怪盗キッドの突然の出現は美奈子を唖然とさせた。 どうして彼がここにいるのかわからない。 今夜、彼の犯行日だったろうか? 怪盗キッドは今時珍しく犯行の予告状を出す泥棒だ。 それは警視庁にだったりマスコミにだったり。 だが、キッドが直接狙う相手に予告状を送った場合、相手の事情によっては外に漏れないことがあった。 今夜がそれだったのだろうか? あの奇抜で目立つコスチュームは怪盗キッドの犯行時のトレードマークであるから、何もないのにあの格好で公園に現れるはずはなかった。 世界的にも有名な犯罪者が目の前にいる。 だが不思議と恐怖は感じない。 怪盗キッドが人を傷つけない犯罪者であることは誰でも知っていることだし、それに実際に見た怪盗が夢のように美しかったからだろう。 警察を翻弄しながら華麗に宝石を盗んでいく怪盗が女性たちに人気なのは、その姿の美しさもあるのかもしれない。 「失礼。驚かせてしまったようですね。しかも、このような高い場所からご婦人にお声をかけるご無礼はお許し願いたい」 丁寧に、しかも優雅に頭を下げられては怒るに怒れない。 第一、目の前に来られても対処に困る。 しかし、あんな高い場所に、それも不安定な時計の上によく立っていられるものだ。 さすがは怪盗キッドだということか。 声は聞く限り若い。 どんなに多くみつもっても、三十はいってないような若々しさをその声に感じる。 20年も前に現れた怪盗が三十前だというのは到底考えられないが。 それこそ悪い冗談だ。 まあ星の数ほどの姿と声を操る怪盗ということだから、それが実際の彼の声だとは限らないし不思議に思うことはないのかもしれない。 「そこで何をしてるの?」 気丈にもそう問いかける美奈子に向けて怪盗はクスリと笑ったようだった。 「あなたがAYAさんですか?」 怪盗にそう問われた美奈子は、えっ!と驚いたように目を見開いた。 ”AYA”というのは三嶋亜矢のハンドルネームだ。 まさか・・・・ 「まさか、あなたが”月子”?」 「ええ、そうですよ。玉置美奈子さん?」 美奈子はいきなり自分の名前をフルネームで呼ばれギョッとなった。 ”AYA”かと問いかけながら彼女を本名で呼ぶ怪盗の意地の悪さに、美奈子は眉をひそめた。 「全てお見通しというわけ・・・?」 「そうですね、弁護士さん」 白い怪盗はクスクスと笑う。 美奈子はからかわれているような気がしてムッとなった。 毎回翻弄され振り回されている警察の気持ちがなんとなくわかったような気がする。 「どういうつもりなの?彼女をからかったというわけ?」 「別にからかったわけではありませんよ。わたしも月が好きなので、あのサイトに通わせてもらっていたんです。そこでたまたま彼女と知り合い気が合ったというわけですよ」 「気が合ったですって?本当にそうなのかしら」 「私は嘘は言いませんよ。特に素敵なご婦人にはね」 「そうね、嘘じゃないのかもしれない。でも、彼女のことやわたしのことまで調べているというのはどういうことなの?ネットというのは、最初は顔も名前も素性もわからない者同士の交流の筈でしょ?なのに、あなたがそこまで調べた理由はいったいなんなのかしら。答えてほしいわ」 嘘偽りなくね。 「まあ、あなたがそう思うのは無理はありませんね。いくら私でもネットで知り合った人物を誰彼構わずみ素性を調べるようなことはしません」 「じゃあ、何故あの子のことを?」 「気になったからですよ。彼女が幼い頃に森で迷子になったという話がね。それと”SIN”という少年のことも」 「・・・・・!」 「”SIN”が見つかったそうですね。でもあなたは気にかかっている。本当に彼女が会った少年なのか、と。気になるのは無理はない。彼女が相続する財産は莫大だ。狙いがそれにあるかもしれないという心配は当然のことだと思いますよ」 「あなたもその口なの、怪盗さん?」 まさか、と白い怪盗は腕を組んだまま肩を軽くすくめた。 「私は確かに他人が所有する宝石を狙いはしますが、人が正当に受け取るべき遺産を狙うような最低な人種ではありませんよ」 「確かに、あなたが狙うのはビッグジュエルばかりだわ。では何故あの子のことを調べたの?」 「心配だったから・・では答えになりませんか?」 「だから、何が心配なのよ!泥棒のあなたに心配されるようなことはないわよ!”SIN”のことだったらわたしがいるわ!」 「心配なのは、彼女の過去のこと・・・・」 美奈子はキッドの言葉に息をつめる。 心臓が止まるほどの驚きを目の前の怪盗に与えられた美奈子は目を瞠ったまま声を失った。 いったい何を・・・彼はいったい何を知っているのだ? しばらく無言でにらみ合っていたが、美奈子はこれだけはと声を絞り出す。 「あ・・なた・・・誰なの?」 「私は怪盗ですよ、弁護士さん」 白い怪盗はそう答えると、時計の上から後ろ向きにふわりと飛んだ。 あっと思ったが、その白い姿は背後の木の茂みの中に飲み込まれ美奈子の視界から消え去った。 後に残ったのは耳に痛いほどの静寂。 美奈子は、まるでずっと幻を相手にしていたような、そんな気分に陥った。
