夢芝居(5)

「ごめんなさいね、新一くん。急に頼んじゃったりして」

 本当に迷惑じゃなかった?と車を運転している法廷の女王さまが、助手席に座る日本警察の救世主に向けて訊く。

 さすがにもう、彼女を見て条件反射のように竦むことはなくなったが、やはり苦手かもしれないなと新一はこっそり苦笑した。

 子供の頃、よく蘭と並べられて彼女に雷を落とされていた。

 昔から知的な美人で、男などお呼びじゃないわって感じのしっかりした女性だったから、なんで毛利小五郎と結婚したのか子供でも不思議に思ったものだ。

 今では、二人は互いにないものを補い合っている似合いの夫婦だと思うようになったが。

「別に何も用はなかったので構いませんよ」

 それならいいけど。

「そうそう。蘭に聞き忘れたんだけど、日本にはいつまでいられるの?」

「来月には戻ろうと思ってます。大学のこともあるし、父さんたちも旅行から戻る頃なので」

「船で世界一周ですって?全く、いつまでも新婚気分の二人ね」

 だから有希子はいまだに少女みたいなのかしらね、とかつて高校でミスコン争いをした片割れがクスッと笑った。

 伝説のミスコン話は聞いている。

 とにかく学校内だけではなく、町をあげての一大イベントだったらしい。

「それにしても新一くん。子供の頃は優作さん似かと思ってたのに、年齢がいくに従って有希子に似てきたわね」

「そうですか?」

「でも瞳はいまだに優作さんにそっくりかしら」

「蘭も、だんだん妃さんに似てきましたよ」

 あら、そう?と彼女は笑う。

「でも、あの子、わたしに似ず料理がうまいのよね」

 まあ似なくて良かったけど。

 なんだ、と新一は彼女の言葉に肩をすくめた。

 自覚はあったわけだ。

 まあ、味覚音痴ってわけじゃないみたいだし、自分で作ったものを口にしたら当然自覚はするだろう。

 それを他人に食べさせようとするのは、やっぱり嫌がらせかと、かつて凄まじいシチューを食べさせられた新一は思う。

 まあ、あれもいい経験だったかと思うことにする。

 三嶋家の別荘は海辺にあった。

 崖の上に建つ白い一軒家。

 昔、映画で見たことのある年老いた恋人同士が再会した家にどこか似ている。

 車を止めて二人が外に出ると、音を聞きつけたのか白い別荘から一人の女性が顔を出した。

 玉置美奈子だ。

 彼女は昨日のうちに三嶋亜矢と一緒にこの別荘に来ていたのだ。

「早かったわね、英理!」

「道路が思ったほど混んでなかったのよ」

 美奈子は妃弁護士と一緒にいる少年を見た。

 そう長身ではないが、スラリとした綺麗な少年である。

 顔は新聞で何度か見た覚えがあった。

 最初は世界的な人気推理作家、工藤優作とかつての有名美人女優、藤峰有希子の一人息子というので話題になっていたが、そのうち彼が持つ驚くべき推理力で有名になった高校生探偵だ。

 勿論会うのは初めてだが、写真で見るよりずっと綺麗な顔をしている。

 さすがは・・・ということか。

「初めまして、工藤新一です」

「玉置美奈子よ。突然でごめんなさいね」

 いえ、と新一は微笑んで首を軽く振った。

「妃さんから話は聞いたんですけど、怪盗キッドに会われたんですね」

「ええ。でも、それはあの子には黙っててね。あの子のネット友達が実は怪盗キッドだったなんて言えないから」

「怪盗キッド・・ねえ。わたしは会ったことないけど、本物だったの?どっかのコスプレ好きってことない?亜矢さん・・だったかしら、彼女が通っていたサイトはキッドのファンも多いんでしょ?」

