母はずっと神経を病んでいた。

 生まれた時から父親はいなくて、彼のそばにいたのは母の他は祖母だけ。

 祖母は彼に優しくしてくれたが、彼女が最も愛していたのは実の娘である彼の母親だけだということを幼い頃から知っていた。

 彼自身も、どの同級生の母親よりずっと若くて綺麗な母が自慢で大好きだった。

 殆ど自分を見てくれない母親でも。

 ごくたまに正気に戻ると母は、学校から家に帰ってきた彼のためにお菓子を作ってくれた。

 膝の上に彼をのせ、その痩せた白い指で髪を撫でてくれる。

 たとえ、その指が一瞬後には自分の首を絞めるかもしれないとしても、彼にとっては幸せな時間だった。

 母は正気に戻ると、息子である彼を殺そうとしたのだ。

 それでも、その時だけは彼を見て優しくしてくれる母親なので、引き離されるのはとても嫌だった。

 しかし、祖母も彼女の主治医も母親が正気に戻ったとわかると、すぐさま彼を母親のもとから引き離した。

 彼が十歳になったある夜、いつものように世話になっていた彼女の主治医である医師の家に母が現れた。

 彼はためらうことなく誰にも告げずに、祖母の車で迎えに来た母と一緒に医師の家を出た。

 母は彼にこう言った。

「おまえは死ななくてはいけないのよ」

 だって・・・・おまえは悪魔の子だから。

 それが、彼が最後に聞いた母親の言葉だった。

 

 

