さ く ら【結】

 

 当麻は、その日何度めかの溜め息をついた。

 遼との激しい言い争いに、全精力を使い切ったような気分だ。

 あんなにも感情むきだしにして相手にぶつけたのは、生まれて初めてのことだった。

 あそこまで言う必要はなかったのではないか。

 普段なら、もっと違った言い方で遼を説得できた筈だ。

 なのに、遼の激しさに引きづられて、あんな結果になってしまった。

「大丈夫、当麻?」

 ナスティが、心配そうな声で当麻の顔をのぞきこむ。

「ああ。大丈夫だ」

 当麻は、心配するナスティに笑って答えはしたが実際、体力、気力共に疲れはてていた。

 女妖邪の出現で激しい戦いをしいられ、しかも輝煌帝の突然の発動で、力を奪われてしまったのだ。

 その上に、仲間が三人捕まったと知り、救出のことで遼と口論までしてしまったのだから。

 ぶっ倒れないのが、おかしいくらいだった。

「遼は?」

「部屋にいるわ。寝るようには言ったんだけど・・・・・・・・・」

 三人が囚われたことは、遼にとって、かなりショックなことだったのだろう。

 どんなことをしてでも救い出したい気持ちはわかる。

 しかし、考えもなしにやみくもに敵陣に飛び込むわけにはいかないのだ。

 断じて遼を失うわけにはいかない。

 遼が、烈火が無事でいるからこそ、まだ勝利の望みが残されているといえるのだから。

 三人がいない今、烈火を守って戦えるのは天空である自分しかいないのだ。

 嫌われ、うとまれようと、当麻は遼を守りきらねばならなかった。

 この命に賭けてでも──!

「当麻。あなたも顔色がよくないわ。早く休みなさい。これからのことは明日考えればいいから。今はゆっくりと休息して、元気になることが先決だわ」

「ああ・・・・・そうだな。ごめん、ナスティ。心配かけちゃって」

「いいのよ。わたしが心配しなければ、あなた達は無茶ばかりするんだから」

 ナスティの言葉に、当麻は苦笑いをもらした。

 確かにその通りなのだ。

「おやすみ。ナスティ」

「おやすみなさい」

 二階へとあがった当麻は、そのまま遼のいる部屋の方へ行き、ドアをノックした。

 返事はないが、かまわず当麻はドアを開けて中に入る。

「遼・・・・・?」

 月明かりだけの薄暗い部屋で、遼はベットに倒れこむようにして横になっていた。

「大丈夫か、遼?」

 当麻はベットに近づき、かがんで遼の顔を見つめた。

 月明かりのせいだけではなく、その顔はかなり青白い。

 何度か輝煌帝の鎧を纏うことによって、力を押さえる術を覚えたようだが、それでも最初の発動の時ほどではなくても遼が受ける負担は大きかった。

 当麻は疲れきって目を閉じた遼の顔を、痛まし気に見おろした。

 結局、遼だけを苦しめているような気がした。

 阿羅醐を倒すためには、どうしても輝煌帝の力が必要だ。

 だが、そのために遼一人に重荷を背負わせることになるのが、どうすることもできない現状であった。

「悪かったよ、当麻・・・・・・俺って、すぐに感情のままに言葉を口にしちまうから───三人を救いたい気持ちは、おまえも同じなのに・・・俺一人、暴走して・・・・・・・・」

「俺も悪かったよ、遼。あんなにも怒鳴ることはなかったのに───すまない」

 当麻はベットの端に腰かけて、遼の髪をそっと指ですいた。

 指にからまる遼の漆黒の髪の、滑らかでヒンヤリとした感触が心地よかった。

 遼も当麻の指先から伝わる柔らかな波動が気持ちいいのか、わずかに表情が和らぐ。

「三人の救出のことは明日考えることにして、今はとにかく、ぐっすりと眠って体力を回復させることだ。わかるな?遼」

 うん、と遼は素直にうなづいた。

 当麻が部屋を出ていきかけると、遼が半身を起こして彼を呼び止めた。

「なんだ、遼?」

「いや・・・・・なんでもない。おやすみ」

「おやすみ。いいか、ちゃんとパジャマに着替えてから寝ろよ」

 当麻は、まるで保護者のような口調でそう言うとドアを閉めた。

 それから一時間ほどしてから、当麻はもう一度遼の部屋をのぞいた。

 遼は、当麻に言われた通り、パジャマに着替えて眠っていた。

 さっき遼が何を言いかけたのか、当麻にはちゃんと分かっていた。

 わかっているから、彼は知らぬ顔で出ていったのだ。

 当麻は、うつぶせで眠っている遼の寝顔をのぞき込んだ。

「この、いじっぱりめ」

 当麻は、くくっと忍び笑いをもらすと、隣のあいているベットにもぐりこもうとした。

 ん?

