ONE’S



<後編>

 

 ラグーシャ一家の所謂アジトはこの田舎町における結構な邸宅にある。
表向きの事業は普通の金融業者だが要するにマフィアと言うか規模の小ささと地域限定で根ざしている様からすれば『ヤクザ』という単語がよく似合う組織である。
金のある奴は悪い事を考える、逆に悪い事を望めば真面目に労働するより簡単に金を集められるのが悲しい世の流れ。
まして銃のコレクションに目をつけるような輩などロクなものではない。
広い屋敷の周囲は内側の腐臭を包み込むよう高く頑丈な塀に囲まれきっちりと警備システムが搭載された人工の『目』があちこち張り巡らされていた。
そして機械に頼り過ぎぬとこは流石というか、常にドーベルマンを連れた巡回を怠らない様は、逆にさぞかし常日頃悪い事を働いているのだろうと想像に易くなる。
月を背に空を駆ける怪盗は何処の国でも同じ構図に刃の笑みを零しながら小さな同伴者へこれから下へ降りる旨を目だけで伝えると幾分丁寧に屋敷の屋上へ降り立った。
どれ程厳重なシステムも個人、しかもこののどかな田舎の一ヤクザのものだ、最新のシステムとトラップと一流の人間とがひしめく一級の美術館や大使館に乗込むのとは違う。
突然空から降りて来た華麗な白い鳥に一人けだる気に屋上で見張りをしていた男は手にした銃を構える事も出来ぬまま手刀の一発で昏倒した。
すかさずその男から銃を取り上げたキッドは月明かりの中銃身に小さくO.Pの署名を見つけて口元を吊り上げた。
それはリオにも見えていたようで逆に現実にこんな男が父親の銃を携帯していた事実にショックを受けている。
調べた通り案外と抜け道の多いずさんな警備はここへ直ぐさま駆け付ける者の気配もなく、大小二つの影の隙間を風が吹いた。
 『…リオ?』
 俯いたまま動かなくなった子供にキッドが語りかける。
 『……もういい、やっぱやめようぜ。今ならまだ気付かれる前に帰れるよ。こんな…当り前みたいに銃を持ち歩いてる狂った奴等相手に適う訳がねえ……。もう俺のオヤジの事はいいから引き返そう。お前はここで命を落とす事ねえよ。俺はきっぱり全部を諦める、人殺しを手伝ってたオヤジの事も忘れる、店も畳む、お前はソイツを持ってズラかる………それでいいじゃねえか』
 リオは心の奥底から沸き上がる切ない感情に目頭を熱くさせた。
現実に殺しの道具として使用されている父親の作品。
これを見て胸が詰まったのは本当、これ以上を知るのが恐い事も。
だがもっと不思議な事にその時リオの感情を動かしたのはこの夢のように美しい白い鳥を傷つけたくないという純粋な気持ちだった。
会ったばかりのおかしな…でも酷く目を奪われる少年が変じた白い怪盗。
この幻がゴミのような人間達の手で汚され羽をもがれるのを我慢出来ないと思った。
本当に何なのだろうこの気持ちは。
あの時天から飴を降らせてくれたよく笑う少年を見た時から……いや、初めに彼が店を訪れ、紫の瞳が自分を映した瞬間から魔法に掛けられたように心に根付いたタネがある。
真直ぐ顔を上げたリオのくすんだ青は夜の帳に黒く瞬いて、一瞬だけ重なった彼の人とのイメージを抱えたキッドは微苦笑した。
 『大丈夫、俺は別にあいつ等と対決しに来たんじゃなくて「盗み」に入った泥棒なんだぜ。それに俺のカンじゃ逆にあいつ等がおメーのオヤジの銃を使ってる限り俺達は却って安全さ』
 小さな子供のひたむきな眼差しを受けた怪盗が安心させるよう佩く笑みは、頭上に置かれた暖かな掌と相乗しリオの心を激しく揺さぶった。

