何故白い手が見えるなどと思ったのだろう?

 写真には、そんなものはどこにも写っていないというのに。

 ふ〜ん、と快斗は鼻を鳴らすと、目の前の写真を見つめながら、どこに?とコナンに訊いた。

 写真には手など写っていない。

 コナンだって、それが見えるわけではない。

 だが、その洋館の写真を見た時、確かにそれは自分の記憶の中の何かと一致したのだ。

 快斗の腕に抱かれたままコナンは、ゆっくりとある一点をその小さな指で差し示した。

 二階右端の窓。

「なに?その写真に何かあるの?」

 近寄ってきた蘭が、腰を屈めて覗き込んできたので、コナンはびっくりして手を引っ込める。すると、快斗はクスクスとおかしそうに笑った。

 この野郎・・とコナンは自分に似たその顔を睨み付ける。

「コナンくんがさあ、ここの窓から人の手が出てるって言うんだよな」

 こんな風に、と快斗がまるで幽霊のように誰かを招く手のポーズをとると、蘭は真っ青になった。

「やだ!ホントにそんなのが見えるのコナンくん!?」

「オレにはそないなもん見えへんけどなあ」

 いつのまにか平次も覗き込んでいた。

「あ、違うよ蘭ねえちゃん!ここに写ってる家、なんか幽霊屋敷みたいだから、手なんか出てたらコワイねって言っただけなんだ」

「ほうかあ?どっちかといえば、工藤ん家の方が幽霊屋敷みたいやで」

 わ〜るかったな、とコナンは無神経な関西人の顔をジト目で睨む。

「これってどこなんや?やっぱり礼子さんのお祖父さんが建てたもんなんか?」

 どことなく造りがこの蒼の館に似た印象がある。

 もっとも写真の建物は、お城というよりはヨーロッパの田舎町にありそうな古風なレンガの家という感じだが。

「さあ?わたしもこの写真の洋館のことは何も・・祖父が建てたものらしいことは確かなんですけど。兄なら知ってるんでしょうが」

「お兄さんって、礼司さん?」

 コナンが訊くと、礼子はええとうなずいた。

「この写真は兄が撮ったものなのよ」

 コナンと平次は礼子の言葉に互いの顔を見合わせた。

「三雲のひいお祖母さんの暗号を解いたんはその礼司さんやったな。もしかして残ってた日記にはもっと別の暗号が隠されとったんやないか?」

「本物の“神秘の蒼”の行方が書かれてあったってことか!」

 彼等の会話を聞いていた羽瀬が思わず勢い込む。

「いや、そうとは言われへんけど・・・日記は今どこにあるのや?」

「多分まだ三雲の屋敷にあるんじゃないかと。兄が持って出ていなければ、ですが」

「もしまだあれば、その日記を見せてもらえますか?」

「ええ、いいですよ」

 礼子は羽瀬に向けてうなずく。

「だったらオレも一緒に見せてもらってもええか?」

「・・・・・・」

「おまえはいいの?暗号大好きなんだろ?」

 てっきり自分もと言い出すかと思っていたのに黙っているので、快斗が不思議そうに子供の耳元で囁くように問うと、コナンは不快そうに顔をしかめた。

 まだ快斗はコナンを腕に抱いたままだ。

 コナンが降ろせと言わない限りずっと抱いてるつもりらしい。

 チョイチョイ、とコナンの指が動いたのを見て快斗が耳を寄せると、いきなりわっ!

と大声で叫ばれ思わず手が緩んだ。

 離されたコナンがトンと身軽に床に足をつけると、しっかり蘭がにらんでいた。

 コナンくん!

 捕まえようとする蘭の手をすり抜け、コナンはダッとばかりに階段の方へと走っていく。

「もう!イタズラッ子なんだから!」

 ごめんね、黒羽くん!

 蘭は、ジンジンしている耳をおさえて顔をしかめる彼に謝ると、すぐにコナンの後を追っていった。

「なんや?ガキみたいなことしよって。おまえ、あいつになに言うたんや?」

 ガキみたいな・・・ね。

 快斗は苦笑する。

 あんなイタズラは見かけ通りの子供であれば当然のこと。

 だが、高校生なら“ガキみたいなこと”になってしまうのだ。

 あの子供の真実の姿を知っている西の探偵。

 だが、そのことが障害になることは今の所ない。

「なにって・・好奇心旺盛なお子様みたいだったからさあ、おまえは見たくないのって聞いただけだけど?」

「それでアレなんか?」

「他には何も言ってないよ」

 快斗が肩をすくめて言うと、平次はフン?と首を傾げコナンが消えた方に目を向けた。

「・・・・やっぱ、なんかあんのやろか」

 平次の呟きに快斗が、なんかって?と問う。

「あ、こっちのことや。それより、オレらももう上がろうかァ」

「そうですね」

 礼子が頷くと、羽瀬もとりあえず納得したのか高校生二人に続いて階段を上っていった。

 最後に出た礼子が、コレクションルームの扉に鍵をかけた。

 

 

 ジャックスのミニライブは思ったより盛り上がった。

 園子は当然熱狂したし、蘭も嬉しそうに歓声を上げていた。

 見かけはロック風であるが、昔懐かしいフォークっぽい歌もあって、小五郎もまんざらではない顔で聞いていた。

 やたら喧しいだけの音楽なら即出ていったろうが。

「そういやジャックスの一人・・この間まで探偵役で連ドラに出とったんやなかったかな」

 平次がふと思い出したように言うと、快斗がそうそうとうなずいた。

「オレも時々見てたぜv工藤新一とはタイプの違う砕けた感じの高校生探偵でさあ。同級生に初恋の君がいて頭があがんねえんだよなあ。で、熱血漢の警部と意見があわずにいっつも漫才みたいなやりとりしてさ。あれ、結構視聴率あったみたいだぜ」

 おまえも見てた?と快斗が顔を向けた先には、むっつりと不機嫌そうなコナンの顔があった。

「・・・・見てねえよ。蘭に9時就寝を言われてっからな」

「ああ、そりゃ小学一年じゃしょうがないか。自然におねむになっちまうもんなあ」

 そうクスクス笑う少年に、コナンの不機嫌度はさらに悪化した。

・・・・・ヤロ〜〜知ってるくせに、好きなこと言いやがってぇ〜!

