小1である小さなコナンには最悪とも言える状態だ。 目の前はもう大人の男女の腰から下ばかりというのが泣ける。 東京ではもっぱら車での移動だったので、この身体になった後もスシ詰め状態の電車に乗るという経験は全くなかった。 (・・ったく、満員電車で窒息なんかしたら笑えねえぜ・・・) しかし、駅で止まるたびに空間が狭くなっていくのだから、窒息死してもおかしくはない現状だ。 しゃあないな、と平次は溜息をつくと足もとに立っていたコナンの小さな身体に手を伸ばし抱き上げた。 それで、かろうじて窒息を免れたコナンはホッと息を吐き出す。 「大丈夫か、工藤?やっぱ、タクシーの方がよかったかいな」 「・・何言ってんだ。この時間帯は道路が混むから電車の方が早いっつうたのはおまえだろうが、服部」 「そらそうなんやけど・・チビのおまえにはこのラッシュはキツイやろ」 「・・・・」 きついどころじゃないが、それは意地でも口にせず、少しでもラクなようにコナンは平次の首に小さな手をまわし、その肩に顔を伏せた。 下に立ってるよりマシだが、それでも人いきれには気分が悪くなる。 小中高共に徒歩で通学できる距離に学校があったので、工藤新一は電車通学の経験はまるでなかった。 「満員電車ってのが、こんなキツイとは思わなかったぜ・・・」 これが毎日続くなら、ホントに死ぬかもしれないとコナンは思った。 「もうちょいやから我慢しいや、工藤」 ああ、とうなずくコナンの声は小さい。かなりこたえているようだ。 と、突然満員の車両にカン高い悲鳴が上がった。 さすがに、平次もそしてグッタリ気味のコナンもすぐに反応する。 なんだ?と目を向けた先に、二人はサラリーマンらしい中年の男を怒りの形相でにらみつけている女子高生の姿を捕らえた。 「このチカン!ええ根性してるやないの!あたしの胸を触って逃げようなんて甘いんよ!」 本気で頭にきてるらしい少女は、駅についてドアが開くタイミングをはかって彼女の胸を触った中年男の手を掴んだままホームにおりていった。 すぐに駅員が駆け寄ってくるのが見えたが、電車が走り出したのでその後の経緯はわからない。おそらく、あのチカン男は少女と警察にこっぴどくお灸をすえられることだろう。 つえ〜な、と思わずコナンの口から漏れでた言葉に、平次はクッと笑って首をすくめた。 「こんくらいで驚いてたらアカンで、工藤。和葉も前に電車ん中でチカンにおうた時、相手の間接外してしまいよったからな」 「げっ・・・ホントかよ・・」 コナンは瞳を丸くして間近にある平次の顔を見つめる。 「ホンマ。あいつ、そういうことは絶対許せへんからな。だいたい、そないなことする奴に同情の余地はあらへんわ」 目的の駅に着くと、雪崩のようにホームに押し出された二人は、そこから地下街に入っていった。 上から行くより近いと平次が言ったからだが、それにしても人が多い。 しっかりと平次につかまってないと、人の波に押し出されるか、突き飛ばされそうでコワイ。 「なんや、工藤?こんくらい、ビックリすることやないやろ。東京なんか、もっとスゴイやんか」 「そうかあ?」 コレよりすごいなど想像つかないが、服部が前に上京したときの話を聞くと、コナンは何も言えなかった。 「おまえ、恵まれとったんやなあ。ラッシュ知らんなんて羨ましいで」 「おまえも電車通学してんのかよ」 「いや。オレはチャリ通学や。一度チカンにおうてな、2度と満員電車に乗らんとこて決めたんや」 「チカンだあ?おまえがか?」 コナンはびっくりした顔で、手をつないでいる平次の顔を見上げる。 「変態も多いんやで。・・っとに!人のケツ触りよってからに!足腰たたんようシメたろう思たんやけど、丁度その車両で張ってた婦人警官にそいつとっつかまりよってん」 「もしかして、おまえも調書とられたとか」 「しゃあないやろ。そいつ、逃がすわけにはいかへんねやから」 (はは・・そりゃ、そうだけどな・・・) しかし、被害者が大阪府警本部長の息子だってわかった時はどっちもタマげたろうな。 それにしても、世も末だぜ・・・ 「じゃあ、悪かったな。2度と乗らないつもりの満員電車につきあわせちまって」 「別にかまへん。電車でゆうたんはオレやから、気にせんとき。それより、アレがエンプラドホテルや」 地下街を出てすぐに平次は白い建物を指差した。 それはまるで、ヨーロッパの白亜の城を思わせる建物だった。 