・・・・・雨の一夜・・・・・

キッド!!

 

 落下していくハンググライダーを見た瞬間、新一は暗い道を駆け出していた。

 今夜の仕事は十中八九罠だと快斗は言っていた。

 勝沼という実業家が北欧から持ち帰ったというエメラルドは”碧のフレア”と呼ばれるビッグジュエルで、新聞にも大きく紹介された。

 その記事には、必ずや怪盗キッドが狙ってくるだろうなどと犯行を煽るようなことが書かれていたので警視庁の中森警部を激怒させたのだが。

 しかも、キッドを逮捕するための囮に使えばいいなどという持ち主のコメントには、当の怪盗キッドである黒羽快斗を苦笑させた。

 狙うつもりか?と新一が訊くと、その時の快斗は肩をすくめ考え中とだけ答えた。

 あまり乗り気でない様子に新一は首を傾げたが。

 新聞記事は確かに派手に煽っていたが、しかしキッドの獲物としては充分な大きさを持った宝石だということは新一にも頷けるのだ。

 なのに考え中と答える快斗の真意がわからない。

 ニセモノの可能性があるのか?と訊くと、快斗はそうではないと首を振った。

「今んとこ、ニセモノって可能性はないね。めったにお目にかかれない極上のエメラルドさ」

「じゃあ、乗り気じゃねえのは目的のものじゃないってことがわかってるからなのか」

「ん〜〜それはまだ。実際手にとってみないとわかんないけどさ」

 ますます新一にはわからない。

 探偵である新一が、怪盗に何故盗まないのかとせっつくのは問題だが、気になることは放っておけないのも探偵の性だ。

 快斗は弱ったように苦い笑みをこぼす。

 快斗が答えなければ自分で答えを見つけようとするのが工藤新一だ。

 それはちょっと困る。

「実はさあ、あのエメラルドは少々いわくありでね」

 快斗の父親、つまりは初代怪盗キッドが関わったある出来事に関係しているのだという。

 あのエメラルドに関われば、自分は初代キッドが約束したことを果たさねばならないのだ、と。

 面倒なんだよなあ、と心底嫌そうに溜め息をついた快斗だが、結局、マスコミの期待通り、怪盗キッドは予告状を出した。

 犯行予告当夜、新一は現場へと続く道路上にいた。

 キッドがエメラルドを手に入れた後、果たさねばならないという約束を手伝うためだった。

 新一はヘルメットを被りなおすとエンジンをかけた。

 この夜、機動性を考えてのことと、誰かに見られても極力工藤新一だとわからないようにするために新一はバイクで現場にきていた。

 狙撃されたのがダミーであればいいが。

 夜の山道で明かりが乏しい上、ここからの位置では確認できない。

「くそっ!」

 あの高さを飛んでいるハンググライダーを撃ち落とせるのはプロだ。

 だが、陣頭指揮をとっている中森警部が狙撃を許可するとは思えない。

 となると、考えられるのは一つ。

 敵だ。

「・・・・・!」

 突然、大きなカーブを描いて対向車線をはみ出してきた車が新一の目の前に迫ってきた。

 山道を猛スピードで走りおりてきた赤い車のドライバーは、カーブを曲がった所にいたバイクに気付いたが避けられなかった。

