ONE’S


<前編>

 

 寂れた下町に相応しいうらぶれた小汚い店で少年は形の良い唇を尖らせていた。

店内は二畳程の狭さを誇り、ひび割れたショーケースには時計が数台置かれている。

その値段とて何時つけたか分からぬ変色した古いものが申し訳程度に売り物である事を主張しているだけだ。

更にカウンターを兼ねたそのケースにはどう言う訳か万年?従業員募集のはり紙がくっついていた。

 『え〜〜!折角こんな遠くまで来たってのにマジかよ;何とかなんねえ?』

 寄せられた眉根が更に寄せられれば、恐ろしく整った容姿につい陶然と魂を飛ばしかけていた口ひげの中年男は四角いがっちりとした顔を顰め大きくため息をついた。

ああ、頼むからそんな風に紫の瞳で見詰めないで欲しい。
それともこちらのそんな反応すら計算に入れている可能性も考慮しなくてはなるまいか?…この少年相手にならそう考えるのが自然かも知れないと思う。

 『俺もプロだし腕には覚えがある、こんな屈辱的な事はあんまり口に出して言いたくないとこだがダメなもんはダメなんだよ。お前さんのこの変わった銃、ここの全体のバランスを取る肝心の部品が特に曲者なんだ。これは「O.P」の作品だからな』

 『…へ?O.P(オト・ペルセン)って言やあ、あの有名な銃職人のか?』
 希有な紫紺の双眸が瞬いた。

 『そう、つまりはこの銃自体がO.Pの作品って事だな。O.Pはお前さんも知ってるだろうが小さなネジ一つ全て手作りする本物のオーダーメイド品を扱うプロ。コッチの世界をかじった奴なら一度は手にしてみたいお宝銃さ』

 『て事はつまりここじゃ直せねえって訳…?』
 ケースの上に置かれたままになっている己の持ち込んだモノを少年は改めて興奮のままに眺めていたが、やがて思案するよう細められた瞳に男はガシガシ頭を掻いた

 『……だから、俺もプロなんだ、こんな事は自分じゃ言いたくねえんだって…!』

 この歳で既に闇世界を強かに暗躍する美しい少年怪盗。
知り合ってそれ程長い付き合いでもないがコチラの世界では大先輩の筈の自分に初めて会った時からすんなりと懐に入ってきた恐るべき少年。

フワフワの茶色掛かった癖毛も快活な美貌も、時に冷たく翳る紫紺の双眸も何もかもがお気に入りで…何とか少年の期待に応えたいのは山々だがせめてパーツだけでも新しいのがなくては無理である。

手先の器用なこの少年がどうにもお手上げ状態で持ち込んだそれは重要な部品が疲弊して深い亀裂が入っていた。

実は表向き時計を売ったり修理を請け負うこの店は、裏の人間には便利屋の一つとして世界でも広く知られている。

小汚い店のカウンターで注文すればあらゆる武器弾薬からクスリの類い、果てはただの爪きりに至るまで手に入れる事が出来た。

そして優秀な職人でもある店主は時計からバズーカ砲に至まであらゆるモノの修復に長けた人物でもある。

…しかし折角の上客、恩を売る為にも男っぷりを上げる為にも見た目も最高の可愛コちゃんの持って来た奇妙な銃の修理は何とかしてやりたいところだが……正直こちらも同じくお手上げ状態だ。

 『なあお前さん、どうせならその銃を売らないか?O.P作品なら高く買わせて貰うぜ。持ってるだけでいいってマニアなファンはゴマンといるからな。その金で新しいのを買えばいいだろう』

 『……んな簡単なモンじゃねえんだよコイツは』

 なんせ大切で大好きだった父親の形見の一つだから。
これまでどれだけ救われてきただろう。
細められた凄絶な紫紺の双眸に男は息を呑んだ。
奔った戦慄もそうだがいかつい顔が赤く染まっているのはきっと別の理由

 『…悪ぃ、邪魔したな。仕方ねえから直接O.Pに会ってみる事にする』
 慣れた仕草で再び銃を仕舞い込んで少年は肩を竦めた。
この切り替えの≠ウは彼の武器の一つに違いない。
そして関わる者がそんな彼に自然力を貸したいと思ってしまうのも。
普通なら小さな情報一つも買って貰うところだが男は当り前のようにこんな言葉を洩らす。