「・・・・なんで知ってんだ?」

 ん?と唐突な質問に快斗が瞳を瞬かせる。

「なに?」

「手、だよ。なんで招く形なんだよ?」

 コナンが訊くと快斗は軽く首をすくめた。

「だって、窓から出ている手といったら、当然外にいた人間を呼んでるって思うじゃん。そうなると、やっぱりあの形だろ?」

 なあ?と快斗が隣の席に座る平次に同意を求める。

「そやな。けど、オレが最初に浮かんだんは窓から助けを求める女の手やったけど」

 快斗は、アレ?というように瞳を瞬かせる。

「へえ〜ロマンチックじゃん。それって、塔に閉じこめられたお姫さまの発想ってわけ?」

「そんなんやない。あくまで助けを求める手や」

「つまり事件性のある?探偵みたいなことを言うんだな」

「あら。服部くんは本当に探偵なのよ」

 彼等が交わす会話を耳にした蘭が、平次が関西で活躍している高校生探偵なのだと言うと、快斗はちょっとびっくりしたように目を丸くしてみせた。

 知らないはず等ないのに、すっとぼける快斗を見てコナンは乾いた笑いを漏らす。

 と、その時ドオンッ!と何かが爆発したような音が響いたかと思うと、突然館がガタガタと揺れだした。

「やだ何!地震!?」

 女子高生の二人がびっくりして椅子から腰を浮かす。

 揺れはすぐにおさまった。

 これは・・・!

「あ、ちょー待てや!」

 揺れが収まってすぐに駆け出したコナンを平次は止めようとしたが、素直に聞くような奴ではなかった。

 しゃーないな、と平次は頭をかくと、コナンが飛び出したことに気づいて後を追おうとした蘭を引き留める。

「オレが行くから。ここで待っとって」

「こら待て!おまえもここにいろ!」

 小五郎がむんずと平次の襟首を掴んだ。

「皆さんはここでじっとしていて下さい!くれぐれも不用意に外へ出ないように!」

 そう念押しして中森警部は小五郎と共に外へ飛び出していった。

「で?言われた通りおとなしく残ってるわけ?」

 んなわけあらへんやろ?と平次がニッと笑うと、快斗もそうだよなあ、と笑い返した。

「実はオレも好奇心旺盛なお子様(キッド)でさあv」

「あ、オレも行く!」

 ジャックスの一人である美山光もすぐに彼等のあとを追いかけていった。

 あ〜あ、と溜息をついたのは相棒である佐久間聖児だ。

「あいつさあ、例の連ドラから探偵づいちゃってね。放っときゃいいのに、すぐに首を突っ込むようになったんだよな」

「あ、そのドラマわたしも見てました!佐久間さんもゲストで出てましたよね!」

「うん。転校生役でね」

 聖児がニコリと笑うと園子は真っ赤になった。

「反応の早い子だね」

 独り言のように呟かれたセリフに蘭が松永を振り返る。

 すぐにコナンのことを言ってるのだとわかって苦笑する。

「ほんとに・・・・お父さんと一緒にいて事件にかかわることが多いもんだから」

「そうよねえ。なんかあると、真っ先に飛んでっちゃうんだから、あのガキんちょ」

 園子の言うガキんちょは、館の外に出てすぐに小五郎にとっ捕まった。

「まったく、世話のやけるガキだ!」

 ゴチンといつものゲンコツを頭にくらったコナンの小さな身体は、後を追ってきた少年たちの手に押しつけられる。

「中でおとなしくしてろと言っただろうが!」

 中森の怒鳴り声が飛ぶが、3人の高校生は素知らぬ顔だ。

「そない怒らんと。邪魔したりせえへんから」

 ヘラヘラした関西弁が、その場の険悪な空気を緩和する。

 当たり前だ!と中森は怒鳴るが、すぐに戻れとは言わない。

 状況は、そんなことに構っていられないほど緊迫したものだったのだ。

「いいか!絶対にそこを動くんじゃないぞ!」

 ビシッと指を差して無謀な高校生組に言い渡した小五郎は、中森と一緒に現場へと向かった。

 彼等がいる位置からでも状況はハッキリ見えていた。

「橋が落ちたんか・・・・」

 昼間彼等が渡ってきた石作りの橋の真ん中が、月明かりで見る限り綺麗になくなっていたのだ。

 自然に落ちたものではない。

 どう見ても人為的に破壊されたものだ。

「おめーの仕業かよ・・・?」

 小五郎に放り投げられたコナンの身体をしっかり受け止めていた快斗が、さあねと曖昧に笑う。

 コナンは快斗の顔を一度ジロッと睨んでから、フンと鼻を鳴らして再び前を向いた。

 やれやれ、と快斗は苦笑する。

 この小さな頭の中で、オレの返事をどう受け止めたのやら。

誰だ!

 突然、月明かりだけの暗い闇の中で中森の大きな声が響いた。

「なんや?どないしたんや!」

 言いつけなど既に無視。

 彼等はしっかり大人たちのいる方へと走っていく。

「こらあ!動くなと言っただろうがあ!おまえら、人の言うことがきけんのか!」

「あれえ?吉沢さんじゃない?」

 当然というか、小五郎の言葉はしっかり素通りし、美山光の間延びした声だけが響く。

「光くん・・・」

 小五郎と中森の前で腰が抜けたようにしゃがみこんでいる男が、情けなさそうに顔をクシャリと歪めた。

「この男を知ってんのか、おまえ?」

「オレたちのマネージャー。仕事の打ち合わせがあって遅れてくることになってたんだけど」

 どしたの?と光は暢気に吉沢に尋ねた。

「どうしたもこうしたも・・・橋を渡ってたらいきなり後ろで大きな音がして・・・見ると橋がどんどん崩れてくるし、乗ってた車が落ちそうになったんで慌てて外に飛び出したんだ」

 そうしたら・・・と吉沢はしゃがんだまま後ろを振り返った。

「あ〜らら・・車おっこっちゃったのかあ」

 まあ、どうせ事務所の車だからと言う光のセリフは、当たり前だが大人たちの顔をしかめさせた。

 今にも近頃の若いもんはと呟きそうな表情だ。

「怪我はありませんか」

「はあ・・・まあ・・・ちょっと擦りむいたくらいです」

 吉沢は中森の手を借りて立ち上がる。

 しかし、まだショックが抜けないのか膝が震えている。

「いったい何が起こったのやら・・・」

「どうやら橋の中央部分の橋桁に爆弾しかけて吹っ飛ばしたみたいやな」

 えっ・・えーッ!