 さすがに新一の反応は早く正面衝突はなんとか免れたが、避けた勢いは殺す事はできなかった。

 急激な方向転換にタイヤが高い悲鳴をあげ、バイクは左方に吸い寄せられるよう流れてガードレールにぶつかる。

 新一は激突の勢いでガードレールの向こうに放りだされた。

 バイクの上から浮き上がった身体は、そのまま崖下へと落ちていく。

 赤い車から真っ先に降りてきたのは、ナビシートに座っていた若い女だった。

 彼女は横倒しになったバイクに近づき、そして運転していた人物の姿がないことを知ると崖下を覗きこんだ。

 真っ暗でよくわからないが、切り立った崖という感じではなく、わりと緩やかな坂のようだ。

 しかし、ずっと下まで葉を茂らせた茂みがあって落ちた人物を確認することはできなかった。

 最悪の状況を悟った彼女はすぐさま車に戻り、自分のバッグから携帯電話を取り出した。

「おい!何する気だ!」

 まだ状況を理解できず放心したようにシートに座っていた男は、ハッとしたように携帯を握った彼女の手を掴んだ。

「決まってるじゃない!警察に連絡するのよ!」

「バカ言うな!んなことすりゃオレたちの居場所を知られるだろうが!」

 わかってんのか?

 オレたちは狙われてんだぜ!

「そんなこと、辰也の思い込みかもしれないじゃないの!」

「思い込み?んなわけあるか!五億だぜ。命狙われるには充分な理由だろうが!」

 だから何?と彼女は男を睨む。

「自分の命が危ないから、他人の命はどうでもいいってこと?」

 そもそも、疑心暗鬼にかられてスピードを出しすぎたのが事故の原因なのだ。

 スピード違反に、前方不注意、おまけに対向車線を大きくはみ出したとあっては完璧に悪いのは自分たちだ。

「どうせ死んでるよ!こっから落ちたんだぜ!」

「そんなことはわからないじゃない!今連絡すれば、助かるかもしれないわ!」

 絶対駄目だ!と男は叫んで女の手から携帯を取り上げた。

「辰也!もし、あの人がまだ生きていて、放置したために死んだとしたら一生後悔することになるわよ!それでもいいの?」

「・・・・・・・」

「わたしは嫌よ。きっと夢に見るわ。そして、普通に生きていく事はもう絶対にできないんだから」

 子供だって、と彼女が言うと男はついに折れた。

 もともとが冷酷になれるような人間ではないのだ。

 ・・・・わかったよ、と男は取り上げた彼女の携帯で警察に事故の連絡を入れる。

 ただし、事故原因は言わずバイクがガードレールにぶつかったのを見たとだけ伝えた。

 事実を話せば逮捕される。

 それは絶対にごめんだった。

 これでいいだろ、と男は女の手にポンと携帯電話を返すと車のエンジンをかけた。

「・・・・・・」

 警察がこの場所に来るまでどれくらいの時間がかかるかわからない。

 それから、こんな暗闇の中、バイクに乗っていた人間を見つけるのにいったい何時間かかることか。

 助かって欲しい・・・

 自分たちは逃げられはしないだろう。

 いつかこの罪を償わなくてはならないのだと、彼女は事故現場を振り向いて見ながらそう思った。

 

 

