ブリッジ内は重苦しい緊張に包まれていた。

“明日香”が埠頭を離れてすぐにブリッジは、突然侵入してきた4人の男たちに占拠された。

 乗っ取り犯は今回の一般招待客の中に紛れていたのだろうが、危険物のチェックからもれていたなど、おそまつきわまりないミスだった。

 単なる、港を一周だけのイベントだからという油断があった。

「もうすぐ港を出るが、いったい何が目的なんだ?」

 客船“明日香”の三坂船長が、自分の背中に銃を向けている黒ずくめの男に聞いた。

 いったい何度めになる問いか。

 ブリッジを占拠された時は、ただ港を出ろとだけ言われ、目的地を指示されてはいない。

 しかも、何故この船を乗っ取ったのかも彼等は言わなかった。

 極端に口数が少なく、そして4人とも黒ずくめの服装。

 しかも興奮した様子も見られない所から、素人ではなくプロの犯罪者と思われた。

 こんな胡散臭い連中を船に乗せるなど、手落ちもいい所だ。

 いったい警備の人間は何をしていたのか。

「我々の目的はいずれわかる。おまえは何も考えず船を走らせていればいいんだ」

「私には、この船の乗客を守る義務がある!目的もわからないまま船を走らせるわけにはいかないんだ!」

「安心しろ。乗客に危害は加えん。我々の目的が達せられれば乗客もおまえたちも無事に帰してやる」

 我々の邪魔をしなければな。

「・・・・・・・・・・」

 再び沈黙がおりたその時、ブリッジの扉が外から軽くノックされた。

 ブリッジ内に緊張が走る。

「誰だ?」

 ブリッジにいたクルーは、さあ?と首を傾げる。

 二等航海士が、犯人の銃にこづかれ扉を開けた。

 そして、外に立っていた長い黒髪の美少女に彼は目を瞠った。

 コースが違うことに気付いた乗務員ではなかったことが意外であった。

 いったい何故一般乗客がこんな所に?

「何かご用ですか?」

「あの・・わたし彼とデッキを歩いていて気が付いたんですけど・・・この船、このままいくと港を出てしまうんですけど?」

 美少女のそばには、金茶の髪をした若い白人の青年がいた。

 コースが変わったんですか?と青年が訊いたその時、航海士の背後にいた男がいきなり美少女の腕を掴んで中に引きずり込んだ。

 なっ!

「何をするんだ!」

 突然の暴挙に驚いた青年も一緒に中へ飛び込む。

 と、背後の扉が音をたてて閉じた。

「ほお〜、なかなかの上玉じゃないか」

 新一の腕を掴んで引き寄せた男が、ニヤリと口を歪ませた。

 新一は眉をしかめる。

(黒ずくめの男・・・?)

 男はそれ以上の興味を持たずに新一を連れであるジョシュアの方へ突き飛ばす。

「大丈夫ですか?」

 新一を抱き留めたジョシュアが心配そうに訊く。

 新一は頷くと、そっとブリッジ内を見回した。

 ブリッジを占拠している犯人は4人。

 いずれも銃を持っている黒ずくめの男たちだった。

(こいつら・・・まさか黒の組織の!)

 だとしたら、かなり危険な状況といっていいだろう。

 しかし、何故こいつらが?

