2004.1月 はなのほろ酔い小部屋
今日のお話・・夢見る頃を過ぎて 休日の午後、少しまどろんで目覚めたとき、 今は、いったいいつなのか、自分が何歳なのか、 とっさにわからないときがあります。 早く起きないと講義に遅刻するのか、 子供たちのお弁当を作るのに起きなくちゃいけないのか、 そしてまた、おばあちゃんの作るおやつが待っているのか・・ 今年2004年、12月の誕生日がきたら、 実に50年も生きてきたことになる私なのに、 あまりにも呑気に生きてきたので、 私の中には子供の頃の私、思春期の私、そして20代の私、が、 『上書き』されることなくそのまま並んで保存されているようです。 だから、いまだに、 ガラスやビーズが好き、 ロマンチックなお話が好き、 そして誰も住んでいないおうちの庭を覗くのが好き。 いつになっても、いくつになっても、 外側は、だんだんと使い古しの状態になってゆくのに、 中身は、毎日、想像と夢と本の世界にどっぷり浸っていた あの夢見る頃からあまり遠くへは来ていない気がします。 でも・・・ 先日、卒業以来という友達とメールをやりとりする機会がありました。 同じサークル仲間だったのですが、年賀状だけのやりとりで あまり話をすることがなかった彼女、 20数年分の話をメールでしているうち、 話は、15年ほど前に亡くなった一人のサークル仲間のことになり、 私のメールを読んで、彼女はパソコンの前で、おいおい泣いたそうです。 「ずっと、なんとなく元の仲間と疎遠になっていたので、 亡くなられたことは全然知りませんでした。 ずっと私の中では、元のサークル仲間は全員、 あの信州の水辺で合宿していたときと同じ、元気に笑って暮らしていると 思っていました・・・」と彼女のメールには書いてありました。 私の中では、15年前のできごとが、 彼女にとっては、昨日のことのように鮮烈なできごとだったようです。 ・・・こんなふうに、 日頃、当たり前に続いている、または続いていく、と思っていることが 過ぎていく時間の中で、知らない間に終わりになっていることがあるのです。 午後のまどろみから目覚めて、 時間の感覚が戻ってくるまでを楽しみながら、 また現実に戻って日常を過ごす、 そうした呑気な繰り返しの日々でも、 何かしら「終わり」になってゆくのは、これからはだんだんと増えていくでしょう。 いつ何が「終わり」になっても、悔いのないように。 毎日の日々は一期一会であることを。 忘れないようにしたい。 と、今年の私は、年の初めにそんなふうに感じました・・・ |