 吉沢は驚きの声を上げる。

「なんでそんなことを!」

「オレらをこっから出さないためか」

 それとも、何かを起こすためのデモンストレーションか。

「何っ?もしかして、この橋がなかったら帰れないってわけ?」

 光がそう言って首を傾げると平次は、どうやったかなと頭の中で地図を広げてみた。

「橋がなくったって帰る方法はあるさ。ただし車は使えねえから歩きになるけどな」

 え・・・?と目を瞬かせ、その声の主をまじまじと見下ろしたのは光と吉沢の二人だった。

 残りの人間は、子供らしくないコナンの口調に慣れているからか、たいして驚かない。

「とにかく、明るくならんとどうしようもないな。いったん館に戻ろう」

 今度は中森の言葉に皆がうなずく。

「・・・おまえさあ」

 ふと何かを問いかけるように快斗の方を振り向いたコナンの身体が、ヒョイと浮き上がる。

 え・・?

「あ、やっぱりハナと抱き心地が似てるぅvなあ、、コナンくんってったっけ。今夜オレと一緒に寝ない?」

 イッ・・?

「大きさや身体の重さなんかがオレんちのハナとおんなじなんだよね」

 いつも抱いて寝てるんで、一人だと寂しくってさあ。

(一人じゃ寂しいだあ?いい年しやがって、何言ってやがる!)

「あ、あのさあ。ハナって?」

「オレんちで飼ってる犬。目が大きくて可愛いんだぜ」

 ハ・・・オレは犬かよ?

 結局コナンは不本意ながらも、そのまま光に抱かれたまま館に戻ることになった。

 フム、と何か考え込むように瞳を細めた快斗の肩を平次が叩く。

「なんやおかしな方向にいきそうやけど、おまえ平気か?」

「え?ああ・・まあ、一応警官や名探偵殿がいるから今んとこそう不安はねえけどさあ。それより、これってやっぱ怪盗キッドの仕業だと思う?」

 いや、と平次はあっさりと首を振った。

「これはキッドの仕業やないな。オレはあんまし関わってへんねやけど、あいつはこないなマネするような奴やないと思とる。それに」

「それに?」

「今回ゲームの予告ん時、あいつはあくまでオブザーバーや言うてたからな。奴の言葉を借りれば、不測の事態が起こらん限りはなんも手を出してはけえへん筈や」

 ・・・・・ほお〜?

(結構わかってんじゃん。さすがは西の名探偵ってか)

 ということは、あいつもそう思ってるというわけね。

 快斗は破壊された橋の方を振り向く。

 普段は明るい色の瞳が冷たい光を帯びる。

 

 どういうつもりか知らないが、邪魔は許さねえぜ。

 八年も待ったゲームなんだからな。

 

 館に残っていた礼子たちは、小五郎と中森警部から状況を知らされて一様に驚きの表情を浮かべた。

「じゃあ、我々はこの場所に閉じこめられたということですか」

 いや、と中森は松永の方を向いて首を振った。

「地図を見たら橋を渡らずに戻れる道がありました。ただし、車が通れるような道ではないんで歩くことになりますがね」

「ええ〜!歩くの〜!」

 真っ先に嫌そうな声を上げたのは園子だった。

 ま、国道に出るには十数キロ歩かなきゃならないのだから、そりゃ不平を言いたくなるよな、とコナン。

「電話で助けを呼べばいいやんか」

 別に救援が来るまで何日もかかるような場所やないんやし、と平次が言った途端、礼子たちは暗い表情になった。

 なんだ?

 実は、と牧野夫人が困った顔で口を開いた。

「あの音がする少し前に家に連絡を入れようとしたんですが・・・・電話が通じなくて・・・」

「ええっ!」

「あたし携帯持ってる!」

「無理や。ここからじゃかからへん」

 平次がそう言うと、園子は泣きそうな顔になった。

「園子・・・」

「これは、やはり怪盗キッドの仕業なんでしょうか」

 羽瀬がそう尋ねると、事情を知らずに来ていたジャックスの二人は瞳を丸くした。

「怪盗キッドって、あの平成のルパンとか言われている大怪盗のことだよな?なんで、その名前が出てくるわけ?」

「もしかして、キッドがここに?」

 余計なことを、と中森は顔をしかめた。

「こうなったら事情は隠さず皆に話しといた方がええで、警部はん。朝までオレら動きがとれへんねやから。自分の身を守るためにも、ちゃんと知っといた方が安心や」

「そんなこと、貴様に言われんでもわかっとるわ!」

 中森はむっつりした顔で平次を睨むと、事情を知らないジャックスの二人とそのマネージャーの吉沢、それに牧野夫人に今回のキッドの予告について説明した。

「すっげえ!怪盗キッドのゲームかあ!」

 ここにいる探偵と同様に好奇心旺盛らしい美山光が歓声を上げた。

「すげえよな、聖児!オレ、一度怪盗キッドに会ってみたかったんだ!」

「ねえ、警部さん。キッドはビッグジュエルばかり狙ってるって聞いてるけど、ここにそんなのがあるわけ?」

「キッドの狙いは今んとこわからへんけど、オレたちが気を付けへんとあかんのはキッドやないかもしれへん」

「・・・・・・・・」

 聖児は眉をひそめて平次を見る。

「おまえ、さっきからえらく出しゃばってるけど、いったい何もん?」

「何もんって、オレは服部平次っていうもんや」

 平次が肩をすくめて答えると、突然光があっ!と叫び、ポンと手を打った。

「自己紹介ん時、どっかで聞いた名前だと思ったら、関西で活躍してるっていう高校生探偵って、あんたのことじゃない?」

「高校生探偵?それって、ドラマの話じゃないのか、光」

 それが違うんだよなあ、と光は片目をつぶり、チッチッと舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。

 彼がドラマで演じた高校生探偵の癖だ。

「ホントにいるんだぜ。おまえ2年間アメリカに留学してたから知らないだろうけど。東京では工藤新一って高校生探偵がすんげえ有名でさ。でも最近どうしたんだか全然噂きかないんだけど」

