さ く ら【転】

 

「遼!君は自分の立場がわかってるのかい?いくら当麻を救うためだといっても無謀すぎるっ!君は僕たちにとって

も、人間界にとっても絶対に失うわけにはいかない存在なんだよ!お願いだから、もう二度とあんな無茶はしないで

よね、遼、頼むから!」

「すまない、伸───でも俺は、自分のとった行動は間違ってないと思うんだ。当麻を目覚めさせるのは、俺の役目

だから。俺しか、当麻を目覚めさせられないから」

「何故?どうして、そう思うんだい?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 己の腕に支えられた、傷つき疲れきった者に問いかけられた言葉は、ただ微笑によってのみ返された。

 あの頃から、遼は当麻に対して特別な感情を持っているのではないかと、伸は感じ始めていた。

 何故、当麻なのか。

 今だに把握できていない鎧同士の結びつきなのか?

 それとも・・・・・・他に理由があるというのか?

 想う心は同じなのに。

 同じ日、同じ時に出会い、そして惹かれたのだから───

 眠り続ける少年の、柔らかな漆黒の髪にそっと指先で触れてから、伸は部屋を出ていった。

 妖邪界から戻って、既に四日が過ぎていた。

 仲間たち全てを阿羅醐に取り込まれ、追い詰められた遼の、あの時の悲壮な叫びが、まだ耳に残っている。

 そして、突然変化した烈火の鎧。

 あの白く輝く鎧の正体は今もってもわからないままだ。

 烈火の、いや他の四つの鎧を合わせたよりも強大な力を持った、あの白い鎧は、はたして何なのか?

 確かに自分たちは救われたが、得体が知れないだけに、素直に喜べない。

 それに──阿羅醐を倒した筈なのに今も不安が残るのは何故だろうか?

 最初に攫われた人々も、まだ戻っていないことも疑問の一つだ。

 その理由を知るために、少年たちは新宿で知り合ったナスティの好意に甘え、彼女の別荘に留まることにした。

 この四日間は、妖邪に関しては何も起こらず平穏に過ぎていた。

 気になるのは、阿羅醐を倒した後に倒れた遼が今だに目覚めないことだった。

 著しい体力の消耗による昏睡状態。

 まだ夢の中で戦いが続いているのか、時々うなされる遼が、見ていて痛々しかった。

 そのことだけを除けば、少年たちはいたって平和な時間を送っていた。

 朝食の後片付けからようやく解放された当麻は、居間のソファに腰をおろしてホッと息をついた

 すでに外は夏の様相を見せ、木々が鮮やかな緑の葉をゆらしていた。

 庭では、ナスティがシーツを干している。

 真っ白なシーツが風にゆれる様は、見ていると実に微笑ましい光景であった。

 白いエプロンをしたナスティの傍らでは、純が白炎を相手に、子犬のように転げまわっている。

 伸と征士はナスティに頼まれて買物に出ているし、秀は遼の部屋にいっているので、この広い居間を独占してい

る当麻は、しばらく静かな時間にひたることにした。

 手にしていた青いカバーの新書を胸の上に置き、クッションに身を沈めると目を閉じた。

 クスクスという笑い声───

<当麻って、本当にどこでもよく寝れるよなあ。うらやましいぜ>

 宇宙空間に漂っていた当麻を、それこそ命がけで目覚めさせた遼は、いつのまにか彼を起こす役目になってい

た。

 昔から熟睡してしまうと、ゆすられるだけでは起きない当麻が、どうしたわけか遼の声を聞いただけで目覚めてし

まうのだ。

 不思議だった。

 遼が床についてからは、当麻を起こす役目は、あの水滸の伸になっていた。

 伸の起こし方は、優し気な様貌からは想像もできないほど荒っぽいものだった。

 何か、俺に恨みでもあるんじゃないかと思えるほどだ。

 優しくやって君が起きるんだったら、とっくにやってるさ、と文句を言う当麻に冷たく言い放つ伸には、どうしても逆

らえない。

 さすがの当麻も、頭があがらず、嫌味を言われても逆らう気力は起こらなかった。

 そういえば───伸の奴、前におかしなことを言っていたな。

 

──当麻、君。新宿で会う前に、遼と会ったことがあるんじゃないか?

── ? いや。遼に会ったのは、あの日が初めてだ。なんで、そんなことを聞くんだ?

──別に・・・ただ、なんとなく、ね。本当に覚えがないんだね?

