古城の月


 あら・・・と赤い唇から小さく声が漏れた。

 白く細い指に包まれたワイングラスが、突然の稲光に白く光る。

 赤ワインで湿った唇はつんと上向いて、男の目には官能的に映った。

 白く豊かな胸を強調したドレスは何故か喪服のように黒い。

 細い首にかかっているネックレスも黒真珠だ。

「嫌だわ。やはり雨が降るのかしら。せっかくの夜なのに」

 バルコニーに出る透明なガラス戸の前で気だるげに立ち、暗くなった外を眺めていた彼女は残念そうに呟いた。

 結い上げた黒く艶やかな髪。左右に細くたらした髪は緩やかなウェイブがかかって華奢な肩に落ちている。

 若く見えて、実は結構な年だという噂があるが、面と向かって年齢を問うような無作法者は彼女の周りにはいない。

 特に今彼女の傍らに立つ金髪の男にとって、女性の年齢など興味のないことである。

 年齢などどうでもいいと思うほど、彼女は若々しく美しいのだから。

「嵐の中でのパーティもなかなかよいものですよ」

「わたしは今夜月が見たい気分でしたの」

「ああ、あなたは月がお好きでしたか」

 夫人はニコリと微笑んだ。

「闇のベールに包まれた天空に輝く月はとても美しい。わたしは美しいものならどんなものでも好きですわ」

 黒く汚れたものすら覆い隠すような美しさというのは素敵だと思いません?

 ああ、真っ白な雪もとても美しいですわね。

 全てを白く輝かせてしまう雪は、まさに奇跡のよう・・・

「そういえば、今夜は満月でしたね。雲がなければ純白の精霊が現れてもおかしくはない、神秘の夜だ」

 美しい夫人は、やや緑の瞳を見開き、そばにいる金髪の美青年を見つめた。

「あなたの口からそんなロマンチックな台詞を聞いたのは久しぶりですわね。今のあなたの想い人の影響かしら・・」

 ね?伯爵、と夫人は楽しげに瞳を細めた。

 常に女性の、それも高級な美女との噂が絶えなかった伯爵が、まるで思春期の少年のような恋をしている。

 そんな噂が流れてきた時、彼女も信じられない気分になった一人だ。

 夫人の深い緑の瞳に見つめられたオードマン伯爵は、さあ・・と曖昧に首を傾けた。

 彼女の緑の瞳に見つめられて動じない男はそういない。

 オードマン伯爵は、最初から夫人に引かれはしても魅せられることのない数少ない人間だった。

「さぞ美しい姫なのでしょうね。会ってみたいわ」

 伯爵は苦笑する。

「あなたの好みとはかけ離れてますがね。東洋人ですから」

 夫人の好みは金髪碧眼だ。

 彼女の亡くなった夫が金髪碧眼であったという。

 そのせいか、夫人のそばには常に金髪碧眼の男女がいた。

 今も彼女のお気に入りは、オーストラリアから来た金髪の十三歳の美少女だ。

 その美少女は先ほどからチラチラと気にかかるように彼らの方へと視線を向けてきている。

 毎年この時期、夫人は特別なパーティを開く。

 普段、夫人はロンドンに住むが、年一回パーティを開くために亡くなった夫が残した古い城へとやってくるのだ。

 夫人はクスクスと笑った。

「言ったでしょう、伯爵。わたしは美しければ、どんなものでも好きなの」

 

     ◆◇◇◇

 

 

 黒夫人は美しいものがお好き。

 