 二十分ほど走ったところで激しい雨が降りだした。

 夜半から雨になるという予報だったが、雨は次第に豪雨となった。

「戻りましょう、辰也!」

「戻るってどこへだよ?」

「事故を起こした場所にに決まってるじゃない!この雨じゃ、あの人、死んでしまうわ!」

「バカ言うなよ!んなこと出来るわけねえだろう!心配すんなって、もう警察が来てるよ」

 だいたい、オレたちが戻っても何が出来るってんだ。

 専門家にまかせときゃいいんだよ、と他人ごとのように言う男に彼女は眉をひそめた。

「くそお、前が見えやしねえぜ」

 叩きつけるような雨はやむ気配をみせず、明かりの乏しい山道だということもあって視界が全くきかなかった。

 車の通りは殆どないようなものだが、それでもこのまま走るのは危ないと感じるほどだった。

 ついさっきの事故の記憶は生々しく残っているので、対向車がフッと見えると思わずブレーキを踏んでしまうほどだ。

「辰也!この状態で急ブレーキは危ないわよ!」

「んなこた、わかってるよ!」

 けど、しょーがねえだろ。

 男は意識してないが、ハンドルを握る手が震えていた。

 と、前方から来た車がクラクションを鳴らしながら二人が乗る車の横で停車した。

「この先へは行けないぞ。通行止めになってる」

 窓を開けて顔を出したのは中年の男だった。

 彼も用事があって出かけたが、途中この雨に合い引き返してきたのだという。

「今夜はもう無理だな。土砂崩れの危険性もあるし」

「そんな・・・戻るっていっても・・・・」

「俺んとこへ来るか?別荘なんだが、ここからすぐのとこにある」

「いいんですか?」

 ああ、と気のいい中年男は頷いた。

「他にもいるしね」

 中年男はそう言って後ろの座席を指さす。

 後部座席には、二十代後半くらいの男が二人座っていた。

「この先で車のタイヤが溝にハマって動けなくなってたんだ」

 

 

 親切に声をかけてくれた中年男の別荘はそこからちょっと横道に入った所にあった。

 ロフト付きのログハウスで、彼が四年かけてコツコツと建てたものだという。

「小さな家だが、雨宿りくらいにはなるだろう」

 彼等は家の入り口前に車を止め家の中へ駆け込んだ。

 中年男、吉村は明かりをつけると暖炉に火を入れた。

 秋口とはいえ、山の中は冷える。

 しかも、雨が降ってぐっと気温が下がった。

 吉村は彼等にそれぞれタオルを渡した。

「本当はシャワーであったまればいいんだが、お湯が出なくてね」

 とりあえず、熱いお茶でも入れるかという吉村に、手伝いますと彼女、伊藤リサが椅子から立ち上がる。

 残ったのは川田辰也とタイヤを溝に入れて立ち往生していた二人。

 男の一人がカメラを布で拭いていた。

 素人が持つにはかなり高価なカメラだ。

「あんたたち、もしかしてマスコミ関係?」

 え?とテーブルを挟んだ向かいの長椅子に座っていた二人が前を見る。

「あ〜、マスコミっていうか、雑誌のね」

「写真週刊誌とか」

 そう、と二人は頷いた。

「今夜は予告日だったからな」

「予告日って、なんの?」

「なんだ、知らないのか。怪盗キッドの犯行予告日だよ」

 怪盗キッド!

 辰也は目を見開いた。

 勿論稀代の怪盗キッドのことは知っている。

 だが、今夜が予告日だってことは全く知らなかった。

「他の連中とおんなじとこで待っていてもスクープはとれないから、犯行後のキッドを追おうと待ち構えてたんだが、そのキッドがどうも狙撃されたらしく墜落しちまってな」

 狙撃!?

 そこはバッチリ撮ったぜ、とカメラマンらしい男がニッと笑った。

「で、キッドが墜落した方へ向かう途中、この雨に合い車が使えなくなったというわけだ」

「怪盗キッドなら、警察も・・・・」

「当然大勢来てたぜ。相変わらずの大捕り物だ」

「それでも捕まえられないんだから、たいしたもんだよ」

 そうだったのか・・・

 じゃあ、もしかして自分が不審車両だと思ったあの車は、警察かマスコミ関係の車だったのかもしれない。

 そして、聞こえた銃声らしい音も・・・・・

 あれは、キッドを狙ったものだったのかもしれない。

(俺は・・・リサの言ってた通り疑心暗鬼にかかってて、何もないのに怯えていただけなのか・・・)