 当麻は、パジャマの裾を引っ張られるのを感じて振り返った。

 見ると、遼がいたずらっぽく瞳を光らせながら、当麻を見つめている。

「・・・・・へそ曲がり」

「・・・・・・・・・・・」

 当麻はフッと笑って頭をかくと、遼の隣にすべりこんだ。

「ほんとに、いい性格してるよな」

「おたがいさまだ、遼」

 当麻は右手を伸ばして、クスクス笑っている遼の頭を抱きよせた。

 その行為に、遼はちょっと驚いたように瞳を見開いていたが、すぐに自然な感じで当麻の身体にすりよっていった。 

 まだ成長期の少年の身体は、とても柔らかく、パジャマごしに伝わる温もりがすごく気持ちいいので当麻は遼の身体をさらに自分の方に引き寄せた。

 遼もまた、感じる温もりが心地よいのか、引き寄せられても抵抗ひとつせず、当麻の胸に顔を寄せて目を閉じた。

 当麻は、遼が寝息をたて始めたのを確かめると、ホッとしたように自分も眠りについた。

 

 

 

「妖邪界は、滅ぼすべきじゃないのかもしれない」

「突然、何を言い出すんだ、遼」

 妖邪界へ入ってからあまり口をきかなかった遼がふと呟くように言った言葉に、当麻はびっくりしたような目を向けた。

 遼は、湖を渡るために乗り込んだ船から僅かに身を乗り出して、澄んだ美しい湖水をじっと見つめていた。

「妖邪界は・・・・・こんなにも美しいんだぜ。邪悪も感じない。感じるのは、阿羅醐がいる所だけだ───阿羅醐は、絶対に倒さなくてはならないけど、妖邪界まで滅ぼす必要はないんじゃないか」

「・・・・・・・・・」

「この妖邪界で目覚めるまで、俺は暖かくてすごく気持ちのいい気に包まれていた。羊水の中って、こんな感じかもしれないって、思った。この妖邪界は・・・・・生命の原点かもしれない───」

 遼の指先が、湖水の表面を撫でるように動くのを、当麻は無言で見つめた。

 どう答えていいのか、当麻にはわからなかった。

 遼も当麻に答えを求めて言ったわけではないのだろう。それ以上、そのことには何も言わなかった。

 妖邪界の美しさは、当麻も予想していなかったことなのでびっくりした。

 本当にここが妖邪界なのかと、己の目を疑ったぐらいだ。

(生命の原点か・・・・・・)

 ゆっくりと流れるにまかせて動く船の中は、まるで時が止まったかのような錯覚を覚える。

 ここに二人しかいないという状況が、当麻に遠い日の記憶をよび起こしていた。

 満開の桜の木の下での───

 

 ──ごめんなさい、当麻。いろんなことがたて続けに起こったものだから、つい忘れていたんだけど・・・・・・・・あの沙嵐坊という妖邪が現れた頃、遼があなたに話したいことがあるって言っていたの。

 

 遼が俺に話したかったことは多分、あの初めての出会いのことに違いない。

 伸が当麻に言ったニュアンスからすると、遼は当麻があの日の少年だということに気付いている。

 当麻の方は、全く気がついていなかったのだから当麻を見て、伸がそう感じたとは思えないからだ。

 しかし、何故遼にわかったのか?

 あの時、遼は自分の顔を見ていない筈だ。

「遼──俺に話したいことって、なんだ?」

 えっ?と遼は顔をあげた。

 すぐになんのことかわからなかったらしく、遼は大きく見開いた瞳で当麻の顔を見つめた。

 吸い込まれそうな瞳の色だった。

「ああ・・・ナスティから聞いたのか。いいんだ、もう・・・・・・・・たいしたことじゃないから──」

「・・・・・・・・そうか」

 予想通りの答えに、当麻は心の中で溜め息をついた。

 もし話すつもりだったら、いくらでも機会はあった。なのに話さなかったということは、すでに話す気をなくしていたということだ。

 阿羅醐が生きていたということで、それどころではなくなったのだろう。

 しかも、仲間の三人が敵に捕らわれているのだ。

 遼の頭の中は彼等を救うことで一杯に違いない。

「そろそろ岸につく。いくぞ、遼」

「ああ!必ず、みんなを救い出そうぜ、当麻!」

「もちろんだ」

 