 『……恐いか?』

 幼い子供がまして大人でも竦む程の危険を冒そうとしているのだ、恐くない筈がないだろう。
だがこちらを労るよう見つめる紫の瞳は冷たいのに何処か広く包み込む優しさを秘めていて、リオは空を初めて飛んだ時から恐いと思った事など一度もなかったと思い返す。
 『…恐くねえ、あんな奴等は。ただ、恐いとするならそれは取り返しがつかねえ現実を知っちまった時だろうよ』
 怪盗が不意に空を見上げた。
今この下には凶器を持った輩がウヨウヨしていると言うのにそんな事は微塵も感じさせぬ芸術に想いを馳せる白い生き物のごとく。
静かだった、不思議なくらいに心は薙いでいる。
足元から伝わる恐怖も内に棲まう黒い感情も、全てが白に溶けていく錯覚。
目が自然奪われる美しい一瞬の絵画。
怪盗はリオの視界の中、片目を覆うアンティークな飾りを揺らし微笑む。

 『…今から数年前、同じように闇に迷った子供を俺は知ってる。信じていた日常が、大切な人が……全てが自分を裏切ると、そう思う事も、そう想う心を持つ事も、スゲえ…哀しい事だ。俺は『正義』は人の数だけ在るってのが持論なんだけど…』

 そこで怪盗は吐息をついた。
まるで何か心の準備でもしているかのように。

 『俺の物凄く尊敬する「もう一人の奴」の言葉を借りるとするなら、『真実』ってのはそれでもこの世にたった一つしかねえんだとさ』

 これまで何処か夢うつつの状態だったリオが目を剥いた。
白い怪盗はこの時酷く人間臭い笑みを零したのだ。
まるで素の少年の姿と同じく悪戯な瞳をクルクルと動かして。

 『信じてみねえか俺を……いや、おメーのオヤジを』

 やがて深く頷いたリオの目の前に大輪の白薔薇が現れた。
忽ち煙りを吹けば不敵な笑みを浮かべる怪盗の手に残ったのは白いカード。
見張りの男と連絡が途絶えた不自然さにようやく大勢の手下達が一気に押し寄せる音が内と外とを繋ぐ扉の奥から聞こえて来る。
リオを背のマントの裏に隠し、しがみついているように言ったキッドは躊躇いもなくドアを開けると計画通り狭い階段に殺到し咄嗟の身動きの鈍る集団に先程のカードを投げ付けた。

 