 港を見下ろせる展望レストランで食事をすませ、運ばれてきたコーヒーをすすりながら彼はぼんやりと窓の外を眺めていた。

 ブレーキをかけることなく、夜の暗い海へ突っ込んでいったのは今から15年も前のことだ。

 あの場所は今もあったが、無論なんの痕跡もなく人々の記憶にすらない。

 残っているとすれば、警察の記録と古い当時の新聞のみだろう。

 だから、この国に戻ってきても彼は幽霊でしかなかった。

「待たせたな」

 かけられた声に、彼はぼ〜とした目を向ける。

「なんだ?寝不足か?」

 呆れたように男は言って、彼の向かいの席についた。

 まあな、と眠たげな目を男に向けながら、彼はコーヒーを飲み干す。

 こんなもんで目は覚めないが、ないよりマシだ。

「・・・・・昨日買ったゲームを徹夜でやっちまった」

「はあ??」

「さすが日本のゲームはいけてるよな。リアルでさ。一度はやってみたいと思ってたんだ」

 天下のドラクエ。

「・・・・・・」

 おまえな〜〜

 背広姿も決まっている、スマートな男は目の前の男のセリフに思わず脱力し溜息をついた。

 長身で痩せ型。

 長い黒髪を後ろで一つに束ねた男の顔は、一見女顔で整っていて誰の目をも引く。

 何故か黒い服が好きとかで、いつもなにかしら黒いものを身につけている男だ。

 今日も、黒いシャツを着ている。

 子供じみた表情をみせるこの若い男が、実は国際手配されている超一流の殺し屋だとは誰も思うまい。

 実際彼は、仕事の時以外は殺し屋としての独特な雰囲気はみせず、だからこそ自然に一般人の中に紛れ込むことができた。人の目をひくとしたら、その容姿だ。

「奴の次の仕事がわかったぞ。ゆうべ遅くに、警視庁に予告状が届いたという情報を得た」

 男は言って、上着の内ポケットからデーターの入ったフロッピーを取り出した。

「奴の獲物のある建物とその周辺の詳しいデーター、それに警備についてわかる限りのことは調べておいた。後はいつものようにおまえのやりやすいようにすればいい」

「・・・・・」

 テーブルの上に置かれたフロッピーをつまみ上げた彼は、さほど興味がなさそうな顔で欠伸を一つもらす。

 男はそれに眉をしかめる。

「おい、ハデス?ちゃんと聞いてるのか。まさか、もう標的に興味がなくなったって言うんじゃないだろうな」

 今回の仕事にハデスが指名された時、仕事先が日本ならまず引き受けることはないだろうと男は思っていた。

 男がハデスと知り合ってその仕事の仲介をするようになって十年になるが、彼はアジアでの仕事は絶対に引き受けなかったのだ。

 特に、日本は鬼門だと言わんばかりに嫌っていた。

 その理由を男はまだ知らないが、ハデスが日本人であり、昔なんらかの事情で故国を捨てたらしいことはわかっていた。

 それが、今回は意外なことにあっさり引き受けたのだ。

 絶対に断られると確信していた仲介の男は、OKされたことにしばらく気がつかないほどだった。

 いったいどういう心境の変化だったのか。

 もとから気まぐれな奴だが、それでも日本という名を聞くのでさえ嫌悪していたのに。

「興味はなくしてねえよ」

 なくすわけはねえ、とハデスはふふんと鼻で笑う。

「おまえでも怪盗キッドは興味深い相手なのか」

 そりゃもう、とハデスは大仰に肩をすくめて笑った。

「俺が仕事をしくじった唯一の相手だからな」

「おまえが?」

 男は初めて聞く話に目を瞬かせる。

「もう十年になるかな。おまえと知り合う少し前だ」

 もっとも、その頃俺はおまえも知ってる通り、フランスでジャッカルの後にくっついてる十五のガキだったが。

「十五でもおまえは、もうジャッカルを超えるスゴ腕だったぞ」

 初めてジャッカルを介して会ったハデスは、天使の顔をしながら本性は悪魔そのものだった。

 長年、依頼人と殺し屋の仲介をしてきた彼でさえ身がすくんだくらいだ。

「だが、まだ依頼を受けての殺しはさせてもらってなかった。怪盗キッドが、俺の最初の標的だったんだよ」

 ハデスは胸ポケットから出したタバコの箱から一本出すと口にくわえライターで火をつけた。

「初耳だな」

「もともとはジャッカルが受けた依頼だった。それが、出来なくなっちまって俺が代わりにやることにしたんだ」

 ああ・・と男は思い出した。

 ジャッカルは彼の標的が雇った殺し屋に返り討ちにあったのだ。

 あまりないことだが、時に依頼人と標的が共に裏組織の人間である場合に起こる。

 標的は、雇った殺し屋に自分を殺そうとする相手の殺害を依頼する。

 その場合は、その標的となる殺し屋が誰であるかをハッキリさせなくてはならない。

 標的に雇われた男は、相手がジャッカルだと知ると二つ返事で引き受けたという。

 余程の自信があったのか。

 ジャッカル自身もそれが誰であるか知っていたようだが、最後まで言わなかった。

 プロである彼のプライドだったのだろう。

 これまで見たことがないほどの緊張感を漂わせ、そして楽しそうだったと再会したハデスから聞いた。

「ジャッカルが死んだ時点でその依頼は無効になったのではないか」

「ああ。でもな・・・俺はやりたかったんだよ。ジャッカルが死んで果たせなかった依頼は二つ。一つはジャッカルが死んだきっかけとなった依頼だが、そいつは部下に裏切られて殺された。となれば、俺が殺るのは怪盗キッドしかねえだろ?」

「・・・・・」

「だが、奴に傷を負わせたものの俺は殺せなかった。この俺が本気でやったというのに、かすり傷しか負わすことができず逃げられちまったんだ。最初の仕事が黒星だったなんて情けねえ話だよな」

「相手は泥棒だ。危険を回避し逃げるのはプロ中のプロ。腕は良くても、当時子供のおまえにはまだムリだったんだろう。だが、今のおまえなら殺れる」

 勿論さ、とハデスは煙草をくわえたままニッと笑う。

「ま、キッドのことはまかせてくれたらいい。で?そっちはどうなんだ?」

「え?」

「ミステリアスブルーだ」

「ああ・・まだ見つからない。あの少女が違うとなれば、また一から調べ直しだ」

 だが、ここ最近情報がひどく混乱しまくっていて確かな情報が入りにくくなっている。

「ミステリアスブルーには、守護宝石と呼ばれるガードがついてんだってな」

 ああ、と男が頷くとハデスはくくく、と喉を鳴らして笑った。

「まるでゲームだよな」

 俺の大好きな。

「手を貸してくれるか、ハデス?」

「やなこった。人探しは俺の仕事じゃねえ」

 第一、永遠なんて俺には興味ねえんだよ。

 興味があるとしたら、それは・・・・・

 ハデスの脳裏に、あの日偶然に出会った蒼い瞳の少年の顔が思い浮かぶ。

 月の光で蒼く神秘的に輝く瞳を持った、まるで宝石のような少年だった。

 こいつの言ってた通りなら、あの少年こそが”ミステリアスブルー”だ。

 どこで女だってことになったのかは知らないがな。

 ハデスは怪訝な顔をする男の前で、フフと楽しげな笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 学校帰り、育ち盛りの健康な高校生たちは家までもたない空腹をちょっぴり満足させるためにバーガー屋に立ち寄る。

