なんでオレはこいつについてってんだ?

 新一は自分の前を歩いている背の高い男の後ろ姿を見ながら、そうぼんやりと思う。

 だいたい、狙撃用のライフルを、いくら分解しているとはいえ収めたケースを堂々と持ち歩いている神経がわからない。

 まあ、確かにすれ違う人間の目には、楽器が入っているようにしか見えないだろうが。

 そもそも、この男は一見しただけでは凄腕のスナイパーだと思えない。

 それに、見かけは日本人だ。真実はどうなのかはわからないが。

 データーにはアジア系らしいとはあった。しかし、日本人かどうかは・・・・

 一つに束ねた腰まであるような長い髪は黒い。

 逞しいという身体つきではなく、今どきの青年といったひょろりと細い体型に見える。

 だが、実際は鋼のような筋肉を隠し持った獣だ。

 出会った屋上で、話があるなら一緒に来るか?と言われ自分は拒否しなかった。

 今も、この男から離れようと思えばすぐにも離れられるのにそれをしようとしない自分がいる。

 ・・・・おまえは、俺と同族だ。

(あれは・・・いったいどういう意味なんだ?)

 無言で歩き続けて二十分。ハデスはあるコーヒー専門店の前で足を止めた。

 明かりはついているが、店の扉には閉店の札がかかっていて、表側のガラスにはカーテンが引いてあり中が見えないようになっていた。

 しかし、ハデスはそんなことなどお構いなしに扉を開けた。

「おお〜!やーっと来たなセイちゃん!もう今夜はこないかと思った」

 店のカウンターにいた茶髪の若い男が、扉を開けて入って来たハデスを見て笑顔で歓待した。

「ありゃ、萌ちゃんはもう帰っちまったのか」

「あったり前だろうが!大学生とはいえ、まだ未成年だぞ、あの娘は!」

 用事はすんだのか?と若いマスターが訊くと、ハデスはああと頷いた。

「そうか帰っちまったか」

 せっかく萌ちゃんが喜ぶような子をナンパしてきたのにな、とハデスが言うとマスターは、おや?という顔で、ハデスの後から入ってきた少年を見た。

「おいおい・・・男の子をナンパしてきたのか」

 どう見ても高校生だ。

「犯罪だぞ、おまえ」

 呆れたように言うマスターに、ハッキリ言って新一は力がぬけそうになった。

 殺し屋相手に、ナンパが犯罪だと説くのもバカげている。

「アレある?」

 おまえなあ〜〜とマスターは溜息を漏らす。

「ここはコーヒー専門店なんだぞ。それを、メニュー外のもんばっかり頼みやがって」

 まあ、萌ちゃんも喜ぶから一応用意はするけどな。

 しかし、それでも不満なのかマスターは文句を続ける。

「君はどうする?セイちゃんとおんなじもんでいいかい?」

 おんなじものと言われても、それが何んなのか新一にはわからない。

 とにかくコーヒー以外のものなのだろうが。

「じゃ、コーヒーを」

 おおvとマスターの目が喜色に輝く。

「いい子だね、君!よし、今度店のメニューに加えることにしたオリジナルを出してあげよう。君が最初の客だ」

 マスターは言うと、すぐにカップを出して豆を挽きだした。

 ハデスは慣れた様子で迷うことなく店の奥のテーブルについた。

「この店の喫煙席って、ここだけなんだ」

 ハデスはそう苦笑をもらしながら煙草に火をつける。

「本当は全席禁煙にしたいんだけど、そうもいかないんでね」

 カウンター内のマスターが言う。

 確かに最近はファーストフードやファミリーレストランなどでは禁煙席が増えている。

 今頃になって害に気がついたという所だろうが、喫煙者には辛い時代の到来と言えるだろう。

 ニューヨークでは喫煙者の権利がなくなり締め出されようとしている。

「ほら、ご注文の品だ。ったく、いつまでもガキなんだから、おまえは」

 マスターがハデスの前にドンと置いた代物を見た新一は、一瞬固まった。

(・・・・・・・・チョコレートパフェ・・だよな?)

