。

 なんだろう?

 男は首を捻り、瞬きを繰り返しながら、とにかくと手に持っていたカメラを構えた。

 写るだろうか?

 ファインダーを覗いても、それはちゃんと存在していた。

 彼はシャッターを切るべく指先に力をこめた。

 フラッシュに呼応するかのように再び天を裂くような稲光りが走る。

 大地を引き裂くような轟音。

 そして、世界は沈黙した。

 

 

 昨夜の雷雨が嘘のように青空が広がった朝、神社の境内に二つに裂けた大木と、黒こげになった男の死体が横たわっていた。

 少し離れた草むらには、男のものだったカメラが無傷で転がっていた。

 男が最後に見た、信じられないものをフィルムに焼き付けたカメラが・・・・

 

 


 チュイーン チュイーン

 軽い機械音が響く中、浦飯幽助は獲物に向けて引き金を引き続けていた。

「この!この!この!死ねえ、この野郎!」

 幽助がライフルの引き金を引くたびに、画面のモンスターが一匹、また一匹と消滅していく。

 軽快なBGM。

 確実に一発で標的を消していく幽助。

 ゲームに熱中していた幽助は、あと少しで全面クリアできるという所でいきなり耳を引っ張られた。

 イッ!と幽助は顔をしかめる。

「こら、幽助!朝っぱらから、こんな所で何をやっとるかあ!」

「た、竹中・・・」

 耳を掴んだ男の顔を確かめた幽助は眉をしかめ、続いて画面に現れたゲームオーバーの文字に悲鳴のような声をあげた。

「アアーッ!もうちょっとでパーフェクトだったのに!」

 竹中〜〜とうらめしそうに睨む幽助の頭を、竹中はゴインとゲンコツをくらわせる。

「バカモン!」

「・・・ってえな!何しやがんでぇ!別にガッコをさぼってやってるわけじゃねえだろがあ!」

「おまえ・・来年は受験だぞ。わかっとんのか?」

「フン。俺ァ、高校になんざ行かねえよ」

 そう言ってふんぞり返る幽助を、竹中はゲームセンターの外へ引きずり出した。

「こーらっ、竹中ぁ!離せってんだよ!いてえだろうが!」

「教師を呼び捨てにするなと何度言ったらわかるんだ」

 またもガンコツをくらった幽助は不満そうに顔をしかめる。

「教師が生徒の頭をそんなにゴンゴン殴っていいのかよ!この暴力教師!」

 おまえに関しては聞く耳みたんとばかりに三度めのゲンコツが飛び、幽助は頭を抱えて唸った。

「そんなに暇をもてあましてるんだったら仕事をやるぞ、幽助」

「仕事だあ?」

「姪がこの近くのマンションに越してきてな。その荷物の整理を手伝え」

「なーんで俺が、んなことやんなきゃなんねえんだよ。てめえの姪ならてめえがやれよ!」

「勿論やるが、力仕事は若いもんの方がいいからな」

 へへーん、と幽助は鼻で笑いながら竹中を見た。

「年寄りはすーぐギックリ腰になるかんな」

「憎まれ口をきいとらんで来い。昼飯はちゃんと出してやるから」

「ふ〜ん。ご馳走だろうな?」

「特上の握りくらい頼んでやる」

 特上と聞いて腹の虫が鳴くのは情けないが、まっいいかと幽助は肩をすくめた。考えてみたら、ゆうべからロクなもんを口に入れてないのだ。

 酔っぱらいの母親は、一人息子をほったらかして、もう二日も帰宅してない。まあ、いつものことで腹も立たないが、自分で飯を作るのも面倒だし、買ってくるのもかったるいので、つい冷蔵庫の残っていたものを適当に食べていたのだ。