 だいたい週の半分はそこでハンバーガーを頬張り、わいわいと喋りあうのが習慣になっていた。

 寄り道せずにまっすぐ家に帰りなさい、など小学生じゃあるまいに。

 高校生ともなれば、校則の半分は破るためにあるようなものである。

 ちなみに、バイト禁止など今の高校生には通用しない。

 彼らに言わせると、小遣いだけでは足りないから自己調達して何が悪いという所だろう。

 まあ、親は教育費だけでも大変なのに、小遣いを増やすなどとんでもないという状況でもあるし。

 子供がバイトで補ってくれるなら、犯罪まがいのことをしない限り親も校則など無視が大半だ。

 教師自体も見て見ぬ振りをしているのだから、結局の所校則など建前にすぎない代物と言っていいだろう。

 そもそも、何人の高校生が自分の通う学校の規則を覚えているかは、はなはだ疑問なところだ。

 その日も黒羽快斗は、3人の悪友と一緒に駅前のバーガー屋へ入りダベっていた。

 そろそろ受験のことも考えなくてはならない時期になっていたが、中学の頃から妙に気があってツルんでいたこの4人は皆成績がよくて、学年20位から下になったことがないという秀才ぞろいだった。

 しかも、ガリ勉タイプではなく、いつ勉強してるんだと呆れるくらい遊んでる連中である。

 ついでに言えば、4人とも顔立ちは悪くない。

 が、高校に入ってから学年首位の座を誰にも譲らず、飛びぬけて目をひく綺麗な顔をしている快斗はもはや別格の存在である。

 スポーツもほぼ万能で、マジックもできるとなれば妬みもうまれる筈だが、快斗は人当たりのよい、誰にでも好感を持たれる性格でその点はクリアしていた。

 彼らの話題は、好きな芸能人のことや、新しく買ったCDのこと、つきあってる彼女の話をする者もいれば、フラれたとグチる者もいる。

 つまりは、ごく一般の高校生の話題に終始するわけだが、ふと一人の少年が近所のコンビニであったことを話し出した。

「その暴走族って、アレだろ?メンバーみんな赤いバンダナを腕に巻いてる奴ら。オレの近所の大学生がそのコンビニ前で絡まれてバイト代全部取られたって言ってたぜ」

「そうそう。オレの親父も帰りが遅くなった時出くわして慌てて逃げたって言ってたもんな」

「いくら大人でも、あいつら相手にしたら病院送りだもんな」

「それをさあ、一瞬でぶちのめした奴がいるんだと。もう、スゲエ噂になってんだぜ」

 へえ〜と他の3人は初めて聞いたその話に目を丸くした。

 情報通の快斗も初耳だった。

 その暴走族のことは知っていたが、自分の身近にいる人間が被害にあわない限りはあえてかかわりを持ちたいと思うような連中ではなかったし。

 もし、新一や青子が絡まれたなら、快斗も相応な対応をさせてもらうつもりだが。

「奴って・・・相手は一人だったのか?」

「そうらしいぜ。まだ若い男だったって。二十代前半だって話かな。もうむちゃくちゃ強くて、そいつら束になって掛かっても傷一つ負わせられなかったってさ」

 逆に暴走族の方が立ち上がれないほどのダメージを負った。

「面白いのはさあ、一人だけ出遅れて無事だった奴にコンビニで買ったパンと牛乳を渡して”さっさとお家に帰ってベッドに入りな”と言って立ち去ったっていうんだ」

 彼らはワッ!と声を上げた。

「なんだ、それ!スゲエ恰好いいじゃん!」

「ホントにいるんだな。そんなドラマのヒーローみたいな奴」

「男なら一度はそんな真似をやってみたいよな」

「今からでも空手習うか?」

「寒中稽古とか苦手だからパス」

「そんなんじゃ、一生縁ないよな」

 無敵のヒーロー。

「ヒーローといえばさ、また怪盗キッドが出るんだって?」

 人を幽霊みたいに・・・と友人の言葉に快斗が苦笑を漏らす。

「ああ新聞に載ってたよな」

「ってか、中森見てたらすぐにわかるじゃん」

「そうそう。とにかく怪盗キッドのことを目の仇にしてるもんな」

 いや、親の仇か?父親はキッド担当の中森警部だし。

「そんで毎度毎度、朝は夫婦喧嘩だものな」

 なあ快斗?