 だが普通のものよりチョコの量が半端じゃない。

 快斗もチョコパが好きでよく頼むし、自分でも作ったりするが、それでもこれほどチョコを入れたりはしない。

 もう、ガラスの器がチョコで埋められているような感さえある。

「・・・・・・・・」

「君も呆れるだろう?こいつ子供の頃からチョコ好きだったけど、まさか大人になっても食べてるとは思わなかったよ」

 マスターは新一の前にコーヒーカップを置いた。

 そのコーヒーの香りでハッと我れに返った新一は、マスターの言葉を聞きとがめた。

「子供の頃って・・・・」

「ああ、セイちゃんとは幼稚園からずっと一緒だったんだよ」

 といっても、小学三年の終わりくらいまでだったけど。

 新一はマスターの話に愕然とした。

 やはり、ハデスは日本人だったのだ。

「君の名前は?」とマスターが問う。

「え・・ああ、新一」

 マスターは、へえ〜と目を瞬かせた。

「俺は慎二というんだ。なんか親近感がわくね」

「つまり、おまえは二番目で格下ってことだよな」

「そんな可愛げのないこと言ってると、もう作ってやらないぞ」

「それは困る。こんなの、おまえしか作ってくれないからな」

 二人のそんなやり取りは、確かに幼馴染みの気安い関係なのかもしれないと思える。

 幼馴染みでも男女だが、自分と蘭のやりとりと似ていなくもなかった。

「ところで新一くん。君、眼鏡やめたら?せっかく綺麗な顔してるのにもったいないよ」

「似合いませんか?」

「う〜ん、似合わなくはないが、ない方がきっといいと思うよ」

 俺もそう思う、と同意するハデスに新一は瞳を眇める。

 マスターはごゆっくり、と告げてカウンターに戻っていった。

「大変だな、その瞳。世界中の強欲な連中に狙われているとなれば、安心して生活できないだろう」

「この瞳だけじゃない・・・オレが狙われるのは」

「他にもあるのか?」

 新一は答えずコーヒーのカップに口をつけた。

 香りもいいが、味もなかなか新一の好みに合っていた。

 口に含むと、なんだかごく当たり前の日常に戻っているような気がして、少しだけホッとする。

 たとえ、目の前に座っているのが超一流の殺し屋だったとしても。

「あんたはどうなんだ?あんたもオレに興味があるから声をかけたんだろ」

「フン・・俺は”永遠の命”なんざ興味はないね。人は死ぬからこそ今を生きていけるんだ。死がなければ、生きててもつまらん」

「・・・・・・・」

「だが、本気で不老不死を望んでいる奴らには、おまえはまさに世界でただ一つの宝石なんだろう」

「オレを手に入れたってすぐにわかる秘密じゃない。オレは秘密を引き出すためのキーでしかないんだからな。その情報がどこにあるかまではオレも知らないし、そう簡単に見つかるものでもない」

「ほお〜そうなのか。だが、まずはおまえを押さえておけば秘密を解くのに有利だということだろ」

 嫌そうに顔をしかめる少年に、ハデスは面白そうに笑った。

「まあ、今のところは誰も宝石の正体がわかってないんだから問題はないだろうな」

 いつかはバレるとしても。

「あんたは知ってる・・・・」

「俺は誰にも言うつもりはないさ」

 言ったろ?

