「あれ、蘭さん?どないしたん?」 廊下で蘭と鉢合わせした純平は目を丸くしながら彼女を見た。 「岩佐くん・・・」 「あ、トイレかいな?丁度ええわ、一緒にいこv」 明らかにホッとした表情の純平に蘭は慌てる。 「あ、違うの!実は、目が覚めたらコナンくんが部屋にいなくて、トイレかなと思ったんだけどなかなか戻ってこないもんだから心配になって」 「え〜!あの子、夜中に一人でトイレに行けるんかいな?」 それはスゴイと純平は素直に感心した。 自分がコナンくらいの時は、夜中に一人でトイレなど絶対に行けなかったのだから。 「オレ、今は鍛えられて大分マシにはなったんやけど、どうもこういう古い屋敷ってのはなんかいそうでおっかなくて」 「なにかって・・・?」 聞いてから、蘭はすぐに後悔する。 こんな夜中に聞いていいことではなかった。 案の定、純平が話し出したのは蘭が震え上がるようなことだった。 「昔建てられた古い田舎家ってさあ、トイレやお風呂は不浄なもんやからって、家の外に作られてたんや」 「ええっ?外に?」 そっ、と純平はうなずく。 今やったら考えられへんよな。 「オレのじいさんが長いこと住んどった田舎のバカデカイ屋敷もそういう造りで、8才の頃やったか初めてオフクロと泊まったことがあんねん。お風呂が外ってのは結構おもろかったんやけど、夜中のトイレが嫌やったよなあ。裸電球一つやし、勿論水洗やなかったしな。せやから、寝る前に行っとったんやけど、夜中に目が覚めた途端行きとうなってしもて、オフクロを起こしてついてってもろたんや。オフクロはトイレの外で待っとってくれたんで安心して用をたせたんやけど、外出たらオフクロはちょっと離れたとこに立っとってん。なんで、あんなとこにおんねやと思たんやけど、おいでおいでされたもんやから、すぐに走っていったんや。掴んだ手はなんや冷とうて・・・で、2〜3歩あるいた時、誰かが後ろで呼ぶ声がしてん。なんやろと振り返ったらトイレの前にオフクロが立っとったんや」 えっ・・と、蘭の顔が引きつる。 「なんでオフクロが二人おるんや?とわけわかんなくて隣を見たらそこには誰もおらへんかってん。たしかにさっきまで手をつないどった筈なんやけど。オフクロに聞いたら、トイレから出てすぐにオレが走り出したもんやから名前呼んだんやと言うし」 「お母さんは見てなかったわけ?」 「そうらしいわ。で、じいさんに聞いたら、それはキツネや言うとった」 キツネ? 確かに昔話で人を化かすキツネのことはよく聞くが。 今でもよくあるらしいで、と純平は言った。 「で、今も時々思うんや。あん時あのまま気づかずに一緒に行っとったら、どこに連れていかれたんやろ、って」 「・・・・・・・」 やっぱり聞かなきゃ良かった・・と蘭は思った。 こんな大きな古い家の中で、しかも夜中に聞くような話ではない。 しかも、戻らないコナンのことが余計に気になってしまった。 まさか、キツネに連れていかれたということが・・・・ たとえば、キツネが自分の振りをして近づいてきたら、コナンくんは疑わず付いていってしまうんじゃないかと思った途端、蘭は血の気が引いていった。 (やだ・・!まさか、そんなことが・・・・・) 「キツネに時間を奪われたという人の話も聞いたことがあるね」 突然、彼等の会話に加わってきた声に、純平はギョッとなって飛び上がり蘭はキャッと悲鳴を上げた。 「ああ、ごめんごめん。驚かせちゃったな」 二人が振り向くと、すぐ後ろにこの屋敷の住人である森島智明が立っていた。 「話し声が聞こえたもんだから、どうしたのかなと思って」 「あ、すみません・・・!」 うるさくして彼を起こしてしまったのかと思い、蘭は申し訳なくて頭を下げた。 「あ、違いますよ。別に、寝ていたわけじゃないから」 智明はそう言うと慌てて手を振る。 実は、部屋で自分のHPに載せるために集めた、龍に関する資料をまとめていたのだと彼は言った。 「トイレ?」 「え・・あの・・・起きたらコナンくんがいなかったんで、トイレかな、と」 「コナンくんって、あの眼鏡の坊や?」 蘭が頷くと、変だな、と智明は首を傾げた。 「ついさっきトイレに行ったけど会わなかったよ?」 えっ!と蘭は驚いた。 「ホントですか?」 