 『ここんとこ奴は行方を眩ませてるらしい、一応この住所を訪ねてみて居ないようならもう一度俺に連絡をくれ。修理の件は努力だけしてやるから』

 『Grazie. けどやけに気前いいんだな?ドケチで有名なあんたが』
 少年は受け取ったメモを一瞥しただけで暗記するとそれを握りつぶし、結構本気で驚いているように両目を瞬かせた。

 『うるせ〜。お前みたいなガキに俺の気持ちが分かってたまるか!』
 どうせこの後は銃の事よりこの少年の事が頭から離れず商売にならないのだ。
ああ苛々するったら。

 『はあ?何だよそれ』
 『知りたきゃ今夜一晩俺に付合いやがれ!足腰立たなくなるまでトコトン教えてやる…!!』

 そこでハタと目を見開いた少年怪盗はああ、とようやくある答えに行き当たった。
そしてうっかり様々な過去を思い起こした彼は少しばかり冷汗を流しつつニジニジと後退する。
人の趣味に口出しするつもりはないがそれに自分が関わるのであれば話は別だ、しかも所謂オヤジの類いと非常に相性が悪いと自覚するこの頃である。

 『えっと……と、とにかくこの住所訪ねてみる。情報提供料として料金はチップ程度に振り込んどいてやるから…は、早まるなよ←?』

 じゃあなと風のように姿を消した鮮やかな少年に男は暫しその残像を追い掛けるよう視線を彷徨わせた後、次は彼に何時会えるだろうと顔に似合わぬ切な気な吐息をついた。

いっその事自分の相棒として怪盗みたく危険な仕事は引退し一緒に暮らしてくれないだろうか。
頭も顔も愛想も良く手先の器用な彼ならば仕事上でも立派なパートナーになれると思うのだが。

しかし先程の反応を見る限りではそれは遥かに遠い夢のようだ。
男は『彼』が来る度これ見よがしにカウンター横でデカデカと主張させる『従業員募集中』のはり紙を恨めしそうに指で小突くのだった。


 

 あれから十数時間をかけて辿り着いた店は先に少年怪盗…黒羽快斗が立ち寄った店と大差ない構えを見せていた。

イギリスの小さな田舎町の更に片隅でひっそり息づく建物は今どき珍しい木造である。

暮れ始めたクレヨンの空にノスタルジックな雰囲気だけは抜群だが、さて。
 『邪魔するぜ』

 『ホントに邪魔だ!出てけ!!

 軋む扉をこじ開ければ間髪入れずにあった返事と投げ付けられたドライバーを快斗はしかし慌てずひょいと避けると眉根を寄せた。
とんでもない客の迎え方をする店だと思うより先、それを成したのがまだほんの小さな子供であったからだ。

色褪せたデニム地のオーバーオールに擦り切れたTシャツ、金の髪を短く刈り込んだソバカスがチャームポイントのその子供はまだ十歳程のように見える。

快斗は一瞬ドキリとしたがこちらを見据える大きな青色の瞳は彼の知る彼の人と違いくすんだ灰色掛かっていた。

 『ようボウズ、店番か?偉いじゃねえか』

 『気安くボウズなんて呼ぶな!俺は今出てけと言った筈だ』

 小さな肩をいっぱいに怒らせて立つ姿は可愛らしいがそれを口にすれば増々拗れそうな気配がそこにあったので快斗は取り敢えず頭をポリポリ掻くと
 『………え〜〜っと、俺一応客のつもりなんだけど』

 無難な台詞を紡いでみた。
子供の目が一回り広がった。
それは予想外の事だったのか。

 『……客?……マジかよ、こ、こっち来な!』

 少し慌てたように何故か自分の服の埃をパンパン払うと子供は快斗を手招きした。
そして同じようにひび割れたショーケースと手前の椅子の埃を払って何とか形を繕い座るよう指示する。

 『こんなとこに観光か?…悪いな兄チャン、ここんとこまともな『客』が来なかったもんだからてっきりあいつ等の仲間かと……っていいや、それで何が入り用だ?時計が欲しいかそれとも修理?電池交換?』

 ショーケースの中身は年代ものの時計が並んでいる。
値段も相場よりかなり安い事から何時設定されたものか疑問なところだ。

くすんだブルーの瞳を一転してクルクルさせる様は結構歳相応で、快斗は他に誰もいないのかと視線を巡らせた。
あちこち壁の隅には蜘蛛の巣が作られ床の埃の積もり具合といい殆ど開店休業状態の粗末な店。