 結果的に餌につられてしまった形の幽助は、面白くねえという顔で竹中の背中を睨んで歩く。

 しかしホントの所、幽助は頭にくる事はあっても竹中を嫌いではなかった。

 こと教師という奴は、幽助にとってロクでもないバカばっかりだったが、この中年の教師だけは違っていた。

 幽助をどうしようもない不良とは見ずに、ちゃんと一人の人間として扱い、しかも自分としては不本意だが、彼の中にひそむ良さを見てくれる数少ない存在なのだ。

 だから、竹中はどんなに幽助が逆らっても見捨てることはしなかった。

 幽助も、そんな竹中だから無視することはしない。

 竹中の姪が引っ越したというマンションは十二階建てのわりとシャレた造りの白い建物だった。

 エレベーターで七階まで上がり、右の突き当たりの部屋の前で止まる。

 淡いグリーンのドアの横に〈瀬川ミチル〉という名前があった。

 半分ほど開いていたドアから竹中が声をかける。

「おーい、ミチル!」

「あ、叔父さん。朝早くからごめんねえ」

 部屋の奥から明るい声と共に、白いシャツにジーパン、その上にピンクのエプロンをかけている若い女性が顔を出した。

 年は二十才前後だろうか。

 茶色がかった髪をショートにした、目鼻立ちのはっきりした美人だ。

 鬼瓦みたいな竹中とは似ても似つかない。

 へえ〜と幽助は叔父と姪だという二人を見比べる。

「なんだ、幽助?」

「ほんとに血が繋がってんのかあ?ぜんぜん似てねえじゃん!姪なんて言ってさあ、ホントは愛人かなんかじゃねえのお?」

「バッカモン!」

 竹中はとんでもないことを言い出した幽助を怒鳴りつけた。

 ついでに手も出る。

「ってえな!冗談だろが!」

「言っていいことと悪いことがあるぞ!今度おかしなことを言ったら思いっきり口を捻るからな!」

 ちぇっと幽助は口を尖らせた。

「叔父さん、この子は?」

「うちの学校の生徒だ。暇そうにしてたんでな、手伝わせようと連れてきた」

「あ、春休みだもんね。宿題もないし。いいわよねえ」

 ミチルが羨ましそうに言う。

「何を言っとる。おまえもそうだろが」

「わたしは大学が休みでも忙しいのよ。ほんとは引っ越しなんてやってる暇ないんだけど、前のアパートはとにかく狭かったから」

「贅沢な奴だ。いったい何がそんなに忙しいんだ」

 ちょっとね、とミチルは肩をすくめた。

「あ、入って・・と言っても足の踏み場もないくらい散らかってるんだけど」

 確かにまともな空間は玄関だけで、どこもかしこも見事にひっくり返っている。まだ梱包したままのダンボール箱が部屋の隅に積み上げられていた。

「こりゃまた・・・」

 竹中も幽助も、その凄まじい有様に絶句した。

「随分と片づけ甲斐があるじゃん。けど、今日一日じゃ無理なんじゃねえの?」

「片づくまでここにいろとは言わんよ。にしてもすごい荷物だな」

「殆どが本と集めた研究用の資料よ。全然整理する暇なくってえ」

