なかなか戻ってこないパートナーを探しにデッキに出たジョシュアとフォックスは、船首近くで揉めている二人の姿を見つけた。 「あ、ロジャー!止めてよ!姫が帰るって言うんだよお〜〜」 彼等に気付いた快斗が、泣きそうな顔で助けを求めてきた。 フォックスは、え?となる。 「帰るって・・・もう船は動いてますけど?」 「泳いで帰るって〜〜」 それを聞いた二人は一瞬黙る。 泳いで・・・? 走ってる船から飛び降りて? (それはまた・・・) フォックスは溜息をつくと、新一の腕にしがみついている快斗の方へ歩み寄っていった。 「どうしたんですか、ミスティ?ちゃんと納得して来た筈でしょう」 「・・・・・・・」 むっつりと不機嫌に押し黙っている少女をなんとか宥めようとする青年ロジャーと、弱りきったように彼女を見つめている黒羽快斗の3人の不思議な繋がりにジョシュアはなんとも言えない気分になった。 二人は、姫と呼ばれる少女のことを本当に大事にしているのだろう。 特に、確保不可能とまで言われ警察を翻弄する彼が命賭けで少女を守ろうとしている。 当の少女は、誰が見ても彼と双子だと思えるほどよく似た顔立ちをしていた。 そして、もしあのロジャーという青年が自分の考えている通りの人物であるなら・・・・・ これほど奇妙な3人はないだろうなとジョシュアは思わずにいられなかった。 いったい、あの少女はどこの誰なのか。 しばらくして、どのように彼女を宥めたのか青年は苦笑いをしながらジョシュアを呼んだ。 「すみません。港を一周するまで彼女とここにいてくれませんか」 「ここに?」 「人が一杯いるところは嫌だっていうからさ。まあ、そんな長い時間じゃないし頼むよ」 ね?と快斗が可愛く小首を傾げて微笑んだ。 これが女装した男だと知らなければ、10人が10人コロリと騙されるかもしれない。 だが、新一の目には愛想笑いしたお調子者としか映らず、彼は快斗の手を振り払うと、フンとそっぽを向いた。 あら・・と快斗は瞳を瞬かし、困ったように新一を見る。 なんというか、この二人の力関係がよくわかる光景だった。 「このプロムナードデッキは船を一周できるらしいので、散歩のつもりで歩けばいいですよ」 フォックスの提案にジョシュアはハァ?と瞳を見開いた。 歩く・・・彼女と二人で?船の上を? ジョシュアは、そっぽを向いたままの少女を見つめながら吐息を零した。 ただ会いたいと思っただけなのだが、何故かおかしな展開になってきたようだ。 快斗とフォックスは、不機嫌な姫君をジョシュアに押しつけると、自分たちはホールに戻っていった。 「とんだ貧乏くじって所ですね、彼」 「いいじゃん。あいつの方が新一に会いたいって言ったんだからさ。けど、新一、自分を知らなすぎだよな。このオレが絶対にバレないって断言してんのにさ」 フォックスはクスッと笑う。 「信用されてませんね、マジック」 うるせえな、と快斗は口をとがらせる。 「まあ、今のミスティはちょっと拗ねてる可愛い女の子って感じですから、地声さえ出さなければ最後までバレやしませんよ」 「だろ?あの拗ね方ってモロに女の子って感じだよなv」 もう可愛いったら! 青子がさあ、よくあんな拗ね方すんだよvと快斗は楽しそうに喉を鳴らした。 「でも、彼女なら走ってる船から海に飛び込むなんてことはしないでしょうけどね」 そうなんだよ・・・と快斗はフォックスの肩に手をかけガックリとうなだれる。 本気で言ってるのがわかるから、マジどうしようかと思ったんだよな・・と快斗は言う。 天下の怪盗キッドが、情けない話だが。 しかし、あの名探偵が自分の弱みとなったことが問題だとは快斗は思っていない。 ところで、と快斗は肩に手をかけたまま、長身のフォックスの顔を見上げた。 「もう、例の絵を見たんだろ?どうだった?」 本物でしたよ、とフォックスが答えると、快斗は短く口笛を吹いた。 「で?どうするんだ?」 