この小さな田舎町で観光客もなくそう時計など売れるものでもないだろうし、この荒れ方もよく出入りするそのテの店と大差ない事から違和感はないが……要はアレだ。
肝心の人物が見当たらない。

 『この時計の修理か?随分傷だらけだもんなあ…けどモノは良い。かなり腕の良い職人が丹誠込めて作った特注品だぜこれって』

 手首の辺りに暖かで小さな手が添えられて快斗は視線を戻した。
本当はこの時計をみて貰う予定などなかったが褒められて悪い気はしない。

 『へえ?分かるのか?』

 『あったり前さ!こう見えても俺だって「職人」だからな』

 促されるまま時計を外して手渡せば実際かなり手際良く中身を開け隅々まで点検、クリーニングしてくれる。

 『慣れたもんだ』

 『鍛えられてたからな。……ホイ、もう終わったよ。傷だらけに違いねえけど結構自分でもマメに手入れしてるだろ?中は綺麗なもんだった』
 『……大切なんだ』
 カウンターで鈍く光る銀の輝きを繊細な指先が小突く。

 『いきなりノロケかよ兄チャン、…で、恋人からのプレゼントってか?』
 『違うよ』

 即答した割に浮かんだ苦笑は酷く幸せそうで……。

 『もっと、言葉で当て嵌めるのが勿体ないくらい大事で忙しい奴がわざわざ手渡してくれたんだ』

 『じゃあせめて扱いは丁寧にしとけよ。コレなんてまるで戦争でも潜ってきたみたいな傷……』

 何故自分が赤くなるのかと慌てた子供は途中ハッとして己の言葉に息を呑んだ。
このような傷など作ろうとしてそうそう出来るものではない。
しかも目の前にいるのは歳とった大人ではなくどう見ても成人はしていない少年である。

 『お前、まさかソッチの客か?!』

 空気が変わった。
快斗は殊更ゆっくりと探るように呼吸をする。

 『オト・ペルセンは何処にいる?仕事を頼みたいんだ。…ボウズのオヤジだろ?』

 青ざめた幼い顔は恐れというより怒りの為という事がすぐに分かった。
見事に吊り上がった眼と眉が本気の不快を露にし、くすんだ青灰色の瞳は途端激しい色を宿す。
快斗はその様子を逆に酷く冷静に観察すると僅かに冷涼な気配を解き放った。
恐らく熱くなっている頭に少しでも話し合いの余地を見つけたい。

 『帰ってくれ!オト・ペルセンにそんな物騒な客はいねえんだ!!オヤジは最高の時計職人!間違っても人殺しの道具なんて絶対に絶対に作ってねえんだよ!!!』

 こんな小さな子供の何処にという程大きな声が響いた。
その悲痛な叫びは快斗の心の奥底に仕舞われた記憶を引き摺り出す勢いで胸に刺さる。

 『とにかく帰れ!帰ってくれよ…!ここはただの時計を売る店、お前等のような奴の来るとこじゃねえ』

 手当たり次第に飛来してくるものを快斗は身軽に避け続けた。
きっとこの子供は父親を誰より尊敬し、慕っているのだろう。
先程の技術といい、常に親に貼付いて仕事を見てはせがんで技術を習ったか傍で技術を盗んだか。

快斗は既に話し合える状態にない事を悟ると状況の分析に掛かる。
子供は否定しなかった、O.Pが父親であると。
ならどちらにしろ大好きで大好きで仕方のない父親が『あの』O.Pと認識は出来ている。

それを子供は親に内緒にされ、だがどんな過程か『裏』の稼業まで何らかの事情から知ってしまったに違いない。
それが許せなくてあまりに愛しい反面余計に悲しくて…怒るのだ。
自分にも経験があるから分かる。

元々閑散とした店の事、すぐさま投げるネタに尽きてきて快斗は動きながらも出来た余裕から周囲の観察にも努め外観の割に不自然に歪められた柱や色のあちこち違う壁などに目を付けた。

死角をついているが隠そうとすればする程に目ざとく見つけてしまうのが怪盗の性。
ああ、もしかしてあの中には……。
快斗が突然動きを止めたので自然子供の手も鈍った。
避けない意志がありありと取れる憎い客は、しかし怪我をすると分かって感情のまま傷つけられる程子供も強くなかったし相手の少年もまた酷く美しかったのだ。