 ミチルはそう照れくさそうに笑った。

 やれやれ、と竹中は溜息をつく。

「今丁度休憩しようと思ってたとこなの。お茶いれるから、適当に座ってて」

 ああ、と答えはしたものの、どこへ座りゃいいんだと二人は悩む。

「あ、そうだ。自己紹介まだだったわね。わたしは瀬川ミチル。あなたは?」

「浦飯幽助」

「幽助くんね。よろしくvあなた、いい顔してるわね。わたし好みだわ」

「はあ〜?」

 幽助は目をパチクリさせながら、微笑んでいる年上の女性を見つめた。

「こらこら、ミチル!子供を誘惑するんじゃない!」

 ミチルは首をすくめ、チロッと舌を出すとキッチンへ入っていった。

 乱雑に散らかっているテーブルの上をとりあえず片づけ、手近にあったモーニングカップに沸かしたコーヒーを注ぎ入れトレイにのせた。

 あと、友人が差し入れてくれたクッキーの缶を小脇に抱え、ミチルは部屋に戻った。

「こりゃあ、片づけに相当時間をくうな」

「んー、まあのんびりやるわよ。寝るスペースとパソコンのまわりが片づいたらあとはどうでもおおわ」

「どうでもいいことはないだろが」

 竹中はあきれた顔で自分の姪を見つめた。

「どっちにしろ、明日から旅行に出るからしばらくどうにもならないわよ」

 ミチルはあっさり言い切ると、自分の分のコーヒーに口をつけた。

「おいおい・・旅行だと?そんな話は聞いてないぞ」

「急に思い立ったのよ。遊びじゃないからね、念のため」

「また研究か・・・お母さんは知ってるのか」

「ゆうべ電話しといた」

 竹中は溜息をつく。

「で、どこへ行くんだ?」

 ちょっとね、とミチルはあいまいに答えて笑った。

 そんな叔父と姪の会話を、幽助一人関係ないとばかりにクッキーを口に運んでいた。

「おいしいでしょ、そのクッキーVイギリスの有名な店の手作りクッキーよ」

「ふ〜ん」

 はっきり言ってイギリスだろうが中国だろうが食えりゃいいという幽助にはどうでもいいことだった。

 まあ、うまけりゃ、それにこしたことないってだけだ。

 以前、螢子が初めて焼いたというクッキーを全部たいらげておきながら、腹のたしにはなんねえなどと言ったばかりに超強烈な平手打ちをくらったことがあった。

 それから3日、螢子は幽助と口をきこうとしなかった。

 殆ど一人でクッキー缶をカラにした幽助を、ミチルは呆れるでなくニコニコしながら眺めていた。

「おまえ、朝食っとらんのか?

「え、食ったぜ、胡瓜と人参」

 冷蔵庫から出してそのまま囓っただけだが。

「・・・・・・・」

 幽助の家庭環境を少しは把握している竹中は、事情を察してこめかみを押さえた。

「さあて。で?オレは何をやりゃあいいんだ?」

「そうねえ。やぱり力仕事をお願いしようかしら。叔父さんは買い物ね。明日からの旅行でちょっと足りないものがあるから買ってきてくれない?ついでに、お昼の手配もしてくれたら嬉しいなあ」

