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G観音寺(かんのんじ)

曹洞宗で、本尊の千種観世音菩薩は、文武天皇〔第42代天皇 697〜707〕が大宝年間
(701〜704)に制作したという。元々、海南の名高にあり、極楽寺と呼んでいたが、天和2
年(1682)に此の地移り、観音寺と号した。境内には、地元名士の記念碑や戦前に県の指
定した天然記念物の桜があった。

     石碑

        西川大右衛門    栄谷区長 同地区の福祉平和に貢献 昭和六年
        小山 森翁碑     明治期の教育者、境谷、貴志尋常小学校教師として
                     明治九年から三十三年間活躍
        松本久五郎碑    栄谷東大池堤防の修築に尽力 明治三十二年
        仏  足  石     ブッダの足跡の形を石に彫り付け、ブッダそのものを
                     表現したものとして、信仰の対象となった。
        ダキ尼尊天      夜叉の一つで大黒天の眷属(けんぞく:一族、配下)。
                     半年前に人の死を知り、死を待って、その心臓を食べる。


異名桜(乙女桜)

里桜の一種とみられる独特な桜。周囲二尺余りの三本の大株と、それを母木として若い桜が
二〜三本あった。大株は、明治後期ころまで存在していたようで、娘株は近年まであったも
よう。里桜に似るが、特異な点がある。通常の桜は一枚の心皮から成る一個の単子房を有
するが、此の桜は心皮縫合が不完全なことである。桜の果実としては通常の桜と同じである
が、その心皮縫合線の株1/3は縫合することなく、裂けて開いた状態にある。その中から
中核が露出しているのである。その形は、女性の陰部に似ていることから、○○○桜と俗称
されていた。竹柵の中には、○○○桜と刻んだうえで、「花も実もゆかしき名なり此の桜」と
詠んだ石碑がある。此の桜の苗を京都など他の土地に持って行っても育たないという。
桜の名称が、あまりにも露骨であるので、新しい名称を付けたにが「異名桜」「乙女桜」である。

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