 

 呼吸を整え、精神を統一すると、当麻は弓を一杯に引きしぼった。

 ビッと手元から放たれた矢は、一直線に的に向かう。たんっ!と矢は狙いたがわずに的の中心を打ち抜いた。

「お見事!さすがにいい腕してんな、羽柴。なんで大会に出ないんだ?」

 パンパンと手を叩きながら現れた少年が、不思議そうに当麻に尋ねた。

「俺のは、単なる趣味だからさ、江藤。趣味でやってる俺が、真剣にやってる連中に混ざっちゃ悪いだろ?」

「そうかねえ?」

 江藤の見る所、彼、羽柴当麻の矢の打つ姿は、彼等以上に真剣そのものに見える。

 実際、彼以上の腕を持つ者は、この学校には一人もいなかった。

 いや、全国大会に出れば、はたして彼と互角に戦える者が、いったい何人いるだろうか。

(もったいねえよな、ホント)

「それより、おまえが放課後まで学校に残ってるなんて珍しいじゃないか。今日はデートの予定はないのか?」

「いや。数え切れないほどあったんだが、今日は全部断った。こいつのせいでな」

 江藤は、片目をつむって当麻に綺麗にラッピングされた小さな包みを見せた。

「一年の可愛い女の子が、おまえに渡してくれってさ。何も俺に頼むことはないと思うんだがなあ」

「そりゃあ、悪かったな。今手が離せないから、そこのイスの上に置いといてくれ。あと、二〜三回してから帰る」

 わかった、と答えて後ろを見た江藤は、ギョッとなった。イスの上には大小のカラフルな包みが山と積まれていたのだ。

 昨年のバレンタインよりも数が増えていそうだった。

「相変わらず、もててんな。羽柴」

「おまえほどじゃないさ、プレイボーイ。女子高生からも届いたって聞いたぞ」

 ふたたび矢は、正確に中心を打ち抜いた。

 並みの腕ではない。天性のものか。

 江藤は、まあなと答えてから、当麻の腕に感嘆の声をあげた。

 羽柴当麻は中学に入ってからのつきあいだからもう二年になるが、今だにこいつのことはよくわからんと感じている江藤だった。

 自分は親友と思っているが、はたしてこいつは俺のことをどう思っているのか。

 確かに今の所、自分以上に親しい人間は彼のまわりにはいないのだが───

「あーら、いたの、江藤くんv」

「夏姫か。クラブ終わったのか?」

 弓道部に入ってきたセーラー服の女生徒が、ストレートの長い髪をなびかせ当麻ににっこりと笑った。

 森田夏姫。

 彼等とはクラスが違うが、当麻とは小学生の頃からの付き合いだという関係で、なんとなく江藤も彼女と付き合うようになっていた。

 といっても、単なる友達づきあいだが。

 人目をひく美少女である夏姫には、入学式の頃から目をつけていたのだが、ガードが堅くて声をかけそびれているうちに、不覚にも友人として以上のつきあいができなくなっていた。

 まあ、それはそれで楽しくはあるのだが───

(まずったよなあ。てーっきり、羽柴の彼女だと思ってたのに───)

「おや?相変わらずチョコの<山>ね」

「欲しけりゃ、やるぞ、夏姫。俺はチョコはどうも苦手だ」

「そんなこと、言うもんじゃないわよ。女の子の気持ちも、少しは考えなさいよ、羽柴くん」

「夏姫もやったのか、チョコ?」

「羽柴くんに?まっさかあ!十一才の時から、羽柴くんにはチョコあげないって、決めてるの、わたし」

「でも、こいつは夏姫のファーストキスの相手だったんだろ?」

「そうよ。わたしはね。でも羽柴くんは違ったの」

「違うって・・・・・・・・まさか、羽柴は既にファーストキスを経験済みだったってことかっ!」

「そうよ。ね?羽柴くん」

 的から矢を抜いて戻ってきた当麻が、眉をひそめて夏姫を見た。

「なんでそう思うんだ?俺はそんなこと一言も言ってないぞ」

「言わなくてもわかるわよ。女の勘ってものをみくびらないでね。羽柴くんとは、もう十年近いつきあいなのよ。わからないわけないでしょ!わたしがキスを迫ったのは、それを確かめるためだったんだから!」

 夏姫の方から迫ったってえ?

 なーんて羨ましい奴なんだ!

