パソコンを開くのはいつも夜。 帰宅後すぐに勉強をすませ夕食を食べてから、だいたい九時頃好きな紅茶をいれ、音楽をかけて愛用のパソコンを開くのだ。 それは祖父が生きていた頃からずっと変わらない日課。 パソコンを買ってくれたのは祖父だった。 本を読むのが好きだった亜矢に、こういう世界もあるんだぞと祖父はノートパソコンを買ってくれたのだ。 学校から帰るとめったに外に出ることはなく家にこもっている自分に、外の世界を見せようとしてくれたのかもしれない。 他人と接するのが怖くて、小学校は半分以上通うことができなかった。 事情を知っている祖父はそんな自分に対し何も言わずに待ってくれた。 時間が心の問題を解決してはくれない。 だけど、少しずつ何かをやって考えて前進していくことはできると祖父は考えてくれていたのかもしれない。 その祖父も亡くなり亜矢はまた一人ぼっちになった。 寂しくないわけはないが、以前のように何も頼れず心の中の空洞を抱え込んで閉じこもるようなことはなかった。 今は高校にも通っていて友達も何人かできた。 中学の頃は学校に行っても一人でポツンとしていたことを考えれば快挙だろう。 しかしまだ心の悩みも全てを語れるような親しい友人はいない。 でも、高校で出来た友人は大人しくて喋るのが下手な自分を気遣ってくれる。 それがとても嬉しくて、祖父の勧め通りに帝丹高校を受験して良かったと思っている。 そして、今の自分にとって一番の心の拠り所になっているのも、祖父の勧めで始めたインターネットだ。 インターネットを利用するようになってから、ホームページというのは企業や団体などが作っているものだけでなくて、自分のような個人が、それこそ十代の少年少女が作っているものもあるのだと知った。 見たいものがあれば、そのキーワードを入力すれば検索できるということも知り、亜矢は迷わず”月”をテーマにしたサイトを探した。 それこそ何千とある中、ふと目に付いたのが”月へのメッセージ”というある大学のサークルが作ったホームページだった。 最初は月の写真や、ポエムとかが載っていたが、そのうち月に関するものであれば誰でも好きに投稿していいということになり亜矢は思い切ってカキコミをした。 そのうち好きな絵を投稿していたら、サイトの管理をしていた人が亜矢の部屋を作ってくれた。 亜矢のイラストを見て感想をくれる人もいて彼女はサイトを見るのが楽しみになった。 顔も本当の名前もわからない相手との関りは、人と接することが苦手な亜矢にはとても気が楽だった。 ここなら自分の思いを語ることができる。 言葉にはできないけれど、思いを絵にこめて出すことが出来る。 メール? 亜矢は届いたばかりのメールに瞳を瞬かせた。 ”月へのメッセージ”にだけはメールアドレスを公開しているので、日に数通くることはある。 「月子さんだ」 メールの送り主は亜矢が”月へのメッセージ”に通うようになってから知り合った人だった。 亜矢がこのサイトを知る前からの常連だったらしく、勿論顔も知らない相手だが、とても優しい言葉を綴る人だった。 年も名前も知らない相手。 でも亜矢は”月子”という人がとても好きだった。 自分の過去を少しだけだがメールで送ったのも”月子”だけだ。 亜矢はメールを開いた。
こんばんは、亜矢さん。 ”月へのメッセージ”のカキコミを見ました。 探していた人が見つかったそうで本当に良かったですね。 これで亜矢さんの心にあった気がかりが一つ消えましたか? それともまだ不安がありますか? できれば直接亜矢さんの心の言葉を聞きたいです。 一度お会いできませんか? 月子
〈一度お会いできませんか?〉 会う?月子さんと? 亜矢は戸惑った。 ネットで知り合った人と直接顔を合わせるなんて考えたこともなかったのだ。 月子さんはとても礼儀正しくて優しい印象だ。 多分、自分よりずっと年上に違いない。 どうしよう・・・・悪い人ではないと思う。 メール交換も苦痛ではなく普通に送れたし、楽しかった。 だが実際に会うとなれば勝手が違う。 顔も年も名前すら知らない相手というのは自分も相手も同じ。 ひと月以上、ネットで交流してきただけに、互いが心に抱いているイメージというのがある。 だからこそ、会ってそのイメージが違ったら。 わたしがこんな他人と接することが苦手な陰気な性格の女の子だってわかったら・・・・ きっとガッカリされてしまう。 もうメールもくれないかもしれない。 そんな心配が亜矢の中で渦巻いた。 と、突然静寂を破るように音楽が流れ出した。 「あ・・ああ、電話・・・・」 亜矢は机の上に置いていた自分の携帯電話を手に伸ばす。 その携帯電話は高校入学のお祝いとして弁護士の玉置美奈子にもらったものだ。 