小さな手が、黒のマジックを掴む。

 部室内にあったホワイトボードの前に3つ椅子を並べ、コナンはその上に乗った。

「服部。おまえ記憶力に自信あるよな」

「当たり前やろ。記憶力に自信あらへんかったら探偵なんかやってられへんで」

 事件は突発的に起こる。

 特に殺人事件にかかわった人間の証言は、謎を解明するのに重要なものだから、どんな小さなことでも記憶しておかなければならない。

 おかげさまで、記憶力が必要な学校のテストは苦労知らずだ。

 コナンは、わかったとうなずくとマジックのキャップを取り、最初の7つの記号と数字をボードに書いた。

「こいつをネットにのせた人間は、本当に解ける人間を探している。だから、答えをメールで送ったり、紙に書いて持っていくのは駄目だ。実際にその人間の前で解いてみせなければならない」

「わかったで。つまり、オレがその答えを覚えて、そいつのまあまえで書いてみせればええってことやな。さも、自分が解いたってぇ顔して」

「そうだ。できるか、服部?」

「まかしとき。ハッタリも探偵には必要不可欠やで」

 平次が自信たっぷりにうなずくと、コナンはボードに向き直ってパズルを解き始めた。

 最初は、えろう上から書くんやなと平次は思っていた。

 椅子にのっているとはいえ、それでもボードの上に書こうとすればコナンはうんと背伸びするように腕を伸ばさなければならない。

 しかも、書く字も小さめだ。

「・・・・・・・・・」

 椅子を横に向けて座り、机の端に頬杖をついて無言でボードを眺めていた平次だが、いっこうに書き終わらない様子にだんだん顔が引きつってくるのを覚えた。

 そして、ついにボードの半分が埋められた時、平次はたまりかねたように叫ぶ。

「ちょ、ちょー待てや、工藤!ホンマにこれでええんか!?」

「間違ってるって言うのかよ?」

 ムッと顔をしかめてコナンが振り向く。

 いや、そうじゃなくってな・・・と平次は口ごもる。

 間違っているとかそういうことではなく、さらに暗号が増えたという感じで、平次にはさっぱりわからないのだ。

 いったい、どこがどうなってこんな訳のわからない文字の羅列になるのか。

「意味はちゃんとあるぜ」

 服部の疑問を察したように、そうコナンが答える。

「意味がなきゃ、パズルは組み上がんねえからな。知りてえんなら一つ一つ説明しても構わねえぜ」

「い・・いや、ええわ。聞いたかて、どうせオレにはわからへんもんな」

「だったら、丸暗記しろよ」

 そっけなくコナンは言うと、再び前を向いて続きを書き出した。

(・・・いったい、コレのどこがパズルやねん?)

 ホワイトボードに書かれた字は、小学1年生の子供が書いているとは思えないくらい綺麗に整っていた。

 当然だ。見かけは小学生でも、こいつは本当は自分とおんなじ高校生なのだから。

「な・なあ、工藤・・・」

 また中断させられたコナンは、不機嫌そうに顔を向ける。

「こいつはオレが覚えてやるより、おまえが自分でやった方がええんとちゃうか?」

「バカ言うなよ。今のオレは小1だぞ?解けたら変だろが!」

「そら、そうやけど・・・」

「オレが自分でできねえから、わざわざ大阪まで来たんだ。西の名探偵なら、このくらい覚えろよ!」

 ふ〜ん、と平次は鼻を鳴らした。

「相変わらず、えらそうやないけ。それが人にもの頼む態度かあ?」

「やれると言ったろう。引き受けたんだから、文句言わずにやれよ、服部。だいたいこのくらいどってことねえだろ。オレがこいつを解いた時は12だったんだぜ」

(・・・・・・;)

 12・・・やてぇ!?

 もしかしなくても、小学生やんけ!!

「なあ、工藤」

「なんだよ、もう!」

「ちょー聞くけど・・・おまえ、IQいくつあんねん?」

「はあ?んなもん、調べたことねえからわかんねえよ。IQがなんだってんだ?んなもんでこいつを解いたわけじゃねえぞ」

 そういうもんか?