「そうみたいね。ファンクラブまであるみたいだし。でも、あれは間違いなく本物だと思うわ。だって、彼公園の時計の上にまっすぐ立っていたのよ」

 美奈子がそう言うと英理は、確かに・・と唸った。

 そんな真似はただのコスプレ男に出来る芸当ではない。

 たとえ出来たとしても、そんなことをしてなんの意味があるのか。

「あなたが会ったのが本物のキッドだとして、何か問題が?」

「そうね。詳しい話はまだ聞いてないけど、その怪盗が狙うような宝石があるの?」

「ああ、ビッグジュエル・・ね。残念ながら、キッドが獲物にするような宝石はないわ。三嶋氏はどっちかというと骨董が趣味だったから」

 焼き物や掛け軸なら山ほどあるが、キッドはそんなものに関心はないだろう。

「じゃあ心配ないんじゃないの。予告状も送られてきてないんでしょ」

 そうなんだけどね、と美奈子はふっと息を吐く。

「あ、ごめんなさい。話は中でしましょう。入って」

 美奈子は二人を別荘内に招きいれた。

 中も白が基調になっていて所々グリーンの線が入っている壁になっていた。

 左正面に二階へ上がる階段があり、吹き抜けになっている。

 入って右側は広間になっていて、椅子とテーブルが置かれていた。

 天窓もあって、中はかなり明るい。

 と、白い階段を少女が軽い足音と共におりてきた。

 肩にまっすぐおりたセミロングの髪に、茶色がかった大きな瞳をした可愛らしい少女だ。

 淡いブルーのシャツに白いベスト、赤いチェックのスカートをはいた彼女は、英理と新一の前までくると、ペコリと頭を下げた。

「こんにちは、三嶋亜矢です。今日は本当にご面倒なことをお願いしてすみませんでした」

 あら、と英理は少女を見つめニッコリ笑った。

「いいのよ。もとはといえば、仕事を最後まできっちりしなかったうちの主人が悪いんだから」

「でも、毛利さんはちゃんと彼を探してくれました」

「いいえ。ホントに彼があなたの探している人物なのかどうか、見届ける義務があったのよ」

 あのバカ亭主はね!

「そういえば、まだ来てないの?」

「もうすぐ来る筈よ。さっき電話があったから」

 新一が亜矢に向けて微笑むと、彼女は頬を染めた。

「工藤新一です」

「あ・・初めまして!工藤先輩の噂はよく聞いてます!蘭先輩の幼馴染みだってことも!」

 ペコリと頭を下げた少女の顔は真っ赤だ。

 まさか帝丹高校の超有名人で、マスコミでも騒がれた高校生探偵にこうして会えるなんて思ってもみなかった。

 クラスの友人たちは勿論彼に会ったことはない。

 工藤新一は高校二年の時、事件で休学してからそのままアメリカへ行ってしまったからだ。

 クラスメートが写真を持っていたので見せてもらったことがあるが、しかし実物は写真よりもずっとずっと格好いい。

 彼のお母さんは、昔、とても人気のあった美人女優だったということも聞いている。

 実は先日亡くなった祖父もファンだったとかでプロマイドや映画のパンフレットを見せてもらったことがあった。

 皆が言うとおり、その人は本当に綺麗だった。

 その美人女優の一人息子だというのが亜矢でも納得できる。

 特に瞳が・・・・

 亜矢は、ハッとした。

 光が当たって気がついたが、工藤新一の瞳は蒼いのだ。

 色が濃いのでパッと見ただけでは気付かないが。

 あの・・・と亜矢が口を開きかけたその時、バイクのエンジン音が耳に入った。

「あ、どうやら来たようね。英理も工藤くんもそこに座ってて」

 美奈子は椅子を指さすと、亜矢を連れて外へ出ていった。

 窓から外を見ると、バイクからおりる少年の姿が見えた。

 皮のジャンバーにジーンズ姿の少年。

 ここから見た感じでは年頃は新一と変わらない。

「そういえば、美奈子の話では彼は大学生だってことだったわね」

 英理も新一同様やってきた少年を観察しながら、そう呟いた。

 

 