美奈子とは彼女が祖父に引き取られて三年くらいしてから会った。 彼女は祖父が若い頃から雇っていた弁護士と共にやってきたのだが、亜矢が中学に入る頃は彼女が家にやってくるようになっていた。 何故彼女が来るようになったのかは分からないが、美奈子は最初から姉のように彼女に接してくれた。 もしかしたら、祖父が亜矢のために頼んだのかもしれない。 祖父に帝丹高校のことを話したのは彼女だった。 祖父が入院してからも美奈子は亜矢のことを何かと心配し気遣ってくれていた。 大きな屋敷に一人でいるのは無用心だといって、高校に近い場所に建つマンションを借りてくれたのも彼女だ。 本当は自分と一緒に住めたらいいのだが、弁護士はそこまで依頼主に関るわけにはいかないからと美奈子は亜矢に言った。 屋敷にいても一人暮らしは一緒だし、午後だけ家政婦がきて掃除と夕飯の用意だけしてくれるから亜矢にはなんの不便もなかった。 実際、通う学校に近いのがいい。 祖父と住んでいた所からだと二駅とはいえ電車通学になるからだ。 ここだと徒歩で通えるし、途中で通学路が同じ学校の先輩と一緒に行くことが出来る。 人と話すことが苦手な亜矢だが、三年の先輩たちはとても気さくで明るかった。 その先輩のおかげで、亜矢がずっと会いたいと思っていた人物を探し出すことができたのだが。 『亜矢さん?今いいかしら?』 「はい。宿題とか終わってこれからネットしようと思ってたとこです」 『ああ”月へのメッセージ”ね。この前見にいかせてもらったわ。イラストとっても綺麗だったわよ』 「ありがとうございます。玉置さんに褒めてもらえると嬉しいです」 『頑張ってね。ところで、明後日のことなんだけど、もう一人行くことになったから』 「え?誰ですか?」 『わたしと同じ弁護士だけど、一応オブザーバーの形。毛利探偵が不在なので彼女が来てくれることになったの。毛利探偵の奥さんよ』 「あ、じゃあ蘭先輩のお母さん!」 『ええそう。構わないわね?』 「勿論構いません。それよりあの・・・」 『ああ、彼とも連絡はついてるから大丈夫よ。明後日、ちゃんと来ることになっているわ』 「玉置さんはもう会われたんですか?」 『いえ、まだよ。わたしも別荘で初めて会うことになるわね』 「なんか、わたし・・・・ドキドキしちゃって・・・・」 『無理ないわ。あなたがまだ七才の頃に偶然会った相手ですものね』 「一緒にいた女性のこと、彼は知ってるんでしょうか?」 『さあ、どうかしら?とにかく亜矢さんは何も心配することはないから。それより、山の中で迷子になった話を誰にしたのか覚えてる?』 「あの時の話をしたのは三人だけです。祖父と玉置さん、それに・・・月子さんです」 『月子さん?学校の友達かしら?』 「いいえ、ネットで知り合った人で顔も名前も知らないんですけど・・・」 なんですって? 『そんな人に話をしたのっ?』 「は・・はい。月子さんはわたしのこと、とても心配してくれて・・・でも悪い人じゃないです!」 ホントです! 『その話、いつしたの?メールを書いて送ったのね?』 「はい・・・確か二週間前・・・・・」 二週間前ということは、彼女が毛利探偵に依頼する三日前だ。 あまりにも都合のいい展開だとは思ったが、もしかしたら・・・・ 「あの、実は玉置さん・・・今、月子さんからメールがきていて・・・・」 『メールが?なんて書いてきたの?』 「一度会いたいって」 それは・・・・ 「会っては駄目ですか?ネットでしか知らない月子さんと実際に会うのはちょっと怖いけど、でも・・・」 会ってみたいという気持ちもある。 『わかったわ。わたしが会ってきてあげる』 「玉置さんが?」 亜矢はびっくりしたように瞳を瞬かす。 『亜矢さんはその月子という人のことを女性だと思ってるでしょ?でもね、顔も声もわからないネットでは、相手は女性名でも男性だということも有り得るのよ』 「えっ?そうなんですか?」 『気をつけなさい。携帯電話を渡したわたしが言うのはなんだけど、女だとわかると甘い言葉で騙してひっかけようという男はたくさんいるのよ。知らない相手からの電話やメールには絶対に答えずに無視すること』 わかった? 「・・・はい」 『じゃあ、その月子という人に、これからわたしが言う通りのことをメールに書いて送って』 心配しないで。 月子という人が、本当に亜矢さんの思ってた通りの人なら会うことに反対はしないから。
「メールの返事返ってきたけど、なんかちょっと変だぜ?」 何が変なんだ?とコーヒーを入れなおしてきた新一は、快斗のカップを机の上に置いてからパソコンの画面を覗いた。 その文面は、会いたいと言ったことに対する答えだった。
ありがとう。わたしも月子さんに会いたいです。 良かったら今夜十一時に米花みどり公園でお会いしませんか?