 

 いやにしつこく念を押していたが、何故伸は自分にあんなことを聞いてきたのだろう。

 遼の瞳は、一度見たら絶対に忘れられないほど印象的だ。

 もし、以前会っていたとしたら、忘れるわけがなかった。

 覚えがないということは、会ったことがないということだ。

「遼の様子は、どうだ?」

 あれ?という顔で、居間に入ってきた秀が当麻の顔をのぞきこむ。

「なーんでぇ?寝てたんじゃねえのかよ」

「ちょっと、考えごとをしていただけだ」

そう言って当麻は身体を起こすと、ソファに座り直した。

「まあ、相変わらずだな。昨夜より熱は下がったけどよ、まだ目覚める様子は全然ねえみたいだし──ただ、うなさ

れる回数が減ってきたってことくらいかな」

 とりあえず、順調に回復はしているということか

「伸と征士は、帰ってきたのか?」

「ああ。遼んとこには今征士がいる。伸の奴は、台所で買ってきたものを整理中。終わったら、お茶を入れてくれるってさv」

 秀は、ふと当麻が手にしている本に気がついて声をあげた。

「あっれー?なんだ、当麻。おまえもその本、持ってんのかよ?」

 え・・・?と当麻は持っている新書に視線をおとした

「遼の奴も持ってんだぜ。前にさ、あいつの荷物を見たことがあんだけどさ。そん時に珍しいもんがあるなあって思っ

て。星の本だろ、それ?結構むつかしい言葉が並んでてさ。よく、こんなもん読めるなって言ったら、こいつは忘れ

もんで、いつか持ち主に返すつもりで持ち歩いてんだって」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 秀の思いがけない話に、再び伸の言葉が甦ってきた。

 

──当麻。君、以前に遼に会ったことがあるんじゃないか?

 

「秀。その本の・・・・・・発行年月日を見たか?」

「え?そんなもん、見ねえよ」

「じゃあ、カバーがかかってなかったか?」

「かかってたぜ。水色のわりとシンプルなやつ。(ちょっと、色があせてたけど)あ、そういや、書店の住所が大阪に

なってたっけ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 伸がトレイにミルクティとケーキをのせて居間に入ってきた。

「お待ちどうさま。今日はナスティの手作りケーキつきだよ」

 秀が歓声をあげ、ハートマークを一杯飛ばしながら伸からケーキとミルクティを受け取った。

「秀。そのカバーにあった店の名前を、覚えてるか?」

「ああ、覚えてるぜ。俺の学校のダチと同じ名だったからな。タカネ書房ってんだ」

(タカネ書房・・・・・・・・・・)

 当麻は、小さく吐息をもらすと、ソファから立ち上がった。

「当麻。お茶は?」

「俺はいい。秀にでもやってくれ」

 やったvと秀の顔がほころぶ。

 居間を出ていく当麻を見送った伸は、幸せそうにケーキにぱくついている秀の方に顔を向けた。

「何か、あったのかい?」

「別に、なにも。俺にもよくわかんねえんだけど──遼の奴が当麻とおなじ本を持ってたって言ったら顔色かえちまっ

たんだ。そんだけさ」

「ふーん」

 伸は、トレイをテーブルの端に置くと、さっきまで当麻が座っていた場所に腰をおろした。

 自分のカップの中に砂糖を入れ、スプーンでかきまぜる。

 遼が当麻と同じ本を───

 やはり、自分の勘は間違っていなかったようだ。

 当麻は、ようやく思いあたったのだろう。

 いつ、どこで遼と出会ったかを。

(それにしても、つくづく鈍い奴だな。遼の方はとっくに気がついていたようなのに)

 なんか、無性に腹が立ってきた伸は、いつか当麻を問い詰めて聞き出してやろうと心に決めた。

 

 

 みんなが寝静まってから、当麻は一人、遼の部屋へと入った。

 ベットの脇に寝そべっていた白炎が、目を開けるが、頭を起こすこともせず、近づいてくる当麻を黙って見つめてい

た。

 当麻は、腰をかがめて、眠り続けている遼の顔をのぞき込んだ。

 まだ少し熱があると伸が言っていたが、呼吸はおだやかだし、苦しそうでもない様子を見て、当麻はホッと息をつ

く。

 

──当麻って、ほんとに幸せそうな顔で寝るからさ。なんだか、安心する。

──どうして?

──どんなことがあっても、当麻は変わらないと思えるから。きっと、何年たっても当麻の寝顔は変わらないんだ。い

つも邪気がなく、幸せそうで、そして穏やかで・・・・・・

 

 遼・・・初めて会った時も、俺の寝顔を見ていたのか?いや──そんな筈はなかったな・・・・・・・・

 当麻は、額にかかる遼の前髪をそっと指でかきあげた。

(おまえの寝顔は、あまりにも切なくて痛ましい)

 髪をかきあげたまま、当麻は静かに遼の額に口付けた。

(目を覚ませ、遼。そして、あの日見ることのできなかったおまえの瞳を、俺に見せてくれ・・・・・・)

 

 夢だと思っていた。

 あの夜のことは、夢だったのだと。

──また、会えるね?

