2003.7月  はなのほろ酔い小部屋


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今日のお話・・・よく見る夢


前にどこかで書いたけれど、
私は寝ているとき、よく夢を見ます。そして、見た夢を覚えています。
そしてまた、
何度も何度も繰り返して見る夢も。

子供の頃から学生時代まで、繰り返し見た夢は、
母と、私と、そして『小さい』弟が、3人で、バスを待っている夢でした。

夢の場面の設定は、夕方か夜で、
寂しい野原の中か、真っ暗な商店街の通りで、
ポツンと立つバス停の前で、3人で、バスの来るのを待っています。

  たぶん、この夢は、
  まだ京都に住んでいた子供の頃に、母と弟と3人で、母の実家へ遊びにいくと、
  帰りは、夕飯もごちそうになって、決まって暗くなってからバスで帰った、
  そのときのことが、夢になったんだと思います。


そして、この夢は、
結婚して子供を持つようになると、姿を変えて、またやってきます。

今度は、バスを待っているのが、私と、小さな娘と息子の、3人になって。
場面の設定は、同じ。
寂しい夜の野原の真ん中で、ポツンとバスを待っている3人です。


  なぜ、この夢は、私にやってくるのかしら?


私の生まれる前から、母はいわゆる「職業婦人」でした。
いまどきは、この言葉も死語となったようですが、
昭和30年代はまだ、『仕事をする女』という存在は珍しかったことでしょう。
そして、仕事を終えて帰った家には、舅姑と小姑が3人、すぐ近くに姑の妹が住んでいました。
賑やかな昭和の大家族の風景ですが、
嫁してその家に入った母はどんな毎日を過ごしていたのでしょう。

母の母、つまり私の祖母はその頃は家にいましたが、
戦前から戦中にかけて、小学校で教鞭をとっていました。
職業を持ちながら、主婦をすることの、いろいろな側面を、その祖母なら理解してもらえたのかも。
たまの日曜日に、子供たちを連れて、同じ京都市内にある実家を訪ねて一日を過ごし、
日暮れて実家から嫁ぎ先へと、子供たちと帰る母の、
疲れた閉塞感のようなものが、子供の私に反映したのかもしれません。

そして、また、同じ道筋をたどっている今の私にも、
同じ閉塞感が繰り返し繰り返し、やってくるのかも。


元々、他人であった者同士が、たまたま「夫の親」「息子の嫁」となって
一緒に暮らすのは、並大抵ではありません。
いつもいがみあって暮らすわけではないけれど、モノを見る視点のズレは
積み重なると、ストレスになってしまいます。
不幸、という言葉で言い切るほど、大きなことではないけれど、
何かしら積もっていく塵のようなものが、そこには存在します。

どんなに時代が変わっても
解決しない人間関係かもしれません・・・他人同士が「家族」として暮らす人間関係。

さて・・私の娘は、この夢を見るのでしょうか・・・


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