 『予告状です、今宵は暇がなかったので直接受け取って下さい』

 呆気に取られている男達を他所に再びドアを閉め一秒、二秒、三秒。
もう一度扉を開いた時そこに居た全員が安らかな夢路へ旅立っていた。
カードに仕込んだ催眠ガスのせいだ。
キッドは遠慮なしに思いきり黒い絨毯を踏みつけ内部へと易々侵入を果たす。
殆どが今階段に集中していた為駆け抜ける途中出食わしたのはほんの数名。
そのどれもを催眠ガスで同じように眠らせておいて一番奥まった豪奢な部屋の扉を音もなく彼は開いた。
突然外の空気を招いた扉に中にいたボスのポルト・ラグーシャは飲みかけのワイングラスを慌てて置き、心底驚いたように椅子から立ち上がった。
なんせキッドはここまで誰一人発砲もさせずに来ているのだ、移動は早く音も発たない空から飛来した白い鳥の潜入をどうして知れたろう。
 『夜分に突然お邪魔いたします、私怪盗キッドと申します』
 『怪盗…キッドだと?!あの世間を騒がせてる白い泥棒か?』
 太った男は禿げた頭に汗を掻きながら目を剥いた。
流石に裏の世界を齧っている者ならば知らぬ筈もない怪盗1412号。
しかも以前彼の友人の一人はロンドンでこの怪盗にまんまと宝石を盗まれているのである。
 『何故泥棒ごときがわしの屋敷に?!言っておくがお前が専門としているビッグジュエルの類いは持ってないぞ!』
 『いえ、今夜私が欲しいのは人によっては宝石と同等…それ以上の価値のあるO.P作品の傑作と彼の愛用した道具達ですよ』
 『な…んだと?何故貴様がソレを知って…』
 そこでマントの端から姿を現した子供にポルトはハッとした。
 『お前はO.Pの…。何だ、だったらアレは正統な報酬の一部、返す謂れはないな』
 『嘘つけこの人殺し!!しかも道具まで持ち出すなんてよ、ハイエナより質悪いぜオッサン』
 ポルトは豊か過ぎる頬をみるみる怒りの赤で染めあげると傍らの隠し扉から直ぐさま一つの銃を取り出した。
彼の怒りは図星を刺された事もそうだがそれを指摘したのがあまにもちっぽけで貧相な子供であったからだ。
プライドの塊のような田舎ヤクザのボスは相手が何であろうと敵とみなした瞬間黒い殺意を隠そうともせず丁重に布で包まれた傷ひとつない銃を手に取り構えた。
丁度良い、正当防衛を主張して煩い子蝿を真実と共に始末出来るチャンス。
 (……?!)
キッドが僅かに顔色を変えた。
あれこそがリオの父親オト・ペルセンが自ら大金と引き換えに差し出したという特別な『宝』である事は何となく分かったが……あの形はまさか…?
ボスの意志に合わせるよう周囲からも更に不穏な気配が動いた。
残っていた子分らがこの部屋へと左右のドアから入りボスを守るよう立ち塞るまでそれから十秒と掛からない。
その誰もが銃を構えこちらを威圧してくる。
だが殺意の直中に在って佇む怪盗は何処までも涼やかな眼差しも微笑みも崩さぬまま、まさに天上に輝く月のごとき静謐さを保ってそこに在った。
鉄壁のポーカーフェイス。
だが、実際この危機において『彼』は本気で慌ててなどいなかったのである。
 『…おい、マジやべえよ。一体どう「真実」を俺に見せるってんだ?二人共死んじまったらそれこそが真実になるんじゃ…』
 マントの裏側でリオが囁いた。
 『大丈夫、そこを動かず端っこからちゃんと見てろよ』
 何の前触れもなく一歩を踏み出した怪盗に拳銃を構えた男達は次々に発砲した。
空気の摩擦音、耳を劈く破裂音に火薬の匂い。
一気に室内が不穏な空気に淀み始めたがマントが申し訳程度に揺らめいているだけのキッドは誰の予想にも反して傷ひとつ負わぬ白い姿で佇んでいた。
 『…何ぃ?!』
 誰かが小さく声を上げながらもう一度発砲した。
確かにきっちり構えている筈なのに、照準が知らずズレている。
折角のO.P作品だというのにこれではロシア辺りから大量に流れてくる安物の量産品の方が遥かにましだ。
 『あなた方は何も御存じでない。その銃は、O.P作品の銃は使う人間を選ぶのです。だから心ない者が持てば…弾はヘソと軌道を曲げてしまう』
 クスリと笑う冷涼な半顔が夢のように霞んでいる。
だが何の反抗もなしに何時までも立ち尽くしている程キッドはバカではない。
幾ら照準が合わぬとは言え『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』と日本にはそんな言葉があるのだ。
 『リオ、目を閉じろ』
 すかさず袖から落とした閃光弾で敵の目を晦ませば、彼は瞳が焼かれる程の洪水の中ただ一人一瞬見た記憶だけを頼りに素早く移動し今度は催眠ガスの詰まったカプセルを投げ一気に男達を制圧した。
残されたのはボスただ一人。
彼が助かったのは鍛え上げられた強靱な精神と肉体のお陰…などでは勿論なく、脅威的な瞬発力で男の巨体を扉の外へと投げ出した怪盗のお陰だ。
元の部屋を捨て部下の待機を目的とする隣の部屋へと移動したポルトとキッド、そして背中のリオとの三人が改めて相対する形となった……。


