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【近代】
貴志村
明治22年〜昭和17年の自治体名。はじめ名草郡、明治29年からは海草郡に所属。
和泉山脈南麓から紀ノ川河口右岸にかけて位置する。栄谷・中・次郎丸・向・延時・
梅原・中野・土入の八ヶ村が合併して成立。旧村名を継承した八大字を編成。役場は
向に設置(海草郡誌)。明治24年には戸数720、男:895、女:980、小学校2、
小船4。明治42年の戸数:305。大正年の戸数:385、人口:1663。 昭和10年の
戸数:412、人口:1883。昭和17年に和歌山市の一部となり、村制時の八大字は、
和歌山市の大字に継承。



紀ノ川河口右岸、和泉山脈の南麓に位置する。地名は、旧貴志荘の中ほどに位置する
ことによるという。(「続風土記」)明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年か
ら和歌山市の大字。明治24年、東西五町、南北五町、戸数120、男155・女266。
昭和 2年、戸数136、男254・女287。昭和 5年、阪和国道(国道26号)に着工し、
昭和 8年に開通。(海草郡貴志村郷土誌)昭和 7年、加太電気鉄道の和歌山口駅か
ら「中」までバスが運行開始。昭和12年、戸数77、男155・女164。


紀ノ川河口右岸、大池から注ぐ土入川中流に位置する。橋向村ともいい、中村にある
「長さ五間の石橋」の向に位置したことに「地名は由来」すると伝える。(「続風土記」)
明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、
昭和18年から和歌山市の大字。
明治24年、東西二町、南北一町、戸数60、男71・女93。学校1、小船3。
大正 3年、戸数34、男76・女97。昭和 2年、戸数39、男81・女86。
昭和12年、戸数43、男98・女92。(海草郡貴志村郷土誌)
貴志村役場は、長徳寺庫裏で執務を開始したが、明治29年浸水のため西本喜右衛門
宅に移転。明治34年に、貴志村・松江村組合役場を土入に設置、大正3年に現在の位
置に新築移転(貴志地区連絡所)となる。

梅原
紀ノ川河口北西方、和泉山脈の南麓に位置する。古くは紀ノ川口の地であり、大歳神
社境内の「岩神」と称する岩石に、貝殻の付着と波浪の痕跡が残る。(海草郡貴志村
郷土誌)地名は、三笠池の奥に「梅の大樹」があったことに由来するという。(続風土記)
明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から和歌山市の大字。
明治24年、東西五町、南北五町、戸数110、男155・女145。
昭和 2年、戸数60、男126・女147。昭和12年、戸数61、男140・女156。
加太電気鉄道の和歌山口から「中」まで運行のバスが、梅原・木ノ本経由で八幡前駅
まで延長。(海草郡貴志村郷土誌)

栄谷
明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から和歌山市の大字。
明治24年、東西八町余、南北十町、戸数208、男263・女292。学校1。
大正 3年、戸数66、男174・女160。昭和 2年、戸数74、男175・女167。
昭和12年、戸数143、男296・女314。(海草郡貴志村郷土誌)
明治33年、貴志小学校・栄谷小学校が合併して貴志尋常小学校となり、栄谷
八幡前に校舎新築。明治36年、高等科を併設。(和歌山市史11)

土入
紀ノ川河口右岸、新堀川・打手川が土入川に合流する付近の低湿地に位置する。

明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から和歌山市の大字。
明治24年、東西四町、南北四町、戸数93、男107・女130。大正 3年、戸数44、
男105・女117。昭和 2年、戸数43、男90・女97。昭和12年、戸数43、男104・
女109。明治34年、貴志村・松江村組合役場を地内西土入「本遇寺」に設置。
大正3年、向に新築移転。(海草郡貴志村郷土誌)

次郎丸
紀ノ川河口右岸の三角州に位置する。北方を土入川、南方を打手川が流れる。
地名は、中世に次郎丸名などといったことに由来するという。(「続風土記」)
明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から和歌山市の大字。
明治24年、東西二町、南北一町、戸数65、男80・女84。
大正 3年、戸数33、男66・女95。
昭和 2年、戸数22、男79・女87。
昭和12年、戸数31、男80・女87。(海草郡貴志村郷土誌)

中野
紀ノ川河口右岸、土入川沿いの低湿地に位置する。地名は、旧貴志荘中央にある平野
という意味で名付けられたと伝える。(「続風土記」) 地内南西に「中野城址」がある。
同城は、天正5年に織田信長の雑賀攻めを迎え討った雑賀党の出城で、石垣や堀跡が
残る。明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から和歌山市の大字。
明治24年、東西30間、南北30間、戸数24、男14・女37。小船31。大正 3年、
戸数10、男30・女30。昭和 2年、戸数 9、男16・女19。昭和12年、戸数 7、
男18・女20。(海草郡貴志村郷土誌)

延時
紀ノ川河口右岸の三角州に位置する。地内には紀ノ川に注ぐ土入川に沿った低湿地
が多い。地名由来については、「続風土記」は不詳としつつも、中世に延時名があったこと
によるものかと推論している。明治22年〜現在の大字名。始め貴志村、昭和17年から
和歌山市の大字。明治24年、東西一町、南北一町、戸数40、男37・女39。大正 3年、
戸数11、男33・女33。昭和 2年、戸数12、男27・女34。昭和12年、戸数15、男32
・女35。((海草郡貴志村郷土誌)


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