「誰が夫婦喧嘩だ。あれは、青子の奴が一方的に突っかかってくるだけだろうが」

「でも、おまえキッドファンなんだろ」

「おまえら見てるとさ、アレだよアレ。結婚したらなんと熱狂的な巨人ファンと阪神ファンだったってえ悲惨な夫婦の図」

「なんだ、そりゃ?」

「前にテレビで見たんだけどさ。スゲエんだぜ。巨人X阪神戦をテレビで観戦する夫婦のエキサイティングな会話がさ」

 エキサイティングな会話だあ??

「それが面白れえことに、勝った方が実家に帰っちまうんだ」

「負けた方じゃなく?」

「負けた方がさ、おまえなんか出てけー!ってなっちまうんだと」

 それがさあ、と彼はケラケラと声を上げて笑った。

「女の方の実家は一駅んとこにあるからいいんだけど、男の方がさ、札幌なんだぜv」

 東京在住のそいつ、阪神が負けるたびに札幌に帰るんだと!

「・・・半端な交通費じゃねえな」

「翌日仕事があるしな。新幹線でトンボ帰りだぜ」

「そのだんな、阪神ファンだったら良かったのに」

 四人の高校生はドッと笑った。

「でもさ、なんでそのだんな、律儀に実家に帰るわけ?交通費出すよりビジネスホテルに泊まる方が安上がりじゃねえ?」

「そりゃあ、奥さんが実家に帰るのに、自分が帰らないわけにはいかないってんじゃねえの?」

 男の意地だよ男の。

 ・・・・・アホくさ〜〜

 

 

 風邪気味のせいか、新一は朝になってもだるい身体をもてあましベッドから離れられなかった。

 電話をかければ快斗でもフォックスでもすぐに来てくれるだろうが、それすらも面倒で新一は昼過ぎまで布団の中に潜り込んでいた。

 食欲もないし、カーテンを閉め切った部屋は薄暗く、このまま夜まで寝ててもいいかと新一が思ったその時サイドボードに置いていた携帯電話が鳴った。

 いつもなら無視する所だが、新一はすぐに手を伸ばし携帯を取った。

 今日、電話をかけてくる相手に心当たりがあったからだが。

 見ると、新一が連絡を待っていた相手からだった。

「もしもし?白馬か」

『遅くなってすみません、工藤くん。ようやくデーターを集められたのでこれからそちらのパソコンに送ります』

「わりぃな、白馬。面倒なことを頼んじまって」

『いえ。僕もずっと気になっていたことですから。今夜・・・ですか、予告日は』

「ああ。おまえは、まだロンドンか」

『ええ・・・今週一杯はどうも日本に戻れそうにありません』

「戻ったら、また聞かせろよ、事件の概要」

 勿論、と答えてから白馬は黙った。

「白馬?」

『あの・・・黒羽くんは元気ですか?』

 新一はちょっと瞳を瞬かす。

「元気一杯だぜ。もっとも、ここ数日会ってねえけど」

『会ってないんですか?』

「なんだ?なんか伝言あるなら伝えてやるぜ?」

『あ、いえ・・・別にいいです。ただ、気をつけるように言ってください』

 相手はこれまで彼を狙ってきた殺し屋とは桁が違うのだから。

 冥府の王の名を持つ、最強のスナイパー。

 彼がしくじった仕事は、ただの一つもない。

 白馬からの電話を切ると、新一はベッドから起き上がりパジャマの上からガウンを羽織ると部屋を出て行った。

 昨夜は早めにベッドに入り、睡眠も十分にとったというのにまるで寝不足のように頭がハッキリしない。

 これも風邪のせいかと、新一は忌々しげに舌打ちしながら豆をひいてコーヒーメーカーのスイッチを押した。

 熱いコーヒーをカップに入れて新一はまた自分の部屋に戻った。

 今度はベッドに戻らず、パソコンの前に座り電源を入れた。

「これか」

 新一は白馬がロンドンから送ってくれたある男のデーターを開いて見た。

 暗号名”ハデス”