「わかった、わかった」

 学生に睨みをきかす竹中も、可愛い姪には弱いらしい。

 竹中はミチルから買い物のメモを受け取るとそのまま出ていった。

 自分が出かけると部屋には年頃の姪と幽助の二人だけになることなど全く頭にないらしい。

 おかしな心配などないということだろうか。

 まあ確かに幽助は、不良とは言っても硬派で女に悪さなどしたことはないのだが。

 螢子をからかうのは、幼なじみという気安さからである。

“恋”とまでは発展してはいないが、それでも互いに好意を持っていた。

『結婚しよう』と幽助が初めて螢子に言ったのは4才の時で、以後ケンカをするたびに言っている。

 何故かというと、螢子はそんな時、いつもいい表情を見せてくれるからだ。

 口ではバーカと幽助を罵りながらも。

「あ、その荷物は右の和室の押し入れに入れて」

 悪いわね、と言いながらもミチルは結構人使いが荒い。

 ほんとに力仕事を全部一人でやらされたのだ。

「小柄だけど力あるわねえVうちの大学の男なんて、幽助くんの半分も役に立ちはしないわよ。資料の入ったダンボール箱一つ持てないんだから」

「ふ〜ん。大学でもこうやって男をこきつかってるわけだ」

 幽助がそう言うと、ミチルはやだぁとケラケラ笑った。

「こき使える男がいたら、こんな筋肉つかないわよ。頼りにならないから、力仕事は全部わたしがやるハメになってんの」

 そう言ってミチルは深々と息を吐いた。

 だいたい、辞書より重いもの持ったことがないって男ばかりだし・・・とミチルがグチると、幽助はあ〜ん?と呆れたように声を出した。

「なーんでえ。そんな大学に行ってんのかよ」

 行ってるのよ、とミチルはしれっとした顔でうなずく。

「何専攻してんだ?」

「考古学。主に日本の古い伝承を研究してるの。今調べてるのは“ジャオウ伝説”」

「ジャオウ伝説?んだ、それ?」

「中国地方のある山村にだけ伝わっている話なんだけど、これが変わってて面白いのよv」

「面白いって?」

「ちょっと待ってね」

 ミチルはダンボール箱の一つから何冊かファイルを引っぱり出した。

 そして、蒼い表紙のファイルをパラパラめくる。

「ジャオウはその村、崎根(さきね)村っていうんだけど、そこの神社に祭られている蛇の王のことらしいんだけど」

「蛇の王・・だから“蛇王”ってか」

 多分ね。

「蛇が神様かよ」

「あら、日本には多いのよ。白蛇って結構神聖視されてるでしょ?」

「そうかあ?」

「特定の生き物を神として祭っている所は多いわよ。たとえばお稲荷さん。あれは狐でしょ?」

「オレは狐なんか拝んだこたあねえよ」

「でしょうね。というより、神頼みしたことないんじゃない?」

 ミチルはフフッと笑う。

「それで、この蛇王なんだけど。昔から村を災害から守ってくれる大切な神様として敬われているんだけど、その由来というか、蛇王について書かれた古文書が全くないのよ」

「蛇王を祭ってるってえ神社にねえのかよ?」

「あったかもしれないけど、一度焼失してるから。100年くらい前に伝説を覚えていた老人から聞いたという書物ならあるんだけど」

「んじゃ、それ読めばいいじゃん」

「わかってないなあ。考古学はそれだけじゃ成り立たないのよ。実際に現場へ行って、小石一つからでも真実を見つけだすことが考古学なの!わかる?」

「わかんねえ。オレに言わせりゃ単なる暇つぶしだぜ。んな古いこと調べてどうすんだ?」

「どうするって、面白いじゃないv」

 どこがあ〜と幽助が喚く。

「どんなに古くてもね、それが現代にかかわってきていることもあるのよ。わかった?」

「わかんねえって!」

 変ねえ、と首を傾げたミチルは、ズイっと幽助の方に膝を進めた。

 間近に顔を寄せられ、意味ありげに笑われた幽助はギョッとして腰を引く。

「な・・なんだよ?」

「幽助くんって、いい瞳をしてるわねえ。不思議なものを一杯知ってるって瞳よ。こういう瞳をしてる人って考古学をやる者のとっては貴重なのよねえ」

 言われる意味がわからず、幽助は瞳をパチクリさせた。

「こらっ、ミチル!子供を誘惑するなと言っただろうが!」

 丁度買い物から戻った竹中が、二人の様子を目にし怒鳴り声を上げた。

 どう見ても、ミチルが幽助に迫ってい図である。

「あら叔父さん、お帰り。や〜ねえ、誘惑なんかしてないわよ」

 ミチルがケラケラと笑う。

「ね、叔父さん。この子、今度の旅行に連れていってもかまわないかな?」

「い〜〜!?」

「前に、うちの大学の先輩が事故死したって話をしたでしょ?実は、今度の旅行はそのことを調べるためでもあるの」

「調べるって・・・雷に打たれて死んだんじゃなかったのか?」

「そうなんだけど、ちょっと・・ね」

 ミチルの、何か訳ありらしい様子を見て、竹中は顔をしかめた。

 危険なことに首を突っ込む気じゃなかろうかと心配になってくる。

「幽助、どうする?おまえ、他にやることがないんだったら、ミチルについて行ってくれんか」

「なーんで俺が!」

「おまえならいいボディガードになるしな。バイトのつもりで引き受けてくれんか、幽助」

 幽助は、ムゥ〜という顔で竹中を睨む。

「竹中が金出してくれんのかよ?」

「先生と呼べと言うとろうが!・・まあ、小遣いまではやれんが旅費と滞在費くらいは出すぞ」

 う〜ん、と幽助は考える。

 ただで行けるなら悪くない。

 実際退屈しきっていた所だ。金いらずでどっかに行けるなら願ってもない話だった。

 土産買ってきてやっから、とお袋から金をせびってもいいし・・・

「オーケー、いいぜ」

 