「ここで盗むわけにはいかないでしょう。警視庁の警官だけではなく、彼もいますからね」 「ベネットか?あいつ、おまえのこと知ってんの?」 さあ?とフォックスは笑って肩をすくめる。 「知っていたとしたら、もう気付かれてるかもしれませんね」 「何?マジで?」 「もっとも、一番コワイのは、あなたの姫君ですけど」 「あ、言えてる〜!」 快斗はくっくくと肩を揺らして笑った。 「あなたの方はどうだったんです?もう確かめたのでしょう?」 ああ、アレね、と快斗は首をすくめた。 「もうさあ、思いっきり偽物!よく出来てはいるけどさ」 「やはり、本物は持ってきませんでしたか」 「それか、持ち主が本物だと思ってるか・・だな」 「どういう意味です?」 「手に取って確認してみないとハッキリ言えねえけどさ。アレ、多分Sの手で造られた模造品だぜ」 「S・・シャドウですか。宝石の偽造の第一人者だと言われている男ですね」 「“シャドウ”ってのは偽造グループ名だとも言われてっけどな。どっかの国で掴まされたんじゃねえの、あのおばさん」 「では、マジックも今回の仕事はキャンセルというわけですね」 できねえよ最初っから、と快斗は溜息混じりに肩をすくめた。 不機嫌な姫君をこれ以上怒らせるのは、どう考えても得策ではない。 「今回の女装はかなり尾を引きそうですね」 「・・・・・・・・」 まさかこれほど新一が怒るとは思わなかったので、さすがの快斗もズン・・と落ち込んだ。 (・・・・服部を笑えねえ・・・・・・・・) 龍の蒼玉の件で新一を怒らせた服部には、同情はしたもののあくまで他人事だったのだが。 「大勢の人が集まる場所は苦手ですか?」 ジョシュアが訊くと、俯いた少女から少し・・という返事が返ってくる。 言われた通り、彼は女装の新一と並んでデッキを散歩していた。 パーティでは抽選会などのイベントをやっているせいか、デッキに出て来るものはなく、歩いているのは二人だけだった。 新一は自分の変装を過小評価しているが、変装の名人であるキッド(快斗)が手がけた仕事は完璧なものだった。 ジョシュアは言葉少ない新一を、少女だと信じきっている。 まあ、快斗が女装していて、その上もう一人もとは思わないだろう。 それに、快斗は“姫君”だと言い続けていたし、あの青年も女性として接していた。 ジョシュアは、俯いている新一の横顔を見つめた。 長い睫毛が影を落とす、抜けるような白い肌が美しかった。 薄く化粧をしているが、殆ど素顔といっていいその顔立ちは整っていて、どこか中性的な魅力があった。 美少女だが、ふとした表情に少年めいたものを感じるせいだろう。 特に、黒羽快斗に接している時は気の強い凛とした面がハッキリと出るようだ。 「彼とはいつからのつきあいなんですか?」 え?と新一は突然の質問に顔を上げた。 「快斗のこと?いつからって・・・・出会ってまだ1年にもならない」 そう・・ジンたちと遭遇してからまだ1年たっていないのだ。 だが、すぐに1年が過ぎ、蘭は進級して・・・・・・自分は置いていかれるのかもしれない。 このままでは。 そう思うと、なんだかいたたまれなくなるが、だからといって、すぐに全てが解決できるものではない。 とにかく今は・・・・ ふっと、暗い海の方に顔を向けた新一は、当然見える筈の港の灯りが見えないことに眉をひそめた。 自分の腕時計で現在の時刻を確かめる。 (おかしい・・・) 新一は確認するためにデッキの手すりに身を乗り出した。 驚いたのはジョシュアだ。 船から飛び降りて泳いで帰ると言って快斗たちを慌てさせたのは、ついさっきのことであったから、彼は慌てて海の方に身を乗り出している新一の腰に腕を回した。 予想した以上に細い腰にギョッとするが、新一の方は何かに気を取られているのか、じっと暗い海を見ている。 「やっぱりおかしい・・・・このままだと港を出てしまう」 呟くようなその声に、ジョシュアは瞳を瞬かせた。 