「あ〜ん?」

 新一は突然何言い出してんだ?という顔で自分の隣を歩いている快斗を見た。

 いつもは跳ね回っている快斗の癖毛も、ついさっき降られた雨で濡れてべったりと顔に張り付いている。

 当然のことだが、新一の髪もぐっしょり濡れて雫がたれていた。

 しかも、森を抜けてきたので衣服も泥で汚れまくりだ。

「全く・・・サイアクだぜ。サ・イ・ア・ク」

 と新一は超不機嫌な顔で快斗を睨む。

「だから、ごめんってば。まさか、こんなに降られるとは思ってなかったからさあ」

「おまえ、昔から天候読むのは得意だったくせに。年で鈍ったんじゃねえの?」

 ええ〜同い年じゃん、新一〜〜と快斗は反論するが、新一はツーンと横を向いてしまった。

「だいたい、最近の気象状況はマジ読みにくいんだって。平ちゃんだって、ここんとこ予想しない豪雨が日本でも降るっていってたじゃん」

 だから自分のせいじゃないと言い訳するが、新一は全く聞く耳もたない。

 確かに最初の予定を変えることになったのは快斗のせいなのだが、新一も納得済みのことだったはずだ。

 それに噂を聞いて、自分の目で確かめたいと言ったのは新一だ。

「で、黒夫人ってなんだ?」

 へ?と快斗は瞳を見開く。

「あ、ああ・・トワイライト伯爵夫人がそう呼ばれてんの。いつも黒い服着てっからさ」

 失った最愛の夫のために今も喪に服しているのだという話だが。

「いつ亡くなったんだ?」

「もう二十年くらい前になるんじゃねえ」

「だったら、もういい年だよな」

「そうだね。確か結婚生活が十二年で、旦那が亡くなって二十年となると五十過ぎってとこ?」

「いいオバさんだな。で、そのオバさんが美しいものが好きってか」

「そv人も物も美しければいいってのが彼女の持論だってさ」

 で、本人もかなり美人らしい。

「それであっさりと目的のものをとられたというわけか」

 う〜〜と快斗は唸る。

「まさか、あのオヤジが年増好みとは思わなかったもんなあ」

 常に若い女を連れてるから、てっきりそうだと思って気合いれてモーションかけたというのに・・・

 気づいたら目的の代物は黒夫人の手に渡っていたのだ。

「金をつんでも色仕掛けでも渡さなかったくせに、黒夫人の目に止まったってだけであっさりあげちまったんだぜ、あのスケベじじい」

 悔しい〜〜と喚く快斗を新一はうんざりしたように見る。

 いったい何度聞かされたことか。

「だったら、さっさと盗めば良かったんだ。らしくなく正攻法で手に入れようとするから先をこされる」

 おまえがそれを言うか?というように快斗は新一を見返すが、状況次第では手段を選ばない相手であることを知ってるので言い返すのをやめた。

 真実を知るためなら、住居侵入だろうと詐欺だろうとなんだってやるし、利用もする。

 それが工藤新一という人間なのだ。

「ああ、見えてきたぜ新一」

 雨がやんで少し雲が切れてきた頃、古城が姿をみせた。

「デカイな・・・・」

 木々の合間から見える建物は間違いなく”城”だと言えた。

「もとは侯爵家の持ち物ってことだからな。五十年以上野ざらしになってたからひどい荒れようだったらしいけど、それを買い取ったトワイライト伯爵が改装したって話。それでも建て直したわけじゃないから、まあいろいろ噂があってさ」