「まさか、乗客に気付かれるとはな」

 雨が降りだしたこんな天気にデッキを歩く人間がいるとは思わなかったぜ、と新一を突き飛ばした男が呟く。

「私も、まさかこの船がシ−ジャックにあってるとは思いませんでしたよ」

 連れの少女を守るように腕の中に抱くジョシュアが、皮肉をこめた口調で言った。

 白人にしてはやや小柄で、まだ少年の面影を残す青年になんの危険性も感じていない男は、ふんと鼻を鳴らした。

 もしこれが、高木刑事と佐藤刑事ならまた状況は変わっていただろう。

 ちょっと見では刑事には見えない二人だが、それでも警官は警官だ。

 プロである男たちにはすぐにわかる。

 だが、ジョシュアは全くの素人ではない筈だ。

 それを、この犯人たちに全く気取らせないジョシュア・ベネットという男に、新一は改めて驚異を覚える。

 と、また扉がノックされた。

 今度こそ異変に気付いた乗務員かと思われたが、しかし、再び扉を開けた航海士の前に立っていたのは、やはり乗客らしい若いカップルだった。

 先ほどのカップルよりは少し年が上であったが。

 ショートカットの美人と、ちょっと気の弱そうな青年・・・・・

「すみません、ちょっとお伺いしたいことが」

 女の方がそう言いかけた時、突然低い呻き声と共に黒ずくめの男の身体が吹っ飛んできた。

 驚いた航海士が避けると、男の身体は開いていた扉にぶつかり、そのまま新たに来た男女の前で勢い良く閉じられた。

「ちょ・・ちょっとお!どうなってんのよ!」

 驚いた彼女は閉じられた扉を叩くが、男の身体が邪魔しているのかびくともしなかった。

「高木くん!警部に連絡!」

「は、はい!」

 高木はすぐに携帯電話を出して、ホールにいる目暮警部に連絡を入れた。

 実は、彼等は乗客から船が港を出てしまうというのを聞いて確かめに来た警視庁の佐藤刑事と高木刑事であった。

 そして、中では・・・・・

 トリガーを引こうとする犯人の手首を掴んだジョシュアが、そのまま前に引いて相手の喉仏に肘打ちをくらわせた。

 そして、その手を掴んだまま両足を浮かし背後にいた男に蹴りを与え、続いて回し蹴りで相手を完全に叩きのめす。

 そして、残ったもう一人には若い航海士が飛びついたが、すぐに振り払われた。

 新一は相手の体勢が整わないうちにすかさず足払いをかけ、渾身のシュートを決めるように犯人の男の腹部を蹴り飛ばした。

 ふわりとドレスの裾がまくれあがり、形のいい綺麗な脚が見える。

 一瞬のうちに銃を持った4人が若いカップルによって倒されたのを、ブリッジにいた全員が呆然とした表情で見つめていた。

 驚いたのは、ジョシュアも同様であったが。

 おとなしそうな美少女が、向けられた銃をものともしないで大男を蹴倒したのだ。

 驚くなという方が無理だろう。

「あなたには銃はあまり必要ではないみたいですね」

 言われてジョシュアはふっと笑う。

「使えないわけではないんですが、こんな場所では使わない方が無難ですからね」

 ジョシュアがそう言うと、新一は瞳を大きく見開いた。

 この状況判断は、いったいどういう職業からくるものなのか?

「大丈夫ですか?」

 ジョシュアが聞くと、三坂船長はハッと我に返った。

「ありがとうございます。助かりました。あなたは警察の方ですか?」

「いえ、警察官は外に・・・・」

 ジョシュアはそう言って扉を塞いでいる犯人の身体をどかそうとしたその時だった。

 鈍い音と共に船が振動した。

「なっ!なんだ!?」

 まさか・・・・・!

 新一は扉を開けると外へ飛び出していった。

 まともに新一とぶつかりそうになった佐藤刑事が、キャッと悲鳴を上げる。

「なに?」

「刑事さんですね?犯人は中に!後を頼みます!」

 続いて飛び出してきたのは、警視庁でちょっと話題の主になっていたあのフランス青年だった。

 佐藤刑事と高木刑事はわけがわからず目を瞬かせたが、ブリッジの中を見てさらに目が丸くなった。

「え?」

 ええっ??なにコレ〜?

 

 

 新一は、ジョシュアから借りたままになっていた携帯電話の着信音に、急いでドレスのポケットから取り出し耳に当てた。

「快斗か!」

『・・・わりぃ。一個爆発させちまった』

「やっぱり、奴ら爆弾を仕掛けていたのか!」

『それも複数ね。今、フォックスと手分けして探してる。そっちは大丈夫?』

「ああ。ブリッジを占拠していた4人は片づけた。快斗、あいつら・・・・」

『連中の正体については後!まず乗客の安全が優先だろ?』

「あ・・ああ、そうだな」

『幸いこの船には警官が乗ってるし。爆弾のことはオレたちにまかせろって』

 自信たっぷりな快斗の口調。

 確かに快斗は爆弾処理にかけては相当の知識と腕を持っている。

 何故そこまで、あの男は快斗を仕込んだのか。

 なんの目的で・・・?

 あの男の言うゲームがいったいなんなのか、今も新一にはわからなかった。

「・・・・・・・!」

 いきなり、新一は携帯を持つ手を掴まれ、そのまま背中を壁に押しつけられた。

 驚いて顔を上げた新一が見たのは、困惑の表情を浮かべたジョシュアの顔だった。

 ・・・・・しまった!

「君は少年か!?」

 女装した黒羽快斗。

 だが、姫君と呼ばれていたこの少女もまた女装した少年だとは夢にも思わなかった。

 まさかと思いたかったが、今聞いた彼女の声は間違いなく少年のものだった。

ベネット!

 新一の持つ携帯から快斗の鋭い声が飛ぶ。

『姫に手を出したら殺すからな!』

「・・・・・・・・」

 一瞬声をなくしたジョシュアは、肩を落とすと細い息を吐き出した。

「・・・・わかった」

 ジョシュアが手を離すと、新一は携帯を切って瞳を伏せた。

「すみません・・・騙すつもりはなかったんですけど・・・・・・」

「わかってる。どうせ、あの黒羽快斗のせいなんだろう?」

 それに、女性だと思いこんでいたのは自分だ。

 ジョシュアは苦笑する。

「残念だな。ちょっと君には惹かれ始めていたんだが」

 え?と新一が瞳を瞬かせると、ジョシュアは微笑した。

「あ・・・後で快斗の奴をぶん殴っておきますから」

 女装がバレた恥ずかしさで白い頬をうっすら赤く染めるその顔は、少年だとわかってもつい惹かれてしまう魅力があった。

 ジョシュアは、あの怪盗キッドが姫君と呼んで大切にするのも、なんとなくわかる気がした。

「君はいったい何者なんだ?やっぱり、あの黒羽快斗とは双子じゃないのか?」

「違います。信じられないかもしれませんが、本当に血は繋がってないんです」

 瓜二つの容姿をもちながら、赤の他人だというのか。

 確かに信じられない話だった。

 

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