新一はジョシュアに腰を抱かれる形でデッキに足をつける。 港を一周するだけなら、こちら側からは港の灯りが見えていなくてはならないのに、灯りは遙か後方に見える。 何故だ? 新一は、ジョシュアの顔を見上げた。 「携帯電話、持ってる?」 あ、ああ・・とジョシュアは、快斗から渡された携帯電話を新一に渡した。 新一はすぐにホールにいるだろう快斗の携帯にかけた。 「快斗?コースの変更があった?・・・・・じゃあ港を一周というのは変わってないんだな?」 ということは、予定されていないコースを今、この船は走っているというわけか。 ジョシュアも自分の目で確認しおかしいということに気付いたのか、眉をしかめている。 「ブリッジに行ってみます。あなたは、彼等のいるホールにいて下さい」 「わたしも行きます」 その方が入りやすい、と新一は意味ありげな笑みを浮かべた。 おそらく持ち主が知らない間にコースを変えられ、船は港を出ようとしている。 となると、考えられることは一つしかない。 考えたくはないが・・・・・ (単なる余興だったらいいんだがな・・・) 目的地のわからないミステリートレインという企画が以前あったが、船でそれをやろうとしているなら面白いが、しかし、乗客に企画自体を知らせないイベントというのはどう考えても不自然だ。 新一はジョシュアと共にブリッジへ上がっていった。 そして、新一からの携帯電話を受けた快斗も異変に気付いた。 「どう思う?フォックス」 「これが事件なら、ブリッジは乗っ取られてますね」 「シージャック・・か。ったく、なんでこの船でやるかなあ・・・」 快斗は吐息をつきながら肩を落とした。 「この船だからかもしれませんよ」 「目的は?」 「それは犯人の種類がわからないとなんとも言えませんが。まあ、たいていの場合は金か恨みですね」 「どっちにしても、コース変更だけではすまないかもしれない・・・か」 「単なるイタズラかご愛嬌であればいいんですけどね」 たとえば、ビックリカメラ・・とか。 「オレ、そういうの嫌い」 「ここからは立ち入り禁止です」 そう言って新一とジョシュアの前に立ちふさがったのは、白い制服を着た船の案内係だった。 「あ、わたしブリッジを見学させてもらおうと思って」 「ブリッジは一般の方は入れないようになっています」 「え?でも、三宅社長がちゃんと許可をとってるからって言ってくれたんですけど」 わたし、すごく楽しみにしてたんです。 「そんな話は聞いてませんね」 「それはないだろう。確かに三宅社長が船長に直接連絡してるのを、私も聞いているのだから」 新一の話に合わせ、ジュシュアがそう続けると、相手は困ったように顔をしかめた。 行ってみればわかることだから、とジョシュアが新一を連れてブリッジに向かおうとしたその時、相手の手が不穏な動きを見せた。 だが、相手が銃で彼等を止めるよりもジョシュアの動きの方が早かった。 ただの若造と少女の二人連れと思ったのだろうが。 ジョシュアの素早い拳と蹴りは相手を瞬時に昏倒させた。 新一は驚いたように瞳を瞠る。 空手ではない。 あの、人を確実に倒す技はカンフーだ。 新一は快斗からジョシュアの正体を聞いていない。 だが、アッシュと敵対しているというからには、見かけ通りではなく相当の腕を持っていると考えていいだろう。 (快斗の奴・・いったいどういうつもりで・・・・・・) 「どうやら、ブリッジは武装した複数の人間に占拠されているようですね」 最悪の事態。 いや、占拠されているだけならいいのだが。 新一は、気絶している男の手から銃を取った。 「銃は携帯してますか?」 「え?」 いえ、とジョシュアが首を振ると、新一は彼に銃を手渡した。 「使えるのでしょう?」 「・・・・・・・・」 異常なこの状況に少しも動揺を見せない少女に、ジョシュアはさらに彼女の素性がわからなくなった。