戸惑いと共に固まれば『客』はニカッと屈託のない笑顔を見せた。
その脈絡のなさに子供は目を見張る。
軽い仕草で見事に鳴ったのは指。

パチリ

 『……?!』

 突然天から『花』が降った。
白い花、この匂いは薔薇だ。
一気に店内に白い絨毯が出来たが何の準備もなくそこまで本物の花が降ろう筈もない。

案の定その大半はよく出来た造花のようであったが実際本物も混ざっていて、子供の肩に舞い落ちた大輪のソレは間違いなく自然の育んだ美である。

まるで見慣れた汚い店が何処かの由緒正しい劇場の一部に輝いて見える幻想的な場面。
中心に佇む少年の美貌が一気に華やいで…子供は投げようと手にしていた穴だらけの靴を力なく取り落とした。
青灰色の瞳が別種の興奮に輝く様を見計らって再び少年が指を鳴らした。

パチリ パチリ

今度は『アメ』が降ってきた。
雨ではない、確かに雨漏りが酷く中も外も変わらぬ降水量を誇る店であるが今は本当の本当に『飴』が降った。
とりどりのキラキラした包みは宝石のようで、うっかり手にした一つを開けば甘い香りに胸が弾む。

久しぶりだった、自然に顔が綻ぶのは。
短い『アメ』がやんで気が着けば間近に膝を折った少年が両腕一杯に溜め込んだ先程の飴をズイと差し出しウインク一つ。

 『やるよコレ、さっき時計をメンテしてくれたお礼も兼ねて』

 その慣れた紳士な態度も至近距離から見る美貌も一級品で、子供は本気で慌てて頬を林檎のように真っ赤にした。
手足を闇雲にバタバタさせ知らずその動揺ぶりをアピールする。

 『……お、お前…!俺の事ガキだと思ってるだろ…!!!』

 『まあ否定はしねえけど、コレは俺の好物でお裾分けしようってんだから結構真心は篭ってんだぜ?』

 困ったように…でも笑顔は忘れず肩を竦める様は綺麗を通り越して可愛らしくさえあって、子供はとうとう意地を張るのが馬鹿らしくなり体の力を徐々に抜いた。

 『…お前案外ガキなんだな、こんな甘いモンが好きだなんて』

 『そっか?俺の知り合いは大人でも皆結構好きだぜ?栄養豊富で腐らないから携帯にも便利だし、旨いし、好い事ずくめ!』

 器用にも両手が塞がった状態で山の隙間から飴玉を一つ抜き袋を剥くと、指先で弾いて飛ばした中身を大口開けた少年はパクリとキャッチした。
あまりに見事であまりに幸せそうに笑うのでつい子供も山となった飴を意識する。

先程のは動揺した際落としてしまったのだ。
やってみるか?と紫紺の瞳が笑ったので気が付けば手が伸びた。
その中の一つを剥き、自分で上へ放り投げて……しかし無情にも飴は地面へ転がってしまう。

あからさまにガックリときた子供は直ぐに本来のシリアスな状況を思い出すと強がるように再び肩を怒らせたが、見計らったように少年の元から飛来した赤くて丸いものが全てを封じ込めた。
動くまでもなく自ら飛び込んで来た甘いモノに吊り上がった目元が不意に綻ぶ。
もうダメだ、悔しいが根負けした。
怒りを持続させるにも体力は要るものだし、一昨日から何も食べてないこの身にそれは辛い。

 『……………お前って変な奴。……裏で悪い事いっぱいしてるくせに』
 小さく笑みが溢れた子供はため息半分、快斗のずっと望んでいた話し合いの体勢に入った。
最初からそれを目的で仕掛けられたネタであったがそれでも子供を見詰める紫の双眸は意外に優しい。

 『……まあね、俺は怪盗だから』
 『カイトウ?』
 『泥棒の事』
 『泥棒が何であんな事出来んだ?あれってマジックだろ?』
 『泥棒がマジック出来たらおかしいかな』
 気のせいか少しだけ傷付いたように翳った双眸に胸がドキリとする。
思わず目を反らした子供は
 『…別に、おかしかねえよ。…警官のくせして泥棒やってる奴だっているくらいだし』
 そう言って唇を尖らせた。