関西は地盤の関係か東京のように超高層ビルは建たないが、それでもそのホテルは他の建物と比べると外見も高さも群をぬいていて目立っていた。 「ヨーロッパでも指折りの建築設計士に頼んだっちゅうだけあって、今じゃ名所の一つや。とはいえ、宿泊料はケタちゃうから、気軽に泊まれるもんやないけどな」 しかしロビーやホテルのレストランには出入り可能であるから、ひと時高級気分にひたることはできる。 「そういや、新聞で見たんやけど、アメリカに一問解いただけで100万ドルやるっちゅう数学の問題があるんやってな。あっちはホンマやることのスケールがちゃうわ」 エンブラドホテルのロビーは、5階までが吹き抜けで、中央にはとんでもなくデカイシャンデリアが下がっていた。 床も柱も大理石で、彫像も多くおかれている所は日本のホテルというイメージではない。 まるで、外国に来てしまったような気になってしまうホテルだ。 「あれえ、平次くんやないかぁ?」 ホテルに入ってキョロキョロ中を見回していた平次に向け突然声がかけられた。 え?と驚いて振り向くと、紺のスーツを着た、一見商社マン風の背の高い男が平次に向けてニコニコ笑っている。 「なんや、有田はんやないけ。なんでこんなとこ、おんのや?」 「それはこっちが聞きたいですわ。もしかして、今夜のこと聞いてきはったんですか?」 「なんや、今夜のことて?」 「あれ?違うんでっか?てっきり平次くん見てそうや思うたんやけど」 「なんか事件なんか?」 「それが・・・大きな声では言えまへんが、予告状がきたんですわ」 予告状?それって、まさか・・・ 「確か、有田はんは捜査二課やったな。ひょっとして・・・」 「そう。あいつですねん。怪盗キッド」 キッド! 「このホテルにあんのか?キッドが狙うような宝石が」 「ええ。実は、今アメリカの富豪エナシス夫人が、今もいわくつきだという最後のフランス王妃の首飾りの一つと言うダイヤを持ってこのホテルに泊まってるんですわ。こっちとしちゃ、あんましそんなもん持ってハデなことして欲しゅうないんですけど、今夜このホテルでダイヤのお披露めをかねたパーティを開くぅ言われまして。そこへ、キッドからの予告状で、もう大変ですわ」 「へえ?そやったんか。そんなん、全然知らんかったわ」 「さすがに対キッド用にホテルのまわりを警官で取り囲むゆうんはできまへんし、ホテルの方も目立つことはして欲しゅうない言いますしな」 「そりゃ、客商売やねんから、一般の客の迷惑になるようなことはして欲しゅうないやろ。けど、相手はキッドや。人の迷惑考えとったら、なんもできひんで」 「わかってます。しかし、強行はできまへんから。それに、キッドの名を出すと、こっちの人間はえろう喜びまっからな」 「関西はハデなこと好きやって人間が多いからな」 困ったもんだと平次は短く息を吐き出す。 「平次くんは、なんでこのホテルに?」 「あ?オレ?懸賞狙いや」 「え?それって・・・ひょっとして、あれでっか?問題解けたらなんでも希望のもんくれるっちゅう・・・」 「なんや、知っっとんのか?」 「そりゃあ、もう。うちの女房が、最近インターネットにハマってまして大騒ぎしとりましたから。けど、全然わかりまへんでしたわ。平次くんは解けたんでっか?」 まあな、と平次は肩をすくめてみせる。 「いやあ、さすがでんな!ウチの課に暗号に強い男がおるんですけど、そいつもさっぱりやゆうてましたし」 ちなみに、今回のキッドからの予告状はその男が解いている。 「全く・・・どういうつもりかわかりまへんけど、けったいな予告状おくってきよりますからな」 ああ、そうやなと平次は相づちをうつが、今は他人事だ。 「ほな平次くん、頑張って希望の商品もろて下さい」 「ああ、まかせとき。有田はんも、今度こそキッドをお縄にして刑務所にぶちこんだり」 「そうしたいですなあ」 ハハと低い声で笑って立ち去る有田刑事を、平次は険しい表情で見送った。 「なあ工藤。偶然や思うか?」 平次は、傍らに立っている幼い子供の姿をした東の名探偵に問う。 「さあな。なんとも言えないが」 コナンは、その年齢の子供には不似合いの、奇妙に大人びた瞳でそう答える。 偶然なら、小説のように面白い偶然だ。 「興味あるか?」 「キッドにか?」 コナンは眼鏡の奥の大きな瞳を瞬かせると、ニッと小さな唇の片端を引き上げた。 「ただの泥棒に興味はねえよ」
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