「ああ。客間からトイレに行くにはこの廊下しかないから、会わない筈はないんだけど」 「え・・じゃあ、どこ行っちゃったんだろ、コナンくん?」 「部屋がわからなくなったのかな。トイレを出てから逆に行っちゃうと離れの別棟に出てしまうから」 「そうなんですか?」 着いたのが夜だったんで屋敷の様子ははっきりしなかったが、どうやら思った以上に広くて部屋数が多そうだ。 しかし、あのコナンくんが迷うだろうか?と蘭にはちょっと疑問だ。 どっちかといえば、トイレに行く前か後かは知らないが、彼の興味を引くような何かがあって故意にどこかへ行ってしまったと考える方が納得できそうなのだが。 「う〜ん、心配だな。探しにいこう」 「すみません、こんな時間に面倒をかけてしまって」 「気にしないでいいですよ。あなた方はお客なのだから」 「あ、オレも探します!けど、その前にトイレ行きたいんやけどついてきてもらえます?」 一人で行くのが怖くてギリギリまで我慢していたのだと純平は照れた顔で白状した。 隣の部屋で寝ている快斗についてきてもらおうかとも思ったのだが、襖の隙間から見たらよく寝ていたようなので仕方なく一人で部屋を出たのだという。 そんな時に蘭とバッタリ会ったものだから、純平にとっては救いの神様、仏さま、弁天さまという所だったろう。 純平がトイレの中に飛び込むと、蘭と智明はトイレの外で彼が出てくるのを待った。 「あのぅ・・さっきのキツネに時間を奪われたというのはどういうことなんですか?」 黙ってるのが嫌で尋ねたのが、本当はあまり聞きたい話題ではなかった。 「ああ、それはホントに化かされたという感じで、そんなにコワイ話じゃないんだけど」 ある村人が早朝神社の前を通った時、誰かに呼ばれて振り返ったらいきなり目の前に夕焼けが広がっていたのだという。 「夕焼けって・・・朝なのに?」 「そう。まだ朝の7時にもなってなかったのにね。驚いて家に戻ったら彼の奥さんが夕飯の支度をしてたそうなんだ。時計を見ると、なんと振り返っただけで10時間以上が過ぎていたって話」 「ホントなんですか、それ?」 蘭は信じられないようなその話に瞳を瞬かせた。 さあ?と智明は笑って首を傾げる。 あくまで人づてに聞いただけだから、と彼は言った。
女性の姿をした怪盗シルバーフォックスは、じっとコナンの顔を見つめた。 そして、ふっと口元が緩む。 「面白い魔法ですね。ミステリアスブルーが唯一の至宝であるなら、この子はあの時の麗しい姫君ということになる」 あの夜、龍玉をつけた女装の少年はどう見ても17.8才。 しかし、今ここに立っているのは大人びた瞳をしているもののほんの小さな男の子だ。 シルバーフォックスは、コナンの前で膝を折るとその柔らかな子供の頬に白い指を伸ばした。 「本当に、あなたがあの時の少年なのですか?」 「・・・・・・・・・・」 コナンは眉をひそめたまま黙った。 答えられる筈はない。 危険人物ではないとは思うものの、まだこの怪盗が彼等にとって無害とは言い切れないからだ。 と、今度はシルバーフォックスの眉がひそめられた。 彼女の白い喉にサバイバルナイフの刃が押し当てられたからだ。 「快斗!」 コナンはびっくりしたように瞳を大きく見開いた。 まさか、快斗がナイフを持ち出すとは思わなかったのだ。 シルバーフォックスにナイフを突きつけた快斗の顔は、コナンが知っている能天気な明るい少年の顔ではなかった。 敵を前にし、冷涼とした鋭い瞳が光る怪盗キッドの顔だ。 「おまえ、そんなもんを持ってんじゃねえよ!」 コナンが咎めるように怒鳴っても快斗の目は彼女から離れない。 「言ったろ?白の魔術師はミステリアスブルーを守るためなら手段は選ばねえんだって」 たとえ、相手が女でも敵なら容赦しないってこと、と快斗は笑う。 「・・・・・・・」 (こいつ・・・なんかアッシュの奴に似てきたんじゃねえか?) アッシュに撃たれてからなんだか快斗は変わった。 ミステリアスブルーにかかわる何かが起こると、何故かゾッとするような雰囲気を漂わすようになった。 こんな快斗は快斗ではない。 そして、警察を翻弄する宝石泥棒〈怪盗キッド〉でもない。 