 となると、あの事故は起こらなくていいものだった。

 辰也は真っ青になって顔を覆った。

「辰也?」

 吉村とコーヒーを入れたカップをトレイにのせて運んできたリサが、辰也の様子に首を傾げた。

 リサ・・・と辰也はすがるように彼女を見つめた。

 と、その時突然外でクラクションが鳴った。

 吉村がすぐに玄関に向かいドアを開ける。

 見ると、激しい雨が降る中、一台の黒っぽい軽自動車が止まっていた。

 出てきた吉村に気付いたドライバーが、窓から顔を出した。

「すみません!怪我人がいるんですけど、この雨で病院に行けなくて。雨が止むまで休ませてもらえませんか?」

「怪我人?そりゃ大変だ。どうぞすぐに入ってください!」

 吉村は傘を持ってくると、怪我人がいるという軽自動車の方へと向かった。

 ドアを開けて外に出てきたのは、まだ若い男だった。

 長い黒髪を首の後ろで一つに束ねた長身の男。

 彼は吉村に傘をさしかけられながら後部のドアを開け、毛布に包んだ怪我人を腕に抱えた。

 そのまま、ログハウスの中へ入る。

「怪我はひどいんですか?」

「急に雨が降ってきたので、はっきりとは」

 二人の男が立ち上がって怪我人に長椅子を譲る。

 男は毛布に包まれた怪我人を長椅子に寝かせた。

 その間に吉村は救急箱を持ってくる。

「子供か」

 怪我人ということで、一瞬狙撃された怪盗キッドかとちらっと考えた記者二人だが、包まれた毛布から現れたのは高校生くらいの少年だった。

 黒の皮ジャンに黒のジーパン。

 これ・・・・

 リサは少年の皮ジャンの右胸についているマークを見て目を瞠った。

 白い鳥のマーク。

 見覚えがあった。

 それは、ライトで浮かび上がった人物が着ていた服に見たものだ。

 白く光って見えたので、リサは人物よりそのマークが強く目に焼きついていた。

(まさか、あのバイクに乗っていたのは・・・・この子?)

 こんな子供だったなんて!

「骨は折れてないようだな。手足の擦り傷と・・・腰と背中に打撲。これはそんなにひどくはないか」

 怪我人を連れてきた男は、慣れているのか手早く怪我の状態を見て手当てしていった。

 頭にも傷がある。

「まあ、ヘルメットを被ってたからそう心配はないと思うが」

 しかしヘルメットはあっても強打したショックは大きい。

 意識がないのはそのせいだ。

「おい・・・この子、工藤新一じゃないか?」

「ああ、そうだ!工藤新一だよ!」

 雑誌記者の二人が、意識を失っている少年の顔を覗き込んで言った。

「工藤新一って?もしかして、あの高校生探偵の・・・・」

「そうだよ、その工藤新一!父親は世界的なベストセラー作家工藤優作で、母親は元人気美人女優だった藤峰有希子」

「ああ、知ってる。なんで、そんな有名人がこんな所に」

 驚きで声も出ないリサに気付かずに辰也が呑気に首を捻った。

「そりゃまあ、キッド絡みだろうな。表立ってキッドとは対決してないようだが、協力はずっとしていたようだし」

「じゃあ、キッドを追ってて怪我したのかな。意外と名探偵もドジだったりして」

「バカッッ!」

 あまりに能天気な男の言い草にリサはついに切れた。

 パッシーンと平手で頬を打つ音が部屋中に響き渡ると、いったいなんだ?とその場にいた全員が驚きに目を見開いた。

「何すんだよ、リサ!」

「考えなさい!わからないんだったら、辰也とは別れるからね!」

「ええ〜!俺と別れるって・・・生まれてくる子はどうすんだよ」

「一人で育てるわよ」

「大金持ち夫人になるチャンスを捨てるってのかよ?」

「なによ!そんなものドブに捨ててやるわよ!」

 あんたみたいなバカとは絶対結婚しない!