 『……一体どうなってるんだ、折角のO.P作品があんなにも出来損ないのクズだったなんて…』
 しかしそう言いつつも何故か取り上げられなかった手の中の銃をポルトは当然のように構えた。
見据える紫紺の双眸が光を増した。
この銃は他の部下のものと違う、O.Pが一番大事に保管してあった本物のお宝コレクションである。
普通の拳銃より少しだけ大きく、形もちょっと変わっている。
キッドはもう一度正面から構えられたソレに目を細めた。
……やはり、やはりこの銃は…!
 (けど、これだけ至近距離からだと流石にちょっとヤベぇかな)
先程と状況が違う。
目前に銃口がハッキリと見えるのだ。
 (いや、俺が信じなくてどうする?しかもアレがソウなら絶対…)
普通に考えれば命中する確率は九割、それ以上かも知れない。
だが単純に当たる当たらないで言うなら二つに一つ、二分の一だ。
 『リオ、特等席からもう一度よく見てろよ』
 口元に笑みをたたえた怪盗は小声で不安に身を震わせている背中の子供に余裕の響きでそう告げると再び正面から男を睨みやった。
下手に自分から離す方がこの場合は危険なのである。
相手との距離はせいぜい二メートル弱。
 『幾らなんでもこれならわしでも当てられるぞ』
 『当たりませんよ』
 『結構な自信だな、どんな腐れ銃でもこの距離なら…』
 『ならばそれを確かめに撃ってみたら如何です?』
 何なのだこのコソドロの自信は。
あの恰好と同じく頭もいかれているのだろうか?
ならば丁度良い、とにかく口封じをさせて貰おう。
迷わず手に掛けた引き金をポルトは引いた。
これまで何人も殺してきたその指先に躊躇いはない。
だが……
 『?!』
 これだけの距離に関わらず弾は左へと大きく反れ、壁にめり込んで止まった。

 『O.P作品は先程も申し上げた通り、持ち主を選ぶ銃なのです』

 近付く白い影に彼はヒッと唸るとその場に尻餅をついた。
固まった手と銃だけが震えたまま空間に取り残され、怪盗はそっとゴツイ手に絹の手袋を滑らすとポルトの手からあっさり銃を奪った。
そして白い懐から現れたのは傷だらけの銃。

 『依頼人の身長体重、筋肉の付き方、体の癖など細かなデータの全てを取り、更にO.Pに気に入られて初めて作られる究極のオーダーメイド品。各々が持ち主の為だけに初めから微調整された特注品ですから、他人が使えば照準も何もかもが狂うのは当り前という訳ですよ』