 少年は”河合伸也”と名乗った。

 身元は前もって美奈子が調査しているので偽名ではない。

 横浜の大学に通う19才だ。

 名前にシンがついているので”SIN”である可能性はある。

 亜矢が覚えていた男の子の名前。

「紹介するわ。彼が河合伸也くん」

 美奈子は、聞いてなかった二人の存在に眉をひそめている伸也に英理と新一を紹介した。

「工藤新一・・って、あの高校生探偵の?」

 伸也はびっくりしたように目を瞬かせた。

 最近はあまり聞かないが、かつてマスコミに騒がれていた名探偵のことは知っていた。

 伸也が高校生の頃はクラスにもファンが大勢いて、女生徒などはきゃあきゃあとよく騒いでいたものだ。

 確かに血統がよく、優秀で、さらにこんな美少年なら世間が騒ぐのも当然かもしれない。

 女ならまだしも、男の顔はどうでもいいと思っている伸也ですら、目の前の少年は綺麗だと思えるし、引かれるものを感じる。

 そうして、もう一人の弁護士が毛利探偵の奥さん・・・・

「本当は主人が来るべきなのだけど、どうしても来られなくてわたしが代わりに来たというわけ。わたしも工藤くんも単なるオブザーバーだから気にしないで頂戴ね」

 英理はそうにっこり微笑んだ。

 気にしないでと言われても、これだけインパクトの強い二人を前にしては無理というものだろう。

 キッチンに用意していたコーヒーをトレイにのせて戻ってきた美奈子が、それぞれの前にカップを置いていく。

「では話を始めましょうか」

 美奈子はトレイをテーブルの下の棚に置くと椅子に腰掛けた。

 美奈子と亜矢が長椅子に並んで座り、テーブルを挟んだ向かいの椅子に河合伸也が、テーブルの両端に英理と新一がそれぞれ座った。

「まず、河合くんから当時のことを話してもらえるかしら」

 はい、と伸也は頷いた。

 見た印象では、彼はなかなかの好男子だった。

 きっと女の子にモテるだろう甘いマスクと、有名大学にストレートで入った頭の良さ。

 美奈子が調べた範囲でも、彼の評判は悪くなかった。

 母一人子一人のため、高校からずっとバイトで学費を稼いでいたという。

 今は母親が始めた店が成功して金の心配はないようだが。

「俺はあの時、それまで住んでいた家を引き払って新しい土地へ引っ越す途中でした。母が働いていた会社が倒産したんで、別の職場を紹介してもらいそこへ向かってたんですけど」

 引越し荷物など殆んどなくて、唯一の財産といっていい母の軽自動車にのせていたのはカバンが二つっきり。

 その軽自動車でずっと彼の母親は配送の仕事をしていたのだ。

 しかし、途中立ち寄ったサービスエリアで母親と喧嘩し一人飛び出していった。

 抱えていたのは、出発する時に母親が買ってくれたお菓子を詰めたカバンが一つ。

 そのままガードレールを乗り越え山の中へ入っていったのだと伸也は言った。

 結局、日が暮れて戻ろうにも戻れなくなり途方にくれていた時、彼はある女性と小さな女の子と出会った。

「最初は母娘かと思ってたんですけど、話を聞いたらその二人も別々に迷子になったんだとわかって」

 調査書を確認しながら伸也の話を美奈子は頷きながら聞いていた。

 隣に座る亜矢の表情を見ても、伸也の話すことに不信感を抱いている風はなかった。

「確かにあなたが引越し先に向かう途中に彼女が迷子になった山があるし、サービスエリアで男の子が一人行方がわからなくなったという記録も残っているわ。名前は河合伸也。あなたのことに間違いないわね」

 そう言って亜矢に向け頷く美奈子に、彼女は一瞬だが首を傾げた。

 伸也の話は、自分が覚えていることと一致する。

 間違いなく、あの時出会った男の子だ。

 だが、今ひとつ納得がいかないのは何故だろう?