玉置美奈子の前から消えたキッドは、公園内で待っていた工藤新一の前に現れた。 美奈子と話をしていた場所からそう離れてはいない。 彼女がちょっと探せば見つけられる場所に二人はいたわけだが、彼らはそうならないことを知っている。 特に新一は玉置美奈子がこれからどう行動するかの予測までついていた。 何故なら、そう仕向けるために新一は快斗にキッドの格好をさせ、彼女の前に立たせたのだから。 「あれで良かったわけ?新一」 「ああ。上出来だ」 「じゃさあ、もうわけ話してもらえんのかなあ」 快斗は、ここで待っていたのが玉置美奈子という弁護士だということを知らなかった。 返信メールが亜矢からではないだろうことはわかっていたが、あの場に呼び出したのが誰かまでわかる筈がない。 全て新一の指示のもと、言われた通りのことを彼女に告げただけなのだ。 勿論、キッドとしての演出は快斗が考えたものだが。 「彼女のことは蘭から聞いたんだ。妃弁護士の大学時代の友人だったらしい」 「へえ〜、そうなんだ」 で?と快斗が先を促すと新一は目をそらし、ふっと向きを変えた。 「ちょっとちょっと!新一ってば、シカトする気〜?」 それでいいと思ってんの?と快斗は慌てて新一の腕を掴んで文句を連ねる。 「話さねえとは言ってねえだろが。おまえにも協力してもらいてえし、ある程度は話すから」 「ある程度?」 快斗は険しく眉間を寄せる。 「オレにもちゃんと確認できてねえから、はっきり言えねえってことだよ!」 快斗はまだ納得できない顔で首を傾げている。 「どっちにしたって、こんなとこじゃ打ち合わせなんてできねえだろ。身体冷えちまったし、どっか入ろうぜ」 「オッケー。んじゃ、ここ出た道路の向こうに二十四時間営業のファミレスあったからそこ行こうか」 「ファミレス?あんなとこのコーヒーはマズイじゃねえか」 「身体あっためるのは何もコーヒーだけじゃないだろ」 快斗はキッドの衣装を解いて普通の少年に戻ると、新一の手を引っ張って公園を出て行った。
ぐっすり眠っていた快斗は、いきなり胸に激しい振動を受け驚いて目を開けた。 ベッドの上にいる快斗の腕の中には新一がいて、子供のように丸くなって眠っている。 なんだ? 振動の原因を確かめるため下を向いた快斗は、自分の胸に擦り寄っていた新一の手の中に携帯電話を見つけ思いっきり脱力した。 いったい、いつ携帯なんか寝床に持ち込んだんだ? っていうより、こんなに振動してんのになんで起きないのかが不思議だ。 「新一、電話かかってきてるよ」 ん〜?と快斗の声に新一が反応し、そしてようやく手に握っている自分の携帯に気がついた。 「あ、ああ・・・」 新一は一端起きかけたが、寒かったのか再び快斗の腕の中に戻り携帯電話を耳に当てた。 「はい工藤です。・・・え?はい、そのことは蘭から聞いてますけど・・・・明日ですか?ええ、大丈夫です。今の所何も予定はありませんし・・・はい・・いえ、構わないですよ。では、明日の十時に米花駅前で」 新一が話を終えて携帯を切ると、快斗は片肘をつき頭を支えた姿勢で呆れたような笑みを浮かべ彼を見下ろした。 「信じらんないよなあ、新一ってば。手に握ってる携帯があんなに振動してんのに目が覚めないなんてさ」 オレなんて、飛び起きたってのに。 快ちゃん、新ちゃんの身が心配で心配でもう側離れらんな〜い。 「ああ?バカ言ってんじゃねえよ」 だが、さすがに新一もバツが悪いのか口調にキツさはない。 快斗に起こされるまで全然気がつかなかったのは事実であるから。 家に戻ったのは深夜二時を回った頃で、それからいろいろ雑用をやって、ベッドに入ったのはそれから二時間後。 寝てる時に連絡があったらヤバイと思い携帯を持ち込んだのだが、気付かずに眠ってたんじゃまるで意味はない。 さらに念のために快斗を自分のベッドに引っ張り込んだのは正解だったなと思う新一だった。 無論、そのことは口にしない。 唇をちょっと尖らせ、目の下を赤くしている新一は、もう滅茶苦茶カワイイ。 世の名探偵工藤新一ファンは、新一がこんな可愛い表情をするなど思ってもいないだろう。 自分だけの特権だと思ったらなんだか嬉しくなる快斗だ。 快斗は新一の方に顔を寄せ、まず額に、そして目の下に軽く唇を押し当てた。 「今の電話、妃弁護士から?」 「ああ。明日、オレにも同行して欲しいって」 「ふ〜ん。計画通りってわけだ」 「ここまではな。後は行ってみないとわからない」 「まあ、何通りかのシナリオは出来てるし心配ないんじゃない?」 オレもいるしね。 チュ・・と快斗は新一の鼻の頭にキスをする。 「今、何時だ?」 「もう昼回ってるね。一時前だ」 「・・・なんか腹減った」 「当然だね。昨夜もそんなに食べてないしさ」 昨夜のファミレスでも何か食べたらいいのに、結局コーヒーを飲んだだけだったし。 幸いなことに、コーヒーの味は思ったほど悪くなかったらしく、新一の機嫌が下降することはなかった。 すぐになんか作るから、と快斗は最後にまだ眠そうな新一の唇に自分の唇を重ねると満足した顔でベッドから起き上がった。
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