 『へえ?』
 『前に新聞で見たぞ、「税金泥棒」って書いてあった』

 快斗は爆笑した。
きっと意味は分かってないだろう。
ただ純粋に笑う紫の瞳に子供は内心で何故かホッとし、しかしそれとこれからの事は別だと、冷静になった頭にそう決断を下す。

 『笑ってんじゃねえ!……とにかく、何か調子狂っちまったけど帰って貰うぜ兄チャン』

 『…う〜ん、それは困るんだ。どうすっかな』

 『決めるのは俺、お前に権利はねえよ』

 折角少しは親しくなれたと践んだのに、どうやらまたスタートからやり直しらしい。

 再び剣呑な空気がそこはかとなく漂い始めた頃、『彼等』はやって来た。
派手な音と共に扉が破られる。
元々老朽化も激しい造りなので直ぐさま蝶番から吹き飛んだ木製の扉は無惨にも半ば砕けて白い花で埋まっていた床を荒した。

 『おっといけねえ、あんまりボロいんで壊れちまったな』

 『え?いいんじゃないっスか?どうせここ放っておいても勝手に壊れそうだし』

 『だな、関係ねえか』

 入って来たのは黒いスーツ姿の男が三人。
全員が同じデザインと色とに統一され、歳は中年から二十歳くらいまでと幅広い。
だが無遠慮な眼差しと口調、暴力めいた粗野な態度はどう見ても堅気の人間ではない。
それは快斗の目を通さずとも一目瞭然であったろう。

 『お前等また来やがったか!とっとと帰れ!!』

 子供が叫んだ。
快斗が入って来た時に言っていた「あいつ等」とは彼等の事だったらしい。
 (何だって悪いやつ等ってのは黒ばかり着たがるかねえ)
本来はもっと上質にしてあらゆる意味で素材を試される色なのに。
少し皮肉げに笑う美貌の少年にようやく気付いた男達は皆一様に息を呑んだ。
薄暗い店内にひっそりと佇む細い影に紫紺の瞳が妖しい美しさを放っている。

初めから見えていたのに何故か気に掛からなかったのは既に極力抑えられた気配の為かあまりの美しさに夢と思ったのか。
どちらにしろ現実とは思わせなかった不思議な少年がこちらを正面から見据えた事で今度は身体が固まった。

 『…な、なんだてメーは、俺達の邪魔しようってのか?!』
 なんとか絞り出された声は酷く掠れていた。

紫紺の双眸に自分が映る、ただそれだけで圧倒される。
こんな華奢な少年一人に。

 『別に、俺はただの「客」だし』

 その透明な声をどうとったのか、勝手に怯えていた自分を恥じ入るように却って金縛りの解けた彼等は乱暴に辺りのモノを壊し始めた。
その強引な行動にも子供は自分で不思議なくらい動けずにいた。
威勢の良さも怒りも本物であるのに、どうした事か先程少年の発した一言が心を縛っていたのだ。

ただの客と言われて、でもまさにその通りで今まで追い返そうとさえしていた自分であったのに妙にショックを受けたらしい。
赤の他人である事が寂しいと…思ってしまったのだ

 『よく探せ、残らずいただいてくんだ』

 彼等は用意してきた斧で壁を壊し、床板を剥がし、果ては天井をも漁って何丁かの『銃』を見つけ出す。

 『へへ、やっぱりまだあったな、出荷前のままお蔵入りしたO.P作品。ボスは俺達で分けた後の残りは好きにしていいと言った。闇値で売り捌けば高く売れるぜ!臨時のボーナスが楽しみだ』

 『流石兄貴!』

 『…全部持っていこうぜ!!』

 浮き足立つ三人組の傍に音もなく影が落ちた。

 『黙って人のモンを持ち出すなんておメー等泥棒か?』
 振り返ればあの美貌の少年が紫の瞳を細めながら立っている。

 『何だとこのガキ!』

 『いや違うか、こうして堂々と目の前で盗ってくんだから強盗だな』
 最低だねお兄さん達、と軽い口調で返されれば男達は一様に顔を険しくした。

 『口の聞き方に気をつけろよ小僧。これはこいつのオヤジがボスに借りた借金のカタに貰ってくんだよ、だから正統なものだ』

 快斗の視線をまともに受けた男は何故だか四角い顔を赤く染め上げながらもめいっぱいドスを利かせた声で答える。
その言葉に視線を横に流した快斗は子供が固い顔で頷く様を見てため息を洩らした。
成る程、嘘臭さ満点だが一応スジっぽいものはあるという訳か?