 当時、亜矢は幼かったので、実は記憶は曖昧であった。

 何故自分があの山で迷子になったのかその経緯すら覚えていないのだ。

 覚えているのは、一人で怖くて泣いていた時に、どこからか現れた女性が、もう心配ないからと抱きしめてくれた時の安堵感。

 そして、その後に現れた男の子がくれたたくさんのお菓子。

 まるで魔法のように男の子は、カバンの中からチョコレートやクッキーを出してくれたのだ。

 森の中は暗くて、静かで怖い場所だったのに、あの二人がいてくれたから亜矢は恐怖を感じなかった。

 亜矢は椅子から立ち上がると、伸也に向けてペコッと頭を下げた。

「あの時はありがとうございます!お礼を言わなきゃいけないのに、あなたのことがわからなくて・・・こんなに時間がたってしまって」

 ほんとにごめんなさい!と亜矢はもう一度深く頭を下げた。

 気がついたら病院にいた彼女を迎えにきてくれた、初めて会う祖父が言っていた。

 一人であのまま山の中にいれば、無事でいたかどうかわからないと。

 あの時期は、夜になると気温が一気に下がるし、下手に歩き回れば危険な場所もたくさんあったのだと。

 だとすれば、亜矢はとても運が良かったに違いない。

 しかし、眠っている亜矢が発見された時、彼女のそばにはもうあの女性と男の子はいなかった。

「母のいるサービスエリアの場所がわかって、オレはそっちに向かったんだ。君のことはその女性にまかせたから、その後のことは知らなくて」

「そうなんですか・・・その人にも会ってお礼を言いたかったのだけど・・・・・」

 その人の名前もわかりませんか?と亜矢は訊いたが、伸也はいや、と首を横に振った。

 亜矢はガッカリしたように俯いた。

「実は、オレもあの時の女の子に会えたら聞きたいと思ってたことがあるんだけど」

 はい?と亜矢は立ったまま顔を上げて伸也を見た。

「なんですか?」

「君と一緒にいた父親はどうしたのかと思って」

 亜矢は瞳を大きく見開き瞬かせた。

「父・・親?わたしと一緒にいたんですか?」

「その筈だけど。君は父親と二人で車であの場所に・・・・」

 突然、バン!と伸也の言葉を遮るかのような大きな音が響いた。

 美奈子が持っていた資料を両手に持ったままテーブルに叩きつけたのだ。

 亜矢はびっくりしたように隣にいる彼女を見た。

「玉置さん?」

「どうしたの、美奈子?」

 英理も美奈子の唐突な行為に驚いた目を向ける。

 だが新一はというと、そんな彼らをただ腕を組んだまま無言で見つめていた。

 美奈子は、ふ・・と深呼吸をしてから亜矢の方に顔を向けた。

「悪いけど、コーヒーを入れなおしたいからお湯沸かしてきてくれる?」

 見ると、美奈子の前にあったカップから中身がこぼれ受け皿に溜まっていた。

 美奈子が自分をこの場から一時離そうとしているのだということはわかったが、亜矢は何も言わずキッチンへ歩いていった。

 亜矢がキッチンに入るのを見届けてから美奈子は伸也の方に向き直る。

「あなた”SIN”じゃないわね」

「何故、そう思うんです?」

「簡単なことよ。”SIN”なら、あの子に父親のことを絶対に話したりしないから」

 伸也は眉をひそめて美奈子を見た。

「まあ、あなたが”SIN”じゃないってことは写真を見た段階でわかっていたことだけどね」

「え?」

「ちょっと美奈子!それってどういうことなの?」

 そんな話、聞いてないわよと英理が言うと、美奈子は目を伏せ軽く自分の髪をすき上げ口を開いた。

「ごめんね、英理。わたしはあの子を守るために、どうしても確かめておきたかったのよ」

 そして美奈子は探るような目で河合伸也を見つめた。

「あなたの目的は何?」

「目的は、彼女が無事でいることをこの目で確かめたかった。それがいけないことですか?」

「あなたが本物の”SIN”なら、何も問題はなかったわね」

 伸也は困ったように溜息をついた。

「いったい、どうしてオレがそうじゃないと言えるんです?」

 美奈子はフッと笑みを浮かべた。

「これはね、誰も知らないことなの。あの子の記憶には実際とは違ったイメージが残されていたみたいね。初めてネットで見た時、ちょっと驚いたんだけど」

「・・・・・」

「”SIN”はね、とてもいい子だったんだけど・・・」

 お世辞にも綺麗な子じゃなかったわ。

BACK NEXT