「リサ〜〜」

 情けない顔で彼女にすがる男を、彼らは呆れたように眺めた。

「なんだ?痴話ゲンカか」

「君たち。怪我人がいるんだ。静かにしてもらえるか」

 吉村がそう言うと、リサはあ・・・と口を押さえ申し訳ないように目を伏せ俯いた。

「彼・・・大丈夫ですか?」

 心配そうにリサが聞くと、怪我をした新一を運んできた男は笑みを浮かべた。

「ああ、心配ない。こういうことには慣れてるのか、ちゃんと身を守っていたようだし」

 落下した場所が茂みだったので、それがクッションになったのだろう。

 傾斜が緩やかだったのも幸いだったのかもしれない。

「良かった・・・」

 リサはホッとした。

 だが、彼に怪我を負わせたのは自分たちだ。

 しかも、あの場から逃げた。

 それは絶対に許されることではない。

「リサ・・・・」

「近寄らないで。あっちへ行って」

 辰也はムッと口を尖らせた。

 何故彼女が怒っているのか辰也にはまるでわからない。

 もともと、彼女は二才年上で誰からも頭が良くて美人でしっかりしていると言われていた。

 辰也にはもったいない彼女だと。

 そんなことは辰也自身もわかっていた。

 それでもリサが好きで猛アタックしたのだ。

 そしてやっと彼女を手に入れたものの、ずっと引きとめておける確固たる自信が辰也にはなかった。

 それが、思いがけなくも母方の祖父から遺産がもらえると知り、辰也はこれで彼女と結婚できると喜んだ。五億の遺産だ。夢のようなその金額に喜ばない女はいないはずだ。

 なのに、彼女はそんなものはドブに捨ててしまえと言う。

 辰也にはさっぱり理解できなかった。

 いったいなんでだよ・・・と辰也は窓際まで行って外を見た。

 雨はまだ降っているが、だいぶ勢いがなくなってきていた。

 リサがあんなことを言うのは、やっぱり、あの事故のせいなのか。

 辰也がそう思った時、いきなり腕を引かれ窓から離された。

 見ると、さっきまで長椅子の所にいて怪我人を見ていた長髪の男が、辰也の腕を掴んで立っていた。

「何すんだよ!」

 機嫌が悪くイライラしていた辰也は、怒鳴りつけて掴まれた腕を振り払う。

 すると、今度は尻を蹴り飛ばされて辰也は無様に床に腹ばいとなった。

 な・・・っ!

 しかし、今度は辰也は男を怒鳴ることはできなかった。

 それは、床にいくつも開いた小さな穴を見つけたからだ。

「な・・・!なんだ、銃撃かっ?」

 さすがに、外から窓を突き破ってくるものに気付いた二人の雑誌記者が椅子から慌てて立ち上がり腰を屈めた。

「立ち上がるなよ。襲撃者の狙いはおまえなんだからな」

「な・・・なんで!」

 引きつった顔の辰也を見て男はフッと鼻で笑った。

「理由はとっくにわかってたんじゃないのか?だから慌てて逃げて、事故ったんだろうが」

「・・・・・・」

 辰也は男の言葉に息を呑む。

「あいつを傷つけたおまえを仕置きするならともかく、助けるなんざ本当はごめんなんだがなぁ」

 じーさんの依頼を引き受けちまったんじゃしょーがねえし。

 生きてりゃ断れたが、死んじまってちゃどうしようもねえ。

「おまえのような馬鹿ガキだって知ってりゃ、依頼なんぞ引き受けなかったんだが」

「じーさんって・・・まさか・・・・・・・」

「感謝しろよ。顔すら見たことねえ孫を誰よりも心配してたんだ」

 ああ、俺ってこんないいヤツじゃねえんだぜ。

 借りなんか作るもんじゃねえな。

 男はさも不本意だという顔で文句を口にする。

 本気で借りがなければ見殺しにするのにという顔だ。

 辰也はあまりのことに声を出すことすらできない。

「そのまま腹這いでテーブルの所まで行け。窓や壁には絶対に近づくなよ」

 何があろうともな。

 辰也は血の気の失せた顔で壊れた人形のように何度も頷きながら腹這いで進んでいった。

 いいか、と男は言う。

「俺がなんとか襲撃者を追っ払うから、それまで命がけでそいつを守れ」

 え?と辰也は目を瞬かせる。

「そいつを守るのはおまえの責任だ。好きな彼女と結婚したきゃ、ちゃんと責任を果たしな」

 長髪の男はそう言うと、玄関とは別の出入り口から外へ出て行った。

(な・・んで?)