 その名が初めて出てきたのは、今から八年前。

 場所はイタリアの港町。

 犠牲者は仕事でイアリアを訪れていたアメリカの実業家だった。

 走行中の車を狙われ、運転手共々崖から海へ転落した。

 最初はただの事故だと思われていたが、数日後見つかった遺体の眉間には銃で撃ち抜かれた痕があった。

 殺しを依頼した男が逮捕されたのはそれから半年後。

 その男の自白から初めて”ハデス”の名前が出てきた。

 そして、当時既に一流の殺し屋として名前が知られていたアッシュにつぐ腕を持つ者として”ハデス”の名はたちまち広まったのだった。

 最もその名を知られることになった事件は、二年前フランクフルトで起こった銀行強盗事件だった。

 職員と客を人質にして立てこもった三人の犯人が、警官が踏み込んだときには既に撃ち殺された後だったという。

 最初は特殊部隊が犯人を射殺したと思われていたが、後日それが依頼を受けた”ハデス”の仕事であることが判明した。

 まわりは警官に囲まれ、マスコミの目もあった中、どうやって銀行内にいた犯人を殺したのか。

 最初は人質の中に”ハデス”がいた可能性が考えられたが、結局は特定できなかった。

 防犯カメラにも”ハデス”らしい人物は映っておらず、まさしく幽霊のようにその場に現れ消えていったとしか思えなかった。

 ハデス自身についての情報はかなりあやふやだ。

 それは、あのアッシュにも言えることかも知れないが。

 依頼人が直接彼らと顔を合わせないためかもしれない。

 彼らは特定の仲介人を持ち、その人物が依頼を受け彼らに伝えるというシステムらしい。

 仲介人がどこの誰であるかがわかれば、アッシュやハデスのことがわかるかもしれないのだが。

 さすがにその仲介人も只者ではなく、絶対に尻尾を掴ませない。

 ただ、アッシュは北欧系の、ハデスはアジア系の血を引いているらしいという情報がある。

 とにかく、奴らの標的にされれば、まさしく死神に狙われたも同然だという強敵だ。

 新一は白馬が集めた”ハデス”の犯罪記録全てに目を通し、そこから彼が標的を狙うパターンを調べ始めた。

 

 

 天空には金色の月が輝き、空に突き出す高層ビル群はあたかもグランドキャニオンを連想させ、なかなかに圧巻だった。

 十五年もたてば変わるもんだと、ビルの屋上から高層ビルを眺めていた男がクスリと笑いを漏らす。

 男は持っていた黒いケースの中から分解されたライフルを出し組み立て始めた。

 月の明かりで視界は良好。

 しかも、この位置は標的からは死角になっていて、万に一つも気づかれて避けられることはない。

 一発でしとめてやるから感謝しろよ、怪盗キッド。

 痛みを感じることなく、苦しみさえなくあの世に送ってやるから。

 男はバラードを口ずさみながらライフルを組み立てると軽く構えた。

「さあて、ショーの始まりだ」

 男はニヤリと口端を上げた。

 

 ライトの光が空に向けられる。

 その明かりは、盗みを華麗なショーへと変える怪盗にとっては、まさにスポットライトのようであった。

キッドを捕まえろ〜〜!

 中森警部の拡声器からの号令が警備の警官に伝わり、波のごとく警官たちの動きが現場から外へと広がっていった。

 数機の警察ヘリが、逃亡する怪盗の姿を追う。

 だが、彼らはあれほど目立つ白い怪盗の姿をその目に捉えることはできなかった。

 既にその頃には、怪盗キッドは警備網から抜けて安全な中継地点にまでたどり着いていた。

 まさしく月下の奇術師の名の通り、金色の月をバックに純白の白い鳥がビルの屋上へと舞い降りていく姿を狙撃者の目が捕らえた。

 幻想的なその光景は、十年前に見た光景となんら変わらない。

 まるで、十年前のあの夜に戻ったような感じだ。

 あの日はしくじったが、今度は失敗しない。

 ハデスは覗いたスコープの向こうに見えるキッドを見つめた。

 と、トリガーを引く寸前にハデスの顔を掠めるように銃弾が飛んできた。

 実際は本能的に危険を察知し避けた結果であり、気づかなければ頭を撃ち抜かれていた。

なっ・・!

 誰だ!?