「噂?」

「決まってんだろ。もう見るからになんか出そうって感じじゃん?昔からいろんな怪奇現象の噂が絶えなかったらしいぜ」

 アレ、と快斗が指差した建物は、確かに幽霊が出ても不思議ではない印象だ。

 昼間ならまだしも、夜でしかも空が雲に覆われて暗いからさらに恐ろしげとなっている。

「ほら、去年公開されたハリウッドのホラー映画さあ、幽霊城のモデルがあの城だって話だし」

 実は撮影に使わせて欲しいと頼んだらしいが断られ、結局外観だけ撮影させてもらい、内部は別の屋敷を使ったという。

「幽霊・・ってなあ。オヤジが喜びそうなネタだけど」

 日本で面白がって幽霊が出るという家を買ったはいいが、一度も幽霊に出会わずガッカリしていた新一の父、優作であるが、しっかりそのネタで本を出していたりする。

 しかも、その話の主人公の息子が、明らかに自分だとわかる書き方であったので新一は大いにむくれた経緯があった。

「よくそんな城を買ったもんだな」

「愛する女性にねだられたら、しょーがないんじゃない?」

 今の黒夫人だけど。

 さすがに亡くなったトワイライト伯爵も、あの城には殆ど滞在しなかったって話だけどさ。

「ってことで、気をつけろよ」

 何を気をつけるんだよ?と新一は眉をひそめる。

「そりゃ・・幽霊?ポルターガイスト現象も目撃されてるってことだし。古城だから、刀や槍とかあるかもだから、そんなのいきなり飛んできたらヤバイだろ?」

「・・・・・・」

 確かにヤバイ。けど。

「んなの、あってたまるか」

「ま、新一を襲うような度胸のあるゴーストはいないと思うけどね」

 くくっと肩をすくめて笑う快斗の頭を新一はスパンとはたく。

「おめーの方こそ気をつけろって。変な罠にひっかかって恥かくんじゃねーぞ」

 あ、そうかと快斗はうんうんと頷く。

「あの城ならそういうのもありかもなあ」

 お化けとか、最新のセキュリティより、昔ながらのトラップの方が危険といえるかもしれない。

 城の見取り図もそれほど正確なものは手に入れられなかったし。

 勘で動くしかないが、自信がなければこんな所まできはしない。

 新一が言うように、もう正攻法で手に入れることはやめたのだ。

「んじゃ新一、伯爵によろしくv」

「抜かせ!」

 からかうようにウィンクしてくる快斗に蹴り一発くらわそうとしたが、身軽に避けられて新一は面白くないという顔になった。

 いたずらっ子のように笑う快斗の姿がふっと闇に呑まれ見えなくなる。

 まったく・・・・

 新一は溜め息をつくと、改めて迫力を感じる古城を見上げ足元に気をつけながら歩いていった。

 

         ◇◆◇◇

 

 食事を終え時間が来ると、彼らは連れ立って玄関ホールに向かった。

 実は毎年この時期に城に客を招待するのは、これから夜中の二時まで城のホールで過ごすためだった。

 今年城に招待されたのは四人。

 オードマン伯爵と、スペインから来た、ともに三十代後半の実業家が二人、そして黒夫人の横にぴったりくっついている、オーストラリアから来た少女。

「伯爵はこの城は初めてだそうですね」

「ええ」

「私は昨年初めてこの城に招待して戴いたのですが、いやあ本当に珍しい経験をさせていただきましたよ」

「本当に出るのか?その・・・幽霊が?」

 二度目だという男の友人が、やや緊張した声で尋ねた。

 勿論だとも、と男は大きく頷く。

「私も半信半疑だったがね。この城の雰囲気は、まさに出てもおかしくないものだったが、まさか本当にこの目で見ることになるとは思わなかった」

「・・・・・・」

 男たちの話を聞いた少女は、身体をこわばらせ黒夫人の腕を両手で握った。

 黒夫人は怖がる金髪の美少女に微笑みかける。

「大丈夫。幽霊は怖いものではないのよ」

「いや、確かに怖いというよりは、実際に見たという驚きの方が大きかったですね」

 丁度あそこで、と男が白い影を見た階段の方を指差した時だった。

 少女は蝋燭の明かりだけのホールに立つ黒い影を見、きゃあ!と悲鳴を上げた。

 影の方も驚いたのか、一瞬肩を上げ振り向いた。

「あ・・・すみません。声をかけたんですが返事がなくて・・・・また雨が降り出したのでつい勝手に・・・」

 少女を驚かせた黒い影が少年だとわかると、彼らは緊張を解いた。

「人間・・・か。驚いた。幽霊かと思った」

 友人に誘われてきた男は、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせようと胸に手を当て深呼吸を繰り返す。