 『…けどオヤジは騙されたんだ。オフクロの病気を治すには凄い大金が必要で、だからオヤジはまず一番大切にしてた「宝」を渡して金を……。けど俺だって覚えてる、あの金はその「宝」への正統な報酬として貰ったもんだった。それを今になって貸しただとぬかして…抗議に行ったオヤジもこいつらは…!!こんな田舎で車の事故だなんて信じられるもんか!!!』

 その先は聞かずとも分かる気がした。
成る程、O.Pは行方を眩ませたのではなく恐らくは揉め事の末に殺されたのだ。
作者が死ねばその作品の価値も上がる…。
しかし、『も』という事は母親も何らかの形で殺されたと思っていいだろう。
だからこの子供はたった独り、薄汚れた店を守っていた………。

 『何処に証拠があるってんだこのガキ、文句があるなら弁護士でも雇いな。「俺のオヤジは人殺しの道具を作る天才で、騙された挙げ句オっチんだバカな男ですが助けて下さい」って言やあ、飴玉の一つも恵んでくれるだろうぜ』

 流石に剣呑な表情をしたまま一歩前へ出ようとした快斗を止めたのは意外な事にその子供自身であった。

 『……もういい、俺は店以外何も要らねえから今は早く皆…出てってくれ』

 悲痛すぎる小さな叫びも内側までがスーツと同じく腐った男達には届かない。
どうせ届いたところで理解も出来まいが。
快斗は『気』を押えたまま男達が奪った品を手に笑って出て行こうとするのをただ静かに見ていた。

 『お、金目のものかっ……て何だこりゃ、モノは良さそうでも随分傷だらけで汚ねえ時計だな』

 換金出来るものならと思った男はカウンターに置かれていたソレをそのまま床へ放り投げた。
そして振り返り様に踏み付け手下二人を引き連れた彼は今度こそ真直ぐ去って行ったのだった。


 「………」
 埃の降り積もったそこからそっと大切に拾い上げた銀の時計を快斗は何度も丁寧に手と布で払ってようやく手首に落ち着けた。
何気ない動作だったがその背中を子供は戦慄のままに見ていた。

 『…なあボウズ、おメーオヤジさんの事今も好きか?』

 静かに放たれた言葉の矢、それはある意味容赦ない質問だった。
壊れた店を直す気力も沸かない様子の子供は微妙に取り巻く空気が変化を遂げた事に息を呑んだ。
振り返った美貌に足元から満たされていく冷涼な気配は先程の男達など問題にならない圧倒的な力をもって小さな身体を震わせた。
見れば人なつこささえあった人形のように整った顔も鋼の硬質さと氷の美をにわかに纏い始めている。

同じ人物であるのに違う、この夜の生き物は。
あの花や飴を降らせてくれた人物と同一とはとても思えない。
何故突然ここまで変わってしまったか…いや、きっとそれは彼が元々から持っている本質に違いはない。
ただその引き金となったのは恐らく彼がとても大切にしていると言った時計をやつ等が踏みにじっていったせいだ、直ぐさまそう悟る事が子供には出来た。

 『………嫌いだ…。オヤジは俺に、オフクロに嘘をついてた。オヤジがあんなものを色々と店に隠してたなんて今あいつ等に教えられる始末さ。すっげえカッコ悪い。人には何時も説教ばかり言って毎日家と店の往復ばかり、髪もぼさぼさで服には何時も油がついてて…何時だったか飯を差し入れに持ってったらドライバーを肉に突っ込んでた。マナーもクソもあったもんじゃ………ったく…』

 吹いた冷涼な風に頭がすっきりしたのかポツリと話始めた子供はやがてため息をつくと頭をポリポリやる。
向けられる冷涼な眼差しはそのままだと言うのにどうしてか酷くそれが心地よくて胸の奥でずっと引っ掛かっていたものがすんなり喉を通った。

 『けど俺はそういうオヤジが好き…だったんだよな。ってか今も………好きだ。だから知らないオヤジの顔が恐かったし、憎いとも思った。気が付いたらこの店にずっとオヤジの代わりに座って道具の手入れして、店にあった時計をかたっぱしから解体して組み立ててを死ぬ程繰り替えしたよ。何時もオヤジが何を考えて何を感じてたのか俺も知りたかったから……』