 俺は永遠なんてものには興味がない。

「キッドを・・・・殺すのか?」

「依頼を受けたからには、優先されるのは仕事だ」

 言ってハデスは新一の顔をまっすぐに見つめる。

「おまえがあそこに来たってことは、キッドと知り合いか?」

「・・・・・・・・」

「怪盗と知り合いとは面白いな。いったいぜんたい、どういった知り合いだ?」

「あんたに教える必要があるのか?」

「それはないな。まあ、答えてくれたら調べる手間が省けるってだけだ」

「調べる?キッドのことを?」

「今度いつ現れるかわからない怪盗を待つより、正体を暴いて始末するのが手っ取り早いだろう」

「キッドは殺させない!絶対に!」

 ハデスはさらに色を濃くした眼鏡の奥の少年の蒼い瞳に薄く笑んだ。

 しばらく無言で睨みあっていたが、ハデスが話題を変えるように口を開いた。

「もう遅いし、送ってってやる。家はどこだ?」

「あんたに自宅の場所を教えるつもりはない」

 ハデスは苦笑する。

「じゃあ、タクシーを呼ぶか」

「必要ない」

 迎えに来てもらう、と新一は言って上着のポケットから携帯を取り出す。

「ああ、オレ。迎えに来てくれるか?今いるのは・・・・・」

 

 

 アッシュがバスローブを羽織ってホテルのバスルームから出た時には、もうベッドに少年の姿はなかった。

 手加減はしなかった。

 普通ならもう腰も立たず朝まで失神してるだろう筈なのに、さすがは怪盗として日本警察を敵に回しているだけはある。

 相当なタフさだ。

「というより、そこまで大切だってことかな」

 アッシュはふっと鼻を鳴らして笑う。

 今頃向かったとしても、終わる時は全て終わっている。

 アッシュは携帯電話を取ってベッドに腰をおろした。

 煙草をくわえ、ライターで火をつける。

「ヘラか?ああ、俺だ。ハデスに繋ぎを取れるか?・・・・そうだ、そのハデスだ。たまには命がけってのを経験してみろ」

 

 

 新一が携帯をかけてから十五分ほどで彼の迎えが店に現れた。

 その人物は予想を完全に裏切る、意外とも思える超ど派手な人物だった。

 マスターは当然ながら、ポカンと口を開けて絶句し、席についたままテーブルに頬杖をついて煙草をふかしていたハデスの目もキョトンと丸く見開かれた。

 波打つように背を覆う豪華な金髪に真っ赤なスーツを身につけた飛びぬけて豪奢な美女。

 モデル並に背が高く、歩く姿もスーパーモデルにヒケをとらない優雅さだ。

 真っ赤なルージュを塗った唇が魅惑的な笑みをたたえている。

「・・・・・・・・・」

(おいおいおい・・・これが高校生のお迎えってかあ?どっか間違ってねえ?)

「お待たせしました。帰りましょうか、ミスティ」

 ミスティ?