 そうそう、顔はこいつにそっくり!と光が指さしたのは、成り行きを面白そうに眺めていた黒羽快斗だった。

「ああ、それでおまえ、こいつの顔見てびっくりしてたのか」

 納得できたというように聖児がうなずく。

「工藤新一は知らなくても、父親の方は知ってんじゃないの?おまえ、時々読んでるしさ」

 えッ!と聖児は目を見開いて相棒を見る。

「まさか、工藤優作っていうんじゃ・・・」

「そのまさか。母親はもと美人女優だって話で・・・」

「オ、オレ大ファン!工藤優作の本は全部持ってんだぜぇ!」

 深刻な状況を全く無視した話題で盛り上がり出した彼等に、当然大人たちはムッツリ顔だ。

(おいおい・・・こいつら、こういうキャラだったのかよ?殆ど高校の悪友ともと変わんねえじゃねえか)

「あ、わたし達、その工藤新一と同級生なんですぅv」

 コナンは、ジトッと園子を見つめる。

(てねえも混ざんじゃねえよ・・・)

「それでもって、蘭は工藤新一の彼女!」

 なっ!

「園子!」

 蘭が真っ赤になって園子の口を塞ぐ。

(こんな時に何言いだしやがんだ、園子の奴ぅ!)

「おまえらなあ!状況がわかってんのか!」

 大人の言うことを少しは聞けって!

「とにかく、朝までは動きがとれんから、君たちはもう部屋で休みなさい。いいね」

 これだけは聞けよとばかりに中森がひと睨みするが、あんまり効き目はなさそうだった。

「皆さんの部屋は二階に用意してありますから。お願いしますね、牧野さん」

「はい。じゃあ皆さん。部屋へご案内致しますのでどうぞ」

「とりあえず俺と警部は朝まで下にいるから、何かあったら呼ぶか来るかしろ。わかったな」

 三階へ上がる子供たちにそう言った小五郎にうなずいたのは蘭だけで、残りの高校生組は振り向きもしなかった。

「ケッ。可愛くねえガキ共だぜ」

 

 

 部屋は二人で一部屋を使えるようになっていた。

 ベッドが二つあり、鏡台やクローゼット、応接セットが備え付けられている上に、どの部屋にもシャワー室とトイレがついているので朝まで部屋を出なくてもよくなっている。

 しかも内装はスイートルーム並みの豪華さだ。

「素敵よねえ。ホントに貴族のお城に泊まってる気になっちゃうv」

 も、サイコー!

 園子はさっきから超ご機嫌であった。

 鈴木財閥のお嬢さまである園子だが、別にお城に住んでいるわけではない。

 こういう外国の映画に出てきそうな部屋は、やはり園子にとっても夢なのである。

 それよりもさあ、とソファに座っていた園子が眉をしかめてベッドの方に顔を向ける。

 そこには既に、園子が言う所のクソ生意気なお子様が寝息をたてて眠っていた。

「光くんがこの子と一緒に寝たいなんて言った時にはビックリしちゃったけど、ボクは蘭ねえちゃんと一緒にいるって言った時も驚いちゃったわよねえ」

 そうね、と蘭も無邪気な寝顔を見せているコナンを見つめ微笑んだ。

「けど、な〜にが蘭ねえちゃんや園子ねえちゃんはボクが守らなきゃ、よ。さっさと寝ちゃってりゃ世話ないわよね」

「しょーがないよ、園子。コナンくんはまだ小学生なんだから」

「そのわりには言うことが生意気なのよねえ、このガキんちょ。全然可愛くないったら」

「そんなことないわよ。ちょっと冷めた所もあるけど、可愛いよ、コナンくん」

「それは蘭の前だけでしょ。まあ顔は確かに可愛いけどね。うちのママなんか、天使みたいだって言ってたし」

 けど、あたしには小悪魔に見える。

「コナンくんは本当にわたし達を守ってくれるつもりでいるのよ。これまでも、あの小さな身体で何度もわたしを守ってくれたんだもの」

 そう〜お?と園子は疑いの眼差しだ。

「わたしはやっぱり守ってもらうなら素敵な王子さまだわ。怪盗キッドさまならもう言うことなしだけどね!」

「でも園子。わたし達がここに来ることになったのはその怪盗キッドの予告のせいじゃない」

「だから会える可能性が高いんじゃないvああ、まるで運命の神様に翻弄されるかのようにすれ違いばかりだったけど、今度こそわたし達は出会うことが出来るのよ!」

 わたしのキッド様〜〜v

「そんなに喜んでいいの?橋が落ちたのはそのキッドのせいかもしれないじゃない」

「何言ってんのよ、蘭。キッド様がそんなことするわけないじゃない。たとえそうだとしても、これはきっとゲームの一つなのよ」

「・・・・わたし不安だなあ。お父さんが有名になって仕事が増えたのはいいけど、その分事件にかかわっちゃって危ないことも増えちゃったし・・・」

 またコナンくんが怪我したら・・と蘭はそれだけが心配だった。

「心配ないって!だって蘭のお父さんだけじゃなく警視庁の警部までいるのよ(キッド様に勝てたためしがないって話だけどさ)」

 

 コナンはそっと瞳を開けて蘭と園子が眠ったのを確かめると、起こさないよう静かに身体を起こした。

 すぐ横で眠っている蘭は熟睡しているのか、コナンの方に顔を向けたまま身動き一つしない。

 蘭・・・・

 じっとその横顔を見つめていたコナンは、ゆっくりと顔を近づけ彼女の頬にキスを落とした。

(何が起ころうと、このオレが絶対におまえを守ってやっからな・・・)

 

 

 

 

 パジャマから私服に着替えたコナンは、音をたてないよう静かにドアを開けて廊下に出ると階段の方へ足を向けた。

 途中、服部平次のいる部屋の前で立ち止まったが、結局何もせずに通り過ぎる。

 平次と同室なのは、あの黒羽快斗だ。

 今の所、服部はあいつの正体に気が付いてはいないようだが。

 そりゃ、誰もあいつをキッドだなんて思わねえよな、と苦笑。

 偶然を利用した巧妙な侵入の仕方が計画通りというなら見事なものだ。

 階段を下りたコナンは、そっとホール内を伺う。

 いるのは小五郎と中森警部の他に松永と礼子、それに牧野夫人だ。

 羽瀬の姿は見えない。

「羽瀬のおっさんなら先に休むと言って出ていったぜ」

 突然背後から声をかけられたコナンは、ギョッとなって振り向いた。

 いったい、いつのまに来たのか黒羽快斗がコナンの真後ろにしゃがみ込んでニコニコ笑っていた。

 こいつ・・・・・・

 こんな近くまできていたのに全く気づかなかったなんて・・・!