 興味はあるが、やはり怖いものは怖い。

「まあ、泥だらけね。まさか歩いて?」

「ええ・・・途中事故でけが人があったもので、乗ってきた車で病院に運んでもらいました」

「それで自分は歩いてきたというのか」

 無茶をする、と伯爵は眉をひそめながら少年に自分の上着を着せ掛けた。

「ああ。やはりその子は李家の方でしたのね」

 はい、と少年は黒夫人に向けて頷く。

「招待して戴いたのに、遅くなってしまい申し訳ありません」

 少年が頭を下げると、夫人は微笑んだ。

「謝られることはありませんわ。大変でしたわね」

 すぐに着替えをと夫人が言うと、伯爵が私がと少年の肩に手を回した。

「そうでしたわね」

 少年は今回、伯爵の連れとして招待されたのだ。

「もうお一人は?」

「すみません。急に所用ができて来られなくなりました」

「あら、それは残念ね。会いたかったのに」

「・・・・・・」

 少年はもう一度夫人に頭をさげると、伯爵に連れられてホールを出ていった。

「李家というと、香港の?」

 スペインから来た二人は目を大きく見開いた。

 さすがに彼らも香港の実業家であるシャーノン・李のことはよく知っていた。

 まだ会ったことはないが、いつかは知り合いになりたいと思っている超大物である。

 そして、名家である李家の現当主である彼が引き取ったという双子のことも噂に聞いている。

「では、彼は李家の双子の一人?」

「そのようですわね。わたしも会うのは初めてだから」

「そういえば聞いたことがある。女性との噂が絶えなかったオードマン伯爵が、現在夢中になっているのが李家の姫だと」

「ああ、それは私も聞いたことがある。かなり有名な話だ」

 では、あれが李家の次期当主とされている少年か。

 まさか、こんな所で会えるとは思ってもみなかった二人の男は、じっと伯爵と少年が消えた方を見つめていた。

 

 

 伯爵は、この城で自分に与えられた部屋に少年を連れて入ると、大きめのタオルを出してきた。

「事故だって?怪我は?」

 頬を包むように伯爵の手が当てられ顔を覗き込まれた新一は、嫌そうに眉をひそめる。

「ない。別に巻き込まれたわけじゃないからな。すぐ前を走っていた車の前タイヤがいきなりパンクして横転したんだ。乗っていた二人はたいした怪我じゃなかったけど、病院に運ばせた」

「たいしたことがないなら、救急車を呼ぶなりすればいいだろう。何も雨の中を歩いてくる必要はない筈だ」

「うるせえな。その時はまだ雨は降ってなかったんだよ」

 新一はむっと顔をしかめると、タオルを受け取った。

 バスルームはそこだ、と伯爵がドアを指差す。

 そして、着替えはここに、と伯爵に見せられたものに新一は、ハ?と瞳を瞬かせた。

 伯爵がニコリと笑う。

「あなたに着てもらおうと、特別に作らせたものだ。まさか今夜着てもらえるとは思わなかったがね。持ってきていて良かった」

 新一は半眼になる。

「誰が着ると言ったよ」

「では、私の服を貸そうか」

 それもまた嬉しいがと笑う伯爵に思いっきり眉間に皺を寄せた新一は、伯爵の手からその服を引っ手繰った。

 伯爵の服を借りるくらいなら、まだこっちの方がマシだ。

 とはいえ、伯爵がオーダーしただけあって、相当に高価なものだったが。

 それが女性用でなければ。

「ただ生憎メイクの道具までは用意してなくてね。彼なら持っていたろうが」

 と、彼が今ここにいないことを伯爵は残念そうに言う。

「あいつも、いつも持ち歩いてるわけじゃねーよ」

「だが、彼は変装の名人だろう?」

 よく、あなたの代わりにもなっているようだし。

「・・・・・・」

「まあ、ルージュだけは持っているがね」

 またも新一は瞳を見開いた。

 なんでルージュだけ?