 ハデスは訝しそうに瞳を細める。

 新一は立ち上がると、ちょっと待ってくれと言うように金髪美女に向けて目配せし、ハデスの方に向き直る。

「一つ訊きたいんだが」

「なんだ?」

「同族というのは、いったいどういう意味だ?」

 ハデスはニヤッと笑うと、そのうちわかる・・とだけ言った。

 新一は眉をひそめたが、諦めたように口を閉じると金髪美女と一緒に店を出ていった。

 二人の姿が外に消えると、ようやく緊張が解けたというように、慎二は大きく息を吐き出す。

「いや・・たまげたな。あの子、いったい何者だ?」

「・・・・・・」

 店を出た新一はすぐに、フォックスが乗ってきた車の助手席に乗り込んだ。

「悪かったな、フォックス」

 新一が謝ると、フォックスはいいえ、と微笑む。

「あなたが自分から連絡してくれるんだったら、わたしもマジックも安心ですよ」

 自ら危険の中に飛び込んでくれるから、皆慌てさせられ心配するのだ。

「で、あなたと同じテーブルについていた人物は誰です?」

 フォックスに問われ、新一は答えるべきかどうか迷った。

 快斗ならきっと頭から怒鳴りつけるだろう。

 だが黙っててもいずれはバレることだ。

「・・・ハデスだ」

「は?」

 フォックスはらしくなく動揺しブレーキを踏み込んだ。

「あの”ハデス”ですか?」

 あのハデスだ、と新一が答えるとフォックスはがっくりとハンドルの上に突っ伏した。

 こんなフォックスは初めてみる。

 それだけ驚いたということなんだろうが。

「ミスティ・・・あなたは自分がどういう立場にあるかわかってます?」

「・・・・・・・」

「マジックがこのことを知ったら、頭から湯気を出すだけではすみませんよ」

「わかってる・・・・」

 フォックスは短く息を吐き出すと、アクセルを踏んだ。

「あれが”ハデス”ですか。想像していた印象とは違いますね」

「あいつは日本人だ」

「そうなんですか。それで、彼と何を話していたんです?」

「あいつはキッドを狙ってる。だが、絶対にそんなことはさせやしない!」

「相手はアッシュに並ぶ殺し屋ですよ。あなたは動かない方がいい。ハデスのことはマジックもとうにわかっていることだし、彼にも考えがあるでしょう。それに」

 わたしもついていますよ、とフォックスはにっこり微笑む。

「フォックス・・・・・」

 

 

 

 さすがにダメージを受けている身で空を飛ぶわけにはいかず、快斗はタクシーを利用した。

 新一がハデスと出会ったと思える時からもう二時間以上が過ぎる。

 ホテルを出た快斗が最初にしたことは、工藤邸の隣に住む少女に連絡することだった。

 ・・・・工藤くん?帰ってるみたいよ。車のエンジンの音がしてから家に明かりがついたから。

 何も心配していない平静な少女の声に、快斗は最悪な状況を避けられたかという期待を抱く。

 そうだ。

 ”ハデス”が標的にしているのは怪盗キッドである自分だ。

 新一ではない。

 奴は余程の理由がない限り、無意味な殺しはしない筈だ。

 それは、そう信じたい自分の都合のいい思い込みかもしれない。

 だが、新一は死んでない。快斗はその確信があった。

 工藤邸の前でタクシーを降り、快斗は門を開けて中へ入った。

 快斗がドアを開けようと手を伸ばしたその時、ふいに中からドアが開けられた。

 思いがけず間近で顔を合わせることになった二人は驚いたように瞳を瞠る。

 まるで鏡がそこにあるかのようにそっくりな顔の二人。

「快斗・・・」

「新・・一・・・・」

 互いの名を呼んでから、その先の言葉が出ない。

 言いたいことは一杯ある筈なのに。

 新一は、スッと身を引いて快斗を家の中に入れた。

 快斗は無言でドアを閉め鍵をかける。

「珍しいな。タクシーで帰ってきたのか」

「ああ・・・」

「怪我・・でも、したのかよ?」

「してねえよ。新一、おまえの方こそ」

 オレが?と新一は眉をひそめて首を傾げる。

「オレが何・・・・」

 言いかけた新一の身体が唐突にゆらりと揺れ、前に傾く。

新一!

 快斗はとっさに両手を伸ばし、倒れかかる新一の身体を受け止めた。

 だが、さすがに新一の体重を支えるだけの体力が残ってなくて、快斗は新一の身体を受け止めたままその場に膝をついた。

新一!新一!

 快斗は目を閉じ血の気が失せた新一の顔を見て動揺し名を呼び続ける。

 すると、新一は不機嫌そうに眉間を寄せ、うっすらと瞳を開けた。

「う・・るせえ・・・・頭の上で大声出すな。風邪で気分が悪ぃんだ・・・・・」

 は?と快斗がパチパチと瞳を瞬かすと、横からふいに白い手が伸びてくる。

「もう限界ですね。ベッドに入りましょう」

「フォックス?」

 フォックスはぐったりした新一の身体を腕に抱き上げる。

 快斗はフォックスがいることに全く気がついていなかった。

 茫然と突っ立っている快斗の方のフォックスが顔を向ける。

「あなたも一緒にいらっしゃい」

「・・・・・」

 快斗は新一を横抱きにして階段を上っていくフォックスの後についていった。

「ミスティは、あなたが帰ってくるのをずっと待っていたんですよ」

 フォックスの車に乗った時からもう新一は具合が良くはなかった。

 訊いてみたら二〜三日前から風邪気味で、体調はよくなかったという。

 快斗にしてみれば、そんな体調でなんで外に出るんだ!と怒鳴り散らしてやりたい気分だった。

 しかも、あの男の前に現れるまど、正気の沙汰とは思えない。

 相手は名の知れた殺し屋なのだ。

 なら自分はどうなんだと言われれば反論できない快斗だが。

(新一・・・・・)