 でなければ不自由でひもじい思いをしてまで留まろうなんて思わなかった。
不意に触られた頬から伝わる繊細な指の感触は取り巻く空気とは反対に酷く暖かで子供は戸惑う。

 『それで、何か分かったのか?ボウズ』

 細められた紫紺の双眸はまたこれまでと違う柔らかな光を孕み、そこに映る自分が猛烈に恥ずかしくて頬が赤くなるのを自覚してしまう。

 『…だ、だから俺はボウズなんかじゃねえ///「リオ」だ。リオ・ペテセン』
 『そっか悪い。んじゃリオ、俺は黒羽快斗だ』
 『クロバ…カイト?』
 不思議な東洋の響き。
閃く紫がとても鮮やかで心が何かに満たされていく。
 『リオ、おメーはオヤジさんの事少しでも掴めたか?』
 『……全然、欠片もわかんねえ。争い事が嫌いだったオヤジが…金の為にってなら俺の生活も店ももっとゴージャスでいいと思うし、職人として単純に銃の構造そのものに心惹かれるものがあったのかな…』

 やがて頬に添えられていた手は頭上へと移動し頭をポンポン叩かれる。
まるであやされているかのようなその仕草に子供…リオはこれまでと全く違う痛みが胸に巣食うのを感じて戸惑った。
何なんださっきから!?新手のマジックなのか??

 『これからどうする?』

 リオの内心の戸惑いなどお構いなしに降り掛かる声が心地良いのに妙に憎らしい。

 『どうもしねえよ、あんな危ねえモンは持ってかれたところで全然、寧ろありがたいくらいだし何年かかってもオヤジの残した道具があれば俺はやっていける、…何処ででも……ってああ!!!あいつ等オヤジの仕事道具まで持って行きやがった!!!!』
 リオが愕然と叫んだ。

父親の汗と血の染込んだ思い出の道具が一式無くなっている。
あのすり減った指の跡に自分の手の大きさが追い付くまでに絶対最高の職人になってやると決めていたのに。
冗談でなく目の前が真っ暗になりリオはワナワナと唇を震わせた。

 『……なあ、「取引」しねえ?』
 『?』
 それまで改めて店のあちこちを覗いていた快斗が不意にそう言葉を洩らした。
 『俺を今だけ雇えよ、あいつ等のアジトから道具一式取り戻してやる。その代わりあいつらに取られたO.Pのコレクションの一つを俺に譲って欲しい。もしかしたら俺の銃を直せるパーツがあるかも知れねえから。これはビジネスの話で、事が済めばお互い引き摺るものは何もないし、おメーが負担に感じる事もない。…随分お得だろ?』

 一体どんな顔してそんな大胆な台詞をと思えば酷く真面目で端整な美貌がこちらを見下ろしている。

 『バ!バーロ…!!あいつ等のアジトはすんげえ警備しててケチな泥棒ごとき十秒で蜂の巣だ!命掛けるくらいだったら割に合わねえって!』

 『さてそれはどうかな、俺は「泥棒」でもケチな泥棒なんかじゃねえ。「キッド」ってでっけえ看板しょってる華麗なる「怪盗」様だからな』
 ウインクした紫の瞳が闇色にキラリと光った。

 『…ついでに証明してみたいんだ、おメーのオヤジがただ純粋に平和を願って道具を作ってたんだって事を』

 そしてそんな人物だからこそ自分の父親は彼に『仕事』を依頼したのだと。

 『……クロバ、それどういう意味だ?』

 リオの問いに答えたのは言葉ではなかった。
ただひっそりと微笑んだ、白薔薇のように透明でしかし闇に咲き誇る美しい紫電の双眸。
瞬間魂まで痺れる衝撃に立ちすくんだリオは目前の少年が黒から白へ、純白の衣を纏う月の化身に変化する様を目撃した。
未だ緋色に輝く空の端に三日月が昇り始めている。
それと同じ形にたわんだ口元が実に華麗で不敵な笑みを佩くのを、もうリオはただ見つめるしかない。

 

とても…不思議な夜が始まろうとしていた。

 

快斗だけが出てくる話ってのがいいですねえv
傷だらけの時計は新ちゃんからの誕生日プレゼントでしたね。
ああ、快ちゃんはやはり危険の中に身をおいてるんだなあ。
それでもちゃんと身につけるのは大事で、ずっと新ちゃんと共にいたいという気持ちの現われなのかな。
しかし・・・快ちゃんもやっぱり台風少年なんだあ(^^)

麻希利


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