 常に美しい女性のために持ち歩いているのだと答える伯爵に、新一は本気で頭を抱えたくなった。

 ・・・・もう相手したくねえ。

 シャワーで汚れを洗い流し、雨で冷えた身体を温めた新一は、伯爵が”麗花”のために作らせたというチャイナドレスを身に着けた。

 色はバイオレット。

 大輪の鮮やかな白い牡丹と鳳凰の刺繍が入っている。

 下着も靴も用意されていたのは、たまたまでなく、間違いなく確信犯だ。

 しかも、どこで調べたのか測ったように身体にフィットしている。

 疑問に思ったが、快斗のように、抱きしめただけでサイズが測れるなどと言われてはたまったものではないので聞くのはやめた。

 伯爵は眩しげに目を細めて新一を見つめた。

「とてもよく似合っている」

 むかつくが、確かに自分でも似合っていると思う。

 慣れているだけあって、伯爵の見立てはいいということか。

 男が服を贈るのは下心があるからだというが、同じ男相手に下心というのは冗談でも考えたくないことだった。

 しかし、目の前の男の本気は新一には怖いものがある。

 新一が黙っていると、伯爵はさらりと前髪を指ですき上げ小さな髪飾りをつけた。

 そんなものまで持ってたのかと新一はうんざりする。

 男と知っていて女の格好をさせ喜ぶなど間違いなく変態だ。

 だが、”麗花”は一応表向き女性であって男ではない。複雑な気分だった。

 伯爵の指が新一の顎にかかる。

 反対の手にはルージュが。

 ディオールか?

 やはり慣れた手つきでルージュを塗る伯爵に、新一はもうこのまま意識をとばしたくなった。

 

       ◇◇◆◇

 

 伯爵と共にホールに戻った新一を見た彼らの驚きの表情は、はっきり言って見物だった。

「女性だったのか・・・・」

 呆けたような顔の男二人と、青い瞳をパチクリさせている人形のような美少女。

 そして、一瞬驚いたように瞳を瞠った黒夫人であったが、すぐに面白そうにくすくすと笑い出した。

「そうだったの。伯爵も人が悪いこと」

 新一は困った顔をすると、この城の主である黒夫人に向けて丁寧に会釈した。

「李麗花です。みっともない姿でお目にかかった上に、ご挨拶も遅れて申し訳ありませんでした」

「いいのよ。災難でしたもの」

 そう、あなたが・・・・と黒夫人の赤い唇が笑みを浮かべると新一はドキッとした

「丁度あなたに会いたいと思っていたのよ。初めてオードマン伯爵が恋した方だから。思った以上に美しい方で嬉しいわ」

 新一は、ゲッと内心呻く。

”黒夫人は美しいものがお好き”とついさっき快斗から聞いたばかりだ。

 まあ、オードマン伯爵がいるし、殆ど社交辞令のようなものだろうが。

 新一は、まだポカンとしている二人のスペイン人をチラリと見る。

 てっきり男だと思った人間が、次に現れた時”女”の姿だったから無理ない反応かと新一は思う。

 やや遠慮がちに、それでもじっと大きな青い目で見つめてくる金髪の美少女には、新一もニッコリと微笑んでみせる。

 金髪のくるくる巻き毛に白いフワフワドレスの、まだ幼い少女は新一が見ても愛らしい。

 笑顔を見せられた少女のまろやかな頬が、ぱっと赤くなるともう、抱きしめたくなるような可愛らしさだ。

 快斗から聞いたところによると、少女は現在の黒夫人の一番のお気に入りらしい。

「では、皆さん。時間までゆっくりなさってくださいね」

 黒夫人がそう言うと、皆それぞれ好きな場所に座った。

 長椅子には黒夫人と金髪少女が。背もたれのない椅子にはスペインから来た二人の男が。

 伯爵と新一は隣り合わせた一人掛けの椅子に腰掛けた。

 ただのパーティかと思ったが実はこっちの方がメインらしい。

 何かと思えば、幽霊見物である。

 もともと幽霊が出ると言われている城であるから、そういうイベントもありだとは思うが。

(くだらねえ・・・・)

 二人のスペイン人の、期待にワクワクしている様子は見事に自分の父親と重なる。

 さすがに、少女の方は怖がって黒夫人に青い顔でしがみついている。

 黒夫人はというと、全く怖がっているようには見えず、といって面白がっている風でもない。

 この時期、幽霊の目撃談が多く、黒夫人も何度も見ているらしいから慣れというやつだろうか。

 まあ、生きた人間に危害を加えるような幽霊ではないようなので、姿を見せるだけなら問題はないということかもしれない。

 有名な幽霊屋敷では、幽霊の方が居住権を主張し、知らない人間が入ってくると攻撃をしかけてくるというから、確かにマシかも。

 それにしても、と新一は黒夫人の方に視線を向けた。

 蝋燭の明かりだけなのでごまかされているかもしれないが、かなり若い。

 五十はとうに越えている筈なのに、どう見ても二十代後半。

 最近は整形でかなり若返るものだと聞くが、見た感じでは顔を整形しているようには思えない。

 第一、年齢は首や手に現れるものだが、黒夫人の肌は白く瑞々しくて張りがある。

 新一の視線に気づいたのか、黒夫人は新一に向けてニッコリと笑った。

(うわ・・・マジで美人だ・・・・・)