「オレ、どこに住んでるかなんて教えてないんだぜ。もし北海道や九州みたいな遠方に住んでたら今夜十一時なんてとても行けないって」 だろ? 「つまり、やんわりと断られたってことか」 「それか、月子がその時間に行ける範囲にいると見当をつけられてるかってことかな」 「・・・・・・」 「多分、このメール亜矢ちゃんじゃないぜ」 何事か考えていた新一は、ふと持っていた自分のカップを机の上に置くといきなり背を向けて歩き出した。 快斗はというと、目を丸くして見つめていた先で新一が上着を掴むのを認めギョッとなった。 「ちょ・・!行く気かよ新一!」 「呼ばれたなら行くのは当然だろう」 オレがいるのは北海道でも九州でもないんだから。 (そりゃそうだけどさ・・・じゃなくってえ!) 「待てって!オレも行くから!」 ったくもう、新ちゃんてばせっかちなんだから〜〜 快斗はパソコンの電源を切るとワタワタと椅子から立ち上がった。 既にドアの所まで行っていた新一だが、つと足を止め快斗を振り返る。 「そうだ快斗。ちょっと頼んでいいか」 「え、なになに?」 新一の頼みはめったにないんで嬉しいが、同時に怖いというのも本音なんで快斗はちょっとばかし引きつった。勿論ポーカーフェイスでごまかしてはいるが。
米花みどり公園は、最近作られた市民のための憩いの公園だ。 緑に囲まれた池があり、花時計や小さな子供が遊べる遊具もある。 中ほどに橋もあるが、池の周りは歩道になっているのでジョギングや散歩をする人も多くみかける。 だが、さすがに夜の十一時ともなると人の姿は見かけられない。 公園内を照らす明かりはあるが、それでも昼間のように明るい街中からこの公園に踏み入ると急に真っ暗になった印象を受ける。 公園の入り口付近にコンビニはあるが、池のある付近には当然何もない。 実際、女が一人でこの時間に来る場所ではないだろう。 そのことは美奈子にもわかっていたが。 (本当に来るかしら?) 遠方に住んでいるなら到底この場所には来られないし、メールを見た相手はきっと会いたくないのだと思うだろう。 しかし、もし時間内に現れたら・・・・ 公園は結構広い。 公園で待ち合わせたものの、公園のどこでとは指定していないので美奈子は池の周辺をゆっくり歩いた。 池は公園の中央にあるし、木々に遮られずに視界がオープンなのはここだけだ。 たいていの人は公園に入ってきたら池までやってくる。 美奈子は腕時計ではなく、木々の間から覗く公園の時計に目をやった。 明かりが近くにあるので時計の針はしっかり見える。 11時だ。 やってこないかもしれない。 というより、その確率の方が高いのだ。 来る方がおかしいというべきだろう。 三十分ほど待って誰も来なければ帰ろうと考えた美奈子だが、目の前の地面に奇妙な影を認めギクリと顔をこわばらせた。 そこにはさっき美奈子が見上げた時計の影が映っていた。 本来細い円柱の柱の上に円盤のような丸い時計の影だけのはずであるのに、その上に人のシルエットが映っているのだ。 さっき見た時には何もなかった。 だが、明らかにその影は時計の上に立っている。 しかも、奇妙なシルエットだった。 ツバのある帽子に何故かマントのようなものが風になびいているように見えるのだ。 美奈子はゆっくりと後ろを振り返った。 現実には時計の上に人が立つことはありえない。 ならば、あれは・・・? 「・・・・・・・!」 絶句して目を見開いた美奈子の視線の先には、夢でも幻でもなく実際に人の姿があった。 普通では絶対に有り得ない。 だが、あの人物なら有り得るかもしれない。 シルクハットから靴まで純白で、マントまでなびかせている非現実とも思える姿。 テレビでも何度かその姿は映っているし、新聞でも彼が現れるとトップで扱われるから今の日本人ならきっと殆んどが知っているだろう。 「怪盗キッド・・・?」 何故彼がここに!と驚きを隠せない美奈子に向けてその純白の怪盗は、ニッと口端を引き上げた。 |