 辰也は、怪我をしていまだに意識のない少年を守るかのようにそばについているリサを見る。

「まさか・・・彼が?」

 リサは、そうよと言うように頷いた。

 辰也はやっと彼女が怒っていた理由がわかった。

(俺ってなんてバカ野郎なんだ・・・!)

 リサはすぐに気付いたのに、自分は全然わからなかったのだ。

 そして、辰也がこの少年を怪我させた張本人だということを、あの長髪の男は気付いていた。

 

 

 外からは雨の雫の音以外何も聞こえてこなかった。

 襲撃者とあの長髪の男は言っていた。

 果たしてそれは一人なのか、それとも複数なのか。

 本当にあの男だけで大丈夫なのだろうか?

 彼等は家の中で沈黙したまま動くことができなかった。

 それから、いったいどのくらいの時間がたったろう。

 多分、三十分はたっていないだろうが、外の状況がわからないこともあってまるで何時間もその状態が続いてるような気がした。

 ふいに、吉村が口を開いた。

「警察に連絡した方がいいんじゃないかな」

 あっと彼等は小さく声を出す。

 警察!

 なんでそのことを思いつかなかったんだと彼らは呆れた。

 吉村はすぐに受話器を取り警察に電話した。

 と、長椅子に寝かされた新一の身体がピクリと動き、リサは顔を覗き込んだ。

「気がついた?」

 瞳を開けた新一は、ぼんやりと自分を見つめるリサたちを見つめる。

 自分が置かれている状況がよくわからない顔だ。

「大丈夫?痛くない?」

 痛いけど・・・と新一は小さく息を吐いた。

「君、工藤新一くんだろ?どうして、そんな怪我をしたんだい?」

 俺が・・・と辰也は言った。

「俺が無謀な運転をして対向車線をはみ出したから・・・それで工藤くんが乗ってたバイクが・・・・・」

 俺のせいなんだ・・・!と辰也は自分に罪を告白した時、ドアが開いて中にいた彼らはギョッとなった。

 入ってきたのは、あの長髪の若い男だった。

「よお。気がついたのか」

 ニッと笑みを浮かべる男の顔を認めた新一は、訝しげに眉をひそめた。

「・・・・何故おまえがここにいる?」

 仕事だ、と男が答えると新一の眉間はさらに険しく寄った。

「仕事と言っても、ヤツのことじゃない。ここでおまえと会ったのも偶然ってやつだ」

 信用できるか、と新一はその男ハデスを蒼い瞳で睨みつける。

 おまえだけには嘘は言わないって、とハデスは苦笑を浮かべながら、ここへ来た時と同様少年の身体を毛布にくるんで抱き上げた。

「丁度、雨も止んだし行くか」

「ちょ・・・ちょっと待ってくれ!どこへ行くんだ!」

 記者の一人が工藤新一を連れて出ていこうとするする男を引き止める。

「警察に電話したのか?」

 ああ、と吉村が答えると、じゃあ、もう心配ないだろと男は言った。

「待てって!警察が来たら説明しなきゃならないだろう」

「説明は俺でなくてもできるだろ?正体不明の襲撃者が銃弾を撃ちこんできた。それでいいんじゃないの?」

 俺はこいつを医者に診せなきゃならないしな。

 まだ応急手当をしただけなんだぜ?と男にそう言われると無理に引き止めることはできなかった。

「まあ、警察が詳しい理由を知りたいって言ったら、この男に連絡しろと伝えてくれ」

 ハデスは辰也に名刺を手渡した。

「仕事の依頼主の関係者だ」

「宮田弁護士?」

 辰也に手紙を送ってきた人物だ。

「じゃあな。後はよろしく」

 ハデスは軽く顎をしゃくると工藤新一を抱えたまま外へ出て行った。

 カメラマンである男が、こんな事件に遭遇しながら写真の一枚も撮っていないという、プロにあるまじき失態に気付いたのは、二人の乗った軽自動車が走り去った後であった。

 

