《Rock'n roll 7》 最終回
久しぶりに見る「Feather Cats」のライヴ、1曲目、珠美にとってはあまりにも耳に馴染んだイントロを聴いて、彼女は一瞬、「え?」と思った。ジャニス・ジョプリンの『心のかけら』。
以前の彼女らだったら絶対にやらなかった、オンナオンナした曲だ。いや、曲が、ってわけじゃなく、ジャニスが、なんだけれども・・・・。しばらく見ない間に、「Feather Cats」もいろいろと変化してきているみたいだった。バリバリのブルースしかやらなかったバンドだけれど、ボーカルのカンちゃんの好みに合わせて、少しばかり傾向をシフトさせた、ってところだろう。カンちゃんの好み・・・ってことは、珠美自身の好みにかなり近いわけで、なんだかうれしくなってくる。
お互いに、ジャニスを語れば何時間でも語り尽くせるほどのジャニス狂だったことを、思い出す。
さっきと同じ、色褪せたGジャンに花柄のロングスカート、ルーズに編み込んだ髪からでっかいターコイズのピアスをのぞかせて、ギターを弾きながら歌うカンちゃんは、相変わらずカッコよかった。ほどよくしわがれた、はりのある声は、前よりも良く通るようになった気がする。彼女と出会った頃にはすでに歌わなくなっていた珠美だけれど、それからも、また歌い始めようという気持にならなかったのは、カンちゃんには勝てないと心のどこかで思っていたからかもしれない。
ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェイムズ、彼女たちの本来のオハコとも言えるプリミティブなブルースに、ときおりジャニスやジェファーソン・エアプレインといった「ありゃ?」と思うような曲をはさみこんで、10曲ほど続けてプレイしたあと、ステージは終わった。
ちょっとしたアンコールの後に出てきたのはカンちゃんとキーボードの女の子の2人だけ。一瞬の静けさの後、流れ出したパイプオルガンのようなイントロに、思わず鳥肌が立った。
大好きな曲だ。ストーンズの『You can't always get what you want』。
珠美も昔、何度となく歌った。オリジナルは大げさな聖歌隊のコーラスで始まるところを、オルガン一本でやる。そこへ静かなアコースティックギターのストロークと共に歌が始まる。かつてピンキー・ピンクフィッシュで珠美がやっていたのをカンちゃんが引継ぎ、そのままここへ持ってきたのだろう。2人が歌っている間に、後ろで他のメンバーがセッティングを始めるというクサい演出も昔のままで、なんだか珠美は、おかしさと懐かしさがごっちゃになったような、不思議な気持になってしまう。
繰り返し歌われるフレーズ、"You can't always get what you want"、あの頃はその言葉の意味なんて考えたことなかった。でも時を隔てたいま、なんだか身に沁みる。欲しいものがいつも手に入るとは限らない、でも何とかやってみれば、ひょっとして手に入ることがあるかもしれない。
そうかもしれない、でも、いいやって思う。欲しいものが、いつも手に入らなくったって、構わない。それでもそれなりに人生は幸せなモノだって思うから。
またおいでよー、というみんなの心底切実な声に見送られながら、珠美は急ぎ足でライヴハウスを後にした。終電に間に合うように駅に着かなくては。いくらなんでも朝帰りはやば過ぎる。
家にひとこと連絡を入れようかと思ったけれど、そこまでは素直になれなかった。ともかくそれよりも、早く帰った方がいい。
少しばかり、急いで走り過ぎたのがいけなかったのかもしれない。
着くと同時にホームにすべりこんできた電車に飛び乗って一息ついたとたん、しくしくとお腹が痛み始める。
「え? 出血? 今どこにいんだ? わかった、すぐ行くから、じっとしてろ!」
近くの駅から震える声でかかってきた電話の言葉をきいて、朋久は真っ青になり、酔いも何も吹っ飛んでしまった。すぐに車に飛び乗り、自分の10倍も青い顔をして駅で待っていた妻を拾って、ともかく近くの救急病院へ駆け込む。
診察の結果は、バツだった。母体には影響ないということで、簡単な処置をしただけで無情にも病室を追い出され、翌日あらためてかかりつけの産婦人科に行くように言われる。