 コナンには信じられないミスだった。

 しかし、実際足音どころか声を聞くまで気配を全く感じなかったのだ。

 でもって、今の発言からすれば、快斗はコナンより先に降りてきていたらしい。

「おい・・・服部はどうしたんだ?」

 同じ部屋にいてこいつが抜け出すのを見逃す服部平次ではない筈だ。

 ああ、と快斗は首をすくめてクスッと笑う。

「西の探偵殿だったら懐中電灯持って橋んとこ行ったぜ。丁度使ってない使い捨てカメラ持ってたからついでに渡しといた」

「ほうお。そいつは気がきくな。で?あいつは出て行く時、部屋から出るなとか言ってなかったか?」

「うんv一緒に行こうかと言ったんだけどさ、先に休んでろとか言われちゃったな。探偵って人種は、ホントに仕事熱心だこと」

 で?コナンちゃんもお仕事?

 コナンはジロリと相手を睨む。

「テメーはどうなんだよ?仕事じゃねえのか」

「オレ?オレは今んとこ好奇心だけ。だいたい、ここへ来たのは仕事じゃねえもん」

「ホントかよ?」

 「嘘じゃないって。だって、ここにはオレの獲物なんかないんだしさあ」

 おまえなあ・・とコナンは自分よりもずっと子供っぽい表情をしている快斗に眉をしかめる。

 こうして会話してみても、これがあの怪盗キッドなのかとコナンは首を傾げてしまう。オレの勘違いだったか・・とも。

 それは絶対にないのだが。

「ちょっと聞きてえんだけどさ。それがおまえの地なのか?」

「そ・だねv」

「ふうん・・苦労してたんだな、オメー。全然知らなかったぜ。ま、最初からイメージが出来てんだからしょーがねえか」

「・・・・・・・」

(かっわいくねえ・・・・)

「それで、他に聞くことはないの、コナンちゃん?」

 コナンちゃんはヤメロっての。

「聞いてもホントのこと答えるのかよ」

 内容によるね、と快斗はニッコリ。

 コナンはもう一度小五郎たちの様子をうかがう。

 彼等はソファに座ったまま動く様子はない。

 何事も起こらなければ、あのままそこで夜を明かすつもりのようだ。

 無論、ここにコナンと快斗の二人がいることも彼等は気づいていない。

 コナンは再び快斗の方に向き直る。

「おまえ、さっきの地下室の扉、開けられっか?」

「鍵なしでってこと?楽勝だねv」

 フフンと胸を張る快斗に、どっと疲れた溜息一つ。

 コレクションルームにしているだけあって、鍵も厳重な造りだったように思うが、しかし強固な金庫さえ壊すことなく開けてしまうこいつには子供だましなのかもしれない。

「もう一度見たいってわけ?それとも、あそこに何かあると思った?」

「・・・・何かあんのかよ?」

 さあね、とすっとぼける少年の手をおもむろにコナンは掴むと足早に地下室へと向かう。

 快斗の手はそう大きくはなかったが、指は細くて長く、思ったより柔らかな感じだった。

 手の大きさからいえば平次の方が大きく、それに剣道をやっているからか皮膚もゴツゴツして硬い。

 手に触れれば何をやっているのかだいたいわかるのだが・・・

 そういえば一度、彼のような手に触れたことがある。

 奇術師殺人事件で会ったマジシャンの真田一三だ。

 マジックは手先を使うので、彼等は神経質なほどに自分の手を大事にするものらしい。

(こいつもそうだってことか)

 マジックを得意とする怪盗・・・

 しかし、それが自分と同じ高校生であったというのはフェイントもいい所かもしれない。

「おまえ・・・何故キッドになんかなったんだ?」

 年齢からいっても、こいつは国際手配されている怪盗キッドではあり得ない。

 確かに今“怪盗キッド”と呼ばれているのはこいつなんだろうが。

 資料によれば、キッドが日本で活動を再開してまだそんなに日はたっていない筈だ。どう考えてもこいつが高校に入ってから。

 主にヨーロッパで活動していた、しかも8年も前に突然姿を消した怪盗の名を使って盗みを働く理由がよくわからない。

「そんなの決まってんじゃん。面白いからv」

「冗談言ってんじゃねーよ」

 快斗は顔をしかめ上目使いで見上げてくる小さな名探偵にニッと笑ってみせた。

「これはゲームさ、名探偵。謎を一つ一つクリアしていけば、おのずと見えてくる」

 おまえが欲してやまない、真実ってやつがな。

「・・・・・・・」

 やっぱり、こいつはキッドなんだな・・・・・・・

 油断のならないその瞳は、ただの高校生が持つには危険きわまりないものだ。

「ゲームの発案者は誰だ?オメーじゃねえんだろ」

「なんでそう思うんだ?」

 コナンはフッと笑う。

「たいてい、こういうゲームを考えた奴ってのは自ら参加したりしねえもんさ。オメーも駒の一つなんだろ?」

「・・・・・・・・」

 快斗は初めて無邪気さを装ったポーカーフェイスを僅かに崩した。

 思った通り、こいつの後ろには誰かがいるのだ。

 いったい誰が・・・・とコナンが考えたその時、突然カン高い悲鳴が聞こえてきた。

 蘭ッ!