 

「どこへ行くつもりだ?」

 後部座席に寝かされた新一が、運転席にいる男に尋ねる。

「さっき言ったろ?医者の所だ」

「必要ない。命にかかわるような大怪我じゃねえ・・・・」

「それはわかってるけどな。けど、それでも気にするお嬢さんがいるんじゃないのか」

「・・・・・・・」

「諦めな。何か予定があるのかもしれねえが、あのお嬢さんは俺もちょっとばかし苦手でね」

「キッドはどうした?」

 さあな、とハデスは肩をすくめた。

「連絡してみたらどうだ?」

 ハデスはくくっと笑う。

「だいたい、そう簡単にやられるヤツじゃないだろ」

 何しろ、この俺がいまだに殺せないでいるのだからな。

「・・・・・・・・」

 新一はハァと息をつくと、軋むように痛む腕を動かして自分の携帯電話を取った。

 なんとか壊れていないことを確かめてから、新一はキッドにだけ通じる暗号メールを送信した。

 

 

 いつのまにか眠っていたらしく、気付いたら車内から出されてローソファに寝かされていた。

 ぼそぼそとした話し声が聞こえ、新一は瞳を開ける。

 すると、あら?と聞き慣れた声が耳に入った。

 小さな女の子の声。

「目が覚めたのね、工藤くん」

 茶髪の髪をした少女が、ソファに横になっている新一の顔を覗きこんだ。

「灰原・・・?ここ、どこだ?」

 見えるのは天井と僅かな範囲だけだが、そこは全く見覚えのない部屋だった。

「キャンプ用のバンガローよ。狭いけど、雨風くらいは防げるから」

 哀はそう答えると、新一の手首をとって脈をみた。

「本当に運が強いわね。状況を聞いた限りでは、命があるのが不思議なくらいよ」

 言って哀は窓際に立って外を伺っている長髪の男をチロリと見る。

 事故はこの男のせいではない。

 それどころか新一を助けたのだが、そもそもの原因の一端がないわけではない。

 でなければ、自分が今こうして新一のそばにいる筈はないのだから。

「やっと来たようだぜ」

 窓の外を眺めていたハデスが笑いを含んだ声で呟くと、哀は諦めたような溜め息をついた。

「しょうがないわね。茶番につきあうのはこれっきりよ」

「んなこた、オレじゃなくヤツに言え」

「死んだ人間に何も言えるわけないじゃない」

 それに、今回の事は新一が知らずに口を出したことで起こったことなのだから。

 新一が絡んでなければ、誰がこんなことをやるもんですか。

 そんな主張をありありと顔に浮かべる哀に、ハデスは苦笑して首をすくめた。

 なんというか、この少女とはあらゆる面で似たところがあるせいか、互いのことが通じる反面、苦手意識が働くようだ。

 特にハデスは相手の外見が小さな女の子ということで立場が弱い。

「工藤くん。計画はちょっと変更になったけど、やることは変わらないから。あなたの代わりは彼がやってくれるから、ここでおとなしく寝ていてね」

 絶対に口出し無用だと哀は念押しし離れていく。

 バンガローに入ってきたのは、中年の男と若い女の二人連れだった。

 男の身なりはキチンとしていて実業家風。

 女は二十代前半くらいのスレンダーな美女だった。

 背に流れる金茶の髪も美しく、スッと伸びた綺麗な立ち姿はモデルのようだ。

 彼女は哀に向けてニッコリ笑った。

「待たせてごめんなさいね。元気してた、麻衣?」

「ええ、姉さん」

「すまなかったね。途中雨で地すべりがあって回り道をしたもんで」

「多分そうじゃないかと思ってましたよ」

 どうぞ、とハデスが椅子をすすめた時、男はソファの上で横になっている新一に気付いた。

「ああ、オレの弟です。ちょっと風邪で熱があるんで寝かせているんです」