「おい、羽柴。おまえのファーストキスの相手っていったい、どんな子だったんだ?」

 どんな・・・・・・か。

 当麻は、目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出した。

「夢だ・・・・・・・・」

 え?という顔で、二人は当麻を見つめた。

「俺のファーストキスの相手は、俺の・・・・・・夢の中にいた。───」

 

 

 遼は渡さん!

 俺は、遼に全てを賭けたんだっ!

 遼は、人の世を救うことのできる、ただ一人の男だっ!誰にも渡すものかっ!

 この命を捨ててでも、俺はあいつを守り抜いてみせる!

 

──当麻・・・・・もし、人の世を救うために俺の命が必要なら、俺はためらわずに捨てるつもりでいる。

   だから当麻・・・・・・その時は頼む!おまえだけは、迷わないでくれ!

   おまえは智将だ。勝つことのみを考えられる者なんだから・・・・・・・・・

 

 りょおぉぉーっっ!

 

 

 ドアの開く音に、四人の少年たちの視線が一斉にドアの方へと向けられた。

 トレイに熱いミルクの入ったカップをのせて入ってきたナスティは、つらそうな少年たちの顔を見てその痛ましさに胸が痛んだ。

 傷だらけになりながらも、少年たちは戦いに勝利した。

 しかし、今ナスティの目にうつっている少年たちの顔には、勝利を得た喜びの色はなかった。

 宿敵<阿羅醐>を倒すためとはいえ、彼等が最も大切にしていた彼等の将を、その手で斬ってしまったのだ。

 勾玉の力で遼は奇跡的にも甦ることができたが、少年たちの心に、消えることのない傷が残された。

 考えてみれば、最初の阿羅醐との対決の時に、彼等は遼に同じ決断をしいたのだ。

 だが、遼は仲間を斬ることができなかった。

 阿羅醐を倒せる唯一の機会だったのに、遼は刀を振り降ろせなかったのだ。

 今になって、あの時、どんなに遼が苦しんだか己の身になって初めて理解できた。

 ナスティは、無言で一人一人の前にミルクのカップを置いていった。

 阿羅醐を倒し、妖邪門が閉ざされ、新宿が真に開放された後、少年たちは勝利に酔うこともできずに虚脱状態に陥った。

 なんとかナスティは彼等をこの別荘まで連れてはきたが、遼はそのまま寝込んでしまい、他の四人は食事もろくにとろうとはせず、一日中ぼんやりとイスに座りこんでいた。

 ナスティにはどうすることもできなかった。

 ただ待つしかなかった。

 彼等が立ち直るのを───

 そうして、一週間が過ぎた。

 三日間眠り続けた遼の状態は良いものではなかった。

 ”仁”を背負っているがために、戦いで流された血の重圧を、一度にその身に受けてしまったのだ。

 目覚めても、ただ、ぼんやりと虚空を見つめている様子は、痛ましくて直視できなかった。

 どんな慰めも、今の遼には効き目がないだろう。

 ナスティが用意した食事もいっさい手をつけないので、遼は日増しにやせていくような気がした。

 四人は、そんな遼を気づかい、彼等を見守るナスティの優しい瞳に励まされ、ようやく立ち直る気配を見せ始めていた。

「ナスティ。今日、買出しに出掛けるんだろ?俺も一緒に行って荷物持ちをやるよ」

「ありがとう、秀。じゃあ、お願いするわ」

「私も行こう」

「じゃ、僕は昼食の準備をしておくよ。当麻、君も手伝ってよね」

 ああ、と当麻はうなづいた。

 沈んだ空気が、日常の平凡な会話によって明るさを取り戻し始めた。

 ナスティの顔に、ようやくホッとしたような笑顔が浮かぶ。

「お願いね、伸。当麻。簡単でいいから」

「まかしといて、ナスティ」

 伸は片目をつむって答えた。

 そして、みんなのカップをとりまとめてトレイにのせると、伸は当麻を促して居間を出ていった。

「当麻。君はこのまま遼の所へ行きなよ」

「え?」

「遼を立ち直らせることができるのは君だけだよ。残念だけど、僕では駄目なんだ。言ってる意味、わかるよね?当麻」

「伸・・・・・・・・」

「僕はね、当麻。もう一秒だって、あんな遼を見ていたくないんだ。遼には笑っていてほしい。これまで遼は辛い目にばかりあってきた。幸せにならなきゃならないんだよ。君も僕たちも、ナスティや純だって、もとの生活に戻って、幸せにならなきゃならないんだ。そうでなきゃ、勝った意味がないよね。そうだろ、当麻?」