帰りの車の中、しばらく放心状態でいた珠美が、ぽつんと言った。
「やっぱ、出てったりしたのが良くなかったのかな」
「いや、たぶん違うと思うぞ」
あながち慰めでもなく、朋久は言葉を帰す。
「医者が言ってたけど、この時期の流産ってのは、しょうがないんだと。もともと弱い卵だったっていうか、自然淘汰みたいなもんでさ。歩き回ったとか、動き回ったとか、そういうのはあんまりカンケイないって」
その言葉は、思いのほか優しく響いたらしい、珠美は驚いたように朋久を見た。
「怒ってないの?」
「まあ、責任の一端は俺にもあるみたいだからな」
「何で出て行ったとか、どこへ行ってたとか、聞かないの?」
「聞かなくてもわかる。長い付き合いだから」
朋久は少し笑って、言った。
「帰ってたんだろ? 昔に」
キザなセリフ、と不謹慎にも珠美は一瞬、吹き出したくなる。でも、すぐに胸の痛みがそんな思いを消してしまう。さすがにショックだった。いらない、と思ってた。そう思ってただけに、よけいに。
「残念だったな」
珠美の気持を読み取ったかのように、朋久が言った。
「できた、って聞いたときは慌てたけど、こうなっちまうと俺もさすがに悔しい。たぶん、オヤがあまりに頼りないから、出てくるのが嫌になったんだろうな、うちの子は」
「うちの子」なんて言われると、なんだかリアルだ。それだけに、朋久のその理屈は、説得力があった。
「まあ、また来てくれるのを気長に待つさ」
彼がそう言って笑うのにつられて、珠美も表情を緩めた。なんだかちょっと気持がラクになっていた。
翌日、珠美が目を覚ますと、朋久はすでに起きて、会社へ行く用意を始めていた。
いつもより早い時間のダイニング、FMからは、いつもと違う番組が流れている。どうしても外せない仕事がある朋久は、少し早めに出勤して仕事を片付け、できるだけ早く早退して、珠美と病院で合流する手はずになっていた。
後々に影響があるから、あまり動いてはいけないと医者に言われている珠美に代わって、ヘンに律儀な朋久は朝食を作ったり洗濯を干したりと忙しい。申し訳ない、と思いつつ、ぼんやりとソファにもたれてその様子を眺めている。
「じゃ、行って来るわ」
すっかり身支度をすませ、カバンを持った朋久がそう珠美に声をかけたとき、
「あ・・・・この曲」
静かなギターの音、聞き覚えのあるひしゃげた声が、耳に馴染んだメロディーを歌い出す。
「これって、キヨシロー?」
「そうみたいだな」
「うわー懐かしー。RCの『イマジン』だ」
珠美の言葉に、朋久はラジオのボリュームを上げた。
「ほんと懐かしいな。俺、けっこう好きだったんだよな、RCサクセション」
「うそ、ガラじゃない」
「悪かったな」
朋久は笑った。その少し疲れた穏やかな笑顔を見ると、珠美は不意に泣けてきそうになって、慌てる。
「いい詞だね」
「そうだな、うまく訳してる」
いつの間にか床に座っていた彼は、そう答えてしばらく耳を傾けていたが、あわてて立ち上がった。
「やば、電車に遅れる。そいじゃ、行ってくるわ。昼までには帰ってくるから、病院で待ってろ」
バタン、とリヴィングのドアが閉まる。独り部屋に取り残される、いつもの朝。
珠美はソファに沈み込み、ふーっとため息をつく。
独りになると、さすがにやっぱり落ち込んでしまう。バカなことをしたのかなって、思う。
でも、そうするしかなかったことも、わかっている。穏やかな日々の中で、何かを見失なってた。昔のバンド仲間に会い、カンちゃんの歌を聴いて、それを取り戻した。そうするしか、なかったのだ。
朋久に話したいことが、たくさんあった。久しぶりに見たあの街のこと、懐かしい友達に元気をもらったこと、帰ってきたら話そう。そして自分はここにいて何かを探し続けたい、そう思っていることも。
何があっても埋もれてしまうことなく日々を暮らすことは、不可能じゃないよね。朋久はきっと、わかってくれる。
いろいろあったけど、ようやく前に向かって進んでゆける気持になってる。
フェイドアウトしてゆくメロディーを追っかけて、珠美はリフレインを口ずさむ。きっと満員電車の中で、ダンナも思い出してるに違いないフレーズを・・・・今日もいい天気だ。
おわり
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