 聞きたい。ハデスと会ってから何があったのか。

 危害を加えられた様子が見られないことだけは安堵したが、問題がそれで終わったわけではない。

 アッシュがあの時ちゃんと殺しておいてくれれば、なんて八つ当たり気味なグチが出そうになる。

 フォックスが新一を抱えているので、快斗が部屋の扉を開けた。

 明かりは具合の悪い新一に考慮して間接照明だけにする。

 快斗がベッドカバーを外すとフォックスは衝撃を与えないようゆっくりと新一をベッドに下ろした。

 横になった新一の身体の上に快斗は布団をかけてやる。

 額に手を当ててみるが、熱はないようだった。

 しかし顔色がよくない。

 もしかしたら貧血をおこしているのかもしれないと快斗が思って手を引きかけると、ふいに新一の手が伸びて彼の右手を掴んだ。

「新一?」

 首を傾げる快斗だが、新一は瞳を閉じたまま何も言わない。

「あなたも一緒に休んだらどうです、マジック?あなたも、あまり顔色がいいとは言えませんよ」

 明日は(と、もう今日になっているが)日曜で学校は休みでしょう?

「一日中寝ていても、誰も文句は言いませんよ」

 そう言って微笑むフォックスの顔を見てから快斗は、自分の手を握り締めている新一の手を見つめる。

 そして。

 やっと心を決めたのか快斗はそっと布団の端を持ち上げると、中へ滑り込んだ。

 快斗がベッドに入ると、新一は快斗の手を握ったまま温もりを求めるように身を摺り寄せてきた。

 快斗が手を彼の背に回し懐を開けてやると、新一が小さな子供のように顔を潜り込ませてくる。

「・・・・・」

 そこでようやく新一が快斗の手を離した。

 安心して気が抜けたのか、新一は呆気なく眠りに落ちていった。

 名前を呼んでも、もう反応せず寝息だけが快斗の耳に聞こえた。

 快斗は、じっと自分の懐の中に収まっている新一の寝顔を見つめた。

 ついさっきまでの、不安で不安でたまらなかったあの時間が嘘のようだ。

 ふわり・・と優しい手が頭を撫でる。

 その白い手は、新一の頭も優しく撫でていった。

「あなたももう眠りなさい、マジック。誰にもあなた達の眠りを邪魔させませんから」

「・・・・・・」

 フォックスの指がゆっくりと二人の頭を撫で、髪を梳く。

 それはまるで春の風のように優しく穏やかで。

 快斗が腕の中の新一をさらに自分の方に抱き寄せ瞳を閉じると、気持ちのいい指の動きと共に歌が聞こえてきた。

 眠りを覚まさせない程度の声で、それでも心に染み入るような心地よい歌声。

 英語で歌われているそれは、どこかで聞いたことがある旋律で。

 多分、イギリスの地方で昔から歌われている子守唄だと思うが、快斗はとても懐かしい気分になった。

 きっと、昔、自分はどこかでこの歌を聞いたことがあるのだろう。

 それはまだ幼くて、父と母がいて幸せだった頃・・・・・

 

 快斗は自分の命ともいえる愛しい者の温もりと、幸せな記憶に抱かれながら深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 翌日、二人が目を覚ましたのはもう日が傾きかけた頃だった。