 新一は毛布を顔の半分まで引き上げていた。

 男が気付くことはないだろうが、念のためだ。

 四人の男女はテーブルを挟んで椅子に座った。

「では、見せて頂けますか」

 男が言うとハデスは白いハンカチに包まれた宝石を出してコトンとテーブルの上に置いた。

 男もまた上着の内ポケットから黒いケースを出すと道具で碧の輝きを放つ宝石を鑑定した。

「間違いなく本物の”碧のフレア”だ」

「そう言いましたでしょ?これで信じて頂けました、勝沼さん?」

 ああ、と勝沼は頷いた。

「全く・・・信じられないな」

 怪盗キッドが、勝沼の持っていた”碧のフレア”がニセモノだと、最初から知っていたということを彼女から聞いた時は半信半疑だった。

 勝沼は、事業の上で関係のあった男に言われ、ニセモノの宝石を利用してキッドを罠にかけた。

 まあ、宣伝にもなると軽い気持ちで引き受けたのだが、彼女の話ではどうやらこれには裏があったようだ。

「それでは、これを本来の持ち主である方にお渡し頂けますわね?」

「約束だからしょうがないですね。残念ですが」

 これほどのエメラルドはめったにあるものではない。

「持ち主に返した後の交渉は自由ですわ」

 ただし、かなりのリスクを背負うことになりますわよ、と彼女はニッコリ笑って勝沼にそう釘を刺した。

 忌々しいそのエメラルドは、初代怪盗キッドを死ぬほど悩ませたものなのだから。

 呪いでもかかってんじゃないかと思ってしまうほど災いを招く代物だったのだ。

 だから、これをわざわざ表に出すのは嫌だったのだが、と女は内心でグチる。

「・・・・・・!」

(チッ!来たか!)

 ハデスは勝沼が座る椅子を蹴ると、そのまま哀の小さな身体を抱え込んで伏せた。

 それと同時に窓から凄まじい銃弾の雨が飛び込んできた。

 窓は枠ごとコナゴナになって砕け散った。

 激しい銃撃の音は数秒続いて止んだ。

 ハデスに蹴り飛ばされて床に転がった勝沼は、腰が抜けたようになり半ば失神状態だ。

「工藤くんは!」

 ハデスに庇われた哀が真っ先に案じるのは新一の身だった。

「あいつがいるんだ。なんの心配もいらねえよ」

 オレの脚を蹴って邪魔する余裕まであるくらいだからな、とハデスは苦笑いとともに鼻を鳴らした。

 ソファに寝ていた新一は、金茶の長い髪の美女に庇われるようにして覆いかぶされていた。

「大丈夫、新一?」

「快斗?」

 新一は驚いたように蒼い瞳を瞬かせた。

「おまえこそ大丈夫だったのか?怪我は?」

「怪我したのは新一でしょ?全く、あんなもの新一に持たせるんじゃなかったよ」

 初代キッドが隠した場所からエメラルドを持ってきた快斗は、一時的に新一に預けたのだが、まさか今もって呪いを発動してくれるとは思ってもみなかった。

「工藤くんだからそれくらいですんだのよ。あなただったら、もっとひどい目にあってるかもよ」

 かもな・・・と美女の姿の快斗はハアァ・・・と息を吐いた。

「しばらくここを動くな」

 ハデスはそう言って立ち上がったかと思うと、何かを砕けた窓の向こうへと投げた。

 途端に耳をつんざくような爆音がし、気付いたらハデスの姿はそこから消えていた。

「あいつにまかせときゃいいさ」

 なんたって本業なんだし、と快斗は言い再び新一をソファに寝かせ毛布をかけた。

「・・・・・・・」

 まるで何も起こっていないかのように静寂に包まれている。

 だが、見えないところで何かが起こっていることは、鳥の声が全く聞こえてこないことで知ることができた。


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