こういう時の快斗は、さっき自分で口にした通り〈白の魔術師〉なのかもしれなかった。 「OK。今は詮索はやめておきましょう」 美しい銀狐は、コナンから手を引いてホールドアップのポーズを取った。 「あなた方とは、これからゆっくりとわかりあっていきたいですからね」 「わかりあう?」 なんのために?とコナンは訊いた。 「少なくとも、わたしはあなた方の敵になるつもりはないということですよ」 ニッコリ笑った彼女はナイフを持った快斗の手首を掴んで立ち上がった。 力を入れているようには見えないのに、快斗は握りつぶされるような痛みにかすかに眉をしかめた。 もっとも、殆どわからない程度の変化なのでコナンは気づいていない。 トウイチは・・・と彼女はまっすぐに快斗の瞳を見つめながら口を開いた。 「わたしが初めて認めた好敵手で、しかもこのわたしをあっさり振ってくれた傲慢で優しい男でした」 「オヤジにはもうオフクロがいたんだから、あんたになびく筈ねえじゃん」 快斗は彼女の手が離れると、持っていたナイフをしまった。 「同じことを彼も言いましたよ。ホントによく似た親子ですね」 憎らしいくらいに、とシルバーフォックスが微笑みながら言うと、いい性格してんじゃんか、と負けずに快斗も微笑んだ。 「・・・・・・泥棒二人でなに和んでんだよ?」 一人疎外感を覚えたコナンが呆れたように溜息をつく。 ばかばかしいから、部屋に戻ってもう寝る、とコナンは踵をかえす。 蘭がまだ寝ていたらいいが、目が覚めてコナンがいないことに気づいたらきっと心配するだろう。 で、こんなとこで下手に大騒ぎされて探されても面倒だった。 さっさと戻った方が無難だ。 だが、既にこの時、蘭は智明と純平と一緒にコナンを探していたのだが。 「面白いものを見たくはないですか?」 ふと誘いをかけるような彼女の言葉にコナンは足を止めた。 「なに?あれってマジな話?」 「龍の彫像はちゃんとここにありますよ。まあ、あなたの興味を引くようなものかどうかはわかりませんけどね。行ってみますか?」 そう言って差しのばされた白い手をじっと見つめていたコナンは、フンと一つ鼻を鳴らしその手に自分の手をのせた。 「ちょ・・ちょっと、コナンちゃんってば!あまりにも無警戒すぎない?」 「うるせえ。ナイフを振り回す野郎よりはずっとマシだよ」 そんな、無慈悲なお言葉・・・・ 全て彼を守ることを前提とした行動であるのに、当人にそう言われては快斗も泣くに泣けない。 「一緒に来てもいいですよ、ジュニア」 「オレが行かないわけねえだろが!」 ああ、くそっ!なんかムカつくぅぅぅ〜!! オヤジ〜変なのとかかわんなよ〜〜 既にこの世にいない父親に文句を言っても仕方がないのだが。 (だいたい、こいつ、オヤジが死んだこと知ってんのか?)
シルバーフォックスが二人を案内したのは、屋敷の裏手にある小高い山で、石段を上っていった先には小さな鳥居が立っていた。 満月で雲一つなく晴れ渡っているため普通よりは明るいが、それでも木々が生い茂る中、彼女が持つ懐中電灯がなければいささか足下が危ない状況だ。 しかし、普通の人間より夜目の利く快斗は、石につまずくことなく前を行く二人の後をついてきていた。 鳥居をくぐると目の前にポッカリと口を開けたような洞窟があった。 入り口には太いロープがはってある。 「じゃ、行きましょうか」 ゲッ・・やっぱ、入んのかよ・・・・・ 昼間でも多分暗いだろう穴の中に、こんな夜中に入るというのはあまり気持ちのいいものではなかった。 蘭なら絶対に入らないに違いない。 (あいつ、気が強ぇーくせに、変に恐がりなとこあっからな) そんなとこも可愛いと思う彼だが。 中は思ったほど深くはなく、すぐに懐中電灯の明かりは前方の岩壁を照らし出した。 そして、少し明かりを動かすと、石の龍の背中が見えた。 龍は入り口ではなく行き止まりの壁に向いていた。 「なんだ、そう大きなもんじゃないんだな」 快斗が少しガッカリしたように呟くと、コナンが当たり前だろと言い返す。 「蒼の龍玉が目だってんなら、そんなに大きいもんじゃねえよ。それより、なんで龍は向こうを向いてんだ?」 「それはこういうわけですよ」 シルバーフォックスは、石の龍の後頭部に開いている親指ほどの穴に懐中電灯の光をあてた。 