 夢も見ることなくグッスリと眠ったので二人とも目覚めは悪くなかった。

 さすがにタフな快斗が先に目が覚め、疲れがとれた身体を起こし大きく伸びをしてから、隣でまだ眠っている新一の目の端にキスを落とす。

 新一はその感触に身じろいだが、まだ目を覚まさなかった。

 快斗はクスッと笑うと、静かにベッドを離れ部屋を出た。

 階段を下りてリビングに入ると、フォックスがソファに腰掛け雑誌を読んでいた。

「やっと目が覚めましたか。気分は?」

「悪くない。サンキューな、フォックスv」

 いいえ、とフォックスはニッコリと微笑む。

 短い髪に、白いシャツとスラックスをラフに着こなした彼女は、一見育ちのいいハンサムな青年だ。

「何か食べますか?」

「う〜ん、そうだな。丸一日食べてないようなもんだし、こってりしたもんは食いたくねえけど」

「パンケーキは?もう夜ですけど、フルーツもつけて」

「あ、それいいな。あと、熱いミルクティとv」

「・・・・オレもそれでいい」

 いきなり快斗の背中がズッスリと重くなる。

「新一?」

 快斗が部屋を出てすぐに目が覚めた新一が、いつのまにかリビングに下りてきて彼の背中にもたれかかっていた。

「気分はどう、新一?」

 昨日よりはマシ・・と答える新一はまだ眠そうだった。

「濃いめのコーヒーを入れてあげますよ」

 言ってフォックスは立ち上がってキッチンに向かった。

「新一・・・・・」

 快斗は身体の向きを変えて、新一の背に腕を回し軽く支えるように抱きしめた。

「心配した・・・・・」

 新一は何も言わない。

 快斗が昨夜のことに感ずいているらしいことは気がついていた。

 今は新一にそのことを問いただすつもりはなさそうだが。

 新一も気になることがある。

 快斗の髪から匂う煙草の匂い。

 快斗が時々煙草を吸うのは知っていたが、この匂いは外国産の煙草だ。

「新一、シャワーする?」

「今はいい・・・後で」

「そう?じゃ、オレ先にシャワー浴びてくる。なんか寝汗かいちまったし」

 快斗はそう言ってバスルームの方へと歩いていった。

 一人リビングに残った新一は、俯いて溜息を一つつくと、ソファに腰を下ろした。

 

 