「・・・・・・・・・・・」

 コナンは、平次をひとにらみすると、プイと前を向いた。

 もう、平次が何を言っても書き終えるまでは無視する気だろう。

 真っ白だったホワイトボードは、書かれた記号と数字で真っ黒に変貌した。

 こんなのを見たのは、平次も初めてだ。

「服部、おまえ、エンプラドホテルを知ってるか?」

 やっとマジックを置いたコナンが、椅子からおりて平次にきいてきた。

「え?ああ、京都にある超ドデカイホテルやろ。前に一度、オヤジに連れてってもろたことがあるわ」

「そうか。そいつは助かる。オレ、関西の地理はさっぱりだから」

「なんや、もしかして、そこに泊まるんか?」

「んなわけねえだろ。ガキが一人でホテルに泊まれっかよ。そのエンブラドホテルに集まることになってんだよ。こいつに挑戦する人間がな」

「へえー。やっぱ、解こうって奴がおるんや」

「殆どが懸賞目当てだろうがな」

「当てずっぽうでも、当たりゃ儲けもんってか」

 とはいっても、こればかりは当てずっぽうは通用せえへんやろと、平次は真っ黒になったボードを眺めた。

「で?いつなんや、それ?」

「今夜8時」

なんやてー!今夜?8時っちゅうたら、もう4時間もあらへんやんか!」

「覚えるには十分な時間だろうが」

「冗談やないわ!自分の物差しではかりなや!向こうに行くまでの時間もあるから、今からやっても2時間弱しかあらへんで!んな短時間でコレ覚えろ言うんか!」

「覚えろよ!他に解ける奴はいるわきゃねえんだから!」

「オレだって、こんなもん解けへんわ!それを2時間で暗記しろだあ?」

「答えは出てんだぞ!覚えるだけで、なんでそんな文句が出るんだよ!」

「覚えろっちゅーても、テストの一夜漬けとちゃうんやで!」

「おまえ、西の名探偵だろが!記憶力も自信あるって言ったじゃないか!」

「西の名探偵は関係ないわ!記憶力も自信あるけど、正確に覚えるには時間が足らへんわ!」

「覚える気になれば覚えられるぜ!おまえがやってくれなきゃ困んだよ!」

「なんでや!?おまえも懸賞目当てってわけやないやろ!いったい、こいつを解いて何しようって言うねん?」

「オレは・・!」

 勢い込んだコナンは、ちょっと言葉を詰まらせた。

 自分でも少々感情的になったことに気づいたのだろう。

 落ち着こうとするように息を吐きだす。

「こいつのせいかもしれねえんだ・・・」

 言って、コナンはボードを指でコツンと叩いた。

「え?」

「あいつの父親もおかしな死に方してんだよ。で、こいつは遺品の中にあった。なんかあると思うのは当然だろ」

 しかし、あの時のオレはまだガキで、そんなことまで考えがいかなかったんだ。

 もし、気がついていたら、あいつを一人残していったりはしなかった。

「工藤・・・・そいつが死んだのはいつなんや?」

「オレがあいつと別れてひと月もたっちゃいねえよ」

「・・・・・・・・・」

あ〜っ!やっぱりコナン君やった!

 突然、音高く戸を開けて入ってきたセーラー服の少女に、中にいた二人はドキッとなった。

「何?どうしたん?蘭ちゃんと一緒なん?」

「え?違うよ。ボク一人で来たんだ。京都におじさんがいて、遊びにこないかと誘われたから」

「なんや、そうなん?残念やわ。久しぶりに蘭ちゃんに会える思うたのに。あ、でも学校やもんね。でも、どうしてここにおるん?」

「う、うん。一度平次兄ちゃんの学校見たかったし、久しぶりにお話もしたかったから途中下車したんだ」

「えーっ!そのこと、ちゃんと連絡した?」

「勿論だよ、和葉姉ちゃん。京都には平次兄ちゃんが連れてってくれるって」

「あ、そんならウチも行くわ!」

「何ゆうてんねん、和葉。おまえ、今夜約束あるゆうてたやんか」

「あっ、そやった!しゃあないなあ・・・なあ、コナン君。またこっち遊びにきいや。今度は蘭ちゃんも一緒に。近くに新しいテーマパークができてん。一緒にいこ」

 うん、とコナンは大きくうなずいた。

 全く、二重人格かと呆れるほどの変わりようだ。

「そうや、コナン君。食堂へいかへん?アイスクリーム買うたるわ」

 そう言って和葉はコナンの小さな手を取る。

 嬉しそうに笑うコナンに和葉は喜んでいるが、嬉しくないのは平次だ。

 和葉に手をつないでもらって部室を出る時、平次はしっかりコナンに「絶対に覚えろよ」と目で念押しされていた。

 (へいへい・・・)

 平次は頬杖をついたまま、諦めたように溜めていた息を吐き出した。

 

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