 

 幽助がミチルのマンションを出た時には、もう外は真っ暗で星が瞬いていた。

 結局、夕食もミチルの部屋で食べた。

 春とはいえ、夜はまだ空気もひんやりとしている。

 幽助はブルッと肩を震わせると、両手をジャンバーのポケットに突っ込んだ。

 この時間はまだ表通りは人が多くて賑やかだが、幽助は気まぐれを起こして裏道に入った。

 街灯はまばらで薄暗く、しばらく歩くと公園の入り口が見えてくる。

 幽助はちょっと立ち止まってから公園に入っていった。

 縦に長く、ジョギングのコースにも利用されている公園で、幽助も馴染みのある場所だった。

 昔、螢子とよく遊んだ。

 幽助はブランコに腰かけると、少しだけ地面を蹴った。

 キィ・・ときしんだ音をたててブランコが揺れる。

 ブランコに揺られながら幽助が大きく息を吐き出したその時、いきなり白い光が目に飛び込んできた。

 続いて夜の公園内の静寂をぶち破る爆音が響いた。

 たとえ人気のない夜であろうと、公園をバイクで突っ切るなんぞ言語同断の行為である。

「やかましいぞ、てめえ!走るんなら、よそへ行きやがれ!」

 幽助の怒鳴る声が聞こえたのか、バイクはピタッと停止した。

 黒のフルフェイスのヘルメットを被った男が、ブランコに乗っている幽助を振り返る。

(んだよ、てめえ!文句あるってのか!)

 幽助は相手を睨みつけた。

 男はバイクを降りると、ゆっくりした足取りで幽助に近づいてきた。

 荒々しい気は感じないが、幽助は険しく眉をしかめる。

「ブランコか・・・相変わらずガキだな、幽助」

 ん?と幽助は瞳を細める。

 聞き覚えのある声。

 男がヘルメットを取った。

 艶やかな黒髪の、ハッとするような美青年の顔が現れる。

「てめえ・・・亜門か」

 幽助が“亜門”と呼んだ男は、女のように赤い唇を笑みの形に歪めた。

「久しぶりだな、幽助」

「いつ戻ってきたんだ?」

「昨日の夜にね。おまえのアパートの前まで行ったら火事で焼けてなかった。放火だって?災難だったな」

 言葉とは逆に亜門の顔には面白がっている表情が浮かんでいる。

 幽助は、フン!と鼻を鳴らしてブランコから降りた。

 再会を喜ぶような相手でもないので、幽助はさっさと分かれようとしたが、亜門の方はそうではなかったらしく、いきなり腕を掴まれた。

 カッとして幽助は亜門に殴りかかるが、あっさりとヘルメットでかわされる。

 ガツッと鈍い音が響く。

「・・・てぇっ!」

 堅いヘルメットを殴ってしまった幽助は顔をしかめる。

 亜門が、くくくと楽しげに喉を鳴らした。

 どういうわけか昔から苦手などない筈の幽助にとって、この亜門という男は鬼門ともいうべき存在だった。

 調子が狂ってしまうのだ。

 本気でやればこんな奴、と思うのだが、何故か本気でやりあえない。

 女のようなその美貌を思いっきりはたき倒したいという欲求があるというのに、だ。

 亜門は幽助の拳でへこんだヘルメットを放り投げると、掴んでいた手をぐいっと横に引っ張った。

 勢いでブランコの支柱に背をぶつけることになった幽助は顔をしかめる。

 そして、寄せられるその白い顔を面白くなさそうに見つめた。

 堅い鉄柱に背中を押しつけられながら唇に触れてくる柔らかな感触に舌打ちが漏れる。

 氷のように冷たい唇だが、歯列を割って口腔内を探る亜門の舌は火のような熱さを感じる。

 その激しいギャップに幽助はクラリと目眩を覚え、そのまま意識を手放しそうになった。

 だが、その前に幽助はハッと我にかえった。

 ちくしょう!