 新一と快斗は、一日寝ていたこともあり、ぶらり外に出てみようかという話になった。

 勿論言い出したのは快斗だが、珍しく新一も同意し彼らは夜の街へと繰り出した。

 人工の明かりに照らし出された街は、まるで昼間のように明るく賑やかだった。

 二人は最終の映画を見てからゲームセンターでゲームをして楽しんだ。

 十時を過ぎても、まだ人通りは多かったが、さすがに十一時ともなると店も閉まりだし人の数も減ってくる。

「もう帰ろうか、新一」

「うーん、帰る前になんか飲みたい。ここからちょっと行ったとこに旨いコーヒー飲ませてくれる店があるんだ」

「新一のお気に入り?」

 まあな、と新一は答える。

「でも開いてんの?この辺の店、もう閉まってるよ」

 大丈夫、と言って新一は歩いていく。

 快斗は、ふ〜ん?と肩をすくめ後についていく。

 その店は、駅のある通りから少し離れた場所にあった。

 どちらかといえば住宅街に近く、店は緑色の屋根に白い壁のこじんまりとした可愛い造りだった。

 扉にはやはり”閉店”の札がかかっている。

 だが新一は構わずに扉を開けた。

 鍵はかかってなかったようで、カウベルがカランと音をたてる。

 もう閉店ですよ、とカウンターの中にいたマスターが言いかけ、口をポカンと開けた。

 眼鏡をかけていないが、昨夜この店にきた少年だということはすぐにわかった。

 彼が驚いたのは、新一の後から店に入ってきたのもその少年だったことだ。

 新一はマスターに軽く頭を下げ、昨夜自分が座っていたテーブルの方を見た。

 そこには、昨夜と同じようにハデスが椅子に座ってゆったりと煙草を吸っていた。

 ハデスは現れた二人の少年に、当然ながら驚いたように目を見開いた。

「なんだ?おまえ、双子だったのか?」

「血は繋がってない。赤の他人だ」

「他人の空似か?そりゃ嘘くさいな」

 誰が見てもそう思うだろう。

 並んだ二人は誰が見ても瓜二つで、世間でよく言うそっくりさんというレベルを完全に超えている相似なのだ。

 違うといえば、瞳の色と髪型くらいか。

「何?新一の知り合い?」

 昨日な、と新一が答えると快斗はふっと眉をひそめた。

 まさか・・な。

 快斗は新一と一緒に男の前に座ると、初めて見る男を確かめるように見た。

 日本人なのは間違いないだろう。

 整った顔立ち。

 髪が長く、首の後ろで一つに束ねている。

 年齢は二十代半ばくらいか。それ以上ということはないだろう。

「いや、驚いたなあ。新一くん、双子だったのか」

 目を丸くしたマスターがお冷を持ってテーブルの方へやって来た。

「君の名前は?」

「あ・・快斗です」

 人の良さそうなマスターの笑顔につい快斗は答えてしまう。

 いいんだよな?

「快斗くんか。声もそっくりだね。確かに萌ちゃんがいれば大喜びだよ」

 マスターは新一を見る。

「眼鏡外したんだね。やっぱりその方がいいよ。注文は、昨夜と同じでいい?」

 新一が頷くと、じゃオレもと快斗も同じものを注文した。

 マスターがカウンターに戻ると、快斗は再び前に座っている男を見つめた。

 気になる。

 普通の人間じゃない。

 誰かに似ている。雰囲気も感じる印象も全く違うが、どこかあの男に・・・・

「新一・・・この男、誰だ?」

「ハデスだ」

「・・・・!」

 快斗はバン!とテーブルを叩いて立ち上がった。

 カウンターにいたマスターがびっくりしたように顔を向ける。

「ハデス・・・?おまえが?」

 子供とは思えない殺気を含んだ瞳に、ハデスは目を眇める。

 瞬間的にこちらも反応しかけてしまうような冷たく燃えるようなその気。

 見れば、黒いと思えたその瞳がアメジストの輝きを帯びている。

 この瞳・・・確か昨夜スコープ越しから見た瞳だ。

 こちらが狙っていることに気づいたように、一瞬こちらを向いた標的の。

 あの後、すぐに邪魔されたが。

 は・・とハデスは弾かれるように笑った。

「そ・・うか・・・おまえか!おまえなのか!」

「・・・・・・・」

「思い切ったものだな。俺の前に連れてくるとは」

 ハデスが新一を見る。

「いったいどういう関係だ?」

「そんなの、おまえには関係ないだろ」

 快斗は敵意を向けたままハデスを睨みつける。

「標的にしても無駄だ。オレは殺られたりしない。新一にもかかわるな」

 ふっとハデスは笑った。

 標的に面と向かってそういうことを言われたのは初めてだ。

 もっとも、標的と顔を合わせてもすぐ後には、もう相手は消えていて会話など交わすような時間などなかったが。

「その自信はボディガードのおかげか?」

 快斗は眉間に皺を寄せる。

「そんなものはいない」

 快斗は言うと新一の腕を掴んだ。

「帰ろう新一」

「快斗!」

 快斗はテーブルの上に二人分のコーヒー代を置くと新一を連れて店を出ていった。

 マスターは訳がわからず茫然と少年たちを見送るしかなかった。

「セイちゃん!おまえ、あの子たちに何を言ったんだ!」

 理由はそれしかないとマスターは幼馴染みの男を責める。

 二人とも会ったばかりだが、感じのいいとてもいい子たちだ。

 その二人を怒らせるとなれば、絶対にこの男が悪いと彼は決め付けた。

 だが当のハデスは知らん顔で、また煙草に火をつける。

(あいつが怪盗キッド?ってことは、噂通り十年前に俺が狙った男は死んだってことか)

 子供じゃねえか。

 組織に狙われている二人が、どっちもまだ年端も行かないガキとはね。

 ハデスはふう〜と煙草の煙を吐き出した。

 標的が子供でも、引き受けた仕事は仕事だ。

 しかし仕事をするとしても一つ問題がある。

(あの男・・・・・・)