──会えるさ、きっと。その時は、絶対に名前を教えろよな。

──うん。

 あの時、おまえの瞳を見ていたら、新宿で会った時、一目でわかったろうに。

──何も見てはいけないと言われたんだ。

 誰に?

──俺にとって、誰よりも大切な人を待っているんだ。

 誰を?

 おまえは、誰を待っていたんだ?

 あの日、おまえはそいつと出会えたのか?

 ふいに、当麻は胸がチクリと痛むのを覚えた。

 それが何に起因するのか、まだ当麻にはわかっていない。

 当麻にとって、遼は共に戦う仲間の一人であり、勝利を得るためにも守らねばならない大事な将であった。

 それは、これからも変わらないと思いながらも、遼があの日の少年だとわかった今、己の感情が微妙にかわりはじめていることを、なんとなく感じてはいた。

 しかし、その感情がはっきりと形となり、自覚するのはまだずっと先のことだった。

 遼の長いまつげがピクリと動くのを見て、当麻はハッとなった。

 ゆっくりと閉ざされていた瞳が開かれる。

「りょう!」

 驚いてのぞきこむ当麻に対して、遼はなんの反応も示さなかった。

 ふと、遼の唇がかすかに動いた。

「・・・・・・・・雨・・・・・・・・」

 え?と当麻は窓の方に顔を向ける。

「ああ・・・降ってきたな」

 夕方から曇りだしたのだが、今雨になったことに当麻は初めて気がついた。

 遼の耳には、この雨の音が聞こえているのだろうか───

「遼・・・・・・?」

 当麻が、ベットの上の遼に向き直った時、一度は開いた筈の遼の瞳が、再び閉じられていることを知って溜め息を

ついた。

 遼、と耳もとで名を呼んでみたが、遼はなんの反応もみせなかった。

 当麻は、もう一度溜め息をつくと部屋を出ていった。

 

 

 翌朝、秀はナスティに言われて遼が眠る部屋の窓を開けに二階へ上がっていった。

 まず、いつものように遼の様子を確かめ、変化がないのを見ると窓の方へと歩いて行き大きく開け放った。

 サーッと湖から吹いてくる風がカーテンを揺らす。

 夏でもここは木が多いせいか、朝方などひんやりとした空気が流れていて気持ちがいい。

「雨・・・やんだんだな」

「ああ、いい天気だぜv」

 そう機嫌よく答えてから秀はあれ?と目を瞬かせた。

 今の声は?

 秀が、まさか・・・とベッドの方に首を回す。

「遼・・・おまえ・・・!」

 

 

 ナスティを手伝いながら朝食の用意をしていた伸は、けたたましい秀の声と、その後に続いた大きな音に何事だとキッチンから顔を出した。

 伸は丁度日課となってる竹刀の素振りを終えて戻ってきた征士と共に階段の下でうずくまり唸っている秀を呆れ顔で見下ろした。

「朝っぱらから何を慌てているのだ。少しは落ち着かんか、バカモノ」

 背中と腰をしたたかに打った秀は、征士にたしなめられても声ひとつ出せづにうめいていた。

 伸はというと、秀がナスティに言われて遼の部屋の窓を開けに行ったことを知ってしたので、わずかに眉をひそめた。

「秀、遼になにか・・・・・・?」

「目ぇ覚ましたんだ・・・・・・・・」

 えっ?と二人は聞き返す。

「遼の奴が、目を覚ましたって、言ってんだよ!」

「本当か!?」

 六日めの朝、ようやく目覚めた遼に、別荘にいた者たちは喜びに湧いた。

 まだ、身体を起こせる状態ではないが、それでも顔色はよく元気そうだった。

 伸が早速用意した、手作りのりんごジュースを少し飲み、久し振りにみんなの顔を見て会話をかわしてから遼は、安心したようにまた眠ってしまった。

 それからは、日に何度か目を覚まし、少しは食事もとれるようになって徐々に体力も回復していった。

 目覚めてから一週間も過ぎると、なんとかベットから身体を起こせるようになり、少しの時間ならみんなと一緒に食堂で食事ができるまでになった。

 熱も出なくなったし、うなされることもなくなった。遼は、朝、目が覚めると、顔の前に両手を陽の光にかざしてみた。

 生きているんだな、と実感し、思わず笑みがもれる。

 目覚めると、かならず誰かが側にいた。

 それが、なんだか遼には不思議な気がした。

 父親は殆ど仕事で出掛けていて家にはいなかったし、遼はずっと一人だったから。

 朝、目が覚めても誰もいない。

 声をかけてくれる人も、食事を作って待っていてくれる人も。

 だから、ここでの生活は全て初めての経験ばかりであった。

 なんだかホッとして、幸せな気分だった。

 人の暖かな温もりに包まれているようで、ひどく心地よい───

 目を開けるとナスティの顔が、伸の顔が、征士や秀。

 それに、純の笑った顔が見える。そして、当麻の・・・・・・・・

 遼は、両手を顔の前からベットの上に戻すと、フッと小さく息をついた。

(当麻───)