 ニッコリ笑いながら目前に構えられた銃口にポルトは目を白黒させて狼狽し、そこで一瞬浮かんだある発見に口を大きく開けたが実際にそこから洩れたのは正直な命乞いだ。
 『わ、わしを殺すのか?!怪盗1412号は人を傷つけたりまして殺したりする事もない紳士だと世間は……!』
 『まあ基本的にはそうなのですけど、既に常識も通じない獣みたいな方々を相手に私だけが人として振舞わねばならないという法則はないでしょう』
 何やら不穏な光りを宿し始めた昏い紫の双眸にポルトは息を呑み、脂汗を流して懇願する。
 『頼む、やめてくれ…銃は返す、今お前を狙ったのも冗談だったんだ…』
 ズイと迫る黒い銃口が今にも火を吹きそうで仰け反った彼は何度も喚く。
どうせこの失態を知られる心配は気絶したままの部下達の前にない。
 『冗談?ならばリオが負ったらしい借金とやらも当然……』
 『そっちも冗談だ!借金なんか何処にもない!本当だ!!とにかく許してくれ、頼む、俺は死にたくない…!!』
 誰だってそうだろう。
恐らく幼い子供を独り残す事となってしまったO.Pもその妻も。
だが今ここでそちらに関する真実を敢えてキッドは聞かなかった。
何もかもが今更なのだから。
リオは既に気付いていて、傷を深めたところで死んだ人間は生き返らない。
 『もう一つ、O.Pの仕事道具は?』
 『ああああ、あれは…その、今夜開かれる裏のオークションに既に出品済みなんだ。幾らわしでももう取り返せない…すまん、勘弁してくれ……頼む殺さないで…!』
 目の前の端正な半顔がにっこり笑う様にポルトはつられたようにぎこちなく汗に濡れた笑顔を浮べた。
遠ざかる黒い物体に大きく深呼吸、だが直ぐさま脳天に強烈な衝撃を受け彼は昏倒した。
 『別に銃は撃つだけのものと決まってませんよ?』
 何と銃を使ってポルトの禿げた頭を殴ったキッドは片目を瞑ると己の、今はどうせ満足に使う事も出来ないソレをひらひら振ってみせる。
その鈍い輝き、傷だらけの怪盗の相棒。
 『…お前、それもしかしてオヤジの作品か?』
 『ああ、大分傷だらけにしてたせいかつい最近署名に気付いたんだけどな。流石に俺もこいつを手懐けるのに時間掛かった。お陰でもうこんなにボロボロにしちまって………だから俺は銃の修理を頼みに来たんだ』
 キッド…今は快斗と呼ぶに相応しい白い少年は灯りの下両手に掲げた銃を見比べる。
片方はさっきポルトから奪ったO.Pが一番大切にしていたというお宝銃。
 『…同じだ、オヤジが大事にしてた銃とお前のそのボロボロの銃……何で…?まさかお前オヤジの知り合い?!!』
 『いや、知り合いだったのは俺のオヤジみてえだな……これはオヤジの形見だから』
 「形見」という言葉にリオは息を呑んだ。
ならもしかして屋敷に乗込む前『彼』が言った『子供』の事とは…。
 『マジシャンだったオヤジが昔何を思っておメーのオヤジにコレを依頼したのか、そして全く同じモデルの銃をO.Pが大事に仕舞っててくれたのか、……やっぱり俺の考えた事は間違ってなかった…』
 快斗の儚くも美しい笑みにリオは胸の辺りをギュッと掴んだ。
 『だけど、俺はまだよく分かんねえよ、オヤジが本当に凄い職人だったって事は分かったけどソレだってやっぱ殺しの道具は道具だ』

 『……世の中さ、哀しい事に主張を貫く為だけでも「力」が必要な時もある。牙しか知らねえ連中には牙で相対するしかない。だけど、…少しでも余分な犠牲を払わなくて済むようにってO.Pもオヤジも考えたんだと思う。銃の扱い方をロクに知らない半端な連中に万一流れた時は不用意に人を傷つけさせぬよう照準の合わせ方を殊更難しく、そして逆にプロと呼ばれる人種達には却ってそれを使い易く、ターゲット以外の被害を最少に食い止める努力を…』

 玩具のような遊び心を失わぬ不思議な牙を秘めた銃(象徴)。
きっと矛盾した平和への祈りが何より込められている…。

何故誰より敬愛するマジシャンであった父がそれを手に取ったのか、知りたくて彼もまた旅をするのだ。

---------長く危険な旅を。


 『因にコイツはな、普段は危ねえ弾丸を出す為にあるんじゃねえよ。「夢」を売るマジシャンの相棒…本来はお客さんのハートを狙い撃ちする為にあったんだ』
 変わったオプションの付いたボロボロの銃は突然旗やら紙吹雪きを吐いてリオの度胆を抜いた。
自分を見つめる少し哀し気ででも悪戯な子供のように笑う白い少年にリオは柔らかな頬を紅潮させた。
顔が火を吹きそうに熱い。
冗談で撃つ真似をされた心臓が痛いくらいに早鐘を打って……本当に撃たれたみたいにドキドキと苦しかった。
 『?おメー風邪でもひいたのか?』
 『……んな訳ねえだろ///気のせいだ。そ、それよりも道具の方はどうするんだよ、オークションなんてどう出たらいいか、しかも俺金なんてねえぞ?!』
 う〜んとほんの半瞬程考えていた彼は直ぐさまニヤリと笑うと大丈夫大丈夫と先程の部屋に戻り辺りをごそごそし始めた。
 『……おい、これって…』
 『金は天下の周りものってね♪どうせ悪どい事して儲けた裏金で貯金代わりに買ったモンで表にゃ出せねえ代物だからな、誰も実際痛くねえって』
 事も無げにそう言い切った少年にリオは一転して乾いた笑いを洩らした。