 ハデスは構えていたライフルの銃口を、銃弾が飛んできたと思える方向へ素早く向けた。

 彼の仕事を寸前に邪魔をした人間の顔を捉えた途端、ハデスの目が大きく見開かれる。

 長身で銀髪、そして明らかに見られていることに気づいていて鼻で笑っている男の灰色の瞳に、ハデスは眉間に深い皺を寄せた。

(あいつは・・・何故あの男が俺の邪魔をする!?)

 どうやら、ハデスに向けて2発めを撃つ気は今の所なさそうだが。

 しかし彼が反撃しようものなら、今度は遠慮なく撃ってくるだろう。

 もっとも、最初の一発も遠慮なく殺すつもりで撃ってきたものだ。

(俺じゃなきゃ、今頃は死体になって転がっていたか)

 それにしても、どういうつもりだ、あの野郎?

 まさか、キッドのボディガードってわけじゃないだろう。

 あの男がプライドを捻じ曲げてそんな真似をする筈はない。

 と、今度は音高く屋上の扉が外に向けて開かれた。

 ほおう?

 ハデスは扉を開けて現れた少年にまたも瞳を瞠った。

 今夜はどうやら自分にとっては意外な人物と出会うことになっていたようだ。

(仕事を邪魔され、現場を見つけられるなんて・・・・今夜は厄日か)

 ヤキが回ったとまでは思わない。

 一人はとりあえず自分も腕を認めている狙撃者で、もう一人は神秘の宝石だ。

 よお、とハデスが笑って見せるが、新一は険しい表情で黙ったままだ。

 階段を駆け上ってきたのか、息が荒い。

 新一の視線は、目の前に立つ男が手にしているライフルに注がれている。

 その視線が揺れたのは、男の背後にビルの屋上から舞い上がる白い姿を見た時だった。

 無事だったことをその瞳で確かめた新一は、ホッと胸を撫で下ろした。

 途端に、ガクリと膝から力が抜け倒れかかるが、ハデスが手を伸ばして受け止めた。

「おっと。大丈夫か?」

(日本語・・・)

 男の口から出たのは流暢な日本語だった。

 この男が”ハデス”なのか?どう見ても日本人だ。

 しかも、考えていた以上に若い。

 二十代前半か。

 違うのか?この男はあの”ハデス”ではないのか? 

 しかし、キッドを狙っていたのは間違えようのないことだ。

 新一は自分を支えている男を改めて確かめる。

 ジンのような服装ではないが、上から下まで黒ずくめ・・・やはり組織の人間?

 ハデスはじっと自分を見つめる少年に、フッと軽く笑みを浮かべた。

「今日は眼鏡をしてるんだな」

 月があるというのに、少年の瞳は以前見たように蒼くは光らなかった。

 この眼鏡のせいか?

 ハデスの指が眼鏡にかかろうとすると、新一は咄嗟に避けるように顔をそむけた。 

 するとハデスは、それ以上手をださなかった。

 ムリに眼鏡を外すつもりはないようだ。

「頭の怪我はもういいのか」

「・・・・!」

 新一は間近にある男の顔を驚愕の表情で見つめた。

「おまえ・・・・あの時の奴か!」

 森の中、組織の人間に殴られた自分を銃口から助けてくれた人間。

 それじゃ、この男は組織の人間ではない?

 だが、敵でないとは言えない。

 この男は怪盗キッドを狙っていたのだから。

 新一がハデスに関するデーターから狙撃現場を予想したビルは三箇所。

 最初に向かった所はハズレだったが、二度目に選んだこの場所にこの男がいたということは。

「おまえ・・・ハデスか?」

 正解vと目の前の若い男が楽しげに口端を上げる。

「・・・・・・・・」

 あのアッシュとはかなりタイプは違うものの、身に伝わる威圧感はやはり似たものだ。

「何故・・あの時オレを助けた?何か目的があったのか?」

 オレが・・・ミステリアスブルーだとわかったから。

 あの夜、殴られてコンタクトが外れ瞳を見られた。

 結局コンタクトは失ったままだが、予備があったので不自由はない。

 だが、体調が思わしくない時にそのコンタクトを使うと気分が悪くなるので、そういう時のために同じ機能を持つ眼鏡も用意してもらったのだが。

 今かけているのがそうなのだが、コンタクトほど完全に光を遮断できないので間近に覗き込まれればすぐにバレる。

「理由を知りたいのか?」

 知りたい、と新一が即答するとハデスはフッと笑い、黒の皮手袋をはめた指でかけている眼鏡を外した。

 今度は新一は抵抗しなかった。どうせバレている。

 新一の瞳が月の光を受けて神秘的な蒼い光を放つ。

 ハデスはその瞳を見つめ、そっと新一の黒髪に唇を押し当てた。

「おまえが、俺の同族だからだよ」

 