 コナンは顔色を変え向きを変えると、ダッ!と蘭のいる二階へ駆け上がっていった。

 なんだ、どうした!と小五郎たちもコナンの後から階段を駆け上がってくる。

「どうしたの、蘭ねーちゃん!」

 コナンがドアを開けると、部屋の真ん中で蘭と園子が青い顔をして互いにしがみついていた。

「どうしたんだ、蘭!」

 そのすぐ後に小五郎や中森警部も部屋の中に飛び込んでくる。

 蘭の震える手が窓を指さすのを見て、コナンが開いている窓に飛びついた。

「なんや?なんかあったんか?」

 窓の外に立っていた人影がのんびりとした関西弁で聞いてきたのでコナンはあれ?と瞳を瞬かす。

「服部?」

「きさまーッ!なんで外にいるんだあ!」

 コナンを押しのけて窓に身を乗り出した小五郎が、真っ赤になて平次に向かって怒鳴りつけた。

「ああ、ちょっと寝る前に外見回っとこう思て」

 ヘラッと笑って答える平次に中森も目をつり上げた。

「誰がそんな事をしろと言ったあーっ!」

 違う・・・

「服部くんじゃないよ」

 え?とコナンが蘭を振り返る。

「目が覚めて窓を見たら、なんか白いものが横切ったんで、なんだろうと思って窓を開けたら黒い人影がジッとこっちをみていたの」

「わたしも蘭と一緒に見たんだけど、服部くんじゃなかったわ。もっと大人の、見たことのない人だった!」

「暗かったから顔はハッキリ見えなかったんだけど・・・わたしたちに気づいたその目がすごく恐かったから思わず叫んじゃって・・・」

「平次にーちゃん!来る時誰か見かけなかった?」

 蘭の話を聞いたコナンが、小五郎と中森の間から顔を出して外にいる平次に向けて確認をとる。

 が、平次は、いやと首を振った。

「悲鳴きいて走ってきたんやけど、誰も見んかったわ。それより、何があったんや?」

「平次にーちゃん!とにかくこっちへ来てよ!」

 おう、と平次は頷くと急いで入り口の方へ回っていった。

「いったい誰なんだ?」

「我々以外の人間なら怪盗キッドなんじゃないスか」

 首を傾げる中森に小五郎がそう答える。

「違うわよ!あんなんがキッド様であるわけないじゃない!」

 園子が二人の大人に猛烈抗議する。

「だが、顔はわからんかったんだろ」

 と中森が言うと、美山光がキッドの顔は誰にもわからないんじゃないのと言い返した。

 つまり、たとえ顔を見てもそれがキッドかキッドでないかなど誰にも判断できないということなのだ。

「それよりコナンくん!いったい、こんな夜中にどこへ行ってたのよ?目が覚めたらいないから心配したんだからね!」

 ゲッ・・・・

 いきなり両手を腰に当てた蘭に問いつめられたコナンは焦った。

 まさか本当のことなど言える筈はない。

「あ・・・ちょっとトイレ・・・・・」

「服に着替えて?」

「・・・・・・・・」

 コナンは答えに窮して黙り込む。

「だいたい部屋にトイレがあるんだから、わざわざ出ていく必要はないでしょ!」

 ごもっとも・・・・

 到底言い訳のしようがなくコナンが俯いてしまったその時、二人のやりとりとは全く関係のないことを快斗が口にした。

「なあ、一人足りなくない?」

 え?と彼等は部屋にいる者の顔を次々と確認する。

「そういや羽瀬さんが見えないな」

「これだけ大騒ぎしてるのに気が付かないというのも妙だ」

 小五郎と中森は厳しい表情で目配せした後、無言で羽瀬氏の部屋へ向かう。

 コナンも行こうとしたが、後ろから蘭に抱き留められ動けなかった。

「お願い・・・行かないでコナンくん・・・・」

 蘭・・・?

「ここにいて。多分、心配するようなことはないと思うから」

 快斗は蘭の腕の中にいるコナンの髪にそっと手を伸ばして触れてから、彼女には優しい微笑みを浮かべてみせた。

 見覚えのあるその笑顔に蘭の心臓がドキリと早鐘を打った。

 一瞬、快斗の顔に幼馴染みの少年の顔がだぶって見える。

 いつでもそばにいて欲しいと彼女がずっと願っていた彼・・・・

「新一・・・・」

「・・・・・・・・・」

 蘭の口から小さく漏れ出たその名を耳にしたコナンは、何も言えずに俯いた。

 

「地下のコレクションルームも見てきたけど、やっぱ羽瀬さんはおらへんかったわ」

 礼子と共にホールへと戻ってきた平次がそう言うと、小五郎はう〜むと唸る。

 小五郎たちが羽瀬の部屋へ入った時、そこに彼の姿はなかった。

 カバーがかけられたままで使われた形跡のないベッド。

 部屋のドアは開いていたが、窓は全部鍵がかかっていた。

 羽瀬が持ってきていた黒のアタッシュケースも一緒に消えていた。

「ねえ、蘭。もしかして、わたし達が見た人は羽瀬さんだったんじゃない?」

 そうかなあ、と蘭は園子の言葉に首を捻る。

 顔も確かめられないくらい暗かったが、それでもあのゾッとするような視線だけは忘れられない。

 羽瀬はこの館で初めて会った人物だが、人あたりのいい印象を受けていたから、どうもそうだとは思えなかった。

「とにかく、この館にいないことは間違いないし、そうなると探すのは明るくなってからでないとどうしようもないな」

「ねえ、車は全部あったの?」

 コナンが訊く。

「ああ。俺たちが乗ってきた車と、松永さんの四駆、そして礼子さんが運転してきた車はちゃんとあったぞ」

「どっちみち橋が落ちてるから車じゃどこにも行かれへんわ」

「もしかして、そいつが怪盗キッドだったりして」

 ふと、光が思いついたように言うと、中森が何ッと目を剥いた。

「ああ、そういやキッドって変装の名人だって話だったな」

「そうそう。誰にも気付かれずにオレたちの中に紛れこむことなんてお手のもんだろ?」

「あっ!その可能性あるある!前にもあったじゃない、蘭!インターネットで知り合った人と山荘に集まった時に、そのうちの一人がキッド様だったってこと!」

「ああ、土井塔さんね」

 そうよ!と叫んでから園子は悲痛に表情を歪めた。

「あの時、彼の変装に気が付かなかったばかりに、わたしは悲観の涙にくれたのよ」

(・・・・そうだったよな。おかげで延々4時間もオメーの歌を聞かされたんだった・・)

「そうか・・その可能性もあったな」

 考え込む中森を見てコナンは、それは絶対にねーよと心の中で否定してのける。

 なにしろ怪盗キッドは、ちゃんとそこにいるんだからなとコナンが、素知らぬ顔で牧野夫人が入れてくれた紅茶を飲んでる黒羽快斗を見つめると、気付いた彼がニッと笑ってよこした。

「・・・・・・・・」

 くそっ!

 いったい何を企んでいやがる!