すると、右の目にだけはまっていた龍玉が蒼い光を放って壁に不思議な映像を浮かび上がらせた。 蒼い光の中に、何故か赤い光が浮かんでいる。 それはまるで・・・・ 「パンドラ・・・・」 え?とコナンは快斗を振り返る。 そう。あれは、まるで巨大な宝石の中に秘められたもう一つの赤い宝石を表現しているかのようだ。 で、もう一つとシルバーフォックスが手の上に出して見せたのは純平が持っていた龍玉だった。 いつのまに・・とコナンは顔をしかめたが何も言わなかった。 考えてみるまでもなく、こいつも国際手配されている泥棒なのだ。 ただの高校生から龍玉を奪うなど朝飯前だろう。 シルバーフォックスは、龍の左目にもう一つの龍玉をはめ込み、再び光を当てた。 すると今度は、パンドラらしき映像に重なりあうように奇妙な数字と記号が現れた。 「これは・・・!」 パズルか! それは、同じものではないが、あの三雲礼司が残したパズルに非常によく似ていた。 驚くコナンと快斗に、シルバーフォックスは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。 「どうやら、これを知っているようですね。予想していた以上に難解なものでしたが、あなた方が知っているなら好都合」 「何が好都合だってんだ?」 コナンは、ジロリと彼女を睨む。 「謎があれば、解いてみたいでしょう?」 「コレがなんだかわかってんのかよ!」 勿論、と彼女は頷いた。 「トウイチの命を奪った組織が狙っている代物」 そうでしょう?と甘い美貌の怪盗が微笑む。 それは、先ほどまで見せていた笑みとは違い、怒りを秘めているようなコワイ微笑みであった。 「やっぱ、知ってたのか」 「あなたに会うまでは確信はもてませんでしたけどね。どっちかといえば、認めたくはないことでしたから。でも、妻と子供を愛していたトウイチが、危険だと承知している怪盗キッドを息子のあなたに継がせるというのは絶対にあり得ませんからね」 「・・・・・・・・・」 「・・・完全に負けてんな、オメー」 「負けてないって!負けるわけねーじゃんか、このオレが!」 心外なというように快斗は小さなコナンに向けて口を尖らせる。 「んじゃ、コレわかるか?」 コナンに訊かれ、快斗は岩壁に映ったパズルをじっと覗き込んだ。 「真ん中の部分は、あいつが残したパズルのパターンに似てるから解けねえこともないけど・・・・他のはすぐに解けるような代もんじゃないなあ。多分、これって解読表と同じでキーワードが必要かも」 キーワード・・・・・・ 礼司が何かの秘密を刻み込んだパズルは、確かに簡単に解けるものではない。 そう、ずっと何かがたりないと彼も快斗も思ってきた。 その足りない物とは、パズルを解くためのキーワードだったのだ。 鍵がなければ、謎の扉は絶対に開かない。 「しかし、なんで龍玉にこんなのが刻まれてんだ?コレって、岩佐家がずっと所有してたもんじゃねえのか?」 「龍玉にはなにも仕掛けはありませんよ。そのことはちゃんと確認済みですから。仕掛けがあるのは、この石の龍の頭です」 え? 「多分目の部分に魔鏡に似た仕掛けがあるんだ。で、それは、龍玉を通した光によってだけしか見ることができないようになってる」 「その通り。さすがに頭がいいですね」 「誉めても何も出ないからな。天才だってのは本人も自覚してんだから」 「じゃあ、その天才的な頭脳でキーワードのある場所を推理してもらいましょうか」 「ああ?いくら天才でも、そう簡単にキーワードのある場所がわかる筈が・・・・」 言ってから快斗は、光を受けて蒼く光る龍の瞳にギクリと表情を強ばらせる。 まさか・・・と快斗はコナンの顔を見た。 「彼が“ミステリアスブルー”と呼ばれるその理由は?」 「! まさか、オレの瞳かっ!」 コナンは眼鏡の上から、掌で見開いた自分の右目を被った。 オレの瞳の中にキーワードがあるってのか・・・・! 月の光を受けると蒼く光る瞳。 いったい、どんな意味があるのかとずっと考えてきたが。 (パズルを解く鍵がこの瞳に・・・!)
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