 

 

 少年はベッドの上で華奢な白い裸体をさらしながら、隣で身体を起こし煙草に火をつける男を眺めた。

 引き締まった強靭な筋肉に覆われた、完成された大人の身体。

 プロレスラー相手でも力負けしない自信はあるが、この男には勝てないという確信があった。

 実際に試してみたことはないが、おそらくあのフォックスと同等かそれ以上の力があるだろう。

 握力はきっと化け物並みだ。

 自分もたいがい言われてきているが、上には上がいるということだろう。

 もっとも、少年の細い体にそれほどの力が秘められていること自体が驚異であったが。

 快斗は煙草をくゆらせる世界最高峰の位置に立つスナイパーの整った顔を、仰向けで枕を抱えた姿勢でじっと見つめた。

 狙われれば、まず助かる者はないという殺し屋。

 その殺し屋とこうしてベッドを共にしているのが自分だということに、どうも現実感が湧かない。

 自分は表の世界では普通の高校生だ。

 学校に行って、教科書広げて退屈な授業を毎日受け、幼馴染の少女とじゃれあい、学校帰りにハンバーガーやポテトを食べながら悪友たちとバカ話をする。

 ああ、オレってホントに普通の生活してんじゃん。

 だが、月が天空に輝く夜には純白の衣装を纏い、警備網を掻い潜って都会の空を舞う。

 自分にとって、現実感のないのはいったいどっちの方だろう・・・・

「ハデスがいた?」

 アッシュが少年の方に灰色の瞳を向けた。

「ほお?知ってたか」

「知ってたよ。ハデスが怪盗キッドを殺すために日本に来たってことをね」

 そうか・・と快斗は口の中で呟く。

 ついにハデスが姿を見せたんだ。キッドを殺すために。

「殺したの?」

「いや・・・殺すつもりだったが気づかれて避けられた」

 快斗は瞳を大きく見開いて瞬かせる。

「へえ〜避けたんだ。さすがにあんたと並ぶ殺し屋だと噂されるだけあるね」

 まあ確かに、インターポールから得た情報でもハデスは他の犯罪者とは一線を画していたが。

 それでも、本気のアッシュの銃弾をかわすとは信じられない。

(恐るべき敵・・・・)

「そういえば、ハデスと一緒にあいつがいたな」

「あいつ?」

 快斗は誰のことかわからず首を傾げた。

「奴の狙撃を止めようとしたのか、そいつは後から現れた」

「・・・・・・・・・」

 快斗の表情がかわり、徐々に血の気が引いていくのがわかった。

「誰・・・・?」

 不安で声がかすれる。

「もう一人のキッドだ。月の光で瞳が蒼く光る・・・・・」

 最後まで聞くことなく快斗はベッドから跳ね起きた。

 だが、最初からそのことは予測していたのかアッシュは起き上がった快斗の肩を掴んでベッドに引き戻した。

「まだ終わってないぞ、キッド」

「離せ!今度埋め合わせするから離してくれ!!」

 悲鳴のように叫ぶ少年の両手を、ハデスはシーツの上に押さえ込む。

 この年頃の少年にしては信じられない怪力だが、アッシュの力は軽く少年を上回っていた。

 押さえ込まれた身体はもう僅かも動かない。

 逃げられない。

「それほど大事な存在か?あの蒼い宝石が」

 狂ったように暴れる少年の両手首を左手一本で頭上に押さえ込むと、アッシュは右手で少年の細い足を抱え、既に何度か受け入れていた場所に己れを突き入れた。

 快斗の口から初めて悲鳴があがる。

 いつもはどんなきつい行為にも声をおさえる快斗が、初めてこらえることなく嬌声を放った。

 それまでに快感を受けていた身は、おさえがなくなるともう耐えるすべはなかった。

「嫌!嫌だあぁぁーー!!」

 新一!

 新一ぃぃぃぃーーっ!!

 

 

 

NEXT BACK 

BACK