 

 『……お前って信じらんねえ』
 『そうか?けどこれで穏便に道具は返って来たし、安く競ったお陰で金も大分余らせたから後は店の改築にもおメーの今後の生活費用にも充分宛てられるだろ?』
 何とポルトの屋敷から隠されていた宝石の類いを無造作に失敬してきた快斗はそれを一家の傘下にある質に流して大金をせしめた挙げ句、オークションで道具一式落札してきたのである。
しかも予めO.Pの仕事道具は偽物であると情報操作をしておいて殆どタダ同然の安さでだ。
 『悪党だな』
 『そ、俺は別に正義の味方じゃないんでね』
 片目を瞑った柔らかな美貌に一緒に笑っていたリオであったが一瞬にしてまた頬どころか顔中が熱くなる。
思いがけず自分を救ってくれた白い魔術師。
夜空を駆けた怪盗。
リオは物心つく頃には父親の真似でドライバーなど握っていたのだから知らないが、所謂これは『白馬の王子様』なのだ。
また元の少年の姿に戻った彼の東洋人と思われる顔立ちは酷く繊細にして端正な作りで、光の加減で紫に閃く瞳は存在と同じくミステリアスな香りに包まれている。
自分を庇い沢山の銃口の前に立った広い背中、思いがけず力強かった腕、花や飴を降らせた魔法を生み出す指先。
そのどれもがマジックのように華麗な夢だ。
やっと分かった、もしかしなくても自分はこのドロボウを…。
生まれて初めての熱く甘い感情にリオは思考までを赤く染めると、滅茶苦茶に荒された店の中、ケチられた電球の暗い明かりがラッキーだったと息をつく。
と、そこで笑顔の絶えなかった快斗がふと真顔になった。
リオは切り替わった気配にこの楽しくも残酷な夢の終わりが近い事を知る。