 伸や秀ほどではないが、最近優しい表情で自分を見るようになった。

 以前にはなかったことだ。

 当麻は智将だから、戦いの時、仲間に道を指し示さねばならない。

 そういう立場だから、常に当麻は遼に対して厳しかったような気がする。

 それが、戦いが終わったせいか、こんな笑い方のできる奴だったのかと驚く程、当麻は優しい顔を見せ、接してくれる。

 ああ、でも───最初の出会いの時、当麻はすごく優しくて暖かかったっけな。

 

──今度会う時は、名前、教えろよな。

 

 まだ・・・俺は、おまえに名前を言っていない・・・・・・・・

 再会した時に名乗ったのは、烈火としてだから。

 俺のことを、おまえはまだ知らない・・・

 俺のことを知ったら、おまえは、どんな顔をするだろうな。

 いろいろ想像すると、なんとなくおかしくて遼はクスクスと笑った。

 なにしろ、まだ六才のチビで、意味もろくに知らずにキスなんかかわしちまったんだもんな。

 

──ファーストキスは、いつかまた会うためのおまじないなんだ。

 

 本当に俺たちは、また会うことができたよな。

 でも、それは初めからわかっていたこと・・・・・・・・

 知らなかったのは、おまえだけ。当麻───

 ドアが開いて、朝食を持ったナスティが入ってきた。

「気分がよさそうね、遼」

「おはよう、ナスティ。気分は、すこぶるいいよ。このまま、起きられそうなくらいさ」

「そう。よかったわ。でも、まだ無理はしちゃだめよ。今無理して、また寝込むことになったら大変でしょ?」

「わかってるよ、ナスティ。それより、みんなはどこにいるんだ?」

 いつもなら、かならず庭で誰かの声がしていたのに、今朝は誰の声も聞こえてこないので、遼は気になっていた。

「居間にいるわよ。どうして?」

「ん──別に・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 遼に彼等のことを聞かれて、ナスティは内心ドキリとしていた。

 彼等のつながりは深い。やはり、何かを感じとっているのだろうか?

 

──ナスティ。遼には絶対にかづかれないようにしてくれ。

──まだ、遼には休息が必要だからね。

──これくらいのこたあ、俺たちだけで片付けられっからよ!

──遼のこと、頼むぞナスtィ。

 

 ナスティは、遼に気付かれないように溜め息をついた。

 昨日、新宿の様子を見に行っていた当麻と征士がここに戻る途中に沙嵐坊と名乗る妖邪に襲われた。

 その妖邪が狙っていたのは、白い鎧を纏う者だった。つまり遼である。

 だが、遼はまだ完全には回復していない。

 もし、このことが知ったら、遼はきっと無理をする。

 それがわかっているから、四人は遼に内緒で、その妖邪と対決すべく出掛けていったのだ。

(みんな──遼のためにも、きっと無事で帰ってきて!)

「ナスティ。当麻を呼んでくれないかな」

「え・・・?当麻を?」

「うん。ちょっと、話したいことがあるんだ」

「ごめんなさい。当麻には、ちょっと買物を頼んじゃって、今いないのよ」

「・・・・・そう」

「帰ってきたら、伝えておくわ。今朝の料理は伸の自信作らしいから、しっかりと食べてね、遼」

 ナスティは、そう言うと、そそくさと部屋を出ていった。

(なんか、変だな?)

 遼の不安を感じとってか、白炎が顔をあげた。

「大丈夫だよな、白炎。何もあるわけない。阿羅醐は倒したんだから。俺の気のまわし過ぎだよな」

 遼はそう呟いて苦笑いすると、ナスティが置いていったトレイに目を向けた。

 伸の自信作だというミネスタローネが、いい匂いをさせている。

 あとはポテトサラダに、ハムと玉子のサンドイッチ。

 ガラスのコップに入っているのは、ミックスジュースだった。まさに、栄養満点である。

 伸が、こんなに料理が得意だったなんて、遼は初めて知った。

 遼も、ほとんど一人暮らしのようなものなので、料理ぐらいはできるが、伸ほど得意ではない。

 一人で食べるのに、こった料理を作っても仕方がないからだ。

 きっと伸には、一緒に食べてくれる人が、ちゃんといたんだろうな。

 遼は、すべてに感謝するかのように手をあわせると、トレイの上の朝食をとり始めた。

 

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