「よし。今夜はもうバラバラにならずに一緒にいた方がいいだろう。我々はもう1度館の中を見回ってくるから君たちはここから絶対に動かんように」

「んじゃ、オレも一緒に見回るわ」

「ここにいろと言ったろうが!探偵だとかいっていても貴様はまだ高校生だ!二度と勝手に動き回るんじゃねえぞ!」

 あらら・・・・・

 小五郎に怒鳴られた平次は、ヘイヘイと言って首をすくめた。

 ま、場合によっちゃ、んなの聞いてられへんけどな。

 小五郎と中森が出ていくと、松永と吉沢を除けば残ったのは女と子供だけだった。

 やや重苦しい空気が漂う中、年長者である牧野夫人が口を開く。

「あの・・・お茶のおかわり入れてきましょうか?」

「あ、せやったらオレ日本茶飲みたいんやけど、ええ?」

「じゃオレ、今度はココアがいいなあvミルクと砂糖たっぷりで」

 おまえらなあ・・とコナンが呆れた眼差しで平次と快斗を睨む。

 と、わたしも手伝います、と蘭が立ち上がる。

「あ、わたしも!じっとしてるのって、なんか落ち着かないのよねえ」

 二人の少女は牧野夫人と一緒にキッチンへ向かった。

 山根礼子は目を伏せ、何か考え込むように身動き一つせずに椅子に座っていた。

 松永は愛用のカメラを磨いている。

「おい、服部・・・」

 平次の方へ寄っていったコナンが、彼の上着の袖をひいた。

「なんかわかったか?」

「ああ・・・橋を爆破した装置の破片をいくつか見つけたわ。時限装置は見あたらんかったから、リモコンかもしれへん。それより、橋の壊れ方がなんや中途半端でな」

「音のわりにはそれほど威力はなかったってことか?」

 そうや、と平次はうなずく。

「だいたいやなあ。橋壊したってオレらを閉じこめたことにはならへんやろ?そりゃ、車では無理やけど、歩いて出られるんやし」

「今夜一晩だけ、オレたちをここに足止めしておきたかったってことかもな」

「あと4時間もすりゃ明るくなるで。その間に何をやろうってのや?」

「・・・・・・・・」

「なあ工藤。おまえ、橋の爆破はキッドの仕業やないと思とるやろ」

「・・・・おまえはどう考えてんだ?」

「オレも同感や。キッドも何度か爆弾使とるけど、あないな粗悪な代物を使うのんはちょっと妙やしな」

「粗悪?」

「一応写真にとっといたけど、爆弾自体はなんや素人が作ったもんみたいやったし、それに仕掛ける場所もなんや間が抜けとるような気がするねん。少なくともオレやったら仕掛けんような場所やな」

 ふうんとコナンは顎に手をあてて考え込む。

 だが、イタズラにしてはタチが悪い。

 なあ、と急に美山光が平次とコナンの間に顔を突き出してきたので二人はギョッとして離れた。

「暇だしさあ、服部くんがかかわった事件のこと聞かせてくれないかな」

「はあ?興味あんのんか」

 そりゃもう!と光は大きく頷いた。

「実はさ。この前まで出てた探偵もののドラマが今度映画になることが決まったんだ」

「へえ〜。ま、あれ結構オモロかったもんな」

「いやあ、本物の高校生探偵の服部くんにそう言ってもらえると嬉しいよv」

 さよか・・・と苦笑い。

 相棒の聖児が言った通り、ドラマに出てから探偵業にハマったらしい。

 参考までと言いながら、その目は爛々と好奇心に輝いていた。

「事件いうても殆ど殺人事件ばかりやから、聞いてもオモロくないで。ドラマみたいに派手なことあらへんしな」

「毛利のおじさんに聞いた方がいいんじゃない?話うまいしさ」

 ん〜と光は眉をひそめた。

「確かにあの人有名だけど、な〜んかピンとくるもんがないんだよな。ほんとに名探偵?とか思っちまってさ」

 へえ?

 結構カンがいいじゃん、とコナンと服部。

「あっ、オレも聞きたいなあvいい?」

 そうニッコリ笑う顔をコナンは呆れた顔で振り返る。

(バカ言ってんじゃねえよ)

 泥棒が探偵の手柄話し聞いてどうすんだ?

 ・・・・・え?

 突然、コナンのまわりが闇に閉ざされた。

「停電?」

 ガタンと何かぶつかるような音が聞こえたが、いきなり明かりが消えた状態では何があったのか確かめることができない。

「おい!どうなってんだ!」

 闇の中で目をこらすが何も見ることはできなかった。

 と、ふいに何か嫌な気配を感じたコナンが足を踏み出そうとしたその時、誰かに腕を掴まれ引き戻された。

「今動くんじゃない、ボウズ」

 キッド?

 明かりがつくと、皆ホッと息をついた。

「なんで電気が消えたんだ?ブレーカーでも落ちたか」

 松永が首を傾げて呟く。

「みんな、怪我あらへんか?」

 明かりがついたホール内で、互いの無事を確認しあう。

 彼等は殆ど明かりが消えた時の位置にいた。

 違っていたのは、快斗がコナンの傍らに膝をついていたことくらいだ。

 丁度立ち上がりかけてた時だったからけっつまずいて・・とか言って快斗は照れ笑いした。

 だが、コナンは当然言葉通りには受け取らなかった。

(こいつ・・・・・)

「もうビックリ!いきなり真っ暗になっちゃうんだもん!」

 キッチンにいた蘭と園子、それに牧野夫人が無事な姿を見せたのでコナンたちはホッとする。

 怪我もしていないようだ。

「あれ?礼子さんは?」

 なにっ!