 殆どの男が黒夫人の魅力に囚われるという話はやっぱり真実のようだ。

 絶世の美女とまではいかなくても、そのなんとも言えない魅力が男の心をひきつけるのかもしれない。

 え?

 ふいに手を取られ甲に口付けられた新一はびっくりしたように瞳を見開いた。

(い・・・いきなりなんだ?)

 困惑する新一に、伯爵は、笑みを浮かべる。

「レディ。あなたまで彼女のとりこになってもらっては困るな」

「・・・・・・」

 バカか、と新一は呆れるが、まあ黒夫人のことが気になっているのは確かだから反論する気はない。

 会って初めてわかる黒夫人の奇妙な印象は、新一を捕らえて止まない”謎”に近い。

 日付けが変わっても何も変わったことは起きなかった。

 眠そうにしていた少女はいつのまにか黒夫人の膝に頭をのせて眠ってしまっていた。

「今夜はどうも現れないようですね」

「そのようですわね。やはり光が眩しすぎて近寄れないのかもしれないわ」

「光が眩しいって・・・・・」

 月?

 男たちの視線が高いホールの窓から見える月に向けられた。

 雨を降らせた雲がなくなり、見事な金色の丸い月が浮かんでいる。

 暗い空に存在感を示す大きな月が明るい光を落とす。

「幽霊も月光には弱いということですか?」

「そうかもしれないし、そうではないかも・・・・」

 黒夫人が意味ありげな言葉を綴ったその時、何か大きなものが窓の外を横切った。

「なんだっ!」

 思わず立ち上がった男たちが目を凝らす。

 鳥か?いや、大きすぎる。

 窓を横切った大きな正体不明のものは、再びその姿をみせ、金色に光る月の前で静止した。

 それは純白の翼をもつ・・・人間だった。

 逆光でハッキリしないものの、シルエットは間違えようもない人型。

 それは空に浮かぶ翼を持った者であったが”天使”ではなかった。

 突如姿を見せた”彼”は、まるで彼らの姿を捉えているかのようにニッと笑った。

 そして、月に吸い込まれるかのように、ふっとその姿を消した。

「まさか!あれは怪盗キッドか!?」

 世界的にその名を知られる怪盗のことは、スペインから来た二人も当然知っている。

 純白の派手な姿で空を駆ける怪盗は見間違えようはなかった。

「あらあら。どうやら持っていかれてしまったようね」

 黒夫人はクスクスと笑った。

「黒夫人?」

 騒ぎで目をさました少女がキョトンとした顔で彼女を見つめている。

 黒夫人は、伯爵に肩を抱かれ瞳を伏せている”麗花”を見、赤い唇を笑みに歪めた。

「まさか、怪盗キッドから予告状が?」

「この城から何か盗まれたのですか!」

「たいしたものではないの。つい最近もらったもので、そう価値のあるものではなかったから。そんなもので噂の白い怪盗に会えるなら素敵だと思って」

「警察には連絡しなかったんですね?」

 伯爵が訊くと夫人はコクンと頷いた。

 やれやれと伯爵は溜め息をつく。

「相変わらず、好奇心が旺盛で人騒がせな方だ」

「幽霊も、あの月に愛されている怪盗の前では現れるのを躊躇したという所かしら」

「眩しすぎるから?」

 黒夫人は今も瞳を伏せている”麗花”の方を見て、ええそうねと答えた。

 

「今夜は、月が出てくれて本当に良かったわ」

 黒夫人はそう言って、息を飲むほど魅惑的な笑みを浮かべた。

 


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