 そうだ、こいつのキスは麻薬だったんだ!

 思い出すと、一気に幽助の頭に血が上っていった。

 が、反撃をくらう前に気づいた相手は、サッと避けるように身を引く。

「全く、物騒な奴だな。それに・・・思ってた以上に綺麗になった」

「てめえ、乱視か?だいたいだな!男にキスしてなーにがいいんだよ!」

「おまえだからいいんだよ、幽助」

 ニッと亜門が笑うのを、幽助は眉間に皺を寄せた渋い顔で睨む。

「ケッ!つきあいきれねえぜ!」

 幽助は、自分より頭一つ以上背の高い男の髪を力まかせに引っ張る。

 だが、目の前の男がちっとも痛そうにしないので幽助は面白くなかった。

「髪・・・のばしたのか?」

 初めて会った時の亜門は、耳が僅かに隠れる程度の長さだったのだが、今は背の半ばにまで伸ばした黒髪を一つに束ねている。

「おまえも成長したことだし、そろそろ元の姿に戻ろうと思ってね」

「?・・何わけわかんねえこと言ってんだ。いいか!俺はもう昔の俺じゃねえんだ!てめえと遊ぶ気はぜんぜんねえからな!」

 幽助はそう言って亜門の手を振りほどく。

「昔のおまえじゃないことはわかってるさ。だからこうしておまえに会いに来た」

 え?と幽助は足を止めて亜門を振り返る。

 亜門は同性である幽助ですらゾクッとするような艶のある笑みを浮かべていた。

「俺のものになれ、幽助」

「なっ・・・!」

 即座に正確な意味を理解した幽助は、瞬時に顔を怒りで真っ赤にした。

「ざけんじゃねえっ!俺は女じゃねえぞ!血迷うんじゃねえよ!」

 なに考えてんだ、この野郎〜〜!

「もう二度と俺の前にそのツラぁ見せんじゃねえ!ぶっ殺すぞ!」 

 凄まじい怒りを見せて噛みついてくる幽助を見ても、亜門は全く動じずに薄笑いを浮かべ、バイクの方へと戻った。

「あ、おい!ヘルメット!」

 怒り狂ってはいても、ちゃんと気を配る幽助だった。

 しかし亜門は地面に転がっているヘルメットには見向きもせずに走り去った。

「なんだあ、あいつ?」

 幽助は亜門が見せた態度が全く理解できずに顔をしかめた。

 自宅のマンションに戻ると、ようやく帰宅したらしい幽助の母温子が、窓際に座り込んでブランディのグラスを傾けていた。

「さんざん飲んでたくせに、家に帰ってまで飲んでんじゃねえよ」

「いいじゃない、あたしの金で買った酒なんだから。甲斐性なしのあんたに言われる筋合いはないね」

「俺ァ、てめえの亭主じゃねえぞ!」

「ばーか。あんたが亭主なら、とっくにお払い箱だよ」

「あー、そうかよ!」

 フンと幽助はそっぽを向いた。

「ねえ、お腹すいた。なんか作って」

「バカか。二日も家あけといて、食い物なんかあるわきゃねえだろ」

「んじゃ買ってきて」

 温子はポンと幽助に向けて財布を投げた。

 ムカッときたが、酔っぱらいに逆らってもバカみるのはいつも自分なので、幽助は黙って脱いだばかりのスニーカーに足を入れる。

「ああ、お袋。俺、明日っからしばらく家開けるからな」

「そっ」

「どこ行くか聞かねえのかよ?」

「興味ないもん」

「ふん!土産欲しけりゃ金ぐらい寄越せよ」

「地酒・・・・」

 チッ!と舌打ちした幽助はドアを音高くしめると、また暗い外へ出ていった。

 

 につづく

HOME BACK