「セイちゃん、電話だ」

 マスターが子機の方をハデスに手渡した。

 そして、まったくもう・・・とブツブツ言いながらテーブルの上を片付け始める。

 また来て欲しいのに・・・と言う幼馴染みに苦笑しながらハデスは電話の相手と話をする。

「多岐か。なんだ?仕事の掛け持ちはする気はないぜ」

 え?と彼の仲介人である多岐の依頼にハデスは意外そうに瞳を見開いた。

「成る程な。そうきたか」

 ハデスはくくっ・・と面白そうに喉を鳴らす。

「いいぜ。了承したと伝えてくれ」

 本当にいいのか?と多岐は心配そうに聞いてくる。

「心配ねえって。オレも奴と一度話をしたいと思ってたところだ」

 丁度いい、とハデスはニヤリと笑った。

 

 店を出てからずっと快斗は新一の手首を掴んだまま歩いていた。

「快斗・・・痛い」

 文句を口にしたが、僅かに力が緩んだだけで快斗は新一の手を離そうとはしなかった。

「昨夜、あの男と何を話したんだ?」

「・・・・・・」

「新一!」

 快斗は新一の手を離すと向きあってその両肩を掴んだ。

「オレは大丈夫だから!あんな奴には絶対にやられはしないから!」

 だから、もう二度と現場には来ないでくれ!

 頼むから!

「・・・・・・・・・」 

 新一は両肩を掴まれたままその両手を快斗の背に回し抱きしめる。

「オレは・・・おまえの足枷になっているのか?じっと、外に出ずに閉じこもっていた方がいいのか?」

 新一・・・・

「違う・・・違うんだ、新一」

 快斗は低く呟き、新一を強く抱きしめた。

 

 

 人の気配が殆どない港で、普通なら顔を合わすことなどない二人が立っていた。

 二人とも長身だが、銀髪の男の方が体格がよく、年齢も十近く上のようだった。

 それでも、彼らはよく似た雰囲気を漂わせていた。

「へえ〜、噂通りいい男なんだな、あんた」

 ハデスは初めて顔を合わせた世界最高とも言われるスナイパーアッシュの感想を口にする。

 育ての親ともいえた殺し屋ジャッカルを殺した男。

 恨みはない。

 どちらも仕事の上でのことで、ジャッカルも殺されはしたがこの男との勝負を楽しんでいた。

 死んだが満足だったろうと思う。

「で?俺になんの用だ?」

「一言おまえに言っておこうと思ってな」

 アッシュが煙草を出すのを見て、ハデスも煙草を口にくわえ、まずライターでアッシュの煙草に火をつけ、そして自分のにつけた。

「キッドのことか。なんだ?仕事の邪魔をするなってか」

「そうだ。キッドは俺の標的だ。横からちょっかいを出されるのは気に食わん」

 は?

「キッドがあんたの標的?」

 そうだったのか?

 ま、確かにキッドのボディガードなどこの男がするわけねえし、自分の標的を先に片付けられては気に入らないのも当然だろう。オレだって、邪魔をする。

 だが・・・・

「いったい、どこからの依頼だ?」

「聞かれたら、おまえも喋るのか」

 そうアッシュに問い返されハデスは肩をすくめた。

「ま、そりゃそうだ。言えるわきゃねえな、プロが」

 だがな、とハデスは言い返す。

「俺も一端引き受けた仕事だ。標的が重なるってのも珍しいことじゃねえ・・・ってわけで、俺は引くつもりはない」

「そうか。では、次に会った時は容赦しない」

「いいぜ。俺だって、遠慮しねえさ」

 アッシュは吸っていた煙草を足元に投げ、靴底で踏み消した。

「ああ、そうだ。あの蒼い宝石・・下手に構うと自滅するぞ」

 たとえおまえが冥王の名を持つ者でもな。

「・・・・・・・!」

 ハデスはアッシュの言葉に瞳を瞠った。

「ハッ・・・あんたでもそう思うのか!」 

 くっくくと笑い出したハデスを一瞥したアッシュは、背を向けると闇の中へ消えていった。

「面白い!最高のゲームの始まりだぜ!」

 ハデスは笑い、そしてアッシュとは反対の闇へとその姿を消した。

 

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