「あ、ああ・・・・・・」

 だから、と伸は当麻の胸を人差し指でついた。

「君は、早く遼に笑顔を取り戻させてやってよ」

「・・・・・・わかった」

 当麻が二階へあがっていくのを見送った伸は、ふーっと大きな溜め息をついた。

「損な役まわりだな、伸」

「遼のためなら、仕方がないさ」

 伸は、そう言って征士の方を振り返った。

「だけど、僕はあきらめたわけじゃないからね」

 あくまで強気な伸に、征士は苦笑いした。

「ま、がんばるのだな、伸」

「お互いにね。だろ?征士」

 伸は小首をかしげニッと笑うと、さっさと台所へと入っていった。

 

 

 当麻は遼の手を握り締めた。

 とたんに眉が寄せられる。

 細くなった───

 以前は、自分の方が細いくらいだったのに、今の遼の手は、すっぽりと己の手の中におさまっていまう。

「何かしてほしいこと、あるか?」

「ん・・・水が飲みたいな」

 よし、と当麻はサイドボードの上に用意してあったポットから白湯をコップに注いだ。

「起きれるか?」

 遼は、ん・・・と半身を起こした。

 それを当麻が支えるようにして背中に手をまわした時、ふいに遼はしがみつくように当麻のシャツを掴み、顔を伏せた。

「りょう・・・・・・」

 当麻は、かたく瞳を閉じて何かに耐えているように唇を噛み締めている遼の顔を見下ろしながら、フッと息をついた。

 仁とは、それほどまでに辛いものなのか。

「遼──純が笑っていた。本当に、幸せそうにな。ようやく再会できた両親に甘え、さっそくわがままを言っていたぜ。わかるか、遼?これが答えだ。俺たちの戦いは、決して間違いなどではなかったんだ。それは、幸せな笑顔を取り戻した純が証明してくれている」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 当麻は、手に持っていたコップの水を口に含むと遼の顎をあげさせて、口移しで飲ませた。

 びっくりしたように、遼の瞳が見開かれる。

 当麻の青い輝きを持つ瞳が、見つめてくる遼の黒曜の瞳をまっすぐに受け止める。

「それでも、おまえの仁が、奪ってしまった者たちの心を受け止め続けるなら、一人で抱え込まずに俺に言え」

「とうま・・・・・・・・・」

「おまえは、自分に仲間がいるってことを忘れてんじゃないか?俺たちに気をつかうことはないんだぞ。俺たちは戦う時だけの仲間じゃない。同じ使命、同じ運命を持つ者としていたわりあうこともできるんだ。辛ければ吐き出せばいい。泣きたければ、泣けばいいんだ。もう、鎧を纏って戦うことはないんだからな」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 当麻を見つめていた遼の瞳から涙がこぼれ、スーッと頬を伝って流れた。

「とうま・・・・・・とうま・・・・・・・・・」

 当麻はしがみつく遼の背中を抱いた。

 

 この時──初めて当麻は、遼を愛しいと思った。

 

 

 

 

「じゃあ、みんな、元気でね」

「ナスティもね」

 ナスティの笑顔に、少年たちは笑顔で返す。

「これから受験で忙しいでしょうけど、がんばってね」

 受験という言葉に、秀がさも嫌そうに顔をしかめた。

「ほっんとに、たまんねえよなあ。やっと阿羅醐との戦いが終わったと思ったら、今度は受験に苦しめられるんだもんな。不条理だと思わねえか?」

「へえー。君もそんな言葉を知ってたんだ。でも、こういう場合には使えないよ、秀。ま、浪人しないよう、頑張るんだね」

「ちぇっ。伸はいいよな。受験の心配がなくってさあ!」

 ぶつぶつ文句言う秀に、少年たちは肩をすくめて笑った。

「とにかく、無理はしないで。身体には充分気をつけてね。それから、たまには連絡ちょうだいね」

 うん、と少年たちはうなづいた。

「本当にありがとう、ナスティ」

 遼はナスティの方に手を差し出した。

 ようやく戻った遼の笑顔に、ナスティは眩し気に目を細めると、遼の手を握った。

 二人の手の上に、他の少年たちの手が、次々に重ねられていく。

「ありがとう、ナスティ」

「サンキュー、ナスティv」

「元気でな、ナスティ」

「落ち着いたら、遊びにくるね。ナスティ」

 ナスティは、少年たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 ああやって、彼等はこの先も歩いていくのだ。

 

 未来へ────

 

 

 そして・・・・・・

 

 今、また、新しい戦いの幕が開く。

 

                                         END

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