 蘭の声に彼等は驚いて振り返った。

 ついさっきまで椅子に座っていた筈の山根礼子の姿は、その時ホールから忽然と消えていたのだ。

 

 

 

 

「なにぃ!礼子さんが消えただとお!」

「電気が消えてたんはほんの1・2分ほどや。その短い間に礼子さんは消えてしもた」

「でもおかしくない?だって出入り口は一つだけだし、外に出るガラス戸は内側から鍵がかかってたしさ」

 そうだよなあ、と光がコナンに同意するようにうなずいた。

「あの人、部屋の奥に座ってて、廊下へ出る側にいたのはオレたちだったろ?で、あんな暗い中、どこにもぶつからないでオレたちの横を通り抜けるなんてできるかな?」

「さすが鋭い!」

 園子がキャアvと喜ぶ。

「誰かに連れ去られたってことは?」

「だったら抵抗するやろ。悲鳴も聞こえへんかったし。第一礼子さんが座ってた椅子は全然動いてへんで」

 椅子は床に固定されているわけではないから、誰かに襲われたのであれば抵抗するし、椅子が全く動いていないというのは不自然だ。

「だったら、礼子さんは自分から消えたってえのか!」

「そう考える方が自然やな」

「なんで彼女がそんなことをする必要があるんだ!」

「そないなこと、オレが知るわけあらへんやろ」

 小五郎に睨まれた平次は、ムッと口を尖らせる。

「ほんとに名探偵?」

 光が心底信じられないというように眉をひそめると、小五郎は、なんだとお!とさらに大きな怒鳴り声を上げた。

「暗くなった時、何か倒れるような音がしなかった?」

「え?ああ、これかいな」

 コナンの問いにまわりを見回した平次が、暖炉の上で前倒しになっていたアンティーク時計を起こす。

「なんで地震が起きたわけやないのに倒れたんや?」

 そう首を捻った平次の表情がふと変わった。

(空気が動いとる?)

 平次は暖炉に続く白い壁を撫でるように手を這わせ、そして何かを見つけたのか軽く掌で壁を押す。

 すると壁の一部が音もなく外側に開いた。

「・・・・・・!」

「隠し扉か!」

「そのようやな」

 平次がニヤリと笑う。

 面白そうな展開に好奇心を刺激された子供のような笑い方だ。

 すげえ、と同じように目を輝かせているのは美山光だった。

「もしかして礼子さんはそこへ入ったのか!」

 多分、と頷いた平次は上着のポケットから懐中電灯を取り出した。

 こら待て!と中森が中へ入ろうとする平次を引き留める。

「我々が行くからおまえは・・・・」

 言いかけて中森は渋い顔で口を閉じた。

 これまで何度も言った台詞だが、一度も聞いてくれたためしがなかったのだ。

 そういうこっちゃ、と平次はニマッと笑った。

「すみません、懐中電灯を貸して下さい」

「は、はい・・!」

 牧野夫人が、キッチンから持ってきていた非常用の懐中電灯を中森に手渡す。

「服部・・・」

 コナンが、くいと平次の上着の裾を引いた。

「オレはもう一カ所気になる所があるから、そっちを調べる」

「一人で大丈夫なんか?」

「ああ。心配すんな」

 あいつを連れてく、とコナンが顎をしゃくった。

「黒羽か・・・なんや余計心配やわ」

 焼きもちか?とコナンがクスッといたずらっぽく笑うと、平次は動揺したように顔を赤らめる。

 冗談だって、とコナンは首をすくめた。

「気を付けていけよ、服部」

「おまえも気ぃつけや。なんや嫌な予感がするんや」

 コクンとうなずいたコナンが平次から離れる。

「あ、オレも行く!」

 懐中電灯を持った中森が先に入り、小五郎と平次が後に続くと、光が後を追いかけるように中へと飛び込んだ。

「おい、光!」

「悪い、聖児!あとはまかせた!」

 しょーがねえな、と聖児は溜息をついた。

「大丈夫かな光くん・・・」

「心配ないだろ。刑事と名探偵がいるんだから」

 聖児が心配そうな顔をするマネージャーの吉沢に向けて肩をすくめる。

 実際、聖児はさほど今の状況を深刻には受け止めていなかった。

 怪盗キッドは犯罪者であるが、凶悪犯ではないというのが頭にあるせいだろう。

「礼子さん、どうして・・・・」

「そういえば彼女、ちょっとおかしな所があったかな」

 松永の呟きにコナンは瞳を瞬かせる。

「何かあったの?」

「ああ・・行方不明になっている彼女の兄さんのことを妙にこだわっていてね。いや、別にそれがどうってことはないんだが」

 ただ一人の肉親ともいえる双子の兄の消息を気にするのは当然のことだが・・・

 コナンが一番気になるのは、彼女の兄三雲礼司を黒の組織が追っているということだった。

 おい、とコナンは快斗の手首を掴む。

「ちょっとつきあえ」

「・・・・・・・」

 明るい色の瞳を大きく見開いた快斗が、腰までしかない小さなコナンを見下ろした。そんな表情だけ見ると、黒羽快斗という少年は只の高校生にしかみえないが。

「ねえ、蘭ねーちゃん。ボク、部屋に置いたままのリュックを取ってきたいんだけど行ってきていい?」

「ええ?駄目よコナンくん!お父さんもここから動いちゃいけないって言ってたでしょ」

「でも、どうしても取ってきたいんだ。このお兄ちゃんがついてきてくれるからいいでしょ?ねっ!」

「黒羽くんが?」

「うん。気を付けていくからさ」

 快斗がそう言うと、蘭もきつく止めることはできない。

 心配いらないよ、と快斗は蘭を安心させ、コナンと一緒にホールを出ていった。

「で?名探偵くんの行き先はやっぱり地下室?」

「・・・・・」

「機嫌悪そうだね。なに?」

「おまえ・・何を知ってる」

 それに、明かりが消えたあの時、何故止めたんだ?

「・・・・・」

 快斗がフッと笑った。

「殺気を感じたろう?それで下手に動いたりしちゃ危ねえじゃねえか」

「誰に向けられた殺気かオメーは知ってんのかよ」

 さあ、と快斗は気障ったらしく肩をすくめる。

「言っとくけど、オレがここに来たのは初めてだからな。この蒼の館に何があるのかなんてオレは知らない。ただ」

「ただ・・なんだよ」

「おまえが言った通り、ゲームを考えた奴は別にいて、オレもそいつに会いにきたってこと。それと、オレが運命を友にしなきゃならねえ相手を見つけるためかな」

「運命を共に?おめえとかよ」

 コナンは意外な言葉に瞳を丸くする。

「それって配偶者探し・・・とか」

 そうかもね、と快斗は面白そうに笑った。

「・・・・冗談の塊みてえな奴だな、おまえ」

「いやいや。オレはいつも真剣だぜ、名探偵?おまえが一つの真実を探し出そうとするように、オレも一つの希望をずっと探し続けている」

「希望?」

 そう。

 災いがバラまかれた後、パンドラの箱の中に残された唯一の光・・・・

 “希望”をね。

 

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