 『リオ……』
 『……何だよ』
 『おメーこれからどうする?一人になっちまって、店は残っても実際の営業が出来る歳じゃない』

 突き付けられる現実。
返した声が不覚にも震えていたのが悔しい。
 『………言ったろ?店は畳むって。あれってマジだぜ?俺だって子供に出来る限界がある事くらい知ってる。他に身寄りもないから儲けた金とオヤジの道具だけを持って取り敢えず働ける歳になるまでどっか施設にでも入れて貰うさ』
 勉強なら何処でも出来るし…。
くすんだ青。
その大きな瞳は言葉を裏切る悔しさを滲ませている。
施設に入ってしまえば全てが自由になると限らない。
多少の勉強は出来ても一番知りたい実践的な事も練習もきっとさせては貰えない。
何より…もうこの男の住む世界とは接点を完全になくすのだ。
それは父のいた世界の半分をなくすと同じ事で…。
 『おメーさ、今もオヤジ好きか』
 『?』
 『オヤジの作ったモンを見て、知らない顔を垣間見て、その上でリオはオヤジが好きかって聞いてんだ』
 『……好きだよ、それが何だってんだ』
 事あるごとに繰り返された質問に再びリオは答えた。
何故か喧嘩腰の口調に思わず快斗は苦笑する。
芯のとても強い子供だ、その子にとって何が一番良くて幸せであるかなど世間の常識で計れない事は誰よりよく知っている快斗である。
 『…実は言うかどうするか迷ってたけど、俺の知り合いにイタリアで同じ時計職人を「表向き」やってる男がいてさ、弟子を何でだか万年募集中なんだよ。そいつ腕は悪くねえけど趣味が俺に言わせりゃ最悪でな、だから相棒もないし弟子も居着かなくて困ってんだろう。でも結構気はいいから学校だって行かせてくれると思うし、チビっとでも相応の給料を歳に関係なく出来高で払ってくれる筈だ』
 『マジ?!』
 それは願ってもない話だ。
この思い出の土地を離れる寂しさもあったが店の権利は自分にあるのだし、修業して一人前になったら改めてこの店に戻って来ればいい。
帰れるのだ、思い出深いこの『家』に。
彼のお陰で。
 『ただしよく考えるんだぞ。別に自分から進んでコッチの世界に飛び込む事はない。普通に大きくなって普通の時計職人に弟子入りする方法だってある。そっちの方も乗り掛かった船だし俺が相応に良いとこ探してやる事も出来る。…どうする?』
 『んなもん即決だ、俺はその怪しい男の弟子になる!』
 『だから別にゆっくり決めていいんだって;』
 『明日になっても明後日でも一緒だよ、だってお前俺が「普通」になっちゃったら二度と顔合わせないつもりだろ?』
 『……何か問題が擦り変わってないか?』
 快斗が首を捻った。
今はリオの将来について話しているのだ。
 『変わってない、全然変わってないぞ!俺のこれからの人生にお前は不可欠だからな』
 『はあ?』
 『……鈍い、ゲキニブだな、最悪!お前なんか乙女の敵だ!!』

 沈黙が落ちた。
痛いくらいの沈黙が。

 『お互い腹を割って話し合おう。…乙女の敵とおメーと俺と何か関係があるのか?』
 黒いものが飛んで来て快斗は咄嗟に白羽取りの要領でそれを受ける。
銃だ、新品同様のあのお宝銃。
父の形見と同じ型の。
 『持ってけ、で、お前の持ってる古いの俺に寄越せ。交換だ。それはお前のもの、コッチのは俺が何時か一人前になったら一番最初の「仕事」として直してやる。…だからお前は俺の最初の「客」として何時か会いに来なくちゃならねえ』
 それは精一杯の言葉であった。
しかも本気の本気が込められた。
闇の気質が遺伝するなど考えた事はなかったが実際リオにはやはりあの天才と名高いO.Pの血が確実に流れているようである。
 『……そっか…うん、分かった』
 熱い眼差しが少し前までの自分と重なり快斗は不思議な高揚のままに頷いた。
 『ついでにその時はお前が泣いて懇願する程の美人になっててやるから、…こ、後悔すんなよ///』
 『うん、分かっ……ハア?』
 もしかしてさっきからずっと顔が赤いのは……。
 『えっと…、おメーが望むなら俺が会いに行くのは構わねえし一人前になるのは楽しみにしてるけど…ああ、何か…何つうかおメーあの男と結構気が合うかもな。………でもよ、悪いけど俺基本的に男に興味ねえんだよ。だから幾ら努力してくれたとこでおメーがムチプリのおネーちゃんに変身出来る訳じゃねえんだから…悪いな』
 子供を傷つけるのは忍びないが答えを誤魔化すのは却って失礼な気がしてつい正直な思いを打ち明けた快斗であったが、クイクイと曲げられた指に誘われるまま彼は目線を下げ沈黙した。

そこには二枚の写真があった。

かなり古そうなもので、そこにはリオそっくりな…ソバカスだらけでスキっ歯の、言っては悪いが小汚いガキが一人お世辞にも可愛いとは言えない顔で写っている。
もう一枚には目も覚める程妖艶な肢体を持った美女が艶かしい視線とポーズをとっていて快斗は思わず口笛を吹いた。
 『すっげー美人!まさかこれおメーの母さん?』
 『そう、ついでにもう一枚のはそのオフクロの小さい頃の写真だ』
 快斗が固まった。
まるで何処かの三流美容サロンの誇大広告のように、使用前使用後のびっくり写真。
 『俺も後五・六年もすればそうなるぜ?』

 『………まさか…まさかおメーその成りでぁ?!!
 『だから「俺をボウズって呼ぶな」って言っただろ』

 未来のムチプリねえちゃん…と言うか未来の二代目O.Pはそう言ってその時ばかりは微かに将来の面差しを予感させる魅惑的な笑みをそっと浮べた。

 『待ってろ、俺は銃だけじゃねえ、色んなモンを造れるマルチな職人になる。お前が必要になる道具は全部俺が造る。おまけに料理も上手くなるし、服だって……こ、子供だって…作ってやる////!』

 真剣にこちらを見上げる瞳は案外と油断なく、血を引いてるから云々とは決めつけたくはないが少なくともこのチビガキは完全に双方親の血を受け継いだようだ。
願ってもない申し出なようで、しかし……。
快斗はとんでもない事を言い出した子供に目を泳がすと何となく半ば倒壊した天井を見つめてしまう。
微笑ましいと言い切るには不穏すぎる子供。
闇のタネだ。

 (俺ってやっぱもしかしなくても女運最悪なのか?!)

 何度も周りに言われながらも今更のような事実を噛み締め、頭を巡ったのは皆が皆美しいが極上の棘もまた秘めた女傑達の危険な微笑み。
『彼』も以前とんでもない子供(少年)にプロポーズされていた事を思い出し、この際どっちがマシだとか考えるのも空しい事に気付く。
それでも店が思わず華やぐ程の美しい苦笑をたたえ、快斗は流石にそれには返事も出来ないまま音もなく踵を返した。

 『……じゃあな、リオ。今からおメーの親方になる男に話つけてきて、ここまで迎えに来させるからそれまでに色々と仕度しとけよ』
 『おう!五年後を待ってろダーリン///!!』

 最後の一言にはコケてしまったが一度だけ振り返れば涙を必死で堪える子供の姿がそこにあった。
ありがとう、と戦慄く唇が微かに動いた。
別れはどんな時でも辛い。
これから『少女』は独りで生きて行く。
精一杯突っ張ったその顔に今度は包むように明るい笑みを見せると指をパチリと鳴らし鮮烈な印象と共に少年は去った。
子供の手には彼が来た時と同じ、一輪の白薔薇とたった一つの飴玉が乗っていた。


 

 装備も新たに二代目キッドならぬ『黒羽快斗』の伝説を歩む希有な美貌の少年の前途は相変わらず多難なようでも、それでも『未来』を想えるのは誰しも幸せな事かも知れない。

 

 ぽっかりと浮かんだ月がそんな彼を讃えるよう先の道を白く照らし出していた。

<END>


2003/7/12 by 流多和ラト

前から書いてみたかった一寸?少女漫画チックな快斗主役の話です。
こうして彼は新一と同じく行く先々でハート泥棒を結構無意識にやらかしている悪党なんですね(^^;だからその報復によくオヤジ達には酷い目に合わされて…(笑)
とは言え快斗が動けば必ずこういうドラマチックな展開になっていくと思うんです。
現実離れした存在なのにハートは一番人間臭い;それが快斗だから(^^;
(そしてリオは快斗自身、彼の未熟で不安定な部分を具現化した存在でもありました。だから快斗は常に己にするようにリオに問いかける訳です)
同じく周囲を虜にする新一は憧れと尊さをもって万人が惹かれるのですが、快斗はもっと皆身近で即物的な欲に、見ていて囚われる模様(苦笑)
その微妙な違いが楽しいのです///快斗は快斗ならではの魅力満載です♪
後忘れるところでしたが;快斗のしている銀の時計は新一からのプレゼントでした///

…お祝にかこつけ、思いきり我が道をいってしまった話ですが、これは麻希利さんへ♪
40